第16話
僕が地面に足を着けたのは、印が消えた後のことだった。
空中を飛び回る敵を見上げながら狙うよりも、ある程度近い高さから狙った方が、個人的には楽だったからだ。そもそも、射程や標的の関係上、じっと構えていることの方が少ない僕の戦闘スタイルを鑑みると、地上で大人しく構えていた前回のやり方のほうが異例なのである。
「碧、治療を!」
着地すると同時に駆け寄ってきたのは、まだまだ元気そうな緋だった。どうやら、今回はちゃんと力加減ができていたらしい。上空で戦っていた僕と比べ疲労の度合いも傷も少ないその姿を視界に入れて、心底安堵した。
が、他のみんなを差し置いて僕に治療を始めようとするのは、流石にいただけない。
「馬鹿、僕より姉さん達が先だろ」
「で、でも……」
「ふたりの顔に傷跡なんて残したら、伯父さんが倒れるぞ……?」
なにも、この場で怪我をしているのは僕らだけではない。天狗や
ここまで傷が出来るほどの戦闘になるのは珍しい事ではあるが、重傷者がいない以上は優先すべきは女子の傷。特に恵梨姉さんの顔に傷など残っては、錫久名本家の当主としていずれ表に出る必要がある彼女の為にもならない(本人は気にしないだろうが)。それに加え、莉花姉さんの父親は僕らが傷付く度に酷く心配するのだ。そんな人の娘の顔に傷が残ろうものなら、卒倒するのは目に見えている。
そんな事情を耳打ちすれば、弟は渋々ながらも納得してくれたようだ。本当に、心底不満げに唇を尖らせていたものの、僕の治療なら家に帰ってからでも間に合うのだから、そう焦る必要もない――と説き、僕より傷の多い悠真の治療も優先するよう念を押して。
「しっかし、よくあれだけで何をしようか分かったよね。あたし直前まで分かってなかったから、ちょっとドキドキしちゃったよ」
その後、最後から二番目という地味な抵抗を受けて治療される僕の隣に腰を下ろした恵梨姉さんに軽く背を叩かれながらそんな言葉を投げかけられ、思わず弟と目を見合わせた。
何も言わずに分かり合っていた僕ら兄弟よりも、分からずにあそこまでタイミングを合わせて出て来れたこの人の方が余程凄い気がするが、今は黙っておくことにしよう。物言いたげな弟も結局何も言わないことにしたらしく、黙って頷く僕に同意するかのように軽く首を縦に振った。
「やっぱり、言わなくても分かるものなの?」
「緋の言いたいことなら、なんとなく」
「俺も、碧なら分かってくれるかなって」
別に戦術や戦略なんてものに精通しているわけではないから作戦自体は突飛なものではなかったとはいえ、咄嗟に少ない言葉で通じ合えていたことは皆にとっては大きな衝撃だったらしい。僕ら兄弟にとっては日常茶飯事なため特別意識してした事でもなく、今までに似たようなことがあったかすらも思い出せないほどではあるが、戦いの場では初めてそれらしい意思疎通をして見せたのだから、驚かれるのも無理はないのかもしれない。
それでも、あまり大袈裟にされるのは複雑なのだけど。
「そういうのって、本当にあるんだね。あたしと莉花だって、まだまだ言葉が必要なのに……」
「まあ、いいじゃない。少ない言葉で伝え合えるのが、ふたりの強みということでしょ?」
心底羨ましいと言いたげな姉達のその言葉には羨望よりも嫉妬のようなものを感じるが、それが意思疎通が出来る間柄に対するものか、僕ら個人に向けてなのかは測りかねた。後者ならばややこしい事態になるため、できれば前者であってほしいと強く願う。
「便利だよなぁ、オレもそういうの出来たら楽なのに」
「僕としては、悠真の天才肌の方が羨ましいよ」
「俺もだなあ。悠真くんって、飲み込みが早いんでしょ? そういうのってカッコいいよね」
一方、最年少のあっけらかんとした言葉には微塵も危うさを感じられず、妙に安心してしまった。空気を読んでいるのか、天然ものなのか。欲しいタイミングで最適の切り替えをしてくれるそいつの真意は分からないものの、その存在をありがたく思ったことは一度や二度では済まない。明らかに変わった空気に逆らう必要もないからか、大仕事を終えた面々は達成感による心地よい疲労感も相まって、次第に穏やかな雰囲気に包まれていくのだった。
そう。少なくとも、多発していた住民の失踪事件の元凶らしき存在は退治できたのだ。今のところ被害者の姿は付近に見当たらないが、既に親族には連絡しているため捜索は始まっているだろう。それに全員の治療が終わり次第僕らも合流する予定だから、無事でさえいてくれれば発見できるはずだ。
しかし、そんな穏やかな空気に水を差すかのように、鋭い気配が刺さる。これには身に覚えがあった。以前にもあった、視線とも呼び声とも感じられるような不可思議な、そして不快な気配だ。
じっとこちらを見ているような――いや、違う。これは僕だけを見ているのだろうか。僕だけを呼んでいるのだろうか。やはりどちらとも取れないその感覚が酷く不愉快で、思わず気配のする方向へ矢を放っていた。正体も分からない存在に一方的に見られたり、呼ばれている状況は気持ち悪くて仕方がない。
「あ、碧……?」
矢は、その何かを捉えることもなく空しく木の幹に刺さり、消える。突然そんなことをした僕を皆は呆気に取られた様子で凝視してきたが、次の瞬間には敵の襲撃を危惧して一斉に得物を構えていた。
「どうしたの、まだ生き残りがいた?」
「…………分からない。さっきまで戦ってた連中とは、違うかも」
「見えた?」
「俺は全然……」
僕の言動を疑っているようではなさそうだが、僕以外にはこの感覚は分からないようだ。血を分けた弟ですら、よく分からないがとにかく警戒している、という有様である。それでも、杞憂で済むと分かるまでは、誰もが警戒を解く様子はなかった。妖怪なんてものを相手にして、神の力を使っているのだから、何があってもおかしくないと考えるのは当然と言えば当然だ。
それを頼もしいと思うと同時に、せっかく一区切りついたというのに、妙な空気にしてしまったと後悔し始めたのも確かだが。
「僕も姿が見えたわけじゃないんだ。視線を感じたというか、呼ばれたような感覚があったというか……」
「なに、それ……碧のこと、見てたの?」
「……分からない。もういないみたいだし、これ以上気にしない方がいいかもしれない」
気配が消えたのは一瞬だった。矢を放った瞬間には既に消えていたのだから、気配に気付いていたこと自体を最初から勘付かれていた可能性もある。それとも、全て僕の勘違いだろうか。
確証の得られないそれに対し、様々な憶測を立ててはそれら全てが確信に至らず消えていく。流石に、自分の感覚に自信がなくなってきたのだ。
「うーん……そうだね。あたしも何も感じないし、印も消せてるし。とりあえず、戻ろっか」
「ごめん、水差しちゃって」
「そんな事気にしないで。危険を未然に防げるなら、その場の空気なんて気にしなくていいんだから、ね?」
「ええ、杞憂で済むならそれで良いのよ。気付いてくれてありがとう」
だが、皆は僕に優しかった。普段突飛なことをしていないため疑われないのは分かるが、労われるのは予想外だ。こんな事で怒るような人間ではないことは分かってはいても、である。
周囲を警戒しながらその場を離れた僕らの背では、この地を囲むように佇む山が風で木々を揺らしていた。
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