僕は顔の火照りを抑えられない

「あれは……ダメだ。うん……あれは絶対にダメだ」


 エメのあの発言を聞いて以来、僕は自身の顔の火照りを全く抑えられず、あれから当に数時間立っているにも関わらず、未だに顔に帯びた熱が引いてくれなかった。


 僕の身体をその様にしてしまった当の本人はと言えば、今は学校の面々に囲まれ、仲良く談笑しており、まるで気にしていない彼女のそんな姿を僕は少々恨めしかった。


 大方僕の事をからかう目的で言ったその言葉は、甘美なその言葉は、彼女に思いを寄せている僕からすれば、紛れもない毒で、猛毒で、例え少しでも僕の身体を犯すには十分だった。


 それを僕は致死量すれすれまで浴びてしまった。例え、彼女と普段から関わりがあり、あまつさえ同棲までしている僕からしても耐え難く、抗いがたいものだった。


「顔真っ赤だけど大丈夫? 熱とかなら保健室に行く?」


 僕の事をそう優しく気づかってくれるのはエメ……などでは当然なく、生徒会副会長兼僕の友人である洲宮霞すのみやかすみという名をした少女だった。


「どうしたの? 人の顔をジッと見つめて? あ、もしかして何かついてたりする?」

「いや、何もついていないよ」

「そう。ならよかった。そんな事よりも本当に体は、大丈夫なの? なんだかさっきより顔が赤くなっているような気がするよ?」


 洲宮霞という少女は、とても心優しい少女である。


 誰にでも分け隔てなく、平等に接し、誰か一人を特別扱いするといった事はしない。


 怪我をしているものを見つければすぐさま保健室に連れて行き、それはそれは丁寧な治療を施し、またニュースで人が大勢亡くなった事件を目のあたりにすれば、心から涙を流せるそんな少女である。


 僕はそんな彼女の事を心より尊敬し、憧憬している。


 もしエメと出会っていなければ紛れもなく、僕は彼女に入れ込み、骨の髄まで惚れこんでいたであろう。


 それほどにまで彼女は僕にとって特別な存在で、魅力的な存在なのだ。


「大丈夫だよ。この通りピンピンしている」


 自身の腕を何度もぐるりと、ぶんぶんと、回し僕の身体がいかに健康で、問題を抱えていないかを彼女に見せつける。


 そんな僕の様子をおかしく思ったのか、彼女は口元に手を可愛らしく添えながら、くすりと笑ってくれた。


 エメの様に鼻で笑うのではなく、心の奥底から湧き上がっているそんな笑みだった。


「菅原君は、本当におかしな人だね」

「それは失敬な。僕程普通を自負している人間はいないよ」

「そうなの?」

「そうともさ。頭も普通、運動も普通。とりわけこの顔。僕程平凡で、量産型の顔はいないと思うよ」


 自分の平凡さに欠けては、僕は誰にも負けない自信がある。


 その様な事誇るなと言われるかもしれないのだけれど、実際問題事実なのだから仕方がない。


「う~ん。そうかな? 私は菅原君の顔だよ?」


 優しい洲宮さんの事だ。僕の事を慰めようとその様な、優しい言葉をかけてくれたに違いない。


 でも生憎と僕は、自身の容姿に微塵も卑下していないし、愛着を持っている。そんな僕に対する気づかいなど不要だった。


「おっと。軽はずみに男子に好きという言葉を使うのは、あまりお勧しないな」


 むしろ僕としては、その様な軽はずみの発言こそ諫めるべき言葉だと思っている。


 けれどそんな僕の意味を洲宮さんは、微塵も理解していないような顔をしており、頭上にははてなマークが浮かんでいるようなそんな顔をしていた。


 それは何も彼女が頭がよくないからなどでは微塵もない。むしろ洲宮さんは、頭のいい方で、学校での成績もエメに次ぐ学年次席。当然僕と比べて、遥かに頭はいい。


 にもかかわらず彼女がこの問題を理解できないのは、偏に性別の違いからくるものであろう。


「いいかい。男子……特にという生き物は、本当に騙されやすい生き物なんだよ」


 彼らにとって女子からの好きという言葉は。すなわち自分の事を好きという意味に他ならない。


 例え動物が好きとか、こういう食べ物が好きとかでもなんでもかんでも自分の事が好きだから語ってくれるのだと、関連付けようとする。そんな悲しき生き物が男子という生き物なのだ。


 僕はそんな男の悲しき性質を、性を、彼女に力強く、余すところなく、力説する。


「ふ~ん。そうなんだ。わかった。これからは注意するようにするね」


 僕の思いは彼女に届いていた。童貞の悲しき性を性質しただけなのに、僕の胸の内には例えようのない高揚感が、興奮が、広がり、何をしたわけでもないのに勝ったような気分だった。


 例えそう力説している時、誰にでも平等なはずの洲宮さんの瞳が僕の事を冷ややかに見ていたとしても、侮蔑しきったような瞳をしていたとしてもだ。


「ところで菅原君のその理論は、自身の実体験に基づいての事なのかな?」

「それはどうだろうね。もしかしたら僕の友達から聞いた話なのかもしれないし、自身の実体験なのかもしれない」

「教えてはくれないの?」

「教えない。というか洲宮さんも別にそんな事興味ないでしょう?」

「確かに興味はあまりないかもしれないね」

「だとしたらこの話は終わり」


 僕としてもこれ以上、女子と、ましていかにも清楚然としていて、汚い事は何も知らないと言った純白の彼女の事をこれ以上汚してしまうのは、不本意ではない。


 決して周りの僕を見る目が怖かったからとか、エメが口パクで僕の事を後で殺すとか殺害予告していたからなどでは、断じてない。ええ、断じてないとも。


 僕はそんな脅しには決して屈しない、鉄のハートを持っているのだから。


「そっか。残念。場合によっては私の初めてあげようかと思ったのだけれど」

「その話は本当でしょうか、大将‼」

「ごめん。嘘」

「そんなぁ……」


 僕の心はまたしても深く、マリアナ海溝よりも深く傷ついてしまった。


 それこそ僕の体に決して癒える事のない、一生ものの傷だ。僕は、今日、この瞬間、洲宮さんによって傷物にされてしまった。


 これは責任の一つでも取ってもらわなければと言いたいところだけれど、その様な事言おうものならばエメに何をされるかわからない。


「そこまで露骨に落ち込まないでよ。第一、菅原君には簾藤さんがいるでしょう? 私なんかよりも遥かに魅力的で、魅惑的な、彼女さんが」

「ちょっと待って欲しい。僕は確かにエメに思いを寄せてはいるけれど、付き合っては断じていないし、まして彼女などではないよ。もし僕が勝手にその様な事を言おうものならばきっと僕は彼女に殺されてしまう」


 僕とエメは確かに仲はいいし、既に同棲も、同衾もすましている。


 僕たちはその事を全く後ろめたいとは思っていないし、むしろ聞かれたら平気で教えるけれど、事僕たちが付き合っているという事実に関しては否定しなければならない。


 嘘は良くないというのもあるけれど、彼女の、エメの名誉に深くかかわる部分なので、僕としても嘘を嫌い、正直者でありたいと願う彼女のそんな思いを尊重したい。


「そうは言うけど菅原君。君と簾藤さんの距離感は明らかに普通じゃないし、同棲もしているのだから恋人……ううん。もう夫婦とかその域まで達しているのだから、否定する必要なんてないと思うよ。中には君たちの仲を疑う者もいるけれど、私は少なくともそうは思わないし、君たち程お似合いのカップルはいないとさえ思っているのだから」


 こうも長々と僕たちを祝福するような言葉を言われてしまっては、こちらとしても気分がいい。


 何より僕たち程お似合いのカップルはいないという部分など、絶賛片思い中の僕からすれば、これほど嬉しい言葉はない。


 でも現実は現実として受け止めなければならない。


「洲宮さんがそう思ってくれているのは、とても嬉しく思うし、君みたいな友人を持つことのできた僕は、大変幸せ者だと思うけれど、実際問題本当に付き合っていないんだ。何なら本人に確認してもらっても構わないよ」


 僕はできる限り、懇切丁寧に、誠実さを前面に出して、そう語ったのだけれど、それを聞いた洲宮さんと言えば大きなため息をついて、完全に呆れてしまっていた。


 一体全体、僕の発言の何処に呆れる要素があったのか、僕には皆目見当もつかないのだけれど、篠宮さんが呆れ果てていることだけはわかった。


「菅原君。君はもう少し女心を勉強しようね。なんなら私が付きっ切りで教えてあげるから」

「は、はぁ……」


 いきなりどうしてそうなったのかは、わからいのだけれど、ここで頷く以外の選択肢は僕にはなかった。未だ顔に熱を残したままに。

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