詰問の終焉は、湯煙へと消える。

「私の頭に生えているコレ。何に見えますか?」

「何って……そんなの角に決まっているでしょう」

「正解です」


 あまりにも唐突なタイミング。しかも彼女が質問した内容は、誰の目にも明らかな事。その様な事を聞いて一体何の意味があるというのだろう。


 そんな僕の疑問をよそに彼女の言葉は続く。


「正確には角の様な物です」

「様な物というのはどういう意味かしら」

「角と断定しなかったのは、私にもこれが何なのかわからないからです」

「分からないって……貴方の物でしょう?」

「それは……そうなんですけど……わからないものはわからないんですよ。何せこの角が私の頭部に現れたのは今からつい三日前の事なんですから」

「ふむ。そうなるとあれですか。朝目覚めたら急に頭に角が生えていたと?」


 エメは僕のこの発言に食いついてくることはなかった。それは単に自分も気になっている事柄を僕が質問したからなのかもしれないが、この状況下においてはその対応は非常に助かる。


「そうよ。他にも体が急に軽くなって筋肉質になったり、歯が急に鋭くなったりもしたわね」

「……なるほど」


 なんだろう。先程からのクロメの発言。どこか含みがあるような、もったいぶっているような、そんな言い方ばかり。一体何に気づいて欲しいの言うのだ。


 わかりそうで、わからない。その得体の知れないもやもやとした感情に、僕はつい大きなため息をついてしまう。


 僕はエメはどのようなリアクションをしているのか気になった為、流し目でエメを見ると、エメもまたこちらを見ていたようで、目があった。


「……何?」

「いや、エメは何を考えているのかって……」

「……そう」


 エメは小さな声でそう呟いたきり何も言ってはこなかった。てっきり僕に対する罵倒がとんでくるのかと思ったがそんな事は無く、むしろそれとは真逆のどこか気づかったかのような素振りをしてくれた様に思えた。


 あのエメに限ってその様な事は無いだろうとは思ったが、僕には何となく。本当に何となくそう思えたのだ。


「あのぉ……」

「何?」

「ご、ごめんなさい‼」

「……どうしていきなり謝るの?」


 そんなの先程のエメの声が、明らかに不機嫌そうだったからに決まっているからである。ただでさせビビりにビビりまくっているクロメにその様な声を発せばこうなることなど、誰の目にも明らかである。


「ご、ごめんなさい……」

「まあまあ。ここは一旦落ち着いて……」

「……何? 要は私が悪いって言いたいの?」

「まさか。僕はいつだって僕は君の味方だよ」

「……要のそういう所。本当に嫌い」

「あはは……これまた手厳しい」


 どうやら僕では、この場を収められそうにないらしい。やはり人間分不相応な役割は、するものではないということだろう。かといってこのまま引き下がる僕ではないのだけれど。


「後でなんでもいう事を聞いてあげるから。ね? ここは一旦落ち着いて鬼岩寺さんの話を最後まで聞こうじゃないか」

「……今の発言。絶対に忘れるんじゃないわよ」

「忘れない。忘れない。この僕がエメとの約束を忘れた事あった?」

「……あったわ。しかも一回、二回じゃなくて数十回は忘れているわ」

「あれ? そうだったかな? そうにも記憶にないなぁ」


 実際はきちんと覚えている。その都度、エメに激しく叱責され、殺されかけているのだから、忘れたくても忘れられるわけがない。


 当然僕としても彼女との約束を守る気持ちはあるし、通常の出来事ならばその全てを捨てて、エメの元に行くだろう。そんな僕が守れていないということは、異常事態が起きているわけで、どういうわけか。エメと約束すると高確率で、異常な出来事に遭遇してしまうのだ。全く持って、自分の不幸体質が恨めしい。


「……屑」

「……屑ね」

「あはは。どうやらお二人とも仲良くなれたみたいだね。よかった。よかった」

「仲良くなってなんかない……って。もういいわ。今の要と会話していると本当に疲れるし、キリがないもの」


 エメはそう言うとイスに座り、腕を組んだまま何も言ってこなくなった。顎で話の続きを促す様な示唆はしているのだけれどね。


「さて。話を本題に戻そうか。ここまで聞いた上で、まず僕が思ったこととしては、鬼岩寺さん。貴方はどうして、僕たちに全てを話してくれないかということだ」

「それは……えと……」

「確か貴方は、エメに。ついでに紹介しておくと僕の同居人たる簾藤エメという少女に、事の全てを話さないと殺すと脅されていたよね? にも関わらず、すべてを話そうとしなかった。それは一体何故なんですか?」


 しばしの沈黙。クロメの瞳は右往左往と揺れ動き、口元は水を失った魚の如く、パクパクと活発に動いていた。


 エメはその間、まるで処刑人の如く、鋭い目つきでクロメを見つめていた。その際のエメの迫力は、ただイスに座っているだけというのにも関わらず、こちらの呼吸まで乱れてしまいそうな程、恐ろしい物で、常日頃から一緒にいる僕でさえ末恐ろしさを感じる程である。


「それで答えは……?」

「あ……う……それは……」

「早く言わないと本気で殺されちゃいますよ?」


 僕としては、これでも懸命に彼女を擁護しているつもりだった。それはこの家に、彼女を連れてきたのが僕であり、そんな彼女をこんな危機的状況に追い込んだのは、紛れもない僕だからだ。


 いくら知的好奇心を満たすためにとはいえ、流石にここまでやるつもりはなかった。だから彼女には、早く真実を語ってもらって、楽になってもらいたい。その方が明らかに彼女の為になる。


「あ、あ、貴方は……その……」


 そんな僕の願いが通じたのか、クロメは今だ落ち着かない様子ではあるものの、ゆっくりと語りだしてくれた。だがまだだ。まだ確信の部分には、至ってはいない。


「万が一……万が一……私が……」


 早く言え。早くしゃべってしまえ。そうすれば楽になれる。そして僕は、自身の欲求を満たせる。だから言え。早く言え。


「私が人間だと言ったら……信じてくれますか……?」


 クロメの躊躇っていた言葉は、自身が人間であるという言葉だった。


 考えてみれば、とても単純なことだった。何せ彼女に、身体的変化が現れたのは、つい三日前の事なのだ。彼女の見た目は明らかに成人間近の女性。そんな女性がいきなり生まれるわけない。現にエメは、その答えを既に知っていったのか、今も涼しい顔をしている。気づいていたのなら、もっと早く言って欲しかった。そうすればクロメにここまで辛い思いをさせなくてすんだというのに。


「ええと……鬼岩寺さんの話を端的に言うと、鬼岩寺さんの身体は元々人間で、鬼になったのはつい三日前で、その原因に心あたりがないということですよね」

「……その通りよ。私がこんな体になったのはつい三日前。それまでは本当に。何の変哲もない人間だったのよ……」


 人が鬼になるという話は、あまり聞いたことがない。鬼は鬼でも吸血鬼なら話は別なのだが、ここまで身体的特徴が出ているものが吸血鬼なわけがないし、仮にそうだとしたら既にエメが気が付いているはず。



「それでどうなんですか? 私のいう事。信じてくれるの……?」

「……」


 ここで肯定することを彼女は望んでいる。それは彼女の今にもくじけてしまいそうな、僕にすら敬語を使ってしまう弱弱しい態度をみれば嫌でもわかる。


 かといって本当に信用してしまっていいのだろうか。鬼が人に変わるなど、聞いたことがない。もし彼女の発言がすべて嘘で、僕を襲うための口実だとしたら……いや、それはない。


 もしここで嘘をついていようものならば、速攻エメに処刑されているはず。つまり、今生きているということは、彼女の言葉がすべて真実であるということに他ならない。


 でもエメも騙されて……いや、それだけはありえない。彼女を騙しとおせるものなど、いるわけがない。そもそもエメには、嘘か真実かを判別するスキルがある。そんな彼女をだませるものがいるとしたら、己の存在自体を嘘で作った者のみだ。


「わかった。信じるよ」

「ほ、本当……?」

「本当だよ」

「も、もし嘘だったら、あ、貴方の事、バラバラにして、食べてやるから‼」

「それは止めて欲しいなぁ……」


 食べられるにしても、エメ以外に食べられるのは御免だ。


「まあ話は一旦これまでにして、食事にしようか」

「……ふん」


 エメは興味を失ったのか、そう呟くと一人脱衣所へと向かっていった。きっとお風呂に入るべく、湯を沸かしに言ったのだろう。


「はふぅ……」


 またエメが消えたことにより、緊張の糸が途切れたのか。クロメはその場に、座り込んでしまった。


 これにて一通りの取り調べは終わったのだが、エメの文句がとんでこないあたり、どうやら宿泊の許可は出たようだ。ああ見えて、エメも結構お人好しな所もあるから当然と言えば、当然だろう。むしろあそこまで取り調べするほうが、異常な事態であったと言ってもいい。


 それにしても僕も妙に疲れた。変な汗もかいたし、早いところお風呂に入りたい。

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