第7話 夜のお散歩は不意打ちにご注意を


 寝れない。今日はいろいろとあったから、疲れているはずなのに。夜も遅い時間だから、さすがにもうカナリアはいない。話し相手になってくれればよかったけれど、仕方ないよね。……外歩きたい。やっぱりやめておいた方がいいかな?


 でも、このままだと寝られそうにないもの。うん、行こう。


 キィ、と音が鳴ってしまうものの、できるだけ静かに開ける。少しだけ、少しだけ外の空気を吸いたいだけだから、許して。


「聖女様?

 このような時間にどうされました?」


「きゃっ!」


 び、びっくりした……。誰もいないと思っていたのに、人がいたなんて。ぎぎぎ、と声の方を振り返ってみると、そこにいたのはトークラナ様。まさかこんな時間も護衛に? 一体いつ休んでいるのだろう。


「聖女様?」


「そ、外の空気を吸いたくなったの」


「ですが、もう夜は深い。

明日になさった方がいいのでは?」


「寝られないから、外に行きたいのよ」


じゃなきゃもう寝ているわよ。今の私に合わない正論ばかり言わなくてもいいじゃない、とむくれてしまう。子供っぽいってわかっているけれど、やってしまうのよ。そんな私を少しの間見つめると、なぜかため息をつくトークラナ様。


「少しだけですよ?

 さすがに俺も同行します。

 それとその恰好では外を歩けないので、せめて外套を羽織ってください」


「あ、ありがとう」


 許可、もらえた。てっきり反対され続けると思っていたのに。あ、なら、気が変わらないうちに行かなくちゃ! すぐに部屋から外套を取ってくる。って、そういえば私寝着……。今更ながら顔があつい! さっさと外套羽織って外行こう。


 庭は確かこっち、と歩き出す。夜の少し冷たい風がほてった頬にはちょうどいい。トークラナ様はただ無言で、私の後ろをついてきてくれた。城は昼間の喧騒が嘘のようにシン、と静まり返っている。


 ああ、そういえば。トークラナ様も、そして昼のお茶会であったご夫人方も。皆、私を聖女って呼ぶ。私の名前を呼んでくれるのはカナリアだけ。私、本当になんの力もないのに。

 

 まるで、『聖女』が必要で、美琴は必要じゃない、みたいな。私という存在を、丸ごと無視されているような……。


「こんばんは、月がきれいに見えますね」


 ……え? つ、っと頬に何かが伝う感覚。それと同時に今まで何も言わなかったトークラナ様がそんなことをつぶやく。


 ……月? つられて空を見上げると、確かに真ん丸なお月様が輝いている。それに星も。ああ、この空は変わらない。なんだかもう遠くに感じる日本と。違うのは、周りだけ。この世界だけ。……私が、おかしいの?


 お母さん、お父さん、璃子、朱莉、みんな会いたいよ……。なんで、何で会えないの?


 ああ、まずい。涙が止まらない。でも、帰りたい。私、今すぐ家に帰りたい。


「せ、……み、美琴、様」


 名前、……私の、名前。戸惑ったように、私の名前を呼んでくれたトークラナ様。さっきも私を気遣ってくれた。もしかして 今、この人の胸に飛び込んだら、慰めてくれるかな。それとも、軽蔑される? わからない。


 けど、少しでも軽蔑されたくないよ。私の名前を呼んでくれる人に。ああ、だから無理だ。誰かに、弱みをさらけ出すなんて。私は、『聖女』様なんでしょう?


「うつむいていたら、美しいものを見逃してしまいますよ」


 だ、誰!? 急に近づいてきて、私の目元をぬぐった人。ぱっと顔を上げると、そこにいたのはアルクレッド殿下だった。なんで、殿下がこんなところに? 混乱のまま見上げていると、そんなこちらに気が付いたようだ。


 月明かりの淡い光の下、柔らかにほほ笑むその人、アルクレッド殿下はとてもきれいで。絵画から切り出してきたかのようなその一瞬に、私は思わず見とれてしまった。


「こんな時間にどうされたのですか?」


「……え、あ、夜風に、あたりたくて」


「ならそろそろ戻った方がいい。

 体が冷えてしまっていますよ」


 そういうと、殿下は私をひょい、と持ち上げる。え、あの!? 独りで歩けるのですが! そう抗議したのに、いいからと抱きしめられてしまう。


 あう、アルクレッド殿下の体温が……。し、心臓が持たない! しかもなんだかいい匂いすらしてくる気がする! どうして兄弟でこんなに違うのよ。


「また夜散歩するのでしたら、ぜひお声がけください」


 そういって、アルクレッド殿下は去っていく。でも、私にはベッドで腕を軽く上げるくらいしかできなかった。なぜなら、部屋に着くころには、ちょうどよい揺れ具合と、温かいアルクレッド殿下の体温のせいかとても眠くて……。ろくにお礼も言えないまま寝てしまった。不覚……!

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