第15話 嘘つきの道標

「……皆さん、準備はできてます?」

『勿論です』

『大丈夫。全員配置についてるよぉ』

 イヤフォンマイクに向けて呟くと、次々と声が返ってきた。一ヶ月もないうちにすっかり馴染んでしまった『ヒュアデス』の面々の声。雲一つない夜空に月が浮かんでいないことを確かめ、俺は椅子から腰を上げた。腰のガンホルダーに拳銃を収め、ナックルダスターナイフを指先で回す。

「兄貴ー。御当主とお嬢様、地下に降りてったらしいっスよ」

「了解」

 モデルのように縁側に佇む花が、スマホから耳を離す。その報告に俺は一つ頷き――イヤフォンマイクに向けて、号砲を鳴らすように言い放った。

「――『ヒュアデス』一同、作戦開始!」



 視界の隅で栗色の巻き毛が揺れる。ショートブーツを履いた足で血を蹴りつつ、脳裏で再生されるのは半月ほど前の光景。小望月こもちづきの夜、モニターに映るのはワカメみたいなウェーブヘアの二人組。

『――お久しぶりです、「ヒュアデス」の新幡雫さん』

『……あんたらは、「プレアデス」の菜摘乃兄妹……?』

『そうです。一応自己紹介すると、俺は菜摘乃樹』

『あたしは菜摘乃花っス。「ヒュアデス」さんに協力を乞いに来ましたー』

 モニターに映るのはワカメみたいなウェーブヘアの二人組。『プレアデス』に所属していた頃、顔だけは見たことがあった。しかし、どうして彼らがここに? ニコニコと人懐こい笑みを浮かべる二人に、私は鼻を鳴らす。

『そんな眉唾情報、誰が信じるの? 知っての通り「ヒュアデス」はリーダー不在で空中分解寸前なの。どうせ、その隙を狙って私たちを殺そうとしてるんでしょ? 「プレアデス」の御当主は私たちのこと、よく思ってないらしいしぃ』

『――いや、俺たちは御当主に極秘で動いてますんで』

『は?』

 あんまりにもあっけらかんと言い放つ菜摘乃兄に、私は思わず目を丸くする。スピーカー越しに響く声から、嘘くささは不思議と感じられなくて。さらに菜摘乃妹が、新幹線の車内アナウンスのように続ける。

『あたしたちの目的は、「プレアデス」に監禁されてる二人の解放っス』

『監禁……それって、まさかッ』

『その通りっスよ!』

 屈託もなくサムズアップする菜摘乃妹。その笑顔と裏腹に、私の首筋には脂汗が滲む。気温が急激に下がっていくような感覚の中、菜摘乃兄のスピーカー越しの宣言が夏風のように響いた。

『――俺たちの目的は、長谷川優梨さんと黒江ツバサの。そのために、あんたたちの力を借りたいんです』


 黒いボディスーツを纏った姿が視界の隅に映り、思考が急激に現在に引き戻された。私は腰のガンホルダーから二丁拳銃を抜き、物陰から様子を窺う。ターゲットは『プレアデス』の当主直属部隊の者。確かに精鋭ではあるが――私は栗色の巻き毛を揺らし、指先で銃を回転させた。私たちとて、半月間何もしなかったわけではない。

 強く地を蹴り、ターゲットの背後に躍り出ると、サイレンサーをつけた銃の引き金を引いた。両肩に強い衝撃がかかると同時に弾が飛び出し、ターゲットの背中に刺さる。続けてもう一発、二発。それらが胸を貫いたのを確認し――と、ターゲットが最期の力を振り絞って投擲したナイフが鼻先を掠める。バックステップでそれを回避し、私はターゲットが倒れるのを遠くから眺めた。


「……あはっ。流石は『プレアデス』の人間じゃない」

 ガンホルダーに銃を収め、口元を押さえる。堪えようとしても堪え切れない笑いの衝動。ワカメじみた二人組を思い出しながら、私は笑う、くつくつと笑う。

 一か月の半分。短いようで長く、やっぱり短い時間。私たち『ヒュアデス』の構成員は菜摘乃兄妹の指導の下、過酷な訓練に励んでいた。身体能力の強化、武器の扱いの訓練、そして精神面の鍛練。筋肉が千切れそうになり、腹の内容物を戻しかけたことも一度や二度ではない。息が切れ、全身傷だらけの私たちに、菜摘乃妹は目を伏せたまま告げた。

『あたしたちも本当は、こんなことしたくないっスよ。けど……あんたたちのリーダーを、そして兄貴の相棒バディには、強くなるしかないんス。だから、もう少しの辛抱。新月の夜まで、どうか頑張ってくださいっス』

 ――わかっている。私たちが弱すぎるだなんて。だからリーダーが監禁なんてされてしまった。そして……そのリーダーを、鬼武零闇になるべき人間をために、私たちは拷問の如き訓練にも耐えた。そしてその成果は、確かにここにある。月のない空を見上げ、私は笑う、くつくつと笑う。

 ――すべての決着は、今夜のうちに。



『しっかし、兄貴も性格悪いっスよねー。とは言ったっスけど、ともとも言ってないなんて』

 イヤフォンマイク越しに妹の呑気な声が響く。それもそうかもしれないな、と俺は自嘲的に笑った。妹の言葉は全面的に正しい。これで話が違うと責められても、勝手に言葉を履き違えたのは向こう。要するに、俺たちは連中を嵌めたんだ。

「……すべては、優梨さんのためだ。優梨さんは、こんなところで終わっていい人間じゃない」

 返り血を固めたような赤い髪が脳裏でなびく。しなやかな身のこなし、的確に投げられたナイフの冴え冴えとした輝き。何よりその、類稀なる冷静さが、俺は。

「……相棒バディになったのは完全に偶然だったけど、さ……運命だったらいいな、なんつってな」

『案外ロマンチストなんスね、兄貴って」

「ははっ、そうかもな」

 小さく笑みを零し、一度立ち止まる。この長い通路の突き当たりに、地下牢への階段があったはずだ。トントン、と爪先で床を叩き、イヤフォンマイクに手を当てる。

「……一旦、切るぞ」

『了解っス――』

 イヤフォンマイクごと外し、投げ捨てる。アキレス腱を伸ばし、意図的に深呼吸して――俺は駆け出した。長い通路を突っ切り、階段の下にいる御当主とお嬢に向けて、あえて息を切らしながら叫ぶ。

「――御当主ッ!」

「なんだ。騒がしいな」

 飛んでくるハエを払うように振り返る御当主に――落とし穴への地図を投げつけるように、叫びを叩きつけた。

「ちょ、直属部隊がっ……『ヒュアデス』に……襲撃されてるみたいです!」

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