第6話 ヒュアデス
軽くシャワーを浴びながら、考える。
……師匠の名を騙る不届き者が続発している。『ヒュアデス』の仕業だと考えて間違いないだろう。しかし、その目的は? 何のために師匠の名を騙る? 何のために、私の師匠を愚弄するような真似をするのか?私だったら……そんなことはしないのに。
いや……理由なんて関係ない。考えるだけ無駄だ。私怨を挟んでしまうだけだ。
――私のすべきことは、ただ一つ。
身体のラインに沿って滑り落ちる水は、ひどく冷たい。
シャワーを浴び終え、制服に着替える。髪を乾かそうとドライヤーを手に取った瞬間、脱衣所に激しいドラムリフが響いた。スマートフォンを手に取ると「着信あり 菜摘乃樹」の文字。受信ボタンをタップし、耳に当てる。軽い声は、久しく聞いていなかったように懐かしい。
「……菜摘乃、どうした?」
『いや、最近一緒に暗殺しに行かないからんで、どうしてるかなーって思ってさ』
「……お前に話すことじゃない」
『なんすか、つれないですねー。俺たち
能天気な言葉に、思わずため息を吐く。確かに『特課』には
「用事がないなら、切るぞ」
『ちょっと待って下さいって! 大事な話なんですって!』
「なら、さっさと言え」
氷のつぶてを投げつけるように言い放つと、電話の向こうの声は少し気まずそうな響きを帯びた。
『いやー……実はうちの御当主から聞いたんすよ。聞いたっていうか、盗み聞き。……「ヒュアデス」追ってるって話をね』
言い出しづらそうな言葉に、私は昏く目を伏せる。体温が静かに、少しずつ下がっていく感覚。自分のものとは思えないような低音が口から漏れた。
「……だから?」
『いや、怒んないで下さいよ! ……何か情報ゲットしたら、伝えるんで! それと、もし任務が厳しそうだったら俺たちのことも頼っ』
「必要ない」
バッサリと言い捨てると、菜摘乃は大人しく口をつぐんだ。何か言いたげな、逡巡しているような息遣い。私はそれを無視し、昏い瞳で言い放つ。
「話は済んだ。切るぞ」
『え、ちょっ』
何か言おうとする声を振り切り、通話を切断する。スマートフォンを置き、鏡に映る昏い瞳を睨んだ。
――連中を滅ぼすのは私だ。私一人でやるんだ。師匠のために。
前髪の先から冷たい雫が垂れ、洗面台に小さな水滴を作った。
◇
『ヒュアデス』の拠点は、『特課』本部からは少し離れた郊外にある廃ビル。少し前に壊滅した海外のテロリストが潜伏していた廃ビルもほど近いゴーストタウンに、この廃ビルは位置している。一帯は暗殺者をはじめとする裏社会の人間のたまり場になっており、警察の監視も厳しいが、『ヒュアデス』は『特課』の圧力により例外的に見逃されている。
……最も、今後どうなるかは、僕の調査結果次第だが。そんなことを考えながら、陽の当たらない地下室を見回す。珍しく、『ヒュアデス』の全メンバーが集結していた。蛍光灯に照らされたその数は、三十人程度。少数精鋭たる『特課』より少なく、ましてや『プレアデス』など比べるにも値しない。少し大きめのチャームがついたペンダントにそっと触れ、ついこの間まで『プレアデス』に属していた僕は嘆く。
「どーしたの、新人? もしかして、珍しいって思ってる?」
「いえ、特には」
「またまた嘘ついちゃて~。そういうの、すぐバレちゃうよ!」
隣に立っていた派手なピンク髪の少女――桐ヶ谷が悪戯気に僕の額をつつく。高校の制服の上に『ヒュアデス』の黒コートを羽織った彼女は、大きく伸びをした。自然体で笑い、前方に視線を向ける。
――全員の視線の先には、一人の青年が佇んでいた。毛先だけが紅く染まった銀髪。蛇を思わせる、血のように紅い瞳。薄っぺらい、しかし狂気を感じさせる笑顔。病的な白肌。もうすぐ春だというのに、『ヒュアデス』の例に違わず黒コートを着込んでいる。彼――黒江は尊大に腕を組んだまま、俺たちに向けて口を開く。
「……ターゲットが釣れた。『特課』は予想通り、長谷川優梨を送り込んできた」
「おぉ! 作戦成功ってわけですか!」
「ああ」
日焼けした白髪の青年が明るく声を上げる。名前は……
「俺たちの直近の目的は、長谷川優梨を殺すこと。そうして、この俺が零闇様になること! 零闇様の名は、一度死んだからって消えやしない。それを証明するんだ、この俺が!」
銀髪を振り乱し、黒江は演説をするように語る。その瞳は爛々と輝いていて、獲物に狙いを定める猫のようで、しかし蜻蛉を追う少年のようで。僕はそっとペンダントのチェーンを握りしめる……わからない。彼は一体、どういう人間なのか。
「……っていうか、一応確認だけど、枕木は捨て駒だったんだよねぇ?」
栗色の巻き毛をいじりながら、真っ赤なミニドレスの少女が面倒そうに問う。二丁拳銃使いの
「その通りだ。……そして、ここにいるのは全員捨て駒だ。零闇様の再来のためのな。……だが、異議があるならここにはいねぇよなぁ?」
中指で背筋を撫でられるような感覚に、思わず顔を引き攣らせる。唇を噛んで表情の変化を悟られまいとしていると、新幡は巻き毛を払いながら高らかに口を開いた。
「そりゃそうだよぉ。そうじゃなかったら、私たちは何のために『プレアデス』を抜けてきたの?」
「俺たちは零闇様の再来のためなら、なんだってしますよ。自分の命だって惜しくない。零闇様はそれほどまでに素晴らしい暗殺者だったんですから!」
何の疑問も抱かないままに森子が続ける。他のメンバーも輪唱のように肯定の声を上げ、僕は思わず歯を食いしばった。
……狂ってやがる。
「だから、お前ら。零闇様のための生贄になれ。その命を代償に、
「おうッ!!」
示し合わせたような声が轟き、言いようもない悪寒が走る。顔から徐々に血の気が引いていくのを感じながら、僕はさらに強くチェーンを握りしめた。『プレアデス』の命令とはいえ……とんでもないところに放り込まれてしまったようだ。まるで新興宗教じゃないか。胃が震え、吐き戻しそうな衝動に襲われ――
認識できたのは、ここまでだった。
思考が感覚が帳消しにされ、口内に血の味が満ちる。『ヒュアデス』の面々の冷めきった視線が眼球を、心臓を容赦なく射る。見下ろすと、心臓を串刺しにでもするように、長く鋭い銀色のナイフが。一拍遅れて焼けるような痛みに気づき、悲鳴を上げそうになる。脚が痙攣し、膝からどさりと崩れ落ちた。金色のペンダントトップが宙を舞う。薄れゆく意識の中でそれを見つめ……僕は口元を、笑みの形に歪めた。
これで、いいんだ。僕の目的は果たされた。
……見ていますか……冬真、さん……?
そんな思考を最後に、意識が途切れる。
刹那……死者のためのミサ曲が、耳を掠めた気がした。
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