第32話

 その日の夕、僕は莉花姉さんと二人で竪山神社へ向かっていた。

 親族達で妖気を探ったところ、本家に向かってくるものと神社から発せられるものでは神社の妖気の方が弱かったらしい。であれば、何かあれば困るのは本家の為、そちらには恵梨姉さん達三人が残ったというわけだ。


 今のところ敵の強さや規模は全く分からず、そんな状況で戦力を分けるのは得策ではない事ぐらいみんな理解はしていたが、いくら参拝客が滅多に来ないとはいえ錫久名の始祖を祀っている神社なのだ。そこを妖怪どもの好き勝手にされるのは我慢ならない、という莉花姉さんの強い意見もあり、こうして二人で赴いているということである。

 普段理性的な彼女ではあるが、恵梨姉さんと僕が突出した時や神社のことなど、姉さんなりに譲れないところはあるらしい。そしてその譲れないものに理解を示した僕が、彼女と行動を共にしているのだ。


「……向こうは大丈夫かしら」

「三人もいるんだし、大丈夫だよ。僕らの方が気を付けないと」

「ええ、そうね……」


 神社は錫鹿山すずかやまの麓から、少し山中に入る必要がある。戦う術を持たない他の親族達を危険に晒すわけにはいかないため、山には徒歩で入っていた。幸い、多少は遊歩道が形を保っているから辛くはないが、この先に待ち受けているもののことを考えると、足取りも重くならざるを得ない。僕は足手まといにならないだろうか、そう考えながら初陣以来、久々に嫌な汗が背を伝うのを感じていた。


 そうして歩くこと、十数分。月の光が木々の合間から照らすそこには、古臭くこじんまりとした本殿が見える。その本殿へ続く参道の合間。一の鳥居と二の鳥居の間に、がいた。

 それは朱色の着物を纏い、黒い長髪を垂らすひとりの女。黒絹の糸のような髪が時折風に吹かれ、白い肌と伏せられた目が見える。血のように赤い紅が唇を彩るその女は、一目見ても分かるほど美しい。

 しかし、は人ではない。香のように生臭い血の匂いを纏ったあの女が、人間であるわけがない。


「……姉さん、分かる?」

「化けているけれど……間違いない、妖怪だわ」


 僕が異常に気付く程なのだから、当然莉花姉さんも口にする前からその正体には気付いていたようだ。

 木陰に隠れているこちらの気配に気付いていないのか、わざと隙を見せているのか。悠々と本殿へ歩み寄っているその妖怪が完全に背を向けた瞬間、僕らは襲い掛かった。


「弾かれた!?」


 しかし、僕の矢も姉さんの刃もその女に届くことはなかった。そいつは何もしていなかったのに、どちらの攻撃も何かに弾かれたのだ。恐らく、直接触れることになった姉さんはより強くそれを感じ取ったのだろう。衝撃から身を守るように咄嗟に受け身を取り僕の傍まで飛び退いたのだ。

 一方、女の方は悠々と振り向くと僕らを一瞥して口を歪める。


「おやおや……おぬしらかえ? この地を統べる、錫久名とは?」

「な……!」

「しかし、野蛮な女子おなごよな……挨拶も無しに攻撃とは、如何様な教育を受けたのか」


 のんびりと、しかしこちらに纏わりつくような気味の悪い声でそんなことを口にしたそいつは、莉花姉さんを値踏みするように眺めていた。不満げな口ぶりではあるものの、その顔はどこまでも愉快そうに笑みを浮かべている。勿論、割かれたように頬まで開かれた薄気味悪い口元の歪みはそのままに。

 そして視線は、すぐ隣にいる僕にも向けられた。


「……のう。そこのおのこも、そう思うであろう?」


 しかし、その目は姉さんを見ている時とは違う。その目は、捕食者の目だ。しかも、ただ喰おうとしている獣の目ではなく、いたぶり屈辱の限りを与え命を弄んでからゆっくりと喰らうタイプの、化物の目である。今まで死線なんて何度もくぐってきたというのに、背筋が凍るほどの酷い恐怖を感じた。ただ殺されるだけならともかく、死ぬまで弄ばれるなんて死んでも御免だ。

 弓を持つ手にぐっと力を込めたその直後、奴は銃弾のように何かを放ってきた。咄嗟に氷の壁を作ったが、それは壁に弾かれると飛沫を上げて広がりながら再び襲ってきたため僕の氷では防ぎきれない。結局、莉花姉さんの風でそれの流れを変えることで、ようやく逃れることが出来たのだった。

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