第25話
「うーん……今回も、結構厄介な所にあったもんだね」
「これなら、お父さん達も見つけられないわけだわ……」
その日見つけた印は、廃ビルの屋上の塔屋で発見された。それも、郊外ではなく町中に位置する廃ビルの、だ。誰も予想すらしていないそれを発見したのは、恵梨姉さん達だった。話によると、路地裏を闊歩していた狸の妖怪を追っているうちに、印のある廃ビルに辿り着いたのだという。
自分に結界を張りつつ建物の屋根伝いに来い――という指示を緋から伝えられた時は意味が分からなかったが、こんな場所に居たのであれば仕方がない。この廃ビルは数年前に無人になって以降、テナントが入らないまま放置されている場所ではあるが、周囲には他のビルも建ち並んでおり、店や家屋も多いのだ。これほど人の目の多い場所で戦った経験はなく、正直矢を射ることを躊躇ってしまいそうになったものの、緋の爆音よりはましだろうと開き直り普段通り戦っている間に、すっかり日が落ちていた。それでも人通りが多い場所なものだから、僕らは未だに結界を張ったままだ。
「こんな場所に作られてしまうなら、今後は巡回を控えてもらおうかしら」
「でも、まるっきりなくしちゃうのは危ない気がするよ。あたしたちは、そろそろ自由に動ける時間が……ね」
「……まあ、たしかにね」
既に妖怪達は片付けたとはいえ、人里に堂々と印を作られていた事実を目の当たりにした姉さん達の表情は固い。今は七月。二人は受験生だからこの先はあまり自由に動けなくなってくるにもかかわらず、妖怪達はこんな変化球を投げてきたのだ。妖怪側が今更狡猾になってきたこと、姉さん達が動けない間のこと、見回りのこと、色々と考えることは多いだろう。勿論、僕らだって他人事ではない。こんなことになるなら、去年の間に無理にでも参戦するべきだったかと嘆息し、僕はビルの周囲を見渡す。
月と強い光を放つ星だけが空に浮かぶ中、あちこちの建物の窓から
「すっきりしねーな」
「仕方ないよ。こんな所に印があったんじゃ、先が思いやられるもん」
「警戒されているな。あの大天狗、賢くはなさそうだったけど、この辺りではかなりの力を持っていたってことかも」
「無駄にでっかかったもんなー……頭いいヤツが上に立ったんじゃ面倒だぜ」
姉達の会話に割って入るわけにもいかず、残った三人で残っている妖怪がいないか確認をしながら二ヶ月前のことを思い返す。あの時僕らが相対した大きな天狗を倒して以降、少しの間だけは妖怪の仕業と思わしき事件は起こらなかった。妖怪達全てがお行儀良く強大な力を持つ者に従っているとは思えないが、ある程度の数は配下の立場に甘んじている可能性がある。
人間世界や野生動物の世界も同じようなことが言えるが、統率された集団のトップが急にいなくなってしまった場合、長かれ短かれその集団は混乱に陥るものだろう。それがワンマンなら、なおさら混乱は大きく長く続くことになる。もしかすると、妖怪達の活動が認識されなかったその期間の間に、混乱や新しいトップの出現、力による統率ぐらいの出来事はあったのかもしれない。
まあ、それも僕の知りうる世界の常識に基づく想像だから、絶対と言えるほどの自信はないのだが。
「大嶺丸の采配ってことはないかな?」
「今はなんとも言えないね。力任せに色々していたって話は聞いたけど、そんなに悪知恵が働くなんてどこにも……」
伝承として聞かされた大嶺丸の所業を纏めてみても、頭の良さそうな挙動は見当たらない。とりあえず力を誇示して周辺地域を恐怖に陥れ、気まぐれに天変地異を起こして、気に入らないことがあると妖怪をけしかける。その結果苦しむ人間や、弱小の妖怪達を見ても愉悦しか感じていなかったというのだ。これのどこから、奴の賢さを見出せというのか。やっていることは、悪辣な子供の癇癪のようなものじゃないか――それは、伝承を聞かされた当時小学生だった僕の感想だ。
人間の子供にすら子供のようだと思われる大嶺丸の所業には、知性の欠片も感じられない。きっと錫久名に呪いを掛けたのも、母さん達が気に入らなかっただけなんだろう。そう思うと、理不尽さに激しい怒りすら湧くほどだ。
「でもそいつってさ、人間のフリしてナントカってねーちゃんに言い寄ってたんだよな? 千年も経ってんなら、もうちょっと知能上がったりしてんじゃねーの?」
が、悠真の言う通りひとつだけ考慮に含めるべきものを忘れていた。僕らの始祖の
妖怪が人間に恋をするという話ひとつをとっても名状し難い感情に苛まれるというのに、何度も様々な人間に化けて言い寄っていたというのだから、もう僕には何と言っていいのか分からない。当時、言い寄られていた錫鹿御前本人はどんな感情を抱いて跳ね返していたのだろうか。気丈な女性だったということは伝わっているが、あの大妖怪を相手にしてよく無事であったものだと不思議に思うばかりだ。それだけ大嶺丸が錫鹿御前を大事に想っていたということなのかもしれないとはいえ、今の僕らには関係のない話だろう。
気にするべきは、その経験から大嶺丸が知性を持つに至ったかどうかだ。
「そうだよねえ……やっぱり、視野に入れてた方が良いかも。碧はどう思う?」
「……うん、ちょっと敵を侮っていたかもしれないね」
考えれば考えるほど、なくはない話だ。言い寄られた経験はあれど、言い寄った経験のない僕には想像するしかないが、あの手この手でアプローチを仕掛けていたのなら多少なり人間の女性の好むもの、好む容姿などの研究ぐらいはするだろう。それを応用するほどの知性を得たのなら、決して有り得ない話ではないのだ。
僕が素直に首を縦に振れば、言い出した悠真も同意した緋も満足げに微笑み、対策を考えては頭を抱えていた。
そういえば、以前なら印を消した後に必ずあった視線や呼ぶ声のような不思議な感覚は、衝動に任せて矢を射って以降感じていない。あれはなんだったのだろうか、誰かが僕に対して何かを訴えたかったのだろうか。威嚇されたことで恐れて離れていったのだろうか。
その正体も意図も分かりはしなかったが、何故だか今のこの状況と関係しているような気がしてならなかった。
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