暁伝 前哨戦20

 アカツキの一刀をアルテシオルは残った左手の爪で受け止めた。

 細い身体だというのにどこにこれほどの力があるのだろうか。

 苦戦しながらも剣を交える。聖なる軌跡が空を切るや、アルテシオルは爪を振るった。

 アカツキは慌てて転がって避けた。だが、立ち上がった先に相手はいた。襲って来る爪を体勢が整わないまま受け止めてアカツキは吹っ飛んだ。

 地面を滑り木にぶつかる。背中に痛みが走ったが、アルテシオルの猛襲の方が早かった。

 憎しみに歪んだ両眼を向け、アルテシオルは狂ったような大声を上げてアカツキを打った。

 アカツキは剣でどうにか受け止めたが、立ち上がれずにいる。

「アカツキ!」

 ライラ将軍の声がした。

「俺の心配は無用です!」

 アカツキはそう言い返すとアルテシオルに足払いを掛けた。

 つんのめったその身体がアカツキの胸元に飛び込む。

 アカツキは相手の冷たい肌の感触を手で感じていた。

 アルテシオルはその胸の中で荒い呼吸を繰り返していた。

 アカツキは途端にこのヴァンパイアの女が不憫に思えた。夫ヴァンパイアロードはバルバトスに討たれ、彼女を囲んでいた仲間達も恐らく既に葬り去られている。

 彼女は孤独でこんなに細くてやつれている。

 かわいそうだ。

 アルテシオルがアカツキから離れた。

「もう止めないか?」

 アカツキは相手に訴えた。

「お前は既に何もかも失っている。これ以上、傷つくな。お前を逃がしてやることはできない。だが王国の軍門に下るのなら必ずお前を大切に扱うようにバルバトス太守に掛け合う」

「夫の仇、憎きバルバトス・ノヴァーの名を出すな。それに人間、貴様のその心は敵への侮辱に他ならない。闇は光を討滅すべし!」

 アルテシオルが一瞬の隙にアカツキの眼前に現れた。

「お前の血は要らん! だが、お前を八つ裂きにしてくれる!」

 爪と剣がぶつかり合う。

 幾度も幾度も風を切る鋭い音色と、得物がぶつかる鉄のような音だけが木霊していた。

 くっ、説得など無駄だったか。俺らしくも無い。だが……。

 痩せこけていたがアルテシオルは綺麗だった。こうも追い込まれても屈することなく今まで生きてきた。とても綺麗だ。

 俺に彼女は殺せない。

 だが、殺さなくてはいけない。光は闇を討滅すべし、闇は光を討滅すべし。神々の言葉だ。やはり和解はできない。

「アカツキ!」

 ライラ将軍の声で我に返る。

 アカツキは己に言い聞かせるように声に出した。

「アルテシオル、俺はお前を殺す」

 アルテシオルは何も言わずに真っ赤な眼を光らせた。

 途端に体中から力が抜けてゆくが、アカツキは剣を取り落とす前に振り切った。

「うおおおっ!」

 アカツキは駆けた。

 アルテシオルが動揺の表情を浮かべ、慌てて憎しみへと変貌させる。

 彼女は疲れ切っている。神々の言葉を守るために、仲間を束ねるために孤独に耐え忍んできたのだろう。だが、俺は!

 アカツキの気合の一撃はアルテシオルの爪と衝突した。

「私が好きか、可愛らしい少年?」

 アルテシオルが得物をぶつけあいながら尋ねて来た。

「分からない! だが、お前のことを憐れんでいることだけは確かだ!」

 少年、名は?

「アカツキ」

 アカツキよ、私をお前だけの物にしてくれても良い。ただし、後ろの女、あいつを殺せ。

 頭の中にアルテシオルの甘美な声が流れてくる。

 ライラ将軍の姿が目に入る。憎き光の……。

「その手は食わないっ!」

 アカツキは正気に戻り大振りで剣を薙いだ。

 アルテシオルの五本の爪が全て折れ飛び、濃い灰色の煙が上がる。

「くっ」

「アルテシオル、ここまでだ!」

 アカツキが剣を向けると、アルテシオルは両眼を見開きまるで蛇のような唸り声を上げた。

 だが、斬れない。

 振り上げた剣が下ろせない。マヒの視線にかかっているわけでもない。目の前にいるのはもはや力を持たぬ女だ。

「どうしたアカツキ、とどめを!」

 ライラ将軍の声が聴こえた。

 だが、振り下ろすより先にアルテシオルが動く方が早かった。影を残し後退し跳躍すると木の枝に乗った。

 そこに鋭い風の音が三つ轟き、三本の矢がアルテシオルの身体を射抜いた。

「ぐわっ」

 アルテシオルが地面に落ちる。

「トネリコの矢でも灰に出来ぬほど闇が濃くなっています。夜が近いのです。さぁ、止めを!」

 エルフが燃える家屋の屋根の上で言った。

 アカツキは一瞬だがエルフが憎く思えた。今の矢さえなければアルテシオルは闇の世界で過酷で孤独かもしれないが生をやり直せただろう。しかし、それも適わぬ夢だ。

「アカツキ。とどめを刺してやれ。お前に出来ることはそれだけだ」

 ライラ将軍の声が届いた。

 アカツキは呻くアルテシオルに歩み寄る。

 右手は灰になり、左手の爪はボロボロだ。更には三本の矢に身体を射抜かれている。真っ赤な眼光からは涙が溢れていた。

 アカツキは切っ先を敵に向けて留まった。

「痛い。早く、楽にしてくれ。変わり者の優しい優しい光の坊や」

「許してくれ!」

 最後に笑みを浮かべたアルテシオルの左胸にアカツキは剣を振り下ろした。

 アルテシオルは無言で目を見開き、そして一瞬にして灰となった。

 アカツキの戦いは終わった。

「これで良かったのです」

 エルフが近付いてきて言った。

「どうであろうと、もう取り返しがつかないことだ」

 アカツキはアルテシオルの灰とボロボロの外套を見下ろして、落涙していた。

「おお? 俺達は一体!?」

 アーロンの声が聴こえ、アカツキは涙を振り払ってそちらを見た。

 ファルクス、ハンク、アーロン、サンダース、全員がアルテシオルの呪縛から解かれた。

「ヴァンパイアはどうした?」

 ファルクスが尋ねる。

「ここだ。俺が止めを刺した」

 エルフの助力があればこそだが、そうは言わなかった。エルフの行為を悪いものにして言いそうだったからだ。エルフも微笑むだけで何も言わなかった。

 すると、燃える家屋がドスンと音を立てて倒壊した。

「これでヴァンパイアは居なくなったわけですね? 全滅ですよね?」

 サンダースが尋ねるとライラが応じた。

「いや、これだけ時間がかかっても他の隊が合流して来ない。まだ各地で生き残りのヴァンパイアと対峙しているのかもしれん」

 と、草むらが鳴り、アーロンとサンダースが身構える。

「ライラ」

 エルド・グラビス将軍が大勢を引き連れてやって来た。

「エルド」

 ライラ将軍が夫の名を呼んだ。

「角笛の音を頼りに着たが、既に決着は着いたようだな」

 エルドはそう言うとアカツキに目を向けた。

「その灰が敵の首魁か?」

「ええ、アルテシオルの遺骸です」

「……そうか。確かアカツキだったな。思うところもあるようだが、まずはよくやった」

「はっ!」

 アカツキは跪いた。

「よし、我らはこれより帰投する。残党はいないとは思うが、心せよ。森に迷わず真っ直ぐ出口を目指せ」

「はっ!」

 エルドの声に兵士と神官戦士達は声を上げて応じた。

 意気揚々と引き上げる兵士達だったが、アカツキはアルテシオルの残した外套を振り返り、彼女の最後の言葉を思い出した。

 変わり者の優しい優しい光の坊や。

 愛し気な声だった。

 だが、アカツキはもう一人、悲しみに暮れている男に気付いた。

 元上官、ウィレムをこの手で葬ったファルクスのことだった。

 ファルクスはウィレムの灰の前に立ち尽くしていた。

 アカツキ達が取り残された。ライラ将軍もいる。エルフもだ。皆がファルクスの筋骨たくましいが、今は悲しみに打ちひしがれている背を無言で見詰めていた。

「へへへっ、感傷に浸っちまうとはらしくねぇな」

 少しするとファルクスはそう言い振り返った。

「仕方ないですよ」

 アーロンが慰める様に言った。

「待たせちまったな。帰るぞ」

 ファルクスは先頭となって歩き出す。サンダースが追い、アーロンとハンク、エルフが続いた。

「行かないのか?」

 ライラ将軍がアカツキに尋ねてきた。

「いえ、帰りましょう」

「アカツキ、アルテシオルに思うところがあったようだな」

「ええ。ありました。でも、それももう終わりました。自分の手で終わらせました。将軍、俺達も行きましょう」

 アカツキがそう言うとライラ将軍は頷き、先に歩き始めた。

 風が吹いた。

 アカツキは思わず振り返った。

 風に揺れて散らばる灰の山々が空に舞い上がり雪のように広がった。

 アルテシオル、安らかに。

 そうして彼は帰途に着いたのであった。

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