第6話 黒幕の存在

 「で,どうですか,その後の具合は。」

 いつものミーティングルームで,全く心にもない口上を,全く心配そうな素振りも見せずに,平然と口にする朝倉であった。

 「まだ気分は晴れませんよ。あんな大変なことがあったんですから。仕方ないですよ。」

 「結局,ジーマスターの力は偉大で,外傷の類は一切ない。後は,ただ気分の問題だけですよね。メンタルダウン?それなら,もう大丈夫じゃないですか。」

 朝倉は,余裕と言わんばかりの微笑みを浮かべながら,悟志の正面にゆったりと腰掛けた。

 「朝倉さん,あなたのようなメンタルの強靱な人間はそう言うかもしれませんが,軍医さんが言ってたでしょ。俺,PTSDだって。」

 「PTSD?」

 「そうです,PTSDです。」

 「じゃあ,PTSDって,何の略なんですか?」

 朝倉は,俯く悟志の顔を覗き込みながら,意地悪く質問してきた。

 「プラトニック?いや,違うな。サイコ,とっても,すごく,ディズィーズ(病気)かな?そんなモン俺に分かるわけないじゃないですか。」

 「ほら,自分でも分かってないじゃないですか。『ぱーっと,たーっと,さーっと,どーん。』の略ですよ。要するに気にする必要はないんですよ。」

 「それってなんですか?『ぱーっと,たーっと,さーっと,どーん。』なんて,そもそも略称を作る必要性がないでしょ。しかも,そんな病名の病気があるとすれば,一体どんな病状なんですか。おかしいですよ。」

 「まあ,マジレスすれば,Post Traumatic Stress Disorder,心的外傷後ストレス障害です。斉藤さん,一見もっともらしい英語でしたが,残念ながら,一つも当たってませんでしたねえ。要するに,気にする必要なんてないってことですよ。本来,心的外傷というものは,脳の仕組み上,時間の経過で自然と癒えるものです。確か,どんなに強いストレスでも,その痛みは3か月で半減したはずです。気にせずに,『ドキドキできて,面白かったなあ。』と楽しめば楽勝ですよ。」

 「それは,あなたのような強靱な精神力の人のことであって,普通の俺には,楽しむなんて土台無理ですよ。こんな仕事。」

 このようなやりとりを,世間一般では,話は平行線に終始したと表現するのである。

 「ところで斉藤さん,あなたはこの前の一件で,少し『おかしいな』とは感じませんでしたか?」

 「感じましたよ。」

 「ちなみにそれって,どんな点ですか?聞かせてください。」

 「朝倉さんが,俺がピンチのときに言った『軍での訓練と恥辱の日々を思い出せ』って,あれ何なんですか。あの場では何となく,雰囲気に流されて力にはなったんですけど,後から考えてみたら『あれ?』ってなっちゃいましたよ。」

 「さすがはジーマスター。目の付け所が違いますねえ。」

 朝倉は,笑いをかみ殺すようにして,視線を悟志から外した。

 「あれって何なんです?その場の雰囲気で何となく言っちゃったんですよね?」

 「いやまあ…,それは否定はしませんが,自分としては,それなりに根拠のある発言なんですよ。」

 「根拠って何なんです,第一,俺は軍の訓練なんて受けてませんよ。おかしいでしょ。」

 「ジーマスターに関する私の講義を受けたでしょ。それって一種の訓練じゃないですか。」

 「じゃあ恥辱って,何なんですか?」

 「自分のペニスを赤の他人である研究者から写真で撮られたりするのって,十分に恥辱じゃないですか?それに,私もそれなりに斉藤さんを言葉責めにしているつもりですけどね。」

「…分かりました,朝倉さんの言いたいことはもう分かりました。ですから,もう良いです。」

 このようなやりとりを,世間一般では,不毛な会話のやりとりに終始したと表現するのである。

 「斉藤さん,私が『おかしいな』と感じたのは,覇天王の動きの速さですよ。あれは,異常に速すぎたとは思いませんか。普通の人間がジーマスターと互角にわたりあうなんて,あり得ないでしょう。そうは思いませんか。」

 「異常に速すぎたって言っても,俺には,ゆっくりに見えましたよ。そんなに速くはなかったんじゃないですか。」

 「それはあなたが超人ジーマスターだからです。我々には,とんでもない高速のやりとりにしか見えませんでしたよ。私の目でも追えなかった。観客もあれ辺りから,固唾を飲み始めまていましたよ。大袈裟に聞こえるかもしれませんが,我々には,まさに別次元の攻防でしたよ。」

 「そうなんですか?」

 対峙していた覇天王のことしか見えていなかった悟志にとっては,全くもって実感に乏しい感想だった。

 「それなら,俺がジーマスターの状態で戦っていたとするなら,なんでアイツはそんな素早い攻撃に耐えられたんですか。『希代のスピードスター』とは言っても,通常の人間の何倍もの速度で動けるはずもないでしょう?」

 「そこなんですよ。斉藤さんも,おかしいと思いますよね。」

 やおら朝倉は,机上に資料を広げだした。

 「私は,大慈院の影を感じるんですが,斉藤さんはどう思われますか?」

 「ダイジイン?何ですかそれ,どこかのお寺ですか?」

 朝倉は,資料を広げる手を,はたと休めた。

 「まさか,斉藤さんは,大慈院を御存知ないんですかね?」

 「分かんないっすよ,そんなモン。今,初めて聞きましたよ。」

 「それでは斉藤さん,あなたのお父さんがジーマスターとして活躍していた頃の名字を知っていますか?」

 「確か,オヤジの旧姓は『武田』じゃありませんでしたっけ。あんまり興味がなかったから,詳しくはありません。」

 「それは,お父さんが自ら養子に出て,意図的に変えた名字にすぎません。本当のあなたの家系,いえ,ジーマスターの家系の本当の名字は,小慈院なんです。」

 「ショウジイン?なんですかそれ,俺,間違いなく初めて聞きましたよ。何か格好良いじゃないですか,俺の祖先。」

 「斉藤さん,本当にあなた,何にもお父さんから聞いてないんですね。良いです,それなら私から説明しましょう。」

 朝倉は,今回の用意した資料の説明を止めて,ジーマスターの歴史について語りだした。

 「斉藤さん,ジーマスターの起源は御存知ですよね?」

 「確か,朝倉さんたちと最初に会ったとき,江戸時代だとか言ってませんでしたか?」

 「実は,正確には分かっていないんです,その特異な生態のために。ただ,我々の分析によれば,古くは戦国時代にまで遡るのではないかと推察しております。」

 人を珍獣のように『特異な生態』と呼ぶなと毒づきたくなる悟志であったが,確かに,古い歴史的文献に,『下半身を露出した素早い武士』などと記載されても嫌な思いしかしないであろうと,諦めもついてしまう悟志であった。

 「歴史という者は,基本的に勝者,権力者によって編纂されます。ですから,基本的に歴史とは,多くの勝利を積み重ねてきた者たちによるサーガ的な要素も含む訳なのです。当然,その積み重ねた勝利の中には,奇跡的な勝利もあるわけですが,我々の見解では,その中にもジーマスターの活躍があったのではないかと推察しております。例えば,織田信長が今川義元を打ち破った桶狭間の戦い,あれなんか基本的に勝てる見込みのない織田信長が,多勢の今川軍を奇襲して,少人数で打ち破った話なんですが,そこにジーマスターが存在したとすれば,頷ける話なんですよ。他にも,織田信長を成敗しようとしていた武田信玄の急死,これだってジーマスターによる暗殺の可能性も否定できないんですよ。」

 なんだか,だんだんと大きくなる朝倉の話に,『ちょっとこの人,というより,日本の軍隊の教育自体が,ちょっとおかしいのじゃないのか。』と不安を覚える悟志であった。

 「あの,朝倉さん,それだったら,なんらかの歴史書に,俺の先祖の名前が出てくるんじゃないんですか?ジーマスターって名前じゃなくても,その大慈院だとか,小慈院だとかいう名前で?」

 「斉藤さん,先ほども言いましたように,歴史というものは,勝者によって都合のいいように作られるものなんです。『織田家が,天下の名門今川家を打ち破った!下半身露出した名もなき変態野郎のお陰で』なんて書き残すわけないでしょう。」

 妙に説得力のある朝倉の反論であった。

 「その後の江戸時代も,ジーマスターは常に政権側にあったものと思われます。初期の頃は『へげう者』と揶揄されたものの,その実力から『自慰師』と呼ばれるようになり,やがては『慈院』という名字帯刀を許される変態にまで登り詰めるのです。」

 その『名字帯刀を許される変態』という表現に,違和感を覚えずにはいられない悟志ではあったものの,さきほどと同様に,妙に説得力のある話でもあると納得してしまう悟志でもあった。

 「あの朝倉さん?」

 「何でしょうか?」

 「さっき,俺が格好良いと言った『小慈院』って名前なんですけど,それって,もしかして…」

 「そうですよ,『自慰師』という恥ずかしい俗称から派生したと思われる名前ですよ。昔から,あなた方の家系は,周囲に気を使わせているんですよ。」

 素っ気ないが故に,その朝倉の言葉は,悟志の胸に深く突き刺さるのであった。

 「その後の慈院家は,徳川幕府の懐刀として,庇護を受け,大いに栄えるわけですが,そうなると,豊かになったが故に,当然お家騒動とかも勃発するわけです。それが決定的になったのが,明治維新の動乱であり,その維新の際に,慈院家は2つに分かれ,それぞれが大慈院,小慈院と名乗り,袂を分かつこととなったのです。」

 「俺のオヤジが小慈院家だったとしたら,その大慈院家って,今はどうしているんですか?もしかしたら,ジーマスターって,俺以外にも存在するんじゃないですか。」

 突然身を乗り出し,色めき出す悟志であった。

「まあ,確かに,ジーマスターは大慈院家にも存在するはずですが…。」

 「ですが?」

 「大慈院家は,明治以降,歴史の表舞台から姿を消してしまい,今ではその消息すら掴めない状況なのです。」

 「そうですか…」

 浮いたケツを元に戻し,意気消沈してしまう悟志であった。

 「しかしながら,大慈院家が未だに存在することは,生物学的にも当然でしょうし,数々の不可解な事件の裏にもその影を見ることができます。」

 「そんな不可解な事件って,何かあるんですか?」

 「それこそ,件の覇天王ですよ。彼の動きは明らかに人間の動きを越えていた。だから私は,大慈院の影を感じると表現したんですよ。」

 「それじゃ,アイツ,覇天王が大慈院家の者だと,朝倉さんは言うんですか?道理で…。」

 「そこで,古い戸籍,それこそ歴史的資料として保管されている古い戸籍まで,国家機密事項に関する調査として調べあげました。覇天王は,本名今川竜司という者ですが,その家系図がこのとおりです。」

 朝倉は,机上に,今川竜司に係る巻物のような家系図を広げて見せた。

 「隅から隅まで徹底的に確認した調査の結果,今川竜司には,大慈院家に繋がるようなところはありませんでした。」

 「そうだとすれば,どうしてあんな人間離れをした動きが,覇天王には可能だったんですか?それって,おかしいですよね?」

 「私の調査は,書面上の調査だけにはとどまりませんよ,斉藤さん。」

 朝倉は,一枚の古ぼけた写真を取りだした。そこには,どこかで見覚えのあるような中年男が映し出されていた。

 「斉藤さん,ある種の統計によれば,既婚女性の子どもの内,その三割が,配偶者の子どもではないそうですよ。」

 「それって,どこの調査結果なんですかっ。しかも,誰がどうやって調べたんですかっ。自衛隊独自の極秘調査ですかっ。」

 「まあ,それは今は置いておいて,この写真を見てください。」

 「…これって誰です?」

 「今川竜司の父親です,似ているとは思いませんか?」

 「あっ,確かに覇天王に似ていますね,目元辺りとか,怖そうなところとか,そっくりですね。」

 道理で見覚えがある顔写真だったのだ。親子ともども,風貌が厳ついところなんか遺伝の脅威としか表現できない。

 「まあ,生物学者にも確認したところ,今川竜司とこの顔写真の男は,遺伝的特徴を共有するとの御判断を頂きましたので,結果,実は大慈院家の隠し子であるとの説も否定されました。残念ながら。」

 「それじゃ元の黙阿弥ですね。じゃあ,結局分からずじまいなんですか?」

 「ところがです…」

 今度は,『今川竜司に関する経歴書』と題した出生から始まる一覧表を悟志に示す朝倉だった。

 「私の調べによりますと,今川竜司は元プロボクサーでした。子どもの頃から腕っ節が滅法強くて,将来を嘱望されたボクサーだったみたいなんですけど,残念ながら,今川は血の気が多すぎて,反則行為が多く,ルールに縛られたプロボクサーの道は性に合わなかったようなんです。それで,自由に戦えるファイトクラブに身を投じたようなんですよ。」

 「それと大慈院が,何か関係するんですか?」

 「それがですね,一応,今川もプロのアスリートだった訳なんですよ。そうすると,それなりのケアをしていたらしくて,伊達スポーツクリニックという医療機関に,プロボクサーの頃から定期的に通院していたようなんですよ。」

 「スポーツクリニック?朝倉さんは,それが大慈院家と何らかのつながりがあるとでも考えているんですか?」

 「いえ,そこまで断言できる根拠があるわけじゃないんですが,スポーツ医療の先生であれば,何らかの事情は知っているとは思いませんか。覇天王の異常なあのスピードについて。」

 「ああ,なるほどですね,それなら理解できます。それなら,その病院の先生に,もう話は聞いたんですか?」

 「それがですね…」

 朝倉は,また一枚の顔写真を新たに取り出した。色白の,いかにもインテリという感じの縁なし眼鏡を掛けた中年男性だった。いわゆるガリ勉タイプではなく,女にも持てそうなインテリタイプである。顔写真も,澄ました顔ではなく,そこはかとなく笑みを浮かべているところが,悟志の嫉妬心を,そこはかとなく,くすぐる。

 「これがその病院の先生ですか?」

 「そうです。」

 「なんか,感じの悪い奴ですね。」

 「そうですか?私は,そのように思いませんが,斉藤さんなら,さもありなんですね。」

 「それって,どういう意味です?」

 悟志は,感じ悪く尋ね返した。見透かされていることへ嫌悪感も隠しきれなかった。

 「いえいえ,深い意味はありませんから,どうか気にしないでください。それより,この写真の男が,伊達スポーツクリニックの医師の伊達大樹なんですが…。」

 「もう,伊達さんから,話は聞いているんですよね,覇天王について。」

 「いえ,まだ話を聞いていません。だって危険があるかもしれないじゃないですか。」

 朝倉は,同意を求めるようにして悟志に微笑み掛けた。

 「この男の何が危険なんですか?ただのイケメン町医者なんでしょ。鍛えられた朝倉さんなら,楽勝でしょ。何,俺に同意求めてるんですか。」

 「ただ,もしかしたら,この男は,大慈院家の者である可能性もあるじゃないですか。そうすると,一般人である私の手に余るじゃないですか。そこで,あなた,ジーマスターのお力をお借りしたいわけなんですよ。」

 「この前,あんな大変なことがあったばっかなのに,また俺ですか?自衛隊には,もっと人が居るでしょ。たまには,ほかの人と任務に当たってくれませんか。朝倉さん。」

 悟志は,困惑しながらも,懇願するようにしてその申出を断った。

 「斉藤さん,お気持ちは分かるんですが,ほかの隊員も各自任務があります。私たち二人は,隊の中でも,全く別の任務に就いている,いわば,たった二人っきりの特殊任務部隊なんですよ。しかも,ジーマスターの相手は,通常の人間ではできません。あなたと私の二人でしか,対処できない事案なんですよ。」

 「そりゃそうかもしれませんが…」

 「それに斉藤さん。今回の任務には,基本,危険はないはずです。まあ,リハビリの一環と捉えれば良いじゃないですか。それにまた,AVも見放題ですよ,近頃見てないんでしょ,AV?」

 「まあ,そうですけど…。」

 最後の提案は余計だと思いながらも,その視聴について否定はしない悟志であった。

 「さあ,そうと決まれば善は急げです。今日の夕刻に,伊達医師との面会をセッティングしていますから,用意しておいてくださいね。斉藤さん」

 「はあ,まあ…」

 圧倒的な朝倉の水圧に流されるようにして,今回の任務も引き受けてしまっている悟志だった。

 「あの朝倉さん?」

 「何ですか?まだ何か疑問がありますか?」

 「あの,覇天王の個人情報について,滅茶苦茶調べ上げてたじゃないですか。あれって,どうやったんですか?やっぱり,自衛隊の特殊な情報網なんですか?」

 「いえ,御両親に,『MHKですが,あなたのお子様の今川竜司について,ファミリーヒストリーを作成するかも知れませんから,是非とも教えてください。』ってお願いしたら,色々自主的に提供してくれましたよ。ここでは永遠に実現することのない『するかも』が,ポイントですね。」

 こういう奴をサイコパスというのかもしれないと,朝倉を心底畏怖してしまう悟志であった。

 

 「お待たせしました。どうぞお入り下さい。」

 伊達医師は,時間外の待合室で待機する朝倉と悟志を,柔和な笑顔を浮かべながら,診察室に招き入れるのだった。

 「どうもすみません,こんな遅くに。」

 「いや,大丈夫ですよ。うちにはプロのアスリートの方も多くいらっしゃいますから,時間外の業務は慣れっこなんです。」

 「そう言っていただけると助かります。」

 丁寧に,綺麗な角度の深いお辞儀をする朝倉だったが,その横では,悟志はボサッと待合室のソファに深々と腰掛けたままであった。それもそうであろう,耳にはイヤホンをして,スマホでAVを鑑賞しているのだから。 「ほら,斉藤さん,診察室に入りますよ。聞こえてないんですか。」

 そんな悟志を,綺麗な角度で丁寧に足蹴にする朝倉だった。

 「えっ,えっ,なんですか?」

 「斉藤さん,伊達先生がお待ちなんですよ。」

 「あっ,どうもすみませんっ。分かりましたっ。」

 悟志も,初めて気が付いたようにして,慌てながら朝倉の後を追うのだった。

 今回の朝倉が検討した作戦内容は,おおよそ次のとおりである。朝倉と悟志の二人が,伊達医師と面会をする。そして朝倉が鋭く今川竜司について尋問する間,悟志はその傍らで万が一の事態に備えて警護をする。ただし,ただの悟志であれば,ただの役立たずでしかないので,ジーマスターとならなければならない。そのために悟志は,伊達スポーツクリニックに滞在する間中,スマホでAVを鑑賞し,己をギンギンに高め続ける。なお,今回の任務遂行に当たっては,外部の目がある上,緊迫の度合いが高くはないと認められることから,特例として,ズボンとパンツの着用を認める。以上。

 いつのもと同じように,朝倉の計画は,大雑把で,行き当たりばったりでなのである。要は,いかに悟志が,その有能な方の無茶ぶりな計画に,臨機応変に対応するかが問われているのである。

 「今日当院をお尋ねになられたのは,当院の患者である今川竜司さんについてですよね。御存知とは思いますが,医者には守秘義務がありますので,残念ながら,患者様のことについて,個別具体的に,お話しすることはできません。ですが,今日,わざわざ自衛隊の方がいらっしゃったのは,何か特別な事情があってのことなんですよね。どのような事情があったのでしょうか?よろしければ,お教えいただけませんでしょうか。お話ししていただければ,もしかしたら,少しなりともお力になれるかもしれません。」

 「それについてなんですが…,」

 朝倉が,そのように説明をしようとしたところ,伊達医師の目は,その横に腰掛けている斉藤悟志の姿に釘付けとなってしまっていた。今から真剣な話をしようとしている最中に,イヤホンしてスマホでAVを鑑賞しているイカれた男に。

 「えーと,この男はですね,ちょっと精神に,極めて特殊な障害がありまして,こうやってないと精神が安定しないんです。仕方がないんです。確かに,困った奴なんですが,決して悪気はないんです。こんな場所に連れてきてしまったのは私の責任なんですが,少しばかり特殊な事情がありまして。伊達先生,申し訳ありませんが,少しばかり我慢していただくようお願いします。あれです,昨今の障害者採用枠で,私が一緒に仕事をすることとされているんです。御理解していただくようお願いします。」

 「あの,そちらの方が御覧になられているのは,いわゆるAVですよね。そんなモノで精神が落ち着くんですか。変わっていますね…。」

 「そうなんですよ,常識人にとっては,理解の枠を越えた存在かもしれませんが,こいつには,これが一番の薬なんです。全くもって不謹慎に思えるかもしれませんが,御理解いただければと思います。」

 朝倉は,困り果てたような様子で悟志の方を見やった。

 「えっ,朝倉さん,何か俺に言いました?」

 朝倉の気配を察して,イヤホンを外して答える悟志だった。

 「いいえ。何も言ってませんから,大丈夫です。斉藤さんは,イヤホンを戻して,頼みますから,集中していてください。」 

怒気をはらんだ朝倉の言葉に,慌ててイヤホンを戻し,スマホの動画にに集中する悟志だった。

 「自衛隊の事情はよく分かりませんが,色々と大変なんでしょうね。」

 「誠に申し訳ありません。」

 同情するようにして,釈然としないながらも,一応の理解を示す伊達医師だった。

 「それで,今日お伺いしましたのは,確かに,この伊達スポーツクリニックの患者である今川竜司さんについてなんです。いきなりですが,先生は,彼が非合法なファイトクラブの構成員であることは御存知でしたか。」

 「非合法であるとかまでは知りませんでしたが,いわゆるリアルファイトの選手であることは知っていました。極めて危険な職種ですので,辞めるように勧めてはいたんですが,とうとう先日は大きな怪我を負ってしまいましたからね。もうリアルファイトは諦めるしかないでしょう。残念ですが。」

 「今回先生にお尋ねしたいのは,彼の動きのスピードについてなんです。我々は,先生が,彼がプロボクサーだった頃から,主治医として見ていると聞いているのですが,彼の動きは,いくらスピードスターとはいえ,人間離れしすぎているのではないでしょうか?」

 「確かに,彼の動きは常軌を逸した速度でしたけど…,それって,もしかして,私に主治医として,不正薬物使用の嫌疑が掛かっているってことですか?」

 伊達医師は,動揺を隠すようにして,平静を装っているように見えた。

 「いえいえ,我々はただの自衛隊です。国際アンチドーピング機構でもありません。しかも,そもそも今川竜司自体が,正規のプロスポーツ選手でない以上,基から不正薬物の使用を疑う必要もありません。ただ,彼の異常なまでの動きの速さは,我々が研究している『ジーマスター事業』に密接に関連している可能性もあることから,今日,このようにお話をお伺いに来たのです。」

 「ジーマスター事業?それって,どんな事業なんですか?私も長年,医者としてやってきましたが,そのような事業を学会で聞いたことがありません。どのような事業なんですか?」

 「残念ながら,国家の機密事項,いわゆる軍事機密に該当しますので,これ以上の詳しい事はお話できません。しかし,今川竜司が,その事業に関係している可能性もあると考えています。」

 「そうですか。」

 伊達医師は,机上のパソコンに向かうと,今川竜司に係る電子カルテを画面に表示させた。

 「これが,彼への投薬に関する記録ですが,いわゆる禁止薬物に関するような記載はありません。ですから,彼のスピードは,天性のものと考えられます。実際,私が初めて彼と会ったときから,彼のスピードは飛び抜けたものでした。スポーツ選手として,驚きの対象でした。」

 「先生,疑うわけではありませんが,その投薬記録以外にも,投薬を受けているという事はありませんか?」

 「そんな事はありません。」

 「どうしてですか?」

 「そんな事は,医師法に反します。カルテに不実の記載をしてしまったら,私は医師の職を失ってしまいます。一般の方には分かりにくいかも知れませんが,医師としての禁忌に当たるんです。」

 「なるほどですね。疑うような事を言ってしまってすみませんでした。医師法にも詳しくない上,何しろ疑うのが私どもの仕事のようなものですから。お許しください。」

 「いえ,それは構いません。」

 伊達医師の表情に,少なくとも怒りの色は一切として見えなかった。見た目に若く見えるイケメンだが,度量も大きい大人の医者のようである。

 「ところで先生,ここはスポーツクリニックという位ですから,普通の病院とは違いますよね。もしかしたら,今川竜司の運動能力,特にスピードに関する記録なんかは有りませんかね。存在するのであれば,可能な限り御協力をいただければと思います。」

 「ええ,当然あります。ただ,この場で,すぐにお渡しする訳にはいけません。できれば,後日,根拠となる法律でも記載の上で,送付嘱託していただけたらと思います。内容を確認の上,可能な限り,当院で早急に対応します。」

 「先生,その数値によれば,今川竜司のスピードが,いかに人間離れしていたかは明らかなはずなんですが,先生として,その原因又は理由を探求しようとはしなかったんですか。医師として,格好の研究材料ではないんですかね。」

 「今,そのカルテが手元にありませんので,残念ながら,即答はできません。ただ,確かにずば抜けた数値だったとは思います。ですが,私も開業当時だったと思いますので,感心するだけで終わっていたのかなあ…。記憶が,定かでないですね。」

 伊達医師は,顎に手を当て,しばし記憶を辿っている様子だった。

 「そうだ,開業当時のカルテは,別室にあるから,ちょっと取って来ますよ。しばらくここで待っていただいて良いですか。」

 「助かります。是非,よろしくお願いします。」

 深々と頭を下げる朝倉をよそに,伊達医師は診査室をそそくさと後にするのであった。

 伊達医師の退室を確認すると,朝倉は別人のように素早く立ち上がり,机上のパソコンに映し出された今川竜司に関するカルテの内容を確認していた。しかしそこには,意味不明な薬物の名前が列記されているばかりで,いくら秀才朝倉の頭脳をもっても,伊達医師の発言の真贋を計るほどのことはできなかった。そこで,胸元から自らのスマホを取りだし,そのモニターを画像として撮影しだした。そして朝倉は,この機会に何かほかにもできる事はないかと,診察室内の周囲の物色していた。すると,緊張感なく,スマホの画面を見ながら,一人ニタニタ微笑む悟志の姿が視界に入ってきた。朝倉は,朝倉らしくもなく,妙にその悟志の姿にむかむかと苛立ちを覚えた。

 「斉藤さん,あなたは,いつもどおり良い仕事してますねえ。」

 朝倉は,聞こえるように嫌味を言ったつもりであったが,その苦言は,イヤホンを付けている悟志には届いていなかった。

 「むふっ。」

 時折漏れる悟志のにやけた声に,一層の苛立ちを朝倉に募らせるのだった。

 その時だった,診察室の磨りガラスの向こうに,一台の車両が院内から発車する様子が,朝倉の視界に飛び込んできた。反射的に,朝倉は,伊達医師が資料を探しに行った方向を確認した。しかしそこには,人の気配らしきものが一切としてしなかった。朝倉は,悟志の元に急いだ。そして,その頭を勢いよく平手で叩いた。

 「いてっ!急に何するんですかっ!!」

 「何をしているジーマスターっ!出動だっ!!」

 「えっ,えっ,出動って,どこに?今から?」

 「表を見ろっ!今,車両が院内から発車した,伊達医師はクロだっ!!逃亡したんだ!今すぐ追うんだっ!!」

 「了解っ!」

 飼い慣らされた忠実な猟犬のように,いざともなれば朝倉の命に忠実なジーマスターだった。

 ジーマスターが慌てて立ち上がり,待合室から表に出ようとしたところ,

 「何をしているジーマスター!この窓ガラスを割って行けっ!!すぐに追いつける!」

 「危ないっすよっ!!」

 「お前は超人だっ!甘えるなっ。」

 『そう言えば,そうだな。』と素直に感心するジーマスターは,窓ガラスに,そのまま頭から飛び込んだ。

 『ガシャーン!!』

 大きな破壊音と共に表に飛び出したジーマスターには,車道に出たばかりと思われる大型車の後ろ姿が見えた。

 「南無三!!」

 そのまま休まずに,ジーマスターも急いで車道側の歩道まで向かった。そして,その消えた大型車の姿を探し,車道の左右を確認した。すると,かろうじてその進行方向に,その後ろ姿のみが目視で確認できた。

 ここで悟志は,次のようなシーンを思い出していた。

 『確か超有名SF映画で,こんなシーンがあったよなあ。あれって,某殺人マシーンは,車にあっさりと振り切られてたよなあ。それなら俺に,車に追いつけるはずもないよねえ。いっその事,俺も,誰かの車を奪っちゃえばいいのかなあ。だけどねえ。俺って,一応,正義の味方なんだよねえ。』などと。

 悟志には,他人の車を力づくで奪うようなことはできるはずもなかった。したがって,敵わぬものと知りながらも,ただ思いっきり,伊達医師の車両を追って,その場から走り出すほかなかった。

 ここで思い出してほしい,ジーマスターは,常人の5倍の速さで動けるということを。一流の男性アスリートは,100メートルを10秒程度で駆け抜けるが,仮に,一般男性が100メートルを15秒程度で駆け抜けることができたとしよう。そうすると,一般成人男性の時速は24キロメートルということとなり,その5倍の速さは時速120キロメートルとなる。要するに,ジーマスターにとって,一般車道で,車両に追い付くなど,造作もないということなのだ。

 当然,車道を走りだしたジーマスターは,見る見る間に伊達医師の車両に追い付いた。しかもすり抜けて進むから,若干の信号待ちがあるだけで,走り出したジーマスターから対象者は逃げ押せられるはずもない。

 「先生っ,ちょっと待ってくださいっ!」

 病院から,慌てて逃げ出した伊達医師の車両の窓には,そう叫んで車と併走するジーマスターの姿があった。

 「化物っ!」

 伊達医師は,ハンドルを握ったまま,堪らずそのように絶叫した。

 「化物じゃないですって!ジーマスターです,あんまり好きな呼び名じゃないんです,それ!」

 「知ってるって!」

 「先生っ,車を止めてください!止めてくれないと,俺,力ずくで止めますよ!」

 「こっちは,車なんだぞっ!」

 「分かってますっ!俺,窓ガラスを割って,お邪魔しますよっ!」

 ジーマスターは,駆けながら叫ぶと,その拳を大きく振り上げた。

 「分かった。分かったから,もう止めてっ。」

 「止めるんですねっ。」

 「止めるよ,もう無理だよっ。分かったよ。」

 悟志の言葉だけではない脅迫に,恐怖を感じてしまった伊達医師は,堪らずに最寄りのバス停で車両を急停止させるのだった。そして,ゆっくりと車両の窓を開けると,落ち着きを取り戻したように次のように呟くのだった。

 「流石だね,本物のジーマスターは。所詮,普通の人間では敵いませんよ。私の知っていること,全てをお話します。できれば,機密事項として,内々に取り扱っていただければ幸いです。」

 イケメン医師は,うなだれたままだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る