第5話

「柊。ちょっと良い?」

「はい。何でしょう」

「明日のTL承認までにその図面、終わる?」

「…そうですね、なんとかやれると思います」

「うーん、ちょっと進捗報告して」

「わかりました」



 PCに向かい続けている柊に、横から声をかける鳴海。

 横目で確認している感じからして、図面作成自体はなんとか間に合いそうだが、少し無理をしているように思えた。

 一度、進捗の摺り合わせを行い、必要であればスケジュールの見直しも視野に入れようと考える。



「明日の14時に橋下TLに図面承認を行って頂く予定です。今15時ですけど、定時までには図面の作成は完了すると思います。明日の午前中に自己セルフチェック及び先輩のチェック、修正作業を完了すれば間に合う予定ですね」

「成る程。一応筋は通ってる。けど、駄目だね」

「…? なんでですか?」

「柊。図面の承認には、計画書が必要。5W3Hがわからないモノは承認下りないよ」

「…あ! そうでした! すみません、抜けてました…」



 計画書とは、いつWhenどこでWhere誰がWhoなぜWhy何をWhatどのようにHowどのくらいHow manyいくらHow muchの情報をA4の様式に纏めた書類。

 それが無ければ、図面を作成し持って行ったところで、承認が下りる筈もない。

 図面を作成するということは、そのモノ造りを開始するということだ。

 予算もかかるし、工期も確保されている必要がある。その辺りを含め、全てが明らかになった状態で図面は初めて承認される。

 勿論この業務を割り振った際には、説明はしたし、メモも取らせた。

 それでもやはり初めての一人での業務。プレッシャーと不慣れさで、漏れ抜けのケアレスミスがあってもおかしくはない。



「今回は俺が計画書作っとく。中身は承認前に必ず確認してくれ。出来たら渡す」

「…いえ。私が作ります。私のミスですから、今日は残業してでもやります」

「残念。今日の残業申請は午前中で締め切られてる。今からだとGL承認が必要だけど?」

「私、高岡GLのとこ行ってきます!」

「まあ待て」

「──うに゛ゃ゛!?」



 責任を感じて、自分でやることを告げるも残業申請は毎日午前中が締め切りだ。それ以降は急な業務で無い限り、認められることはない。

 結論を言ってしまえば、管理不足で発生した追加業務で残業したいということになる今回のケースは、話せばわかって貰えるかもしれないが、微妙なラインだ。

 だからこそ、元気良く立ち上がり高岡GLの席に向かおうとする柊の襟首を鳴海は掴み止めた。



「…ちょっと首締まったんですけど…」

「人の話は最後まで聞け。少しは頭も冷えたろ」

「…はい」

「いい? 残業して自分の力でやり切りたい気持ちはわかるけど、それは業務効率的にはマイナス。俺のスケジュール弄れば期限的にも間に合う話で残業させるわけにはいかない」

「……」

「それに。これ、俺の監督不行き届きだし。もっと早く柊に進捗聞いておけば、間に合ったかもしれないだろ。残業申請なんてしたらまず間違いなくその点を指摘されるな。柊は俺の部下だし」

「…! それは駄目です。私は、鳴海先輩に迷惑かけたくなくて、それで…」

「柊の責任感が強いのは見ていればわかる。──と言う訳で、はい。これどうぞ」

「…? なんですこれ?」



 机の上に一つ、金属製の部品が置かれる。

 鳴海はその手のひらサイズの部品を見て、次いで柊に指示をする。



「柊が今描いてる図面の参考部品。さっき比嘉が別の部品を地下部品庫から持ってくる機会があったから、ついでに持ってきてもらった。よく見てから気分転換がてら戻しに行ってこよう」

「…はい。わかりました。切り替えろってことですね」



 話が早いなと感じながら頷く鳴海。

 時間的には柊が図面、鳴海が計画書と分担して進めるのであればまだ余裕がある。

 正直に言えば、部長まで承認を通す必要のある図面は、どこかの承認でつまずくことを考え、幾分かの余裕を持たせたスケジュールを設定しているため、承認時間自体は調整することも可能だ。

 とはいえ、やる気になっている柊にそれを伝えるのも良くない。

 気持ちを切り替えて、続く業務を乗り切って欲しいのが本音である。



「…ここの形状。実物を見ると分かり易いですね。3Dモデルを確認してますけど、やっぱり本物は違いますね」

「そう。現物を見るのはやり方さえ間違えなければ必ず知見として蓄えられる。機会があるのなら率先してモノを見る癖を付けよう」

「わかりましたっ! じゃあ私、これ部品庫に片付けてきますね!」

「ああ。安全靴と帽子、あと作業着忘れずに」



 了解です!と元気よく返事をしながら、机の下に潜り込み、安全靴を引っ張り出す柊。

 部品庫や工場への立ち入りは、安全面を考慮した姿での入場が義務付けられている。

 つま先辺りに鉄板が入っていて、更に帯電防止の機能が付いている安全靴や、頭や腕を守るため帽子や作業着は必須。

 危険な作業をしないとしても、徹底した安全管理が行われて然るべきな場所なのだ。

 靴を履き、帽子を被る。キャップタイプの帽子だが、中々様になっているなと感じる。

 それを見透かしたかのように、柊は鳴海に声をかけた。



「えへ、鳴海先輩。どうです? 似合いますか?」

「──ああ。運動部のマネージャーみたいな印象を受けた。様になってる」

「お、おお。普通に褒められるとは思いませんでした。ありがとうございます」



 少しはにかみながら、もごもごとお礼を言う柊を見て、照れるくらいなら言うなよとツッコミを入れたくなる鳴海だが、慣れない褒め言葉を使う照れをおもてに出さないように必死で沈黙を貫いた。

 そのことに気が付かない柊は、作業着に袖を通し、前のファスナーをしっかり上げる──筈だった。



「──み゛っ」

「──は…???」



 ファスナーは上がり切らなかった。

 胸の下辺りで、止まってしまった。

 ……どう見ても胸のサイズが大き過ぎて、つっかえていた。

 鳴海の目の前まで近付いて来ていた柊は、自分の胸が強調された状態であることを把握し、一瞬で羞恥心に呑まれた。

 鳴海は鳴海で、目の前の惨状が全く頭の中で処理が出来ず、固まってしまったが処理落ちして、フリーズした

 が、直ぐに再起動を果たし、視線を逸らしながら謝罪した。



「わ、悪い!!」

「あ、や! わ、私の方こそお、お粗末なモノを…!!」

「いや、結構な、お点前で…!! ──じゃない! というか、作業着貰った時にサイズ合わせしなかったのか??」

「え、えっと! 桐原先輩に案内してもらったんですけど、袖の丈が合うサイズで大丈夫って言われたので…!!」



 作業着は売店で一人夏冬併せて2着貰うことが出来る。

 案内というのは、桐原が比嘉を連れて行ってやる際に、ついでに柊も一緒に行ったことを言っているのだろう。

 そこで、その場面を鳴海は頭の中で想像した。

 確かに、桐原であれば袖の丈が合うサイズを着て胸がつっかえて着れなくなるということはないだろう。

 何故なら彼女は極めてスレンダーな体型だから──と考えたところで後方桐原の席から背筋が凍るような冷気を感じ、考えることを止めたシャットアウトした

 その後、比嘉の悲鳴が聞こえた気がするが、それも気にする余裕はなかった。



「あ、いや、うん。そうか。それなら、仕方ない。あはは」

「え? どうしたんです、急に片言になって。 …でもどうしよう。これじゃ部品庫行けないです」

「作業着に関しては着れないサイズを間違えて貰ってしまったと言って取り替えて貰えばいい。そこまで融通の利かないモノでもないから」

「わかりましたけど、今日はもう売店閉まっちゃってますよね?」

「…そうだね。まあ、この部品今日中に返却しなきゃいけないわけじゃないし、明日改めてで良いよ」



 売店の営業時間は8時から15時まで。既に営業終了を迎えていた。

 この部品の返却期限は明日中に設定しているので、何が何でも今日返却する必要はない。

 しかし、柊は別案を提示し、鳴海の度肝を抜いていく。



「んー、でも明日改めてだと部品庫行く時間確保しなきゃですよね? 今丁度手を止めてキリが良い状態なので出来ればこれから行きたいところ──あ! 良いこと思い付きましたっ!」

「ん? 何?」

「鳴海先輩の作業着貸してくださいっ。確か引き出しにありますよね?」

「え、は? ちょ、おい!」



 わー、やっぱり大きい! なんて言いながら鳴海の引き出しから出した作業着を広げる柊に、鳴海は内から出る動揺を禁じ得なかった。



「待って。俺の作業着なんか着たくないでしょ。明日で良いって」

「そんな小さなこと気にしませんよー。それに、鳴海先輩毎週持ち帰ってお洗濯してますよね? 今日の朝引き出しにしまっている所を見たの思い出したんですよ! ──ほら! 洗剤の良い香りしかしません!」

「おいばかぐなめろたのむからほんとまじでめてくださいおねがいします」



 鳴海からしてみれば、柊の続く奇行に振り回されっぱなしである。

 いくら洗濯した後、着用していないとはいえ、普段使いしている服に、可愛い異性が顔をうずめて匂いを嗅ぐ行動を目の当たりにして、気が動転しないわけもなく。

 無事、鳴海は譫言うわごとのように嗅ぐのを止めるよう柊に頼み込むことになった。



「──わ! 本当に大きいですねっ! 萌え袖になっちゃいます!」

「……はぁ…。いや、柊が誰に借りても大きいと思う…じゃない。ああ、うん。わかった。貸してやる。俺はもう諦めた。だから早く行ってくれ…」

「??? 鳴海先輩、なんかさっきより疲れてます?」

(天真爛漫…!!)



 150cmあれば良い方な柊に対し、鳴海は182cmと高身長の部類に入る。

 当然、袖・裾の丈はぶかぶかである。確かにそんな柊の姿は可愛らしさに溢れているのだが、今の鳴海は精神的疲労でもうどうでも良いという感じだ。

 そんな鳴海の様子から、何かを納得したかのように一度頷き、



「じゃあ鳴海先輩! ちゃちゃっと行ってきますね! そんな心配しなくてもちゃんと返しますから! それではー!」

「……………借りパクの心配してるわけじゃねぇよ……」



 的外れな言葉を口にし、その場を後にした。

 その場に残った、羞恥心と彼女の可愛らしさに心をかき混ぜられまくった鳴海は、立ち去る柊の背に精一杯のツッコミを小声で呟くに留まるのであった。



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