菅原要は渇いている。

僕が件の女生とあったのは、学校の下校中の事である。


 本来であるならば、僕とエメは一緒に登下校をしているのだが、事今日に限った話では、エメに用事があるとのことで、一緒にはいない。初めは僕もその用事が終わるまで待つと言ったのだが、どうやらそれは彼女の望むところではなかったらしく、遠回しに断られてしまった。


ならばと洲宮さんを誘いにも行ったが、普段から忙しい彼女が授業が終わった後にすぐ帰れるわけもなく、結果僕は一人で下校する羽目になってしまった。


 こんな時友達の多い人間ならば、困らないのだろうが、生憎と僕はエメと洲宮さん以外友達がいない。悲しい事に。実際はそれほど悲しいと思ってはいないのだけれど。


「どうせなら買い物でもしていこうかな」


 僕は普段近所のスーパーには、一度自宅に帰ってから、わざわざ着替えをすまして買い物に行く。それはエメとの制服登下校の時間が楽しみたいからそうしており、この状況下においてはその肝心の要素であるところのエメが居ないのだから、制服であろうとなかろうとどうでもいい。むしろ時間効率的に考えて、ついでに寄っていった方が遥かに効率的である。


 そう結論付けた僕は、いざスーパーへ向かわんとしたのだが、その時に見つけてしまったわけだ。件の女性を。


 女性は、スーパーの前にある小さな公園のブランコに、俯き加減で一人腰かけていた。その余りに不釣り合いな光景は、明らかに浮いていたし、気にする人も幾人かいた。その中には、声をかける者もいたが、どうやらそのどれも彼女の心を晴らすには至らなかったようだ。


 それを見ていた僕としては、当然話しかけるわけがなかった。そもそも僕という人間は、見ず知らずの人間にお節介を焼くようなもの好きではないし、その相手が泣いている女性の場合猶更だ。


 僕はエメに対しては紳士的だが、それ以外の女性に対してはそうではない。こう見ると差別の様に思われるかもしれないが、誰だって思い人に対しては、特別親切にするだろう。だからと言って、興味のない相手に不親切にするかと言われれば、そうでもないのだけれど。


 閑話休題。ここで重要なのは、僕が見ず知らずの、それこそ目に見えて厄介ごとに突っ込もうとしない人間であり、例え傷心中の女性であろうと関係ないということだ。


 だからこそ僕はあえてスルーした。それはもう遠慮なく、躊躇いなく、数少ない良心を歯牙にもかけずにだ。


もしこの場に洲宮さんが言おうものならば、彼女は迷いなく女性に話しかけている所であろうけれど、その彼女。善意の塊である所の彼女は今いない。僕はその事実に、少しラッキーだと思ってしまい、ちょっとだけ自分に嫌気が指していた。


 さてそこまで女性に関わるのを嫌がっていた僕がどうして今、その件の女性を自宅に連れ込んでいるに至るのか。それは、買い物を済ました後の出来事が関係している。


 僕は買い物を終えると脳裏に夕食を食べながら、僕と談笑しているエメを思い描きながら、悠々と帰路につこうとした。この時の僕は、たぶん鼻歌なんかも歌っていたと思う。それほどにまで、この時の僕は機嫌がよかった。それこそ女性が今も尚、公園にいるとは気づかないほどに。


「あ……」


 突然の激しい風。女性の頭をすっぽりと覆っていた大きな帽子を吹き飛ばし、否応なしに彼女の素顔が明らかとなる。


 女性の容姿は、控えめに言っても美人と呼ぶに遜色がないほど整っていた。透き通るような艶やかで、美しい黒色の長髪を腰まで伸ばし、赤色のリボンで結われいる。瞳の色は日本人ではまずありえない綺麗な金色で、夕日に照らされ独特な光を放ち、桃色の唇は、ぷっくらと膨らんでいて可愛らしい。鼻立ちはすらっと整っており、可愛いというよりは、美人系の顔立ちをしている。


 だがそんなことすべて些細な事で、この場において重要なのは、彼女の頭部。


「つ……の……?」


 そこにはおよそ彼女の容姿に似つかわしくない、恐ろしく、禍々しい日本の角が生えていた。


「……見ましたね」


 ゆらゆらと女性は、立ち上がると僕の元へとゆっくりと近づいてくる。僕はそんな明らかに異質な状況に、逃げようと試みたのだが、足が訛りの様に重く動かない。それどころか小刻みに震え、口元に至っては、引きつったような笑みを浮かべる始末で、僕の身体はこの状況に本能的に恐怖していた。


 いくらエメという人ならざる者と生活していようと僕は人間。怪異と呼ばれるあの異形な存在達になれるわけもなく、むしろその恐怖を人一倍知っている。知っているからこそ、関わりたくない。


「ねぇ……貴方……」

「見てません」


 僕はその言葉に即座に否定する。その余りの速さに、女性は呆けたような表情を浮かべた。ただ僕としては、その様な事は全く持ってどうでもよく、今できた明確な隙をついて、未だ怯える体に鞭うって脱出を試みた。


「待って」


 だが残念。彼女の身体能力の前に、僕はまるで歯が立たず、あっさりと回り込まれてしまった。それどころか肩を掴まれ、完全に脱出不能である。


「ねぇ……貴方見……」

「見てません」

「いや……絶対……『見てません』み……って反応速いわね!?」

「見てないものは見てません。僕は、何も、見て、いません。OK?」

「OKっていうわけないでしょう‼ 貴方絶対見たわよね!? 私の秘密を堂々と、まじまじと、それこそ私の身体を舐めまわすように見たわよね!?」

「いえ、そこまでは……」


もしかして自意識過剰なのだろうか? 面倒くさい......


「やっぱり見たんじゃない‼」

「あ……」


 しまった。あまりの子供っぽい反応に、つい素が出てしまった。いかん、いかん。それにしてもこの人、見た目の割に随分子供っぽい人なのだな。なんだろう。そう思うと少し可愛く思えてきてしまう自分がいる。と言ってもエメに比べてば、金魚の糞程度だが。


「まあいいわ。それよりも私のこれ見てどう思う?」

「まあ……角。以外の何物でもないですよね」

「うん。そうよね。角よね。私もそう思うわ」


 そう思っているのならわざわざ聞く必要のないのに、この人が何を考えてその様な質問をしたのか僕には、まるで分らないよ。わかりたくもないけど。


「それであなたは僕に何を求めているんですか?」

「それは……その……」


 何か言いづらいことなのか、女性は途端にもじもじとしだした。こちとらエメの食事を作らねばならないのだ。早く帰らせて欲しい。むしろ帰らせろ。


「こ、今晩だけその……と、泊めてくれない?」

「はぁ……いいですよ」

「え? いいの?」

「はい」

「え、でも、じょ、女性を泊めるのにその……抵抗とか……」

「そんなのありませんよ。馬鹿なんですか?」

「へ!? わ、私が可笑しいの!?」


大体抵抗があるのは、本来女性である所の貴方のセリフでしょうに......


まあ幸い僕は、エメという心に決めた人がおり、そのエメに対しても欲情しない僕が、この人、いやこの鬼に欲情する可能性など微塵もない。仮にしたとしたら腹を切って死ぬ。そうしなければエメに申し訳が立たない。


「そうですよ。人間助け合いが大事ですからね。まあ貴方の場合は鬼ですが」


 この時点で、この鬼の人となり、いや。この場合は鬼となりは、おおよそ把握しており、この人は僕に害を与えるタイプではないということはわかった。僕にとってそれはとても重要な事で、現にあれほど震えていた足も今は、普通に動いている。


それに僕としては、この鬼に少し興味がわいてきた。鬼たるもの人を食べてナンボである。なのにこの鬼は僕を食べようとしない。それにどうしてこの場にいるのかも謎で、こんな人目につく場所にいる意味がわからない。何よりこの鬼は一体何者なのか。僕はそれが知りたくて、知りたくて、堪らない。


「ほら。荷物持って」

「え、あ、はい……」

「ほら。案内しますから。ついてきてください」

「あ、はい……」


そういえば名前は何て言......どうでもいいか。そんなことは。

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