吸血鬼の怒りは、烈火の如く

「……話は分かったわ。つまるところ、貴方は自身の内に眠る持てあました欲望を解消するために、その辺にいた綺麗な女性を自宅に連れ込んだというわけね」

「ちょっと待って。確かにニュアンスとしては何も間違いはなにのだけれど、その言い方だと僕がまるで最低最悪の変態男見たいじゃないか」

「違うのかしら? この淫獣」

「人間の中にもそう言ったヤバい奴は、確かにいるのだけれど、僕は断じて淫獣なのではないよ。仮に欲情するとしてもそれはエメ。君だけだ」

「最低最悪の告白をありがとう。お願いだから今すぐ車に引かれて、カエルの様な惨めな声を上げながら轢死してくれない?」


 端正な顔立ちを不快とでも言わんばかりに盛大に歪ませ、明らかに人に向けるべきではない、汚物を見るかの如く冷たい視線を添え、極めつけに常人であろうとなかろうと心を抉るであろう容赦の一切のない言葉といった悪夢の三点セットを、事もあろうに僕はプレゼントされてしまった。


 もし僕が正常な人であったならば、今すぐに飛び降り自殺をして、すぐさまエメの前から姿を消さなければいかないところなのだろうけれど、生憎僕は、なんとも感じていなかった。


 どうやら僕は、正常な人間ではなかったらしい。いや、僕自身は自分の事を普通だと思っているのだけれど、エメに言わせれば僕は明らかに異常者のようだ。まるで何も感じない。そんな僕だからこそエメと一緒に暮らしていられるのだし、彼女もそんな僕だからこそこうも酷い言葉をぶつけてくるのかもしれない。実際、この程度の罵詈雑言など今さらであるし、彼女の本意でない事などお見通しである。


 そうは言っても怒った彼女を、このまま放置するのはよくない。絶対によくない。


「ええと。エ……」

「貴方はもう今後一切口を開かないで頂戴。耳が腐るわ」


 僕としては、今すぐにでもエメに謝って彼女のご機嫌取りをしようとしたのだが、どうやらその様な甘ったれたことを許してくれはしないようだ。かといって諦める僕ではない。


 それに彼女の言葉を、言ったまま、その通り捉えるのは、実のところ間違いなのである。ここでいう一生とは、おおよそ一時間。長くとも三時間程度の事を指している言葉であり、本当に口を開かなかったら、それはそれで怒り出す。


 俗にいうエメは、ツンデレさんなのだ。本人に言ったら間違いなく殴られるだろうけれど。


 人によっては、こんな彼女の事を面倒くさいとか、鬱陶しいとか思うかもしれないが、僕に言わせればそれはツンデレという魅力をわかっていないと言わざるを得ない。


 何せツンデレというのは、わずかでもこちらに好意がしてくれるからする行為なわけで、本人もその言動や動作を気にしているのである。


 先程の言動は流石にやりすぎた。そのせいで相手に嫌われていないかな。私の元から離れてしまわないかな。素直になれない自分が本当嫌になる。


 そんなマイナスな気持ちが胸に広がって、その間相手の脳には僕の事以外考えていないのである。これほど嬉しく、そそる出来事など他にあるわけないじゃないか。なんたって好きな相手にずっと自分の事を考えていてもらえるのだ。はっきり言って堪らない。


 実際エメは僕と喧嘩して、口を聞かない間は、律儀に罪悪感を感じてくれており、陰で苦虫をすりつぶしたような、筆舌し難いなんとも言えない表情をしてくれるので、僕としてはその笑顔を見るだけで満面の笑みだ。本人には絶対にいわないけど。


 女の子の苦悶し、懺悔する姿をみて、喜び、興奮するなど我ながら酷く醜い趣味をしているとは思うが、男という生き物は、古来より好きな子には意地悪したくなる生き物であり、そう言った好奇心を抑えきれな生き物なのである。いや、そうじゃない人もいるかもしれないけれど、少なくとも僕という存在は、そうである。


「……それで貴方は、どうしてさっきからずっと黙っているの?」


 エメの矛先が、女性へと向かった。僕は当然それに助け舟を出さない。そもそもこの家のヒエラルキーは、エメが頂点であり、僕なんて精々家具と同列程度の扱いであろう。そんなぼくだからこそ僕は、エメと同棲できているわけで、もし僕の事を男として認知されているのならば、彼女の親もまた同棲を許可してはくれなかったであろう。多分……いや……あの人の場合は……うん。やっぱり違うかもしれない。


「え……ええと……その……」


 おっとそんな僕のくだらない思考の合間にも、自体は動いているようだ。


 どうやらエメの先ほどの怒りをまじかに見たせいか、声をうまくだせないようだ。自分も彼女と同じ怪異と呼ばれる存在の端くれの癖に、随分と肝っ玉の小さいことである。全くこんな小さな存在に恐れを抱くとは我ながら恥ずか……いや、待て。そもそも彼女は、本当に怪異なのか?


 見た目は、紛れもない怪異そのものだ。あの禍々しい角や口元から伸びる犬歯は紛れもない本物。そこに疑いようはない。


 でもここまでくる際の所作の一つ一つや彼女の纏う雰囲気。あれは明らかに人間だ。来るときなんか僕よりも遥かにお上品な歩き方をしていた。あの歩き方は、まるでお嬢さまの様で、幼少期の頃からきちんとした躾を受けなければああはなるまい。


 ならば本当に人間……だがそうなると角が……う~む。


「そもそも貴方名前は?」

「き、鬼岩寺黒女きがんじくろめです……」


 エメより年上のはずなのに、敬語ですか。まっこと情けない。貴方に鬼としてのプライドはないのか。そんなんじゃこの僕にだって勝てやしないぞ。な~んて心で思っている僕こそが、一番情けないなのだけれど。


「そう。それじゃあクロメ」


 エメさん。貴方吸血鬼とは言っても、僕と同い年なんですからせめて目上の人物には、敬語使いません? 口に出しては言わないけど。言っても無駄だとわかってるから言いませんけど、一応顔で抗議だけはさせていただきますね。はい。


「よ、呼び捨て……」

「何? 何か文句でもあるの?」

「滅相もございません‼ だから殺さないで‼」

「……殺さないわよ。この子は私を一体何だと思っているのかしら」


 魔王様か何かだと思っていますよ。彼女のあの怯え切った、後悔しているような目を見ればそうだとわかる。


 ちなみに僕の事は、先ほどからずっとよくも騙したなこの腐れ外道とでも言いたげな目でちらちら見てくる。


 全くもって失礼な話である。僕は、一言も一人暮らしとは言っていないのに、勝手に勘違いして、その挙句僕を非難するなど言語同断である。


「まあいいわ。それであなたは何者なの?」

「な、何者と言われましてもわからないとしか……」

「貴方も自身の存在がわからないの?」

「いえ。わからないというか、わからなくなったというか……」

「……どうにも歯切れが悪いわね」

「す、すいません。私自身が一番と、戸惑っていまして……」

「戸惑うとは?」

「あの、エ……」


 黒女がエメの名前を呼ぼうとした瞬間、僕はすかさず彼女の口を押えた。女性は、一体何事と言わんばかりで、僕の事を見るが、その答えは正面にある。


「……命拾いしたわね」


 エメは、あの一瞬。瞬きする程度の刹那の一時に、黒女の首を切り落とさんと手刀を振り下ろさんとしていたのである。そんな瞬間を人間である僕には、当然見えない。見えないが、付き合いの長さでその辺はカバーできる。実際僕はエメの手の形と滲み出る殺気と呼ばれるものから、エメが襲うとすぐさま決めつけた。


 今でこそこんな暢気な事を思っているが、流石の僕もあの瞬間ばかりはヒヤヒヤした。いくらエメの地雷を知らぬと言えど、ああも気安く人の名前を呼ぼうとするとは。おそらく敬うために様でもつけて呼ぼうとしたのだろうが、事エメに関してはそれは、最低最悪の悪手に他ならない。まあ僕にとって大事なのは、黒女などではなく、エメなのだけれど。


 今回僕の身体が反応してくれたのだって、エメを殺人鬼などにはしたくないという僕の常日頃からの心がけからくるもので、冷たい言い方になるかもしれないが、エメが関わっていなければ、僕は絶対に黒女を助ける様な行為はしなかったし、今後もそんな事は絶対にありえない。


 そんな僕の思いなどエメにも、黒女にも当然伝わるわけもなく、エメは仁王立ち。黒女に至っては、泣きべそをかいて、僕の服の裾を掴み、エメを指さしながら何度も『化け物』と呼ぶ始末。化け物が化け物

と呼ぶ光景は、見ていてかなり滑稽なのだが、僕としては愛しの彼女を何度も『化け物』と呼ばれるのは、内心あまり面白くない。むしろ少し怒っているかもしれない。僕に心と呼ばれるものがあるのならなのだけれど。


「……話を戻すわ。貴方の事。包み隠さず、余すところなく語りなさい」

「そ、それはな、なぜでしょうか?」

「貴方が私にとって害のある存在かそれとも否かの確認の為よ」

「そ、そのもし害があると判断されたら……」

「言わなくてもわかるでしょう?」


 美人の笑顔には、なんとも言えない迫力があると言うが、その言葉は今のエメの顔を見ると全く持ってその通りであり、顔こそ朗らかではあるものの、底の知れない不気味さを放っており、首を自身の手で何度もトントンと、叩いていることから彼女の処刑方法は丸わかりだった。


「わかりました‼ 語らせていただきます‼ 語らせていただきますからどうか命だけは‼ 命だけはお助けを‼」

「話が早くて助かるわ。ああ、それと嘘をついたとわかった瞬間もアウトだから」

「ひ、ひぃ!?」


 黒女の表情は、もう涙でグチャグチャで、そこにあれほど美しく整っていた顔はない。その余りの変貌ぶりに、流石の僕も僅かばかりの、蟻一匹分の同情を禁じえなかった。

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