第16話 解錠
「ちょ、直属部隊がっ……『ヒュアデス』に……襲撃されてるみたいです!」
あたかも世界の危機を伝えるように、菜摘乃は息を切らしながら告げる。その瞳は縋るような光を宿し、肌の色はどこか蒼白で。しかし、俺はそれを舞台でも鑑賞するように眺める。なおもチェーンソーのような言葉を続けようとする菜摘乃を遮り、俺は口を開いた。
「……随分と、演技が上手いな。菜摘乃」
「……いや、演技じゃないですよ。マジで『ヒュアデス』の連中が」
「とぼけるな。扇動者」
――石を投げられたガラスのように、菜摘乃の表情にヒビが入った。一つ頷き、俺は手裏剣を投げるように畳みかける。
「不穏な動きをしているようだったから、こちらからも秘密裏に監視していた。お前は『ヒュアデス』と結託し、ツバサと長谷川優梨の解放を狙っていたな。恐らく俺たちが『ヒュアデス』討伐に動いている隙に二人の部屋の鍵を破壊し、二人を救い出すつもりだったのだろう。……だが、それはさせない」
俺は腰の刀を抜き、菜摘乃に向ける。対し、彼も拳銃を抜き、俺の眉間に狙いを定めた。彼は混じり気のないダイアモンドのような瞳で、言い放った。
「お言葉ですけど、御当主、アンタは間違ってます。人の憧れを否定する権利なんて、誰にもないはずですよ。多数のために少数を切り捨てるのは、ある意味では正義なのかもしれません……いや、『特課』の提携組織としては、それが正解なんでしょう。でもッ!」
「……ワカメ。血迷った?」
――凪いだ海のような胡桃の声に、菜摘乃は水を打ったように静かになった。彼女はマザーグースを歌うように、無表情で言葉を紡ぐ。
「かわいそうなワカメ。かわいそうなワカメ。情を抱くなんて、ありえないのに。それでも憧れちゃうなんて。好きになっちゃうなんて。哀れで、愚かで、救いようがないね」
……しかし、不意に彼女は視線を落とした。腰のコルセットから下げたナイフに手をかけ、制御不能のセイレーンのように歌う。
「でも、それがニンゲン。憧れに突き動かされてしまうのがニンゲン。『ヒュアデス』は
「……何を、言ってる?」
弾かれたように胡桃に顔を向け、俺は問う。その語尾は自分でもわかるほどに震えていて、恋人に裏切られた女のようで。額を押さえ、息を吐く。胡桃は俺を見上げ、胸元のリボンを押さえた。
「胡桃はね、胡桃は、本当はね。人殺し、したいわけじゃないの。人の首を飛ばして、心臓をナイフで刺しても、楽しくないの」
「……何を」
「胡桃はね、楽しいことがしたいの。胡桃が楽しいと思えるのは、いろんな人とお喋りしてる時。でもこっちの世界だと、心おきなくお喋りするなんて、できないもの。だから、外に出たいの。太陽の下に行きたいの」
「やめろ、胡桃。お前には誰より優れた暗殺の才能がある……それを生かさないでどうするっていうんだ。頼む、そんなことを言わないでくれ。お前がいるべきなのは……」
懇願するような、不安定な鼓動を打つ心臓のような、震える声。不意に胡桃はスッと目を細め――ナイフを抜いた。反射的に刀の柄に手をかける俺を冷めた目で見つめ、彼女は神に誓いを捧げるように呟く。
「――だから、これが、最後。さよなら、冬真にーさま」
ナイフを構え、彼女は跳ぶ。それに合わせ、俺は刀を抜き放ち――
「――ッ!」
不意に伸びた腕を、身を捻って回避する。いつの間にか菜摘乃は階段を下りきって、すぐ側にいた。羽織の中に手を突っ込まれ、引き抜かれる。そうか、奴の狙いは――!
「……地下室の鍵か」
「そうです。――花ッ」
「オッスオッス!」
鍵束を手にした菜摘乃の一喝に、階段の手すりを影が滑り降りる。セーラー服の上に特攻服じみた上着を纏った少女――菜摘乃花は両手にトンファーを構え、空虚な表情をした胡桃の隣に着地する。そして油断なく刀を構える俺に向けて、好戦的に笑った。
「さァ――やってやりましょうや、お嬢様!!」
「……踊ろう、冬真にーさま」
◇
御当主はお嬢と妹に任せ、俺は束になった鍵を検分する。6つある牢獄のうち、優梨さんが幽閉されているのは第2牢獄、黒江ツバサは第4牢獄。まずは優梨さんのもとに馳せ参じなければ。「2」と書かれたタグを見つけ出し、第2牢獄に駆け寄る。
「優梨さん……今、助けますからね……!」
乱暴に鍵を穴に刺し、回す。カチリという小さな音で、スイッチが押されたように俺は扉に体当たりした。勢いあまって無様に転がり――倒れている人影の隣で止まった。全身がじんじんと痛い。腕をさすりながら起き上がり、隣の人影を揺り起こす。
「優梨さん……優梨さん」
「う……」
彼女は気を失っていたようだが、呻き声とともにゆっくりと瞳を開いた。その焦点が徐々に俺に合っていく。彼女は半身を起こし、夢でも見ているような視線で俺を見つめた。
「……菜摘乃、か?」
「そうです……菜摘乃樹ですよ。助けに来ました。まずはこの手枷を」
「あぁ……すまない」
「いいんです。さぁ、じっとしててください」
ポケットからドライバーを取り出し、手枷を地面に固定するねじ釘に差し込む。力を籠めると、ガキンッという音を立てて外れた。それを回し、ねじ釘を外す。それを幾度か繰り返し、最後に使い捨てのナイフを取り出して手枷の鎖を半ば無理矢理引きちぎった。ドライバーとナイフを投げ捨て、俺は優梨さんが幾度か手を開いたり閉じたりしている様を見つめる。
「……どうですか? 立てます?」
「……多分」
気丈に応えながらも優梨さんは立ち上がろうとして……ふらついた。即座にその腕を取って支えながら、俺は問うた。
「……大丈夫ですか?」
「ああ……心配するな」
彼女は何度か足踏みをし、俺の腕を解くと、投げ捨てられたナイフを手に取る。それをじっと見つめ、壁に視線を移し――投擲した。鈍い色の刃が風を切り、鏑矢のような鋭利な音を立てる。それはコンクリート製の壁の一点を狙い、深く突き刺さる。
「……おぉ。そこそこ長いブランクだったのに、全然衰えてないじゃないですか」
「いや……自分では、明らかに腕が鈍っている気がする。腕立てくらいはしていたが、それでも体力はかなり落ちているはずだしな」
幾度か腕を回し、爪先を床に幾度か打ち付けつつ、彼女は世間話でもするように何気なく問う。
「……『ヒュアデス』は……黒江ツバサは、どうなった?」
「隣の牢獄に監禁されてます。……どうするんですか?」
「決まっているだろう」
優梨さんは外の光を静かに見つめ、そっと胸に手を当てる。
「……今日は、新月のはずだな。奴を殺すには絶好の日和だ。……私はもう、振り回されない。もう『特課』には戻れないけれど……」
両手を打ち鳴らし、俺は彼女を称賛する。――優梨さんはこうでなくちゃ。一時期は揺れて揺れてどうしようかと思ったけれど、すっかり調子を取り戻したように見える。クールで自信に満ちた背中。だからこそ、俺は彼女についていくんだ。彼女は血のように赤い髪を翻し、振り返る。戴冠式に臨む新王の如く、堂々と言い放った。
「――私は、師匠のために在る。その信念だけはもう、決して曲げるものか」
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