第4話 憎悪

 自動式拳銃を取り出し、黒コートに狙いを定める。引鉄を引くと、腕から肩にかけて走る、軽い衝撃。それと共に、冷たい二月の空気に銃弾が飛び出した。消音器を付けた銃は沈黙を保っている。血まみれの姿が胸を押さえてよろめき、振り返る。

「……誰……?」

「『特課』の者だ」

 拳銃を構えたまま、ターゲットに歩み寄る。枕木は私の胸元を見て、微かに目を見開いた。『特課』構成員の衣装の胸元には、銀色の糸で桜の刺繍がなされている。それは微かな月光を反射し、その瞳に焼き付くだろう。痛みに震えながらも刺繍に目を奪われている様子の彼を、私は正面から見据えた。死神の鎌を突き付けるように、告げる。


「枕木聡哉。あなたの暗殺指示が下りた」


 その言葉に、枕木は微かに片眉を跳ね上げた。そんな状況ではないにもかかわらず、愉快そうに言い放つ。

「へぇ……早いな。『命令』が下ってから、そんなに時間が経ってないのに」

「……『命令』?」

 ぴくり、と反応する。無数に湧き出た疑問符が脳裏を埋め尽くす。拳銃をそっと下ろし、疑問符を片付けるように思考を整理した。命令。枕木は、自分の意志で師匠を名乗っていたわけではないのか。そっと拳銃を下ろし、問う。

「誰の命令だ?」

「話すと思うの? ……っていうかやっぱり反応するんだねぇ。が言ってただけあったよ。ってね」

 からかうような言葉に、私は枕木を強く睨みつけた。細い月光の中、ナイフのような言葉を叩きつける。

「……どこまで知っている?」

から少し聞いただけさ。こうやって鬼武零闇を名乗ってるのも、の命令によるもの。言っとくけど、僕を殺したからって無駄だからね。すぐに第二第三の鬼武零闇が現れる。ただのいたちごっこ」

「だからといって、あなたを殺さない理由にはならない」

 歌うような言葉を遮る。枕木は少しだけ目を見開き、口をつぐんだ。再び彼に拳銃を向け、私は鋭利な言葉を叩きつける。

「――師匠を貶める者は、何人たりとも許しはしないッ」


 刹那、枕木も銃を抜いた。黒コートを翻し、接近する。私はその脚に狙いを定め、発砲する。銃弾が左脚に食い込み、枕木の動きが一瞬鈍った。その隙に腰のホルダーからナイフを抜き、投擲する。銀色の刃は枕木の右手に命中し、リボルバー式の拳銃を弾き飛ばした。ガシャンッと音を立てて拳銃が転がる。枕木がそれに気を取られた隙に、黒いブーツを履いた足で強く踏み込んだ。体勢を沈め、一気に懐に飛び込むと、その腹部に突きを叩きこんだ。

「ぐは……っ」

 言葉にならない声を漏らし、枕木は無様に転がる。荒い呼吸を繰り返す彼の首にナイフを突きつけ、微かに上ずった声で叩きつけるように問う。

「答えて。目的はなんだ? 何のために師匠の名を騙る?」

「ふっ……」

 対し、枕木は薄く笑った。虚空を眺め、どうでもよさそうに口を開く。

「言うわけないじゃん。そんなことして何の得があるの? 僕はの指令に従ってるだけ。が考えてることなんて、下っ端の僕にはわかんないよ」

「そうか」

 機械のような言葉を吐き出すと、ナイフを首に食い込ませた。銀色の刃が肌を貫き、紅い噴水のような奔流が音を立てて噴き出す。軽く身を捻って奔流を回避すると、仰向けに倒れる肉塊を冷めた瞳で見下ろし、私はそっと口を開く。

「……当然の報いだ。師匠を継いでいいのは、私だけ」


 静かに目を伏せ、唇に旋律を載せる。血が噴き出す音を伴奏に、透明な声で旋律を紡ぐ。

 神よ、永遠の安息を彼らに――。

 しかし、私の目に宿るのは……どろどろと渦巻くような、強く、激しい憎悪。

 師匠を継ぐのは私。他の誰でもない。私は、あの人の弟子なのだから……。



「……久しいな」

「あぁ。まさかこんなところで会うたぁなぁ……面白ぇ」

 二つの男の声に、ゆみは立ち止った。聞き覚えのある落ち着いた声と、粗野さを隠そうともしない、知らない声。少なくとも、落ち着いた声の方は『プレアデス』の当代首領、和泉冬真さん。相手は……因縁の人?

  ポケットからそっとICレコーダーを取り出す。優梨先輩を探していたら、まさかこんなところに立ち会うなんて。不思議な運命……いや、それ以上に、分厚い舌に背を舐められるような悪寒。冬はもうすぐ終わるけれど、まだ寒い。アームカバーに包まれた腕で身体を抱きしめつつ、物陰に潜んだまま聞き耳を立てる。

「改めて言おう。やめにしないか?」

「……何を?」

「部下に偽りの名を与え、名を与え、好き勝手に操り、罪なき者を殺すなど……それでもお前は『プレアデス』に属していた者か?」

 ……『プレアデス』。その、元構成員。多分、相手は『ヒュアデス』の構成員だ。息を殺したまま、ICレコーダーの電源を入れる。荒っぽい声は嘲るように吐き捨てた。

「ハッ、組織に囚われたお人形にぁわかんねーよ、俺の気持ちなんざ。……あの人に憧れて憧れて仕方ない奴の気持ちなんざ」

 だけど不意に、その声は恍惚とした光を帯びた。アヴェ・マリアの祈りを捧げるような声が響く。ゆみは思わずICレコーダーをぎゅっと握りしめた。

「俺は零闇様になりたいんだ。冬真さんよぉ、ならわかるだろ? あの人のどす黒い魅力……狂った笑顔……まるで……黒い翼の天使みたいだ」

 黒い翼の天使。その言葉は、優梨先輩と同じもの。太陽を追う向日葵のように、誰かは恍惚と語る。……しかし一転、その声にどす黒い影が落ちた。恋人を奪われた女のように、獲物を横取りされた猫のように。

「……俺は零闇様になりたいんだ。そのために、長谷川優梨は邪魔でしかねえ。どんな手を使おうと、あいつだけはぶっ倒さなきゃなんねえんだよ。わかるだろ? どうしようもない俺のこの気持ち!」

 盛大に舌打ちし、誰かはバッと服の裾を翻した。舞台上で決め台詞をそらんじるように、堂々と言い放つ。

「零闇様を継ぐのは俺だ。長谷川優梨でも、他の誰でもねえッ!」


 ……そっか。

 表情が消えるのを自覚する。体温が急激に下がっていく。最早二人の話し声も聞こえない。爪が食い込むほどICレコーダーを握りしめ、ぎりりと歯を食いしばる。

 ――あの人は、ゆみが消さないと。ゆみが優梨先輩を守るんだ。優梨先輩が気付く前に、ゆみがやる。優梨先輩は、ゆみが絶対に死なせない。

 分厚い雲が、か細い月光を容赦なく覆い隠した。

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