簾藤エメは物語る②

 私は要を家におぶって帰ると、そこには鬼岩寺黒目が大きく目を見開き、驚いた様子で私の事を出迎えた。ただ私に言わせて貰えば、今の彼女の格好の方が驚愕と言わざるを得ない。


 何せ、鬼岩寺黒目は黒のレースをあしらった下着姿で、今、私の目の前に立っているのだから。


「大方お風呂上りなのは、わかったし、勝手に使った事については文句は言わないけれど、早く服を着てくれないかしら」

「あ、はい。ごめんなさい」


 どうやら相も変わらず、彼女は私に怯えているようだ。それも仕方がないことだろう。何せ、私はつい先ほど彼女に、ありったけの恐怖を、絶望をプレゼントしていたのだから。

 

 そんな私の印象がたかが一時間程度で変わるわけがない。


「あ、あの……」

「何かしら?」

「その……服を借りても良いでしょうか……? その……お恥ずかしい事に替えの服は持参していないものでして……」

「それは構わないのだけれど……」


 身長こそそれほど大差はないのだが、彼女の体の一部分。女性の象徴と言えるある一部分に置いて、私と彼女とでは、雲泥の差がある。その事実は誠に遺憾で、大変腹立たしいことなのだが、かと言ってこのまま下着姿でいられても、こちらとしては困る。


 もし要が目を覚ました時、彼女の姿が下着姿であろうものなら、私は彼の目を潰しかねない。


「はぁ……しょうがないか。少し待っていて頂戴」

「わ、わかりました」


 私は要を寝室に運び、ベットで寝かせると、そのままタンスへと向かい、彼の持つ服とズボンを取り出し、彼女の物へと戻った。


「これでいいかしら? 男物なのは我慢して頂戴」

「め、滅相もございません……‼」


 クロメはいそいそと服に袖を通し、ズボンをはき、あっという間に着替えてみせた。


「どうやらサイズは問題ないようね」

「あ、はい……」

「それにしても貴方、随分着やせするタイプなのね」

「す、すいません。別に隠していたというわけじゃ……」

「その程度の事で、殺したりしないわよ。特に今の私は……ね」

「今の……?」

「貴方が昼に会った私と今の私は体は一緒でも、性格は全く違うのよ」

「え……!? それって一体どういう事なんですか……?」

「どういうことも何も、そんなの私が人間ではなく、怪異だからよ。そもそも怪異ってどういう存在が貴方は理解しているのかしら?」

「い、いえ。全く……」

「なら丁度いいから説明してあげる。いい? 怪異というのはね。人間がいて、初めて存在できる物の事を言うの」

「人間がいて初めて存在できる……?」

「ええ。簡単に言ってしまえば、人間が居なければ怪異という存在は生まれない。端的に言ってしまえば、私達って人間の恐怖心のおかげで成立している生命体なのよ」

「恐怖心……」


 いざいきなり、そう言われても理解できないのが普通だ。何せ怪異という存在そのものが、異常な存在なのだから。その様な存在を理解し、まして認識すらしてしまう存在など、はっきり言って常軌を逸しているのだ。


 その点でいえば、鬼岩寺黒目はまだ正常であり、彼女が元々人間だったという言葉は、真実であると言っても過言ではない。


 だってそうだろう。己が存在できる理由を知らぬ怪異など、どう考えてもあり得ないのだから。


「例えば私。私の性格は基本的に、要からの影響が非常に大きい」

「そ、それは何故なんですか……?」

「そんなの単純よ。私が要の事を好きだからに決まっているじゃない」

「す、すすす……」

「ふふ。随分初心な反応するのね。可愛い」

「……うううう。か、からかわないでください」

「うふふ。ごめんなさい」


 別に私にレズの気は一切ないのだが、どうにもこの女性を見ていると自身の内に眠る嗜虐心という物が引き出されてしまう。


「閑話休題。私がさっき言った事だけど実のところ、もう一つ要因があるのよ」

「もう一つ……?」

「そう。もう一つ。そしてそれが最初にあげた物よりも重要で、貴方も他人事で済ますことはできない重要な要因よ」

「私も関係するんですか……? でも一体どんな関係が……」

「ふふふ。何でも人に答えを求めようとしたらダメよ」

「……うう。ケチ……」


 随分軽口を叩けるようになってきたわね。でもまあこの方が私としてはやりやすい。やはり人から、この場合は、怪異からなのだが、恐怖の対象として見られるのは、いい物ではない。


「ならヒントを一つ。私とあなたに共通することってなんだと思う?」

「共通している事……それって二人とも鬼ということですか?」

「貴方、そこまで思い当っていて、そこを言うなんて随分捻くれているのね。まあ嫌いではないのだけれど」

「茶化さないでください‼ それで正解なんですか?」

「そうね。半分正解といったところかしら」

「半分、半分、半分……あ……」


 どうやら思い当たる節があったらしい。


「私も簾藤さんも怪異‼」

「正解。そして呼び方」

「あ……」

「別に気にしなくていいわよ。少なくとも今の間だけは」


 私がそう言うと彼女はホッと胸をなでおろした。余程怖かったのだろう。先程までの私は。


「あ、あの……」

「何かしら?」

「その答えがわかったのはいいんですけど、それで私が怪異なのと彼が、菅原君が何の関係があるのでしょうか?」

「ああ、それは主に彼の体質が関係しているのよ」

「体質……?」

「彼の体質はまさしく我々怪異にとって凶悪。何せ我々を引き付け、その存在を歪ませる体質を持っているの」

「存在を歪ませる……?」

「そう。歪ませる。一度、彼と出会ってしまった怪異はもう彼から抜け出せなくなる。その存在を書き換えられてしまう。私が吸血鬼でありながら昼の間、歩くことができるのは彼のそんな体質のおかげ。でもこれは何も言い事ばかりではない。何せ、最悪の場合、その存在自体消えてしまいかねないのだから」

「き、消える……!?」


 クロメの唇はフルフルと震え、目元には恐怖の色が浮かんでいる。私としてはそこまで怯えさせる気はなかったのだが、どうやらやりすぎてしまったようだ。


「そう怯えないで。消えるのはあくまで力のない存在。低級の存在だけだから。私や貴方の様な強い力、というかメジャーな物は消されることはない」

「よ、よかった……」

「安堵しているところ、悪いけど事はそう単純じゃないのよ。少なくとも貴方は既に彼の影響を受けてしまっている」

「え……!? 本当ですか……!?」

「嘘なんてつかないわよ。そもそも嘘をつくメリットが私にあると思うの?」

「あ……」


 この時のクロメの表情と言ったらさながら、陸上で必死に呼吸をしようとしている魚の様に、大きく口を開き、間抜けな表情をしていて、私は彼女のそんなところに少し笑ってしまった。


「わ、笑わないでください……‼」

「ごめんなさい。でも……ぷ……」

「もう……‼ それで一体私の何が彼に影響を受けているというんですか……‼」

「ああ、それは貴方の性格が彼に対して攻撃的になっているところよ」

「攻撃的になっている……?」

「ええ。貴方は無意識かもしれないけど、彼と会話するとき、どこか棘があるのよ。それこそついさっきまでの私みたいに」

「それは……そう言えば……」

「何よリ彼に頭を撫でられた時、貴方は彼に抵抗することはしなかった。普通、今日知り合ったばかりの男に頭を撫でさせるなんてありえない。まして貴方の様に、男性に対して警戒心を強く抱いているタイプなら猶更」


 鬼岩寺黒目という女性は、男性がおそらく苦手だ。胸のサイズをごまかすのだって、男性からの注意を引くのは嫌で、そうしているのだろうと考えられるし、あまりにも初心すぎる。


「そんな貴方が、どうしてこうも簡単に要についてきたのか……それは貴方の性格が彼の体質によってゆがめられているからに他ならない」


 クロメは、反論の一つもせず、ただただ頷いた。


「確かに。その通りだと思います。簾藤さんの話は正しい」

「そう。理解してくれて何よりよ」

「でも一つだけわからない点があるんです」

「何かしら?」

「どうして怪異を引き付け、歪ませる存在であるところの彼に、どうしてああも、とげとげしい対応をしてしまうかです」


 ぼけているようで、きちんとポイントは抑えている。私としてはその方が、やりやすいので助かる。


「それは彼が自身を罰することを、他者に、私達に怪異という存在に望んでいるからに他ならないわ」


 その言葉を聞いて、クロメは理解できないと言わんばかりに表情を盛大に歪ませた。

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