第7話 反動

「……ふん」

 タブレット端末に映る映像を眺め、息を吐いた。粗野な声が紡ぐレクイエムが部屋に木霊する。膝の上で眠っていた幼い少女が夕暮れの光に顔を上げ、目を擦った。視界の隅で黒髪のツインテールがふわりと揺れる。『プレアデス』拠点――和風建築たる和泉邸。同じく和室である当主の間に不釣り合いな姿をした彼女は、赤いロリータの裾が乱れるのも構わずに座りなおし、寝起き特有のぼんやりとした声で問う。

「冬真にーさま……また、お仕事……?」

「ああ。……潜入捜査だ」

「潜入捜査……」

「そうだ、胡桃くるみ。わかるな?」

「うん」

 弓場ゆば胡桃、十三歳。俺の従妹にして、『プレアデス』次期当主候補。成長途上故に攻撃の速さも重さも足りないが、その吸収力には目を見張るものがある。幼いながらも暗殺にまつわる用語はほとんどを理解し、技術の吸収も早い。そんな彼女は俺の手の中のタブレット端末に目をやり、今日の夕飯のメニューでも尋ねるように問う。

「……死んだ?」

「死んだな」

 何の感情も込めず、さらりと返す。『プレアデス』は暗殺組織。そして、人を呪わば穴二つ。殺されても文句は言えない。その覚悟がない者は、暗殺者としては三流未満。自分の身くらいは自分で守るのが一人前だ。

 タブレット端末には見知った顔が映っている。しかしその印象は最早別人だ。『プレアデス』に属していた頃は暗い緑色だった髪。しかし今は、赤と銀色に染まっている。同じく暗い緑色だった虹彩も、カラーコンタクトで赤く。しかし、どこか蛇のような瞳の形は変わらない。やはり黒江ツバサは、どこまでいってもなのだ。

 ……零闇への憧れのせいで、狂ってしまっただけで。

 ツバサは金色のペンダントを手に取り、ナイフを突き刺す。同時にブツリと音を立て、画面は暗転した。イヤフォンから流れるレクイエムも、コードを引き抜いたように停止する。カメラとマイクが仕込まれたペンダントが壊され、潜入工作は失敗。……だが、収穫は十分だ。俺は再び息を吐き、タブレット端末を操作する。ポニーテールにした俺の髪を弄りながら、胡桃は問うた。

「どうするの?」

 その問いに、俺は無言でタブレットを置いた。傍らに無造作に置かれた日本刀を手に取り、低く口を開く。

「……ツバサを止める。そのために、まずは長谷川優梨の協力を取り付ける」

「……はせがわ、ゆーり?」

「『特課』に所属する女性暗殺者」

 有能な暗殺者。血のような赤い髪をした、絶対零度の心を持つ女。

「――零闇の弟子にして、彼の正統なる後継者だ」



「失礼します。菜摘乃樹です」

「ああ……入れ」

 声をかけると、聞き慣れた御当主の声。襖を開けると、長い紺色の髪をポニーテールにした白い羽織の青年と、赤いロリータに身を包んだ幼女。スリッパを脱ぎ、襖を占めると、幼女――弓場胡桃は小首を傾げ、小さな口を開く。

「あ、ワカメ」

「いやワカメじゃなくて、菜摘乃樹な? いい加減名前覚えてくれよ、お嬢よー……っと、御当主。報告です」

 軽口を叩きながら御当主の目の前に正座し、一転して真面目に口を開く。

「優梨と連絡がつきました。さりげなく協力を打診しましたが、すげなく断られました」

 対し、御当主は小さく息を吐いた。そうなることは予想していたのだろう。彼はこめかみに手を当て、静かに問う。

「……彼女は、何と?」

「いや、なんか俺たちのことも頼ってって言い切らないうちに『必要ない』って。そのまま電話、切れちまいました」

「……そうか」

 御当主は傍らのタブレット端末を手にし、操作する。その横で興味なさそうに御当主の羽織の裾を弄っていたお嬢は、不意にぽつりと呟いた。

「かわいそうだね。ワカメ」

「お嬢ひどすぎるって……!」

 この毒舌ロリめ。肉体的なダメージこそないが、的確に精神を抉ってくる。確実にいじめっ子の才能あるだろこのロリ。心臓を押さえて悶絶する俺には目もくれず、御当主は液晶画面を凝視し、厳かに口を開く。

「……『特課』、もとい『新月寮』での教育は、人格形成に歪みをもたらす。『希望などない』と言われて、それを心から信じられる人間がこの世にどれほどいる? 結果、『特課』の人間は他人に依存する傾向が強くなる。少し優しくされただけで、相手に希望を見出してしまう。『特課』は数ある暗殺集団の中でも、特に非情さが必要とされる組織。非情を求める教育が、逆に過度な情を生み出してしまう」

「えー……つまり、どういうことで?」

 申し訳ないが、言っていることが難解すぎて、三流私立卒の俺にはさっぱりわからない。首をひねる俺を半目で見つめ、御当主は深く溜息を吐く。呆れたように改めて口を開いた。

「わからないか? 反動だ。人は抑圧され続けると、その事象を強く欲してしまう。無理な食事制限はリバウンドを起こしやすい。それと同じで、『非情になれ、非情であれ』と教え込まれ続けると、逆に人の温もりを求めてしまう」

「……わかるような、わかんねーような」

 言いたいことはわかるんだけど、いまいち納得できない。盛んに首を捻っていると、ふとお嬢が座りなおし、口を開いた。

「じゃあワカメは、ずーっと誰にも会わずに、会いたいとも思わずにいろって言われて、耐えられる?」

「……無理だな」

 お嬢すみません、流石次期当主候補です。御当主は一つ頷き、御当主は続ける。

「特に長谷川優梨は、零闇という強いカリスマの持ち主と出会ってしまった。その執着が少々強くても不思議はないだろう。……菜摘乃、お前はどう思う?」

「んー……」

 俺は顎に手を当てて考え……俯いた。思い出すのは昼間のやりとり。申し出を冷酷に拒絶され、一方的に切られた電話から響く電子音。まるで、善意で差し出した手を振り払われたかのように。

「……正直、そんな感じはしてますね。なんとなく普段よりは余裕がなさそうっていうか……何もかも自分一人で解決しなきゃ、って思ってる感じがしなくもないです。大方、零闇さんの問題に他人を踏み込ませたくないんでしょ……」

「なるほどな……しかし、それを放置するわけにはいかない」

 お嬢は一つ伸びをし、スカートの皴を直しながら立ち上がる。御当主はタブレット端末を置き、鋭い視線を俺に向けた。慌てて座り直すと、彼はタンザナイトのような言葉を投げかける。

「俺が動く」

「う……動くって、何をするんですか?」

「荒療治だ」

 従妹にして義妹たる少女を従え、御当主は立ち上がった。傍らに飾られた長刀を腰に差し、虚空を見つめる。

「ツバサは強い……すらも殺してしまうほどに。そんな奴を、一人で殺せるとは到底思えん。そして、ツバサは何としても止めなければならない……かつてのツバサの仲間として、そして零闇の相棒バディとして……」

 そして、彼は俺を振り返った。鋭い瞳がこちらを見下ろす。それは背筋が凍るように恐ろしく、ある種の妖怪のようで。

「――お前にも一仕事任せることになるだろうな」

 しかし……その瞳の奥には、友人に慈愛の視線を向けるような光が宿っていて。こういう人だからこそ、『プレアデス』の当主に祭り上げられ、何より零闇の相棒バディにもなれたんだろうな。流石、御当主は違う。

「……頼んだぞ」

「勿論」

 愛する父親に向けるような笑顔でそう返し、俺は膝を叩いて立ち上がった。

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