第12話 証明
「――御当主ッ!」
「……菜摘乃」
翻る白い羽織が視界に映り、俺は慌ててそれの後ろ姿に声をかける。振り返った黒い瞳と、隣の柘榴のような赤い姿。足がもつれかけながらも追いつくと、息を切らしながら問いを叩きつける。
「はぁ、はぁっ……どういう、ことですかッ!」
「……何がだ?」
「何が、じゃないでしょうッ! 話が違いますよ! ……なんてことをッ!」
――聞いてしまったんだ。当主の間に報告に行ったとき、御当主と幹部会の話を。冗談だと思った。そんなこと、にわかには信じられない……。
「……どうして、優梨さんをッ! 優梨さんを……監禁するなんてッ!」
「何か問題か?」
冷淡に言い放つ御当主に、俺の表情が歪む。しかしそんな俺の変化をさらりと流し、御当主は生きた魚の頭を切り落とすように、淡々と言い放つ。
「長谷川優梨は、ああでもしない限り俺たちに協力しないだろう。師匠への憧れと、後継者の矜持に囚われた彼女は」
「そんなの……利用しているだけじゃないですかッ! 優梨さんの意思は、そこにはないッ! おかしいですよ……彼女の矜持を、誇りを、へし折るみたいなッ!」
「菜摘乃ッ」
――声。それはまるで、高貴な鶴が
「この組織は、『プレアデス』は、俺と幹部会のものだ。決定権はお前にはない」
「……ッ」
「かわいそうなワカメ。かわいそうなワカメ。情を抱くなんて、ありえないのに」
更に、歌うようにお嬢が続ける。思わず口を閉ざす俺をよそに、二人は再び歩き出した。……待て、と言えなくて。それでも俺は優梨さんの
……いや、俺と優梨さんは、どこまでいっても
「……花、よく聞いてくれ。協力してほしいことがある」
◇
――初めて会った時から、心が動いていたんだ。
暗黒に閉ざされた部屋の中心で、夢か現かわからないままに思い出す。
風になびく銀色の髪。三白眼気味の赤い瞳。どこか病的さを感じさせる白肌。両目の下に彫られた、稲妻を思わせる黒い刺青。特徴的な黒いフード付きロングコート。浮かべた笑みはあまりにも歪で、だからこそ人を惹きつける真っ黒な輝きがあって。真紅の瞳に囚われて、しばらく動けなかった。
『……お前が長谷川優梨か?』
『……ッ』
麻痺毒を孕んだような甘い声。声すら出ずに、私はただ頷く。対し、彼はニッと無邪気に笑った。黒い太陽のような笑顔に、心臓が高鳴る。
『そうか、優梨か。俺は鬼武零闇。よろしくな』
そういって彼――師匠は、骨ばった手で私の頭を乱暴に撫でた。
それが、私たちの始まり。私と師匠の、永遠の絆の始まり。
『まぁ、見てろよ優梨。俺が手本を見せてやる。お前は自分の安全だけ気を付けとけ』
そう言って、師匠は駆け出した。私を安全な場所に置いて、ターゲットたちの中に躍り出る。その先は――圧倒、圧巻、それ以外の言葉が出てこなかった。戯れるように、あるいは飛んでくる火の粉を払うように、ターゲットの頭を、首を、心臓を撃ち抜き、切り裂く。その様はまるで、人を死後の世界に導く天使。ナイフと銃を手にした、黒い翼の、死の天使。思わず見惚れていると……背後に、人の気配。
『ッ!』
『優梨ッ!』
反射的にその首にナイフを突きつけるも、遅い。外した――と思った刹那、その額に穴が開く。反射で振り返ると、銀髪と黒コートが激しくなびいた。
『……師匠』
『ボサッとすんな!』
叫びと共に最後の一人の首からナイフを引き抜き、血飛沫をさらりと回避する。足早に私に歩み寄ると、肩を強く掴んだ。
『全く、優梨……全然なってねぇな』
『痛っ……』
『いいか? 俺たちの職業は人の命を奪う職業だ。でもって、「人を呪わば穴二つ」って言葉、聞いたことあるだろ? 要するにそういうことだ。人の命を奪う仕事についてる俺たちは、殺されても文句は言えねえ』
私の肩から勢いよく手を放し、師匠は静かに、しかし重く告げる。それはまるで世界の心理を語る賢者のようで。
『だから、気をつけろ。「特課」に所属している間は、自分の命を棒に振るような真似はするな。自分の身は自分で守れ。暗殺者としての最低事項だ。……わかったな?』
『……はい』
頷き、周りを見渡す。最低限の傷と引き換えに、命を、未来を、全てを失った屍の山。……ああはなりたくない。ならば、自分の身は自分で守るしかない。
『……わかりました。すみません、師匠』
『わかればいいんだ。……さぁ、帰るぞ』
一転して柔らかい口調で、師匠はそう口にする。黒コートを翻して歩きはじめる師匠の背を、私は子鴨のように追うのだった。
――それから数年が経ち、私は22歳になった。
『師匠、こっちは私が』
『おう、やっちまえ!』
背中合わせに立ち、同時に駆け出す。今回のターゲットは大規模かつ悪質な暗殺組織。そこそこの規模を誇るということで、弟子のゆみや
痩せ型の暗殺者の腕を落とし、怯んだ隙に拳銃で頸動脈を撃ち抜く。上がる血飛沫を回避し、次のターゲットに向けて発砲する。背後からの攻撃を軽く身を捻って回避すると、カウンターで腹部に蹴りを叩きこみ、銃口を向ける。芋虫のような動作で交代する額に向け、引鉄を一度、二度引き、その体から力が抜けるのを確認すると、軽く地を蹴って次のターゲットに接近し、首筋に一閃。引き抜いたナイフに血が滲み、ターゲットは痙攣しながら仰向けに倒れた。さて、次は――と振り返ると、師匠が最後の一人の首を断ち落としたところだった。重い音を立てて首が転がっていき、師匠の足元で止まる。それを見つめ、師匠はハッと笑った。その唇が動き、旋律の歪んだレクイエムが流れ出す。死者を冒涜するように、辱めるように。
『あの……それには、何の意味があるんですか?』
『あぁ、レクイエムか?』
彼は歌うのをやめ、どこか遠い目をする。師匠はどこか祈るように、そっと口を開いた。
『何て言うのかな……連中は国の、「特課」の敵だ。国家に対して楯突いたから、危険だと思われるような行為をしたから、殺されることになった。当然の報いだ。だからこそ、っていうのかな……』
そう言って、彼は大きく伸びをする。星を眺めながら、祈るように呟く。
『同じことをする奴が現れたら、俺たちは容赦しねーよって。ただの、くだらない決意の再確認。殺しは手段でしかないけれど、俺たちにはそれ以外ないから、さ。だから歌うんだ、何人でも殺し続けるって』
『……師匠』
勘違いしていた。師匠は完璧ではない。伝説と呼ばれた師匠でも、確かに弱さがあった。完璧な人間なんてどこにもいない。くだらない事実を、再確認する。けれど、その師匠の志はあまりに尊くて、それでいて手が届きそうで。ナイフを取り出し、握りしめると、師匠は不意に私に近づいた。骨ばった手で頭を乱暴に撫で、告げる。
『――でも、お前は強くなったよ。前よりも、ずっと』
『師匠……』
『だから、さ。……俺が死んだら、俺のこと継げよ。お前には、それができる実力があるからよ』
その言葉に、一気に心臓が高鳴る。脳裏で師匠の言葉が幾重にも反響する。血の付いたナイフを握りしめ……私は頷く、ただ頷く。やっと……やっと私は、認められたんだ。私は……師匠を継ぐに値する人間だと、認められたんだ。冷静であろうとしても、笑みがこぼれて止まらない。
『……ありがとう、ございます』
『ははっ、いいんだよ。……だからさ、優梨。それに恥じねえ暗殺者になれよ』
師匠は屈託なく笑い、ぽかりと浮かぶ月を見上げる。満月の一歩手前。月明かりに照らされ、師匠は歌う、歪んで、狂った旋律を。ナイフを握りしめながら、私はただ、それに聴き惚れていた。
――そうだ、そうだった。
はっと目を覚まし、私は上体を起こす。見開いた瞳から涙が一粒、二粒、零れ落ちて止まらない。溢れ出る激情に震えながら、聖像に触れるように、そっと呟く。
「……師匠」
今の無様な私を見て、あの人は何を思うだろうか。呆れる? 悲しむ? 怒る? 今となっては、もうわからない。……けれど、そこには確かなことがあった。
私は、師匠に認められた人間だ。ならば、それに恥じぬ行いをしなければ。
それが私にできる、唯一にして絶対の証明。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます