第12話 証明

「――御当主ッ!」

「……菜摘乃」

 翻る白い羽織が視界に映り、俺は慌ててそれの後ろ姿に声をかける。振り返った黒い瞳と、隣の柘榴のような赤い姿。足がもつれかけながらも追いつくと、息を切らしながら問いを叩きつける。

「はぁ、はぁっ……どういう、ことですかッ!」

「……何がだ?」

「何が、じゃないでしょうッ! 話が違いますよ! ……なんてことをッ!」

 ――聞いてしまったんだ。当主の間に報告に行ったとき、御当主と幹部会の話を。冗談だと思った。そんなこと、にわかには信じられない……。

「……どうして、優梨さんをッ! 優梨さんを……監禁するなんてッ!」

「何か問題か?」

 冷淡に言い放つ御当主に、俺の表情が歪む。しかしそんな俺の変化をさらりと流し、御当主は生きた魚の頭を切り落とすように、淡々と言い放つ。

「長谷川優梨は、ああでもしない限り俺たちに協力しないだろう。師匠への憧れと、後継者の矜持に囚われた彼女は」

「そんなの……利用しているだけじゃないですかッ! 優梨さんの意思は、そこにはないッ! おかしいですよ……彼女の矜持を、誇りを、へし折るみたいなッ!」

「菜摘乃ッ」

 ――声。それはまるで、高貴な鶴がいななくような。思わず全身を震わせ、俺は一歩後ずさる。そんな俺を追い詰めるように一歩前に出て、御当主は俺を見下ろす。

「この組織は、『プレアデス』は、俺と幹部会のものだ。決定権はお前にはない」

「……ッ」

「かわいそうなワカメ。かわいそうなワカメ。情を抱くなんて、ありえないのに」

 更に、歌うようにお嬢が続ける。思わず口を閉ざす俺をよそに、二人は再び歩き出した。……待て、と言えなくて。それでも俺は優梨さんの相棒バディなのか?

 ……いや、俺と優梨さんは、どこまでいっても相棒バディだ。だからこそ、優梨さんは俺が救わなきゃならない。パーカーのポケットからスマートフォンを取り出し、妹に繋ぐ。

「……花、よく聞いてくれ。協力してほしいことがある」



 ――初めて会った時から、心が動いていたんだ。

 暗黒に閉ざされた部屋の中心で、夢か現かわからないままに思い出す。

 風になびく銀色の髪。三白眼気味の赤い瞳。どこか病的さを感じさせる白肌。両目の下に彫られた、稲妻を思わせる黒い刺青。特徴的な黒いフード付きロングコート。浮かべた笑みはあまりにも歪で、だからこそ人を惹きつける真っ黒な輝きがあって。真紅の瞳に囚われて、しばらく動けなかった。

『……お前が長谷川優梨か?』

『……ッ』

 麻痺毒を孕んだような甘い声。声すら出ずに、私はただ頷く。対し、彼はニッと無邪気に笑った。黒い太陽のような笑顔に、心臓が高鳴る。

『そうか、優梨か。俺は鬼武零闇。よろしくな』

 そういって彼――師匠は、骨ばった手で私の頭を乱暴に撫でた。

 それが、私たちの始まり。私と師匠の、永遠の絆の始まり。


『まぁ、見てろよ優梨。俺が手本を見せてやる。お前は自分の安全だけ気を付けとけ』

 そう言って、師匠は駆け出した。私を安全な場所に置いて、ターゲットたちの中に躍り出る。その先は――圧倒、圧巻、それ以外の言葉が出てこなかった。戯れるように、あるいは飛んでくる火の粉を払うように、ターゲットの頭を、首を、心臓を撃ち抜き、切り裂く。その様はまるで、人を死後の世界に導く天使。ナイフと銃を手にした、黒い翼の、死の天使。思わず見惚れていると……背後に、人の気配。

『ッ!』

『優梨ッ!』

 反射的にその首にナイフを突きつけるも、遅い。外した――と思った刹那、その額に穴が開く。反射で振り返ると、銀髪と黒コートが激しくなびいた。

『……師匠』

『ボサッとすんな!』

 叫びと共に最後の一人の首からナイフを引き抜き、血飛沫をさらりと回避する。足早に私に歩み寄ると、肩を強く掴んだ。

『全く、優梨……全然なってねぇな』

『痛っ……』

『いいか? 俺たちの職業は職業だ。でもって、「人を呪わば穴二つ」って言葉、聞いたことあるだろ? 要するにそういうことだ。人の命を奪う仕事についてる俺たちは、殺されても文句は言えねえ』

 私の肩から勢いよく手を放し、師匠は静かに、しかし重く告げる。それはまるで世界の心理を語る賢者のようで。

『だから、気をつけろ。「特課」に所属している間は、自分の命を棒に振るような真似はするな。自分の身は自分で守れ。暗殺者としての最低事項だ。……わかったな?』

『……はい』

 頷き、周りを見渡す。最低限の傷と引き換えに、命を、未来を、全てを失った屍の山。……ああはなりたくない。ならば、自分の身は自分で守るしかない。

『……わかりました。すみません、師匠』

『わかればいいんだ。……さぁ、帰るぞ』

 一転して柔らかい口調で、師匠はそう口にする。黒コートを翻して歩きはじめる師匠の背を、私は子鴨のように追うのだった。


 ――それから数年が経ち、私は22歳になった。

『師匠、こっちは私が』

『おう、やっちまえ!』

 背中合わせに立ち、同時に駆け出す。今回のターゲットは大規模かつ悪質な暗殺組織。そこそこの規模を誇るということで、弟子のゆみや相棒バディの菜摘乃兄妹、師匠の相棒バディである和泉冬真や雫石修太も参加している。その中でも正面突破を担当したのが、私たち師弟だ。

 痩せ型の暗殺者の腕を落とし、怯んだ隙に拳銃で頸動脈を撃ち抜く。上がる血飛沫を回避し、次のターゲットに向けて発砲する。背後からの攻撃を軽く身を捻って回避すると、カウンターで腹部に蹴りを叩きこみ、銃口を向ける。芋虫のような動作で交代する額に向け、引鉄を一度、二度引き、その体から力が抜けるのを確認すると、軽く地を蹴って次のターゲットに接近し、首筋に一閃。引き抜いたナイフに血が滲み、ターゲットは痙攣しながら仰向けに倒れた。さて、次は――と振り返ると、師匠が最後の一人の首を断ち落としたところだった。重い音を立てて首が転がっていき、師匠の足元で止まる。それを見つめ、師匠はハッと笑った。その唇が動き、旋律の歪んだレクイエムが流れ出す。死者を冒涜するように、辱めるように。

『あの……それには、何の意味があるんですか?』

『あぁ、レクイエムか?』

 彼は歌うのをやめ、どこか遠い目をする。師匠はどこか祈るように、そっと口を開いた。

『何て言うのかな……連中は国の、「特課」の敵だ。国家に対して楯突いたから、危険だと思われるような行為をしたから、殺されることになった。当然の報いだ。だからこそ、っていうのかな……』

 そう言って、彼は大きく伸びをする。星を眺めながら、祈るように呟く。

『同じことをする奴が現れたら、俺たちは容赦しねーよって。ただの、くだらない決意の再確認。殺しは手段でしかないけれど、俺たちにはそれ以外ないから、さ。だから歌うんだ、何人でも殺し続けるって』

『……師匠』

 勘違いしていた。師匠は完璧ではない。伝説と呼ばれた師匠でも、確かに弱さがあった。完璧な人間なんてどこにもいない。くだらない事実を、再確認する。けれど、その師匠の志はあまりに尊くて、それでいて手が届きそうで。ナイフを取り出し、握りしめると、師匠は不意に私に近づいた。骨ばった手で頭を乱暴に撫で、告げる。

『――でも、お前は強くなったよ。前よりも、ずっと』

『師匠……』

『だから、さ。……俺が死んだら、俺のこと継げよ。お前には、それができる実力があるからよ』

 その言葉に、一気に心臓が高鳴る。脳裏で師匠の言葉が幾重にも反響する。血の付いたナイフを握りしめ……私は頷く、ただ頷く。やっと……やっと私は、認められたんだ。私は……師匠を継ぐに値する人間だと、認められたんだ。冷静であろうとしても、笑みがこぼれて止まらない。

『……ありがとう、ございます』

『ははっ、いいんだよ。……だからさ、優梨。それに恥じねえ暗殺者になれよ』

 師匠は屈託なく笑い、ぽかりと浮かぶ月を見上げる。満月の一歩手前。月明かりに照らされ、師匠は歌う、歪んで、狂った旋律を。ナイフを握りしめながら、私はただ、それに聴き惚れていた。


 ――そうだ、そうだった。

 はっと目を覚まし、私は上体を起こす。見開いた瞳から涙が一粒、二粒、零れ落ちて止まらない。溢れ出る激情に震えながら、聖像に触れるように、そっと呟く。

「……師匠」

 今の無様な私を見て、あの人は何を思うだろうか。呆れる? 悲しむ? 怒る? 今となっては、もうわからない。……けれど、そこには確かなことがあった。

 私は、師匠に認められた人間だ。ならば、それに恥じぬ行いをしなければ。

 それが私にできる、唯一にして絶対の証明。

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