第9話 転
世界が停止した。目の前から色が消え去る。
人というものは突然の出来事に思考が停止するというが、実際頭の中が真っ白になるらしい。
先生が何かを言っているが全く耳に入ってこない。
クラスメイトのざわめく声も何も聞こえない。
うるさく心臓だけがドクドクと耳に響く。
俺の頭が先生の言葉の意味を理解するのを拒絶する。
停止した思考の中、舞の死という言葉だけがぐるぐると頭の中を周り続ける。
緊張と吐き気で揺れる視界の中、俺はただ呆然と席に座り込んでいた。
舞が死んだ?は?嘘だろ?
つい先日まであんなに元気にしていた彼女が死んだなんて信じられるはずがない。
確かに彼女は手術を受けると言っていたが、それはまだなはずだ。
それなのに……それなのに、彼女が死ぬはずがない。
気付けば俺は自宅に戻って来ていた。学校はちゃんと出席していたはずだが、全く記憶がない。
俺はベッドに潜り込み、ただひたすらに舞の死について考える。
舞は俺とデートした日の夜に亡くなったらしい。先生がそう言っていた。
彼女が帰ってから一体何があったのか。
あんなに明るく笑っていたのにどうして……。
気になればなるほどに寝付けなくなっていく。
受け入れがたい現実など見ないふりして寝たいというのに。
今は全てを忘れたくて早く寝てしまいたいというのに。
2日後、俺は彼女の葬式に出ていた。クラスメイト全員の出席だ。
そんな彼女の葬式に出てお経を聞いている今でさえ、舞の死が非現実感のままふわふわと漂っていた。
今でさえ、彼女は生きているのではないか?そんなことを思ってしまう。
彼女の死がどうしても受け入れられない。
それにしても最愛の人が死んだというのに未だに涙が出てこない。俺はそんなに人情の欠けた人間だったのだろうか。
ああ、彼女はどこにいるんだ。
まだ君には何も伝えていない。感謝も告白の返事も。
早く出て来てくれよ。ほんとは隠れているだけなんだろ?
線香をあげに前に出る。
棺の中には、まるでおとぎ話の白雪姫のように眠る綺麗な舞の姿があった。
ほら、起きてくれよ。あの日の続きを話そうぜ。
俺はまだ伝えてないことが沢山あるんだよ。だから、だから……。
俺の想いは届くことなく、彼女はピクリともしない。ずっと寝たままだ。
線香をあげ終わり、クラス全員帰宅する。
「あ、君」
帰ろうとする俺に背中から声をかけられた。
「……はい」
なんだというんだ。早く帰りたかったのに。逃げ出したい。彼女の死が間近にあるこの場所は辛くて痛い。
「えっと、音方楽君だよね?」
振り向いた先には、舞とよく似た、でも大人の綺麗さを醸し出した女性が立っていた。
一眼でわかる。この女性は舞の母親だ。
「……はい、そうですが、何か?」
一体なんの用事だろうか?親に話しかけられるようなこと、何かしただろうか?
もしかしたら、病気の彼女を連れ回したことを責めに来たのかもしれない。
それなら、潔く受け入れよう。本来の彼女なら死なないはずなのだ。1度めの人生の時に彼女は死んでいなかった。
それなのに2度目で彼女は死んでしまった。まだ実感が湧かないがそうなのだろう。
明らかに俺が原因だ。俺が彼女を殺したと言ってもいい。それなら責められても受け入れるしかない。
覚悟を決めて俺は舞の母親と向かい合う。
「えっと、舞と一緒にいてくれてありがとうね。あの子、君と仲良くなってからいつも君の話ばかりしていたよ。それまではどこか達観しててつまらなさそうにしていたのに、君と会ってからは凄く明るくなって楽しく君の話をするんだ。本当にありがとう。少しの間でもあの子に元気を与えてくれて。」
そう言って舞の母親はぺこりと頭を下げた。
「いや、それは……」
俺はそんな感謝をされるような人ではない。その意識が勝手に否定をしようとしてしまう。
だがそれよりも早く、目の前の女性は言葉を発し俺の言葉を遮った。
「それでこれを渡してくれって。あの子に手術室に入る直前に頼まれたの。中身は見てないわ。けど、どう見てもあなた宛みたいだから」
そう言って、封筒を渡される。その表紙には、
『楽へ』
と記されていた。
ざわざわと心が揺れる。
「じゃあ、これで失礼するわね。本当にありがとう。あなたには感謝してもしきれないわね。あの子が楽しもうとするきっかけをくれてありがとう。本当にありがとう」
「あ……」
俺が何も発することができないまま彼女は去っていった。
彼女が去った途端に、手に持つ手紙が重くなる。
彼女が残したもの。伝えたかったもの。その全てがこの手紙に記されている、という事実の重みが俺の手にのしかかる。
手紙を持ったまま急いで家へと帰った。
家に着き、走って乱れた息を整える。それでも緊張でうるさい心臓は止みそうにない。
「すー、はー」
深呼吸を繰り返し、心をなんとか落ち着かせながら封筒の端に指をかける。
「……ははっ、指が震えてやがる」
ポツンと誰に聞かせるわけでもなく呟く。
その呟きはすぐに空気へと溶け込んでいく。
彼女が残したメッセージ、その意味の重さに逃げ出したくなる。
「でも、これを読まないと。彼女が俺に残してくれたものだから」
意を決して俺は封を開く。
『楽へ
こうして改めて手紙を書くとなるととても恥ずかしいですね。
それでもあなたに私の気持ちを知って欲しくてこの手紙を書きました。
あなたにとってはいい迷惑かもしれません。
この手紙を読む頃には私はこの世にいないかもしれません。
そんな私からの手紙なんて重くてあなたの負担になってしまうかもしれません。
あなたにとって迷惑になることは分かっています。
それでも、あなたの負担にはなりたくない、そう思いながらも私はあなたに伝えたいんです。
手紙を書いてしまった独りよがりな私を許してください。
楽と出会うまで私はとてもつまらない日々を送っていました。
何をしてもつまらなくて面白くなくて熱中出来るものがなくて、ただ淡々と日々を過ごしていました。
限られた余生の中でやりたいことは見つからず、どんどん時間は過ぎていき、ああ、このまま私死ぬのかな、なんて思った時に出会ったのが楽、あなたです。
初めてあなたの歌を聞いた時、心が震えました。感情が強く揺さぶられました。気付いたら泣いていました。
あなたの歌はとても心地良くて力強くて、私の心の奥底まで染み入ってきました。
そんな歌の力を感じたのははじめての経験で、ドキドキしたことは今でも覚えています。
きっとこの時から私はあなたのことが気になり始めていたんだと思います。
あなたの歌の衝撃が強すぎて、私は感情的になりふり構わずあなたに歌うことを強いたのは、今では少し後悔しています。
もちろん、私はあなたの歌が聞きたくて、そのためにはなんだってすると思ったからこそ、脅してまで楽に歌ってもらったのですが、大好きなあなたに無理をさせているのではないか、そんな思いが最近はあります。
きっとあなたにこのことを話したら、そんなことはないって否定してくるでしょう。
あなたは優しい人だから、こんなわがままな私のことを許して笑って受け入れてくれる気がします。
そんなあなたの優しさはとても嬉しいです。ドキドキします。
でも、そんなに優しくされる価値が私にあるのか、そう思ってしまうんです。
あなたほどの才能を持つ人を私だけが独り占めして、あなたの将来を潰してしまっているのではないか、そんな不安がたまによぎります。
楽、私はあなたの歌っている姿がとても好きです。大好きです。
あなたの歌う姿はキラキラしていて眩しくて、そらしたくなるくらいいつも輝いています。
あんな姿を何度も見せられたら、それはもちろん好きになるに決まっています。
歌い終えて私の方を見て微笑んでくる姿には何回もドキドキさせられました。
あなたの歌が好きで何回もおねだりをしましたが、実はあなたの歌う姿が見たかったからって理由もあったんですよ?知ってましたか?
実は楽に渡したあの曲は私が作った曲です。
楽の歌っている姿を見て、私も歌を作ってみたくなって作ってみました。
最初、楽に渡すときは心の中では不安でした。
馬鹿にされるんじゃないか、笑われるんじゃないか、そんな嫌な予感が頭の中にありました。
もちろん、あなたはそんなこと言うはずもなく、素直に受け取ってくれて歌ってくれました。
たったそれだけでも私は凄くホッとしていました。
あなたが歌い出して、私の曲に恋の歌詞をつけ始めた時、私の気持ちがバレたんじゃないかって色んな意味でドキドキして焦っていました。
結局はバレていなかったのですが、私の気持ちが暴かれたようで嬉しくて少し恥ずかしかったです。
あなたには沢山お世話になりました。
私が手術に不安を感じている時にそっとそばに寄り添ってくれた時はどれほど救われたことでしょう。
頼ることを知らず強がる私に手を差し伸べてくれて、その手がどれほど嬉しかったか。どれほど安心したことか。
あなたにハグされたときは、心の底から安心できました。
あなたの手が私の背中に回って力強く抱きしめてくれたおかげで、ああ、私は頼っていいんだ、そう思うことが出来ました。
デートでも沢山優しくしてくれて私のわがままを聞いてくれてありがとうございます。
好きな人とのデートなんて初めての経験で、前日はどんな服がいいか凄く迷いました。
あなたの好みの服装なんて全然知らなくて、なかなか決められませんでした。
いざデート当日になっても、集合場所に向かう途中からもうドキドキしすぎて、頭の中は何も考えられない状態でした。
最初に手を繋ぐようお願いすると、少し恥ずかしそうにしながらもちゃんと手を繋いでくれる優しさが大好きです。
お昼で間接キスしたり食べさせあったりした時、内心ではドキドキでした。
あなたは全然そうは見えないって言っていましたが、慣れてないことするんですから緊張しましたし、好きな人となんて意識しすぎて心臓がうるさかったです。
転んだ時、あなたは急いで治療道具を買ってきてくれて、その慌てた姿に不覚にもキュンとしました。
ここまで私のことを思ってくれているんだ、それが直に伝わってきて嬉しくて泣きそうになりました。
私に歌を聞かせてくれた時、凄くぎゅーって胸が苦しくなりました。
苦しいけど嫌じゃなくて、甘く切なくてもう何度もあなたのせいで味わってきた痛み。それが強く私の胸に押し寄せてきました。
あなたが私に感謝をしてくれている、その想いがち伝わってきてホッとしました。
本当にあなたはすごい人です。
私が困った時には必ず救いを差し伸べてくれて、助けてくれて、まるでスーパーマンみたいな人です。
あなたは私に感謝していると言っていましたが、それはこっちのセリフです。
私はあなたのことが好きである以上に感謝しています。
あなたと出会っていなければ今ごろつまらない人生を送ったまま死んでいたでしょう。
何も得られず経験できず、無意味に日常を消化して灰色な淡白な時間だけが過ぎていたでしょう。
それを変えてくれたのはあなたです。
あなたに会えて本当によかったです。
あなたがいてくれたおかげでどれほど私が救われたことでしょう。
言葉では言い尽くせないほどあなたには救われました。
生き甲斐のなかった人生に一つの光を与えてくれました。
長らく忘れていた生きる楽しさを思い出させてくれました。
不安に折れそうになる心を癒し、立ち直らせてくれました。
そばに寄り添って助けてくれました。
染み入る優しい歌で私を励ましてくれました。
生きる気力を失っていた私に、前を向く強さを見せてくれました。
感謝してもしきれません。ありがとう。本当にありがとう。
本当は死ぬかもしれない人の告白なんて嫌だろうと思い、告白なんてするつもりはなかったのですが、言ってしまったので全部言いたいと思います。
楽、あなたは優しすぎです。ずるいです。
そんなに格好いいのに優しくされたら好きになるに決まっています。惚れない方がおかしいです。
あなたのくしゃっと笑う笑顔が好きです。
あなたの呆れながらももう一度歌ってくれる姿が好きです。
あなたの恥ずかしがりながらも、私のわがままを聞いてくれるところが好きです。
困った時、不安な時にそばにいて力になって助けてくれるあなたのことが大好きです。
好きです。好きです。大好きです。本当に好きです。
言葉でなんて薄っぺらくてあまり使いたくないけれど、今伝える手段はこれしかないので何度でも言います。
好きです。好きです。本当に好きです。大好きです。本当に大好きです。
出会った時からずっと好きでした。これからもずっと好きです。
大好き大好き大好き大好き。ありがとう。大好き。今までありがとう。愛してます。死んでも愛してます。
あなたが笑うたびに私も嬉しくなりました。あなたが悲しむと私も泣きそうになりました。
いつでもあなたのことを見守っています。どこにいても見守っています。歌うあなたを、あなただけを応援しています。
いつまでも愛しています。大好きです。愛しています。
舞より』
「……はは、なんだ俺たち互いに同じこと思っていたんだな……」
乾いた笑いと共に、誰に言うでもなく俺はポツンと小さくつぶやいた。
その声は虚空へとすぐに消え去る。
互いに好き同士で、想い合う者同士で、そんな奇跡みたいな関係だと知れたのに、その相手はもういない……。
どんな皮肉だよ。おかしいだろ。まだ何も伝えていないのに……。彼女の想いを一方的に知って俺の想いは何も知らせていない。
伝えなきゃ。伝えたいのに。届けたいのに。
今まで隠してきた想い全部見せたいのに……舞はもう……いないんだ。
俺が大好きな舞は……もういないんだ。
あの優しく透き通るような声も、恥ずかしがって小さくなった声も、驚いた時の変な声も……何もかももう聞くことは出来ないんだ……。
真っ赤になった顔も、からかうような微笑みも、柔らかい笑いも、不満そうに頬を膨らました顔も全部……全部、全部!!もう見ることは出来ない。
もう褒めてくれることも認めてくれることもデートすることもないんだ……。
もう俺の隣に君は……。
「……あ、あ、あああ。う、ぁ」
舞の死を現実に感じ、抑えきれなくなった想いが一気に込み上げてきた。
「う゛……っう、あ゛、ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
彼女の想い、優しさ、思いやり、そして好意を知れば知るほど、言い切れないほどの想いが溢れ続ける。
「あああああああああっ! ああ、ああああああああああああああ!!」
叫んだって何も変わらない。ただやるせない想いだけが心に残る。
「愛してるんだっ! 俺も、お前のことを愛してたんだ! 大好きだったんだ! ひたすらお前が大好きだったんだ!」
今言ったところで仕方ない。もう伝える相手はいないのだから。
後悔は想像を絶する淀みを、辛さを心に宿す。
「なぁ……どこだよ、どこにいるんだよぉっ!」
いないと分かっていながらも探してしまう。伝えたくて、届けたくて。
でもどう足掻いても、これまで恥ずかしくて勇気を持つことが出来ずに溜め込んできた思いは、もう届くことはない。
「見守ってくれるんだろっ!? どこだよどこにいるんだよ姿を見せてくれっ! 声を聞かせてくれ! 手を握らせてくれ!」
叫んだところで変わることはない。俺の声は誰にも届くことなく虚しく消えていく。
それがまた悲しくて悔しくて寂しくて仕方ない。
「あああああ……俺も、大好きだ……グズッ、愛してる……グズッ、ズズッ、愛してる……ずっとずっと……時間を跳び越えてでも……不可能を可能にしてでも、もう一度……会いたいっ……」
これまで溜まっていた分が一気に流れ出すように涙が留めなく溢れ出てくる。
どこかに神様がいて、人生一度だけの願いを叶えてくれると言うのなら今使う。
俺の運全部使っていいから……、これから先不運しかなくなってもいいから……、だから、だから……。
どんなに強く願っても叶うことなく俺の想いは虚しく消えていった。
舞が死んだ。愛する人を失った。それは取り返しようのない事実。
なんで伝えなかったんだ。どうして届けなかったんだ。どうしてあの時すぐに追いかけて自分の想いを伝えなかったんだ!
死はいついかなる時誰にでも平等に訪れるものだなんて知っていたのに。今日そばにいても明日そばにいる保証はどこにもないのに。
一緒にいられる、その奇跡を忘れてはいけないというのに。
戻りたい。今すぐ戻ってお前に会いに行って好きだって伝えたい。
お前は俺のことを大好きだって言ってくれたが、それ以上に俺がお前のことを愛していることを伝えたいよ。
いなくなったら何も出来ないじゃないか。何もしてあげられないじゃないか。
お前は俺に感謝してくれていたが、それ以上に俺はお前に感謝しているんだ。
まだ全然返せてない。この残った恩をどうすればいいんだよ。どこに向ければいいんだよ……。
「…………」
彼女は何かこの世に残したかったと言っていた。彼女自身に返せなくなった今、彼女の望みを叶えることが俺に出来る唯一の恩返しだ。
…………曲。曲だ。舞が俺にくれたもの。彼女が残した唯一のもの。俺に託されたもの。
あの不思議な曲だ。あの曲を伝えなければ。出来るだけ沢山の人に知ってもらわなければ。
舞には作曲の才能があった。彼女のあの曲は聞けば誰をも虜にできるだけの魅力がある。惹きつける力がある。
その曲をどう伝える?どうやって多くの人に聞いてもらう?どうやってあの曲を有名にすることができる?
ああ、そんな方法なんて一つしかないじゃないか。
俺が歌手になって伝えてやる。彼女が認めてくれたこの歌で広めてやる。
2度目の人生、なんで始まったのか不思議に思っていた。何か意味があるのではないか、そう思っていた。これが俺の2度目の人生の意義なのだろう。
どうせ本来ならないはずの2度目の人生だ。この人生、彼女の曲に捧げてやる。これが彼女にしてあげられる唯一のことだから。
こうして俺は2度目の人生でも歌手を目指すことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます