第10話 三つの思惑
許せない。許さない。許しはしない。
目を見開いたまま骸となった娘を、
師匠を貶める者は、私が全て殺す。誰にも邪魔などさせない。……たとえ昨日まで可愛がっていた弟子だったとしても関係ない。私が師匠の後継者でいられるのなら、他には何もいらない。
「ハッ……ハハハハハッ! 殺したなァ! 殺したな、長谷川優梨ィ!」
哄笑が響く。鼓膜を舐めるように、ノイズのような声が響く。私はかつての弟子の死体を放り捨て、振り返った。身をよじって笑っているのは、毛先だけを赤く染めた銀髪に黒コートの青年。……師匠を模倣しているようで、全く似ていない。吐き戻しそうになるのを耐えながら彼を睨み、腰のナイフケースに手をかける。
「……貴様が、黒江ツバサか?」
「……あン? 何で知ってんだよ」
「『プレアデス』の人間から聞いた。……違わないだろう?」
桐ケ谷明音の暗殺を遂行した直後、菜摘乃から連絡が来たのだ。曰く、『ヒュアデス』のトップの居所がわかった――と。情報を頼りに現場に向かったところ、倒れたゆみと、それを見下ろす銀髪の青年を見つけ……今に至る。青年は面倒そうに頭を掻き、舞台俳優のように肩を竦める。
「あぁ、そうだ。俺の名は黒江ツバサ、零闇様を継ぐ者。言っとくが、零闇様に相応しいのは俺なんだよ。お前なんかよりも、ずっとッ!!」
見開いた瞳を血走らせ、黒江ツバサは中指を立てる。……やはり、こいつが元凶か。ナイフを握りしめる手が細かく震えだす。瞳をさらに鋭くする私に対し、彼は大きく両腕を広げた。歌うように、嘲笑うように、声が響く。
「現にお前はたった今、大事にしてた弟子を殺したじゃねえか! あのお方は自分勝手な理由で殺しを行うことはなかった。今のお前は零闇様の名に執着するだけの、ただの羽虫だろうが!! ちょっと認められたからって調子乗ってんじゃねぇ。お前みたいな奴がッ! 零闇様の名を汚すんだよッ!!」
断罪人が槌を振り下ろすように、ギロチンの刃を落とすように。黒江ツバサの声は徐々に罵倒の色を帯びてゆく。ナイフを握る手が抑えきれないというように震え、私はさらに強く彼を睨む。
「……お前が言うか? 部下を使い、私をおびき寄せ、邪魔だからという理由だけで私を殺そうとしているお前が?」
声が不安定に震える。駄目だ、冷静になれ。脳が必死に危険信号を発するが、止まらない、止まれない。声帯がびりびりと震え、血を吐くような声がビル群の隙間に木霊する。
「私は師匠に認められたんだッ! 『俺が死んだらすべて託す』と言ってもらえたんだッ! 師匠は確かにそう言った、それは私と師匠の約束。たとえ師匠が死のうとも、絶対に
「ハッ、笑わせンな! 今の私怨に囚われたお前がそれを言うのか? 零闇様が今のお前を見たら失望すんぞ、情けねェ。誇り高く聡明なあのお方に、お前なんか釣り合わねえんだよッ!!」
血走った赤い瞳を睨みながら、罵倒を受け流す。……平行線か。なら、いつまで言い争っていても仕方ない。ナイフを指先で回しながら、もう一本構える。冴え冴えと光る刀身を見つめ、黒江ツバサは唇の端を吊り上げた。
「――はぁん。成程な」
「不毛な言い合いはやめよう。私たちは暗殺者だ」
言い放つと、彼はハッと鼻を鳴らした。長い刀身のナイフを抜き放ち、私の心臓に向ける。
「そう来なくっちゃな……やり甲斐がねえ」
――パンッ、パァンッ
二発の銃声が響く。考えるより先に身体が動いていた。バックステップで攻撃を回避し、その方向を睨む。廃ビルの窓で小さな人影が揺れた――と思えば、窓枠に足を載せる。軽やかに外気へと飛び出した姿に、私は思わず息を呑んだ。見覚えのない幼女。だけど、その瞳はギラギラと、狂気に似た何かを孕んでいて。
「……弓場胡桃!?」
粗野な声がその名を呼ぶ。軽い音を立てて着地したその身は、薔薇を思わせる華やかなロリータに包まれていた。ツインテールがふわふわと揺れ、ブラックダイアモンドのような瞳が瞬く。彼女はスカートの裾をつまみ、優雅に礼をした。
「ごきげんよう。初めまして、あるいはお久しぶりの人。胡桃は弓場胡桃。『プレアデス』の次期当主だよ」
……次期当主? こんな子供が? 『特課』のデータベースにはなかった。眉をひそめる私をよそに、黒江ツバサの盛大な舌打ちが響く。
「何で貴様がここにいンだよ。邪魔すんじゃねェ」
「ううん、あのね、邪魔しに来たんじゃないの」
弓場胡桃と名乗った幼女は私と黒江ツバサを見比べ、口を開く。童謡でも歌うように口にした言葉は――黒い毒が塗られた太い針のように。
「あなたたち二人は、要らない。どっちもふさわしくない。そもそも後継者なんて要らない。だから、めっ! するの」
……はぁ?
満面の笑みで放たれた言葉。その意味が呑み込めず、彼女を凝視する。その表情はニコニコと普通の幼女のようで。……だが、聞き逃すわけにはいかない。
「どういう意味だ? 師匠の後継者が要らないと、そう言うのか?」
「そうだよ。違うの?」
1+1が2であることを確認するように、彼女は首を傾げる。その言葉は、腹の底の薪に火をつけるのには十分だった。そしてその炎が全身に燃え広がり、喉を、脳を冒すのにも、一瞬あれば十分で。火花が散る、肌が焼ける。気付いた時には口を開いていた。全身を冒す炎を吐き出すように、私は叫ぶ、叫ぶ。
「――嘲るなッ! 私は師匠の弟子だ、師匠の正統な後継者だ。師匠に認められた人間だッ。誰よりも長い時間を師匠と過ごし、直接技を仕込まれた人間だッ!」
「そりゃ、お前にはわかんねえだろうよ! 可哀相な冬真の操り人形であるお前にはなァ! 人に焦がれて憧れて、そうなりたくて仕方ない奴の気持ちなんざ!」
「後継者など要らない? ふさわしくない? 馬鹿にするのもいい加減にしろッ」
「要らないって言われて、はいそうですかって頷けるわけがねェだろうが!」
金切り声に似た叫びが二つ、不協和音を奏でる。灯油を撒いて火を放つように、無差別に銃弾を振り撒くように。ニコニコと保たれる仮面のような笑顔を打ち砕かんと、拳のような叫びを叩きつける。
「師匠の後継者は――」
「零闇様を継ぐのは――ッ」
――絶叫を遮るように、乾いた音。後ろから細い針が頬を掠め、振り向くと白い人影。ガランッと派手な音を立てて黒江ツバサのナイフが落下し、黒コートに包まれた姿が首を押さえて数歩よろめいた。同時に幼女が跳ねる。いつの間にか、その手には二本の鎌。私の首を狙った一撃を回避した瞬間――……首筋に、プスリと注射のような感覚。
……しまった、と思った時には、もう遅くて。
視界が黒いノイズに侵される。目の前の光景が、いや世界が急速に遠ざかっていく。徐々に黒く塗り潰されていく視界の隅で、黒江ツバサの膝から力が抜けた。幼い笑い声が耳元でぼわぼわと反響し、白い影が赤い姿に歩み寄る。ナイフが離れた震える手を、無理やりに伸ばす。
「……お前……は……」
――どうして、ここにいるのか。赤い幼女は、お前の何なのか。
問うことすらできない。手を伸ばすが、届くはずがない。思考が霧のように崩れ去り、平衡感覚が抹消され、砂時計の砂が零れ落ちていくように――……
……――光が、掻き消えた。
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