第33話
飛び散る飛沫を目にした僕の頭には、ひとつの物質が浮かんでいた。そして、それを操る存在がどれほど面倒であるかも同時に悟る。
「っ、水か! 厄介な……!」
僕の氷の壁に飛んできたのは、銃弾のように少しずつ発射された水だったのだ。
水を扱う人間が双子の弟にいるのなら、その対処法ぐらい持ち合わせているだろう――なんて考えは、どうか捨ててほしい。なにせ、僕はその水を相手取ることを大の苦手としているのだから。理由は至極簡単。敵に回した場合、僕の氷では水をどうにもできないからだ。たとえ閉じ込めようと、防ごうと、水という物質は隙間さえあれば抜け出てきてしまう。以前天狗を拘束した時のように、水を凍らせてしまえばいいなんて無茶も言ってはいけない。そんなのは、水の側が凍るつもりがなければ出来はしないのである。あれは僕と緋だから出来たことであって、僕と眼前の妖怪との間で成り立つ現象ではない。
かといって、水に対して攻撃ができるかと問われれば、それも難しいと答えざるをえない。水という物質は、厚い壁のように立ちはだかってしまえば、どんな鋭い物質の突撃さえも優しく受け止めてしまうものだ。ひとたび捕らわれてしまえば、水の奥、その先に待つ相手になんて切っ先すらも届かないだろう。形のない物質というものは、形状の柔軟さを含め形のある物質とは比較にならないほど厄介な代物なのだ。
そういう視点から見れば、形ある物質を操る僕や悠真より、緋や姉さん達の方が遥かに敵としてはやりづらい相手ということになる。勿論それが絶対と言うわけではないけれど、今この場に限れば、僕は攻守ともにほぼ役に立たない無力な存在であることには違いない。
「こんな水、恵梨なら蒸発させられたのに……っ」
「仕方ないよ。それより、攻撃方法を考えないと!」
僕より緋に来てもらった方が良かったかもしれない――なんて、あいつの身の安全を思えば死んでも考えたくはないが、正直ほんの一瞬でも脳裏を掠めてしまったことは否定できない。莉花姉さんの風による壁で水を防ぐことは出来ているものの、今の僕らでは攻撃方法がまるで思いつかないのだ。
やらないよりはましだと矢を射ってもみるものの、どうやら奴は攻撃が当たる直前、ほんの手前でそれを弾いているらしい。その正体が全く視認できないというのも、また焦燥感をかき立てる。
「ほほほ。手も足も出ぬとは、哀れよのう。この程度で、よくあの天狗をのしたものよ」
「奴を知ってるのか!?」
「ああ、知っておるとも。あれは、この辺りで大きい顔をしておってなぁ……良い男も勝手に殺す故、我らも嫌気が差しておったのよ。礼を言わせて貰うぞ」
僕らと相対しているというのに戦っている雰囲気すら感じさせず、ただ会話を楽しむようにそいつはまたのんびりと言葉を紡ぐ。意思疎通が出来るだけでも稀有だというのにぺらぺらと聞いてもいないことまで喋ってくれるため、妖怪達も一枚岩ではないという内部事情を知れたことは素直に良い情報だと喜べるのだが、打開に繋がるほどの情報でもない。
以前戦った大天狗がこの妖怪と同等かそれ以上の力を持っていたということは、現状戦力を分散している僕らが不利な状況にある可能性も否定できないからだ。
「ふうむ……おぬしもまだ幼いが、育てば良い男になりそうだのう……どれ、近こう寄れ。我らが可愛がってやろうぞ」
「……遠慮するよ」
なんとか隙を探そうとそのお喋りに付き合ってはみたものの、何故か僕の予想しない方向に突き進んでいる。これ以上成長の見込めない男を捕まえて「幼い」などとのたまうそいつの感性も理解できないが、妖怪の美意識なんて気にするだけ無駄かもしれない。
近寄れと言いながら自ら近寄ってきた妖怪の手が触れるより先に飛び退き、氷の矢を飛ばしてみたが、やはり刺さることはなかった。けれど、近寄れたことでひとつ重要な発見も出来たのだ。
「ほほほ! いきが良いのう」
「……姉さん、あいつ水で壁を作ってる」
近付かれた時、奴の周りに透明な薄い膜のようなものが見えた。あいつの力を考えるなら、水で膜のような壁を作っているとしか考えられなかった。月明かりに照らされないのは、あれが純粋な水ではなく、僕らの扱う神通力と同じく作り出された物質だからだろう。
「水……だから刃が通らないのね」
駆け寄ってきた姉さんにそれを伝え、僕は後方支援に徹するために少しだけ下がった。
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