第13話 罪と償い
「……ここが『ヒュアデス』の拠点か」
「らしいっスね。どうするんスか、兄さん?」
派手なウェーブヘアが揺れる。セーラー服を纏った少女が笑う。満月が近い真夜中、俺たちはとある廃ビルの前に立っていた。隣に立つ妹――花を説得するのに時間がかかったが、ようやくここまでこぎつけた。俺の……俺たち兄妹の目的は、優梨さんを救うこと。『プレアデス』の魔の手から。
『長谷川優梨は「特課」から除名する方針だ。弟子を裏切った人間は、いずれは国家をも裏切る可能性がある』
――脳裏に響くのは『特課』の司令官、浅峰涼太郎の言葉。やはりというか、御当主は『特課』にも話を回していた。退路を断ち、完全に自分たちのために優梨さんを利用しようとしている。……思い返すたびに
「……落ち着いてくださいよ、兄さん」
「あ、ああ……すまん」
妹の落ち着いた声。こいつには、いつも救われてばかりだ。兄として、『プレアデス』の先輩としていつも支えてくれている妹。海綿に水を含ませるようにその声が身体に染み渡り、怒りが徐々に収まっていく。俺は深く深呼吸をし、インターフォンを押し込んだ。
「――暗殺組織『プレアデス』の者です。あなた方に、協力を乞いに来ました」
◇
キィッ……ガチャンッ。
暗闇を光が穿つ。俺は寝転がったまま視線だけを動かし、逆光になった人影を一瞥した。長髪に和装を纏った若い男。今日は一人か。監禁され始めてからしばらく経つが、一人で来るのは初めてだ。彼は音を立てて扉を閉めると、俺の側に跪く。ひどく冷たい視線が俺を穿った。俺は寝返りを打ち、それから逃れる。
「……何の用だよ、冬真」
「ツバサ……いい加減、罪を償ったらどうだ?」
「お断りだ。そもそも償うべき罪なんざ、俺にはねえ」
「どの口が言うんだ」
やれやれ、と溜息を吐き、冬真は口を開く。――それはまるで、死神が鎌を振るうように、罪人の首に刃を当てるように。
「――鬼武零闇を殺したのは、お前だろう? 雫石修太」
「――その名前で、俺を呼ぶんじゃねえッ!」
声帯がびりびりと震える。思わず跳ね起き、冬真を正面から睨みつける。と、片手が薄い円形に触れた。外したままの紅いコンタクトレンズ。零闇様のようになりたくて、真っ赤に偽っていた瞳。本来の色は――深い、緑色。
「何が悪いってんだよ! 俺は零闇様に憧れた。零闇様になりたかった! だけど……だけど、零闇様は俺を認めてはくれなかったッ! ただ、認めてほしかっただけなのに……」
「……だからといって、殺す必要はなかっただろう? 零闇殺しはお前の欲望がなした業だ。……零闇が、そんなことをすると思うのか?」
「……ッ、ケッ」
思わず冬真から視線を逸らし、喉を震わせる。それはまるで、子供が泣きながら言い訳をしているようで。滑稽だってことは、自分でもわかっているけれど……それでも、やめられなくて。
「……分かってンだよ。零闇様はこんなことする奴じゃないってことくらい。……でも、それでも俺は零闇様になりたかった! お前にはわかんねェよ……お前が零闇様と
「……よく、吠えるな。こんな状況なのに」
冬真は呆れたように溜め息を吐き、ちらりと手枷に目をやる。……そのまま、ぽつぽつと語りだした。
「……零闇に憧れたのは、俺も同じだ」
「はぁ?」
「あいつの銀髪、紅い瞳、ナイフの煌めき、高らかな銃声。隣で戦うあいつが……眩しくて仕方なかった。あいつには、誰彼構わず人を惹きつける、妙な魅力があって。俺も、気付いたらそれに絡め取られていた」
アヴェ・マリアの祈りを捧げるような独白。それはまるで、俺以上に零闇様を尊んでいるような。だが……言いたいことがさっぱりわからない。零闇様に憧れているなら、どうしてそうなろうとしない?
やがて彼は、握りしめた拳を微かに震わせた。声色が切り替わる。冷たい
「……だからこそ、危険なんだ。あいつは人の人生を狂わせる。これ以上、人を狂わせるわけにはいかない。お前のように、長谷川優梨のように。……現に長谷川優梨は、昼間ゆみという人間の一生を狂わせた。そんな風に狂う人間は……俺たちだけでいい。これ以上、誰も犠牲を出すわけにはいかない」
「ハッ……暗殺者であるお前が、それを言うのか?」
「言うさ。人間は資源だ。無駄に使うわけにはいかない」
手のひらをそっと開き、彼は立ち上がった。振り返り、虚空へと呟く。
「――零闇の時代を終わらせるのが、俺の目的」
「……じゃあ、次はどうするんだよ」
「次はない。『プレアデス』の次代には胡桃を据えるが、彼女には『偶像にはなるな』と日頃から教え込んでいる。……前にも言ったが、俺はお前と長谷川優梨を殺し、自殺する。そうして、零闇の時代を終わらせる」
酒に酔ったような言葉に、俺は深く溜息を吐く。……もうこいつには何言っても無駄だな。目的に囚われてやがる。今の俺以上に。
「……好きにしろよ。ま、俺はそう簡単には死なねェけどなァ」
「負け惜しみを。今のお前に何ができる。……まぁ精々、残りの時間を大切にするがいい」
白い羽織の裾が翻る。冬真の後ろ姿を眺めながら、俺は派手に舌打ちした。
あんな奴の目的のために、利用されてたまるかっての。零闇様の時代は、終わらせやしねェ……。
◇
――そんな会話を、私はただ聞いていた。
隣の部屋から漏れぎ超えてくる会話。にわかには信じられない。
……黒江ツバサが、雫石修太で、師匠を殺した?
理解できないまま、言葉が脳裏をぐるぐると廻る。だけど、続く黒江ツバサの叫びが思考を引き裂いた。悲鳴のような叫びは、子供が必死に親を追うようで。その声に、別の声が重なる。
『先輩、に……喜んで、ほし、くて』
「……ゆみ」
悲しそうな声に、私は虚空に手を伸ばす。暗闇に閉ざされた部屋の中に、金髪が揺れたような気がして。だけど、彼女はここにはいない。黒江ツバサが傷つけ……私が、
「……ゆみ……すまない……。私怨にかまけて、大切な弟子を殺してしまうなんて……私は、師匠失格だ……」
気付いた時には、言葉が口から滑り落ちていた。涙が一粒、二粒、零れ落ちて止まらない。ゆみの幻影はどこか悲しそうに揺れていて……その瞳は、硝子の花のような光を宿していて。
「……許してくれ、だなんて、私には言えない。けれど……償う。お前を殺した罪を、弟子を裏切った罪を」
きっとゆみは、復讐なんて望んでいない。そんな彼女へ償いをするのならば……私が、私の在りたいように在るべきだろう。そして私にできることは一つだけ――師匠の弟子として、恥じぬ人間であること。
「……だから、どうか、見ていてくれ」
手枷の先で、拳を握りしめる。
たとえ相手が、同じ人に憧れた人だったとしても。だからといって許されるわけではない。師匠を騙る者を排除するのは――『特課』の方針なのだから。
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