第5話 報告
「以上で、報告を終わります」
「御苦労。……早速だが、次の指令だ」
そう言って浅峰は次の指令書を手に取る。それを突き出される前に、私は静かに口を開いた。
「……師匠の名を騙る者が、また現れたのですね?」
「……」
漆黒の瞳が微かに見開かれる。私はそんな彼の瞳を正面から凝視する。司令室を静寂が支配した。やがて、浅峰は諦めたようにため息を吐く。
「その通りだ。……枕木聡哉は『自分を倒しても第二第三の鬼武零闇が現れる』と言っていたそうだな。その言葉が実現した。入れ替わりのようにな」
怠そうに突き付けられた指令書を受け取り、目を通す。
暗殺対象 鬼武零闇(本名:
「『ヒュアデス』のメンバーである女子高校生だ。……連続して『ヒュアデス』の暗殺者が鬼武零闇を名乗っている。恐らく『ヒュアデス』内部で何かしら起こっているのだろう。『プレアデス』の人間に探りを入れさせてはいるが、これといった情報は入っていない」
「……分かりました」
そういえば枕木も、『自分は上の命令に従っているだけ』と言っていた。恐らく、いや確実に、『ヒュアデス』の中で何かが起きている。きっとそれが、師匠を貶める元凶。依頼書を握りしめる手が震え、グシャリと深い皴が刻まれる。浅峰を正面から睨み、はっとする程に低い声で請願する。
「……司令官。『ヒュアデス』の内部調査をさせてください」
「駄目だ」
浅峰は針のような輝きを持つ瞳で睨み返す。その言葉は有無を言わせぬ、君主のような響きを持っていた。それでも私は食い下がる。愚者のように畳みかける。
「何故です? 師匠を貶める者は許されない。これは私怨ではなく、国と『特課』の損益を考えた結果です。そして暗殺に情報は必須。『ヒュアデス』は『特課』と協力関係にないこともあり、その実態は未だ謎が多い……ならば真実を知り、そのうえで潰さなければ」
「駄目だと言っている」
さらに語調を強め、浅峰はナイフを投げるように言い放った。その瞳に宿るのは王の持つ宝剣のような、切れ味の鋭い光。息が詰まる。つい俯くと、今度は浅峰のターンだ。静かに、しかしずしりと重い言葉が投げかけられる。
「振り回されすぎるなと言ったはずだ。そのような状態が続けば、お前の担当をこの一件から外すぞ」
「……すみません」
胸に苦い味が広がる。『ヒュアデス』に問題が起きていることは確か。手をこまねいていれば、大事になるのは間違いない。それを防ぐための『特課』ではないのか。しかし浅峰はそんな私の思考など読み切っているとでもいうように、厳かに口を開く。
「無論、こちらも手をこまねいているわけではない。既に『プレアデス』からスパイを派遣し、『ヒュアデス』の実情について探ってもらっている。偽の鬼武零闇にまつわる一連の事件が組織を挙げてのものなのか、それとも一部構成員の独断による暴走なのか、現時点ではまだ判断がつかないからな。……情報を得次第、お前にも伝える。お前はただ、すべきことをしろ」
「……承知しました」
不承不承、頷く。言葉と心情に大幅な矛盾があることを自覚する。これでは駄目だな……と、私は薄く息を吐いた。もう少し、冷静にならなければ。
「失礼します」
一礼し、司令室をあとにする。まずは一旦頭を冷やそう。……指令について考えるのは、その後だ。
◇
優梨先輩の後ろ姿を柱の陰から見送る。歩くたびに揺れる返り血のような真っ赤な髪。クールに着こなした黒い制服。あぁ、今日も優梨先輩は格好いい。思わず口元が緩んでしまう。……だけど、と、ゆみは不意に俯いた。フローリングの床の模様をぼんやりと眺める。最近の優梨先輩はどこかおかしい。ポケットの上からICレコーダーを強く握ると、スカートに派手に皴が寄った。優梨先輩があんなになった原因はわかってる。あとは元凶を始末するだけ……。
「失礼します」
優梨先輩がいなくなったタイミングを見計らって、司令室の扉をノックする。入れ、と中から声。周りを気にしながらするりと中に入ると、浅峰さんがいるデスクの前に進み出る。……億劫だけど、まずは昨日果たした指令の報告から。本題は、そのあとでいい。
さっくりと報告を終えると、私はポケットからICレコーダーを取り出した。それを一瞥し、浅峰さんは頬杖を突く。
「……情報か?」
「はい。『プレアデス』の長と、『ヒュアデス』の構成員の会話を録音したものです」
ドライアイスのような声色を自覚する。浅峰さんの細い瞳に映った私の目は、新月の夜のような暗い色をしていた。再生ボタンを押すと、粗野な声が流れ出す。その声は不意に、向日葵のように恍惚とした響きを帯びたと思えば、急転、微かに歯を食いしばるような音。優梨先輩への憎悪をあらわに、粗野な声は吐き捨てる。激しく布が翻る音とともに、舞台俳優が激情をあらわにするように、絶叫が司令室に響き渡った。
――零闇様を継ぐのは俺だ。長谷川優梨でも、他の誰でもねえッ!
その声は白い壁に反響し、やがて消える。あとに残るのは環境音だけ。不意に浅峰さんが片手をあげた。頷き、一時停止ボタンを押す。
「……その声は和泉冬真と、
「……クロエ、ツバサ?」
聞き覚えのない名前に首をかしげると、浅峰さんは一枚の書類を見せた。『未共有情報』のタグがつけられたそこに記されているのは、「黒江 ツバサ」の文字。細かい文字で記された情報とともに、カラーで似顔絵が描かれている。毛先を紅く染めた、銀色の髪の青年。瞳は赤いようだが、よく見るとカラコンだ。どこか病的な白い肌、真っ黒なフード付きコート。……大師匠を真似しているようで、全然似てない。
「『プレアデス』に突如現れ、一部メンバーを扇動して『ヒュアデス』を設立した謎の暗殺者だ。黒江ツバサという名前すらも偽名とされている。目的、使用武器ともに判明していなかったが……どうやら現時点での目的は、長谷川優梨のようだな」
「そうです。……放っておいたら、優梨先輩が殺されちゃうかもしれません」
ターコイズ色の瞳に涙が浮かぶ。浅峰さんはゆみから目を逸らし、片手を突き出した。
「そのレコーダー、しばらく貸せ。音声を精査する」
「はい」
ICレコーダーを渡すと、浅峰さんはそれを受け取り、鍵付きの引き出しに丁寧に仕舞う。そのまま彼は腕を組み、口を開いた。
「それと、『ヒュアデス』に関する監視体制を強化するとともに、『特課』全体に身の安全の確保を促す指示を出す」
「そっ……そんな、甘すぎますよ! そんな悠長なことしてる間に、優梨先輩になにかあったら――」
「拙速な策を取って『ヒュアデス』を下手に刺激するよりは、今は自衛に徹してもらったほうがましだ。それに
「……」
……そっか。なら、何も言えないや。
口をつぐみ、冷めた瞳で浅峰を眺める。ヒートアップした気持ちが、液体窒素の中に放り込まれたように急速に冷めていく。
……そういうことなら、ゆみがやるしかないね。
心臓を中心に、全身に粘性のある黒い炎が広がっていくような感覚。それに身を委ね、ゆみは犯罪者じみた無表情で浅峰を見下す。
――優梨先輩を守れるのは、ゆみだけ。
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