第34話
「あははは! 良いのう、こんなに楽しめたのは久方ぶりよ!」
これほど愉快なことはないと言わんばかりに笑い続け、銃弾のように水の粒を打ち出されるそれを避けながら、僕らは相変わらず攻めあぐねていた。いっそ莉花姉さん一人で挑んだ方が勝ちの目も見えそうだが、あの大天狗程の力を持つ相手に対し、そんなこと考えるのは現実的ではない。
水を弾かず受け止めるように縁に反りのある氷の壁で身を守りながら、なんとか隙を作ろうと僕は何度も矢を放つ。もちろん水の壁に防がれるが、そんなことでいちいち諦めていては活路は拓けないだろう。
「やりづらい奴だな……っ」
「ええ……でも、こいつが本家を狙わなくてよかったわ」
「向こうは兄様が喜んで向かった故なぁ。此方は良い男の神主が居ると聞いておったが、留守とは残念よのう……」
しかし、この妖怪は随分と口が軽いようだ。僕らが口を開けば。いや、開かなくても勝手にべらべらと喋ってくれるのだ。本家を狙っている別の妖怪の話といい、あまり有意義な情報はないけれど、どうにかしてこのやり取りで隙を作れないだろうか。
そんな意図もあり、僕自身はあまり口が達者な方ではない自覚はあるものの、敢えてそのお喋りには付き合ってやっていたのだが、あまり実益はなさそうだ。まさか、男の好みを語られるだけになろうとは、誰が想像しようか。
「天臣伯父さんのことか……節操がないな」
「仕方がない故、おぬしのような
「頼む、死んでくれ」
流石に閉口してしまう。色ボケした女妖怪の悩みになど、どう言い返せばいいのか分からない。
たしかに天臣伯父さんは身内から見ても容姿が整ってはいるが、高校生と中学生の娘がいる父親だぞ――などという、現代人の常識やモラルは通じないのだろう。まったくもって不毛だ。こんな状況でなければ、僕は盛大に頭を抱えていただろう。
「こんな話、真面目に聞かないの。相手のペースに呑まれちゃ駄目よ」
大きなため息を吐き、姉さんすら呆れている。その呆れを含む言葉が馬鹿正直に妖怪と会話していた僕にも向いていることには気付かない振りをして、大人しく首を縦に振っておいた。この場に悠真が居なくて良かったと、心の底から思う。
こんな緊迫感のないやり取りの間も、敵の攻撃は続いている。相手は僕達を嬲り殺しにしたいのか、ただただ緩く、しかし反撃を許さない弾丸を僕らに浴びせ続け、呑気に己の髪を梳いている始末だ。忌々しいとはいえ、それを邪魔することも出来ない自分が不甲斐ない。
その上、妖狐の力に寄せられたのか下級の妖怪まで集まってきている。似たような匂いでも放っているのか、集まってくるのは狐の妖怪ばかりだが、こちらの対応は慣れている僕一人でも可能だ。とはいえ、状況は悪化の一途を辿っていることには違いない。さて、どうすればいい。
そんな時だった。僕と共に攻撃を防ぎ続けていた姉さんが、急に前に一歩踏み出したのは。
「ここは任せるわ」
「姉さん!?」
僕が止める暇もなく、その背は妖怪へと飛び込んでいってしまう。自棄になったのかとも思ったが、その雰囲気からは並々ならぬ気迫を感じ思わず息を呑むほどだった。風と薙刀で水を斬り、その飛沫すら受けない速度で突っ込んでいくのだ。普段敵の懐に飛び込む役は恵梨姉さんや悠真の役割だったが、莉花姉さんも二人に引けを取るような力の持ち主ではないというのだろう。考えてみれば、恵梨姉さんと二人きりで戦い続けていたのだから当然なのだけど、その時の僕にはとんでもない光景に見えたのだ。
敵との相性も悪くない彼女が妖怪の眼前に近付くことは、それほど難しい事ではない。ここまでは単に、僕に合わせていただけなのだろう。それとも、敵の出方を見ていただけなのか。どちらでも構わない。僕はただ、姉さんの邪魔にさえならなければいいのだから。
「待たせたわね、私が相手してあげる」
「顔に似合わず威勢の良い
凛とした穏やかな声と、舐めるように妖艶な声がその場に響く。どちらからも相手のペースには飲まれない力強さを感じ、いくら役に立てたとしても僕には入り込めない雰囲気だ。雑魚を相手取りながら二人の様子を窺うと、びりびりと肌を刺すような緊張感の中ただひたすらに睨み合っている。姉さんは薙刀を構え、妖怪は優雅に口元を隠し、一見すると妖怪の方が余裕のあるように見える。
「兄様は気の強い女子を好む故、おぬしを土産にすれば喜ぶかものう……しかし、向こうにはちょうど、気が強く勇猛な女子が――」
しかし、女が口にした軽率な言葉が、この均衡状態を一変させた。
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