簾藤エメは嫉妬する

「それで?」

「それでとは?」


 昼休憩の時、僕は屋上で一人昼食を取っていると突然エメにそう尋ねられた。


 その余りの衝撃に、僕は購買で買った唐揚げ弁当の唐揚げを一つ落としてしまった。


「とぼけないで頂戴。あの子……洲宮霞と何の話をしていたの?」


 どうやらエメは今朝の僕たちの会話を盗み聞きしていたようだ。


 それにしたって、あの時エメはクラスメイト達と談笑していたはずだ。にも拘わらず、僕が洲宮さんと話をしていたことを知っている……それ即ちエメは僕の事を気にしてくれていたということに他ならない。


「下等生物の分際で何をにやけているのかしら? 事と次第によっては殺すわよ」

「殺さないで‼」


 エメが僕に少なからず僕に興味があるのを知ったのが嬉しすぎて、殺されたのでは全くもって洒落にならない。


 もし僕の死因がその様な物だと知ったらクラスメイト達は、皆一応に笑うだろうし、両親は涙を流して哀しむだろう。たぶん……


 ただ僕としてはその様な事は粗末な問題で、一番重要なのはもしここでエメが僕を殺した場合、彼女は必然的に殺人犯になってしまうということだ。


 エメは曲がりなりにも吸血鬼だが、今は人間の振りをし、擬態し、人間社会に溶け込んでいる。


 それはつまるところ人の世の法律が彼女にも例外なく適用されるということで、例え彼女の存在がこの世ならざる超常の存在であったとしても例外ではない。


 まあ彼女の場合、仮に捕まったとしても余裕で脱獄できるだろうし、誰であろうとでは捉えることができないだろうが……


「ほら。黙ってないでさっさと言いなさい。私、あまり気が長い方じゃないの」

「それは知っているよ。なんたって僕たちは幼馴染だからね。エメの事は、この世の誰よりも知っている自信があるさ」

「……」

「ん? どうしたんだい? 急に黙って? あ、もしかして僕の言葉を疑っているのかい? それなら手始めに今、この場でエメのスリーサイズを暗唱……」

「仮に本気でそんな事してみなさい。その時は、貴方の体、塵一つ残らず食してやるわ」

「ははは。またまた御冗談を」

「冗談だと思うならお好きに」

「……」


 エメの目は、本気だった。もしここで僕が彼女のスリーサイズを暴露しようものならば彼女は、間違いなく僕を殺す。殺して食べる。


 そこに人の目など関係ない。彼女にとって重要なのは、僕が今、この場で口を慎むか否かのみ。


「OK。わかった。今回は僕の負けだ。というわけでそろそろ教室に……」

「話をすり替えないで頂戴」


 どうやらエメは何が何でも僕と洲宮さんの話な内容を知りたいらしい。


 でもそれにしたってエメがここまで露骨に僕に要求してくるのは、とても珍しいことだった。何せ僕の洲宮さんは、日常的によく話しているし、今朝のような会話の問答も別段珍しいことではない。


 その時エメはどうしているかと言えば、いつもの様にクラスメイト達に囲まれ、明らかな作り笑いで談笑しているし、その後僕に質問してくることなどは唯の一度もなかったのだ。


 それどころか学校でエメは、僕に一度たりとも話しかけてきてくれた事は無い。いつも話しかけるのは僕で、彼女はそれに心底嫌そうな、意地悪そうな、表情で応じてくれるのみ。


 さて僕は、今ここまでの経歴を冷静に述べたわけだが、実際の所今の僕の情況は、窮地に他ならない。


 何せ今の僕の口には、彼女の……エメの白く、柔らかく、誰もが羨む指が、どういうわけか突っ込まれているのだから。


 しかも一本じゃない。親指から小指まですべてだ。エメはそれを先程僕が帰ろうと、口にした一瞬のうちに行ったのだ。全く持って神技……いや、この場合は吸血鬼技……いや、それだとごろが悪いから鬼技になるのか。


「余分な事を思考している暇があるのならば、早く質問に答えなさい。さもなければこのまま貴方の首をへし折るわよ」


 一体どうやってへし折るのかは、聞かない方が賢明だろう。それにしたって、これでは如何せん喋りづらい。


 仮に喋れたとしてもそれは言葉ではなく、赤ちゃんのような『アー、ウー』とかしかならないだろう。


「あうあうあ‼ あうあうあ‼ あうあうあうあ‼ 」

「話すから? 話すから、一旦抜いて?」


 一体どういうトリックを使ったのかは知らないけれど、エメは僕の言わんとしていることを精確に読み取ってくれた。


 これもまた吸血鬼のなせる技なのか、はたまた長年一緒にいることによって培った幼馴染の絆によるものなのか、その答えを知っているのは僕でも、神でもなく、当事者であるエメ本人だけであろう。


「嫌」


 ところがどっこい、エメは僕の意思を把握しているにも関わらず、自身の指を引き抜いてはくれなかった。


 僕としてはエメの前から逃げる気もなければ、先程のはただ単にふざけて逃げようとしただけに好きなかったのだけれど、エメさんはそれが余程お気に召さなかったらしく、完全に僕のいう言葉を信用しなくなってしまったらしい。


 これならばそんなおふざけしなければよかったと思う僕だけれど、それは既に過去の事で、今更いくら後悔したところで遅い。


「貴方は今から私のする質問に頷きで答えなさ。肯定なら首を縦に、否定なら首を横に振りなさい。ただし万が一、一度でも嘘をつこうものなら私は即刻貴方の身体を私の指が貫く事になるわよ」


 字面から見ればかなり物騒事を言っているが、きっとエメは僕の生命を害するような真似をすることはないだろう。


 その事実は確信と言ってもいい事実で、どうしてそのような事を言えるかと言えば僕という人間が、彼女の事を信頼し、信じ、慕っているからである。


 とは言ってもここで、彼女の気分を害するのは僕とて本意ではない為、黙って頷いておく。


「よろしい。それなら一つ目の質問。貴方は、あの子……洲宮霞の事が好きなのかしら?」


 僕が洲宮さんの事が好きかどうか? そんなの答えは決まっている。


 僕は首を縦に振った。時としては、一秒もかかっていない。


 何せその質問に対する答えは考えるまでもなく、最初から決まっていたのだから。


「そう。なら……死になさい」


 底冷えするような冷たい声音、家畜を見る様な瞳。その瞳の先にあるのは当然僕。


 エメの指が僕の喉を貫かんとゆっくりと動き出す。つまるところエメは、僕の事を本気で殺しにきているわけだ。


 当初こそ冗談だろうと思っていた僕だけれど、どんどん喉元へと進んでくる彼女の指の恐怖に、死が迫る恐怖に、僕は耐え切れず、急いでエメの腕を掴むと、そのまま指を引き抜いた。


「ちょっと待って。僕が言った好きは、あくまで友人としての好きだから‼ 僕が異性として一番好きなのはエメだから‼」

「そんなの知っているわよ」


 エメの顔は笑っていた。まるでこちらの思惑などすべてお見通しと言わんばかりのそんな表情をしていた。


 僕はそんな彼女の悪戯にため息をつかずにはいられなかった。


 エメの指が僕程度の力ですんなりと抜けた時点で、何となくは察してはいたのだけれど、それにしたって心臓に悪い。


「お願いだからこんなことはもう二度としないでよ。本当に悪戯にしては少し度が過ぎている」

「そうね。これがもし本当にならね」

「ん? それはどういう意味?」

「貴方に教える義理はないわ」


 エメはそう言って僕の元から去っていった。


 一体全体彼女が何を思って僕の前に急に現れ、尋ね、悪戯を仕掛けてきたのかはわからない。


 僕は彼女の表面的な物は全て知り尽くしている自身があるけれど、彼女の内面……いわゆる心と呼ばれるもにに関することについては、として理解するに至っていないのだから。


 唯一わかることと言えば、昼休憩の残り時間が後五分で、僕の弁当は落ちた唐揚げ以外、何一つ食されていない事だけだ。


「……ひとまず食べないと」

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