暁伝 前哨戦19

 決して暗くは無いが、濃い闇に閉ざされた樹海に角笛の音が木霊した。

 味方が苦戦しているということだろうか。

 だが、急ごうとする前にエルフの耳が邪悪なる追走者を足音を捉えた。

「背後から十人程、追手が来てますね。ここは私に任せて下さい」

 エルフは微笑み振り返って背後の闇に弓を向ける。

「アーロン、サンダース、お前達もここに残れ。俺達は角笛の聴こえた場所へ行く」

 ファルクスが言った。

「た、隊長、残らなきゃ駄目ですか?」

 サンダースが哀願するような目で訴えてきた。

「エルフ殿がいるんだ、それにお前の槍さばきは称賛ってやつに値する。自信を持って背後を守ってくれ」

 ファルクスが彼にしては珍しく落ち着かせるような口調で言うとサンダースは頷いた。

「皆、急ぐぞ」

 ライラ将軍が言い、彼女を先頭にアカツキ達は、未だに鳴らされる角笛の太い音色のもとへと駆けた。

 アカツキはこの機に聖水の瓶に飛刀を浸し込んだ。

 これまでもこれからも道と言う道はなく、木々の間を抜け、丈のある草むらを掻き分けて懸命に進んだ。

 茂みから飛び出す形でアカツキ達は開けた場所に出た。

 角笛の音が鳴っていた、すぐ側で。

 兵士隊とヴァンパイア達が戦っていた。

「おお、来てくれたか!」

 それは模擬戦の時に最後にアカツキと手合わせした年長の分隊長だった。

「ウィレム隊長!」

 ファルクスが声を上げた。

「ファルクスか! よく来てくれた、さぁ、戦列に加わってくれ」

「おうよ!」

 飛び出すファルクスをハンクの腕が掴んだ。

「ファルクス隊長、落ち着いてください。ウィレム隊長、何故、あなた方はトネリコの槍でなく普通の武器で戦っているのです? それに聖水を振りかけたなら剣を交えた拍子に蒸気が出るはず。聖水無しで挑まれたとは到底思えません」

 ハンクが言うと、不気味なことにヴァンパイア、兵隊、いずれもその場で留まり、動かなくなった。

 生暖かい風が吹いた。

「フフフッ、鋭い。ファルクス、お前は良い部下に恵まれたな」

 ウィレムが笑うと、ヴァンパイア達も、兵隊達も笑い始めた。哄笑だ。最悪のシナリオがここに用意されているとは。

 アカツキは剣を抜いた。

「ウィレム隊長、嘘だろう? アンタがヴァンパイア程度にやられるはずねぇだろ?」

 ファルクスが虚ろな顔をして問う。

 ウィレムはニヤリと笑った。目が赤くなり、開いた口の上顎から一対の牙が見えた。

「三十四、四人で相手をするには厳しいかもしれません」

 ハンクが言うがファルクスが止まらない。

「ウィレム! どうしてやられちまったんだ!」

「ファルクス、それにライラ将軍。ヴァンパイアもなってみればなかなか悪くは無いぞ」

「ウィレム!」

 ファルクスが咆哮を上げてウィレムに躍り掛かった。

 それが決戦の合図だった。

「こうなった以上は、やるしかない。行くぞ、アカツキ、ハンク」

「はい!」

「はっ!」

 ライラ将軍を先頭にアカツキもハンクも無我夢中で大勢の敵を薙ぎ払った。

 ヴァンパイアもそうなってしまった兵士達も爪を伸ばして、赤い眼光を煌めかせながら殺到してくる。

 アカツキは戦いの最中、ファルクスとウィレムが剣を交えているのを見ずにはいられなかった。

 今のファルクスが何を考えているのか分からない。情が動いて不意を食らうかもしれない。

 一刻も早くファルクスの助勢に向かいたかった。

 だが、ヴァンパイア達が通さない。

 斬光が幾重にも走り、アカツキの首を斬り落とそうとする。

「アカツキ!」

 ライラが声を上げる。

「大丈夫です! それより、誰かファルクスを! あいつの心はいつものように一本気じゃない!」

「分かっている!」

 ハンクの声がした。

 アカツキは敵の両腕を分断し、首を薙いだ。

 新手が次々襲い掛かって来るも気合一刀で、先手を打って撃滅させた。

 道が開けた。

「ファルクス!」

 アカツキは懸命に駆けた。

 ファルクスとウィレムは剣を交えていた。幾重にも打ち合い、決定打を出そうとしている。

「久ぶりにお前の剣を受けた。成長はしているようだな」

「黙れよ、ヴァンパイア!」

 ファルクスが乱打した。しかしウィレムは次々受け止め、剣を薙ぐ。

 紙一重のところでファルクスは避けた。

「ファルクス、俺と交代だ!」

 アカツキが言うとファルクスはニヤリと笑った。

「見損なうなよ、アカツキちゃん。目の前にいるのはウィレムじゃない、ヴァンパイアだ。タアアッ! マークツー、頼む、ウィレムを送ってくれ!」

 上空高く跳躍した一撃をウィレムは受け止めたが、剣が圧し折れた。

「ぬ!?」

「最期だ!」

 ファルクスの剣がウィレムの鎧をとろかし、蒸気を上げ背を貫いた。

「つ、強くなったな、ファルクス」

 ウィレムが言った。その目は人間のものに戻っていた。

「ウィレム?」

「後を頼むぞ」

 ウィレムはそう言い残した。彼の身体は灰となって積もった。主を失った鎧兜が地面に落ち儚い音を奏でた。

 ファルクスは遺骸から角笛を取り出すと吹き鳴らした。

 アカツキはそんなファルクスを守りながら戦った。ウィレムの死にアカツキも心のどこかが怒りに支配されていた。

 ファルクスが戦列に復帰し、アカツキ達は大いにヴァンパイア達を打ち負かした。

「隊長!」

 アーロンとサンダース、エルフが駆けつけてきた。

 弓弦が唸り、二つの槍が戦に加わる。

 乱戦の中、アカツキ達は次々敵を屠っていった。

 全ての敵が消滅すると、一同は肩を上下させ激しく喘いでいた。アカツキも俊敏で鋭利なヴァンパイアに翻弄されながらの勝利だった。

 一同の前には古びた建物があった。教会のようであった。

「闇の神を崇めていたのかもしれない」

 ライラが言った。

「アルテシオル! ヴァンパイアの親玉、聴こえているか! 十数えるうちに出て来ないと、このボロ小屋を燃やす!」

 ファルクスが言った。そうして実際に火打石を取り出し、カチカチ鳴らしていた。

 静寂だけが過ぎて行く。

「十。燃やす」

 ファルクスは建物に近づき火打石を鳴らした。

 木製の壁が燃え上がり始めた。

 ライラ将軍は咎める様子はない。ジッと燃える建物に目を向けている。ハンクも、アーロンも、サンダースもそうだった。

「将軍、ヴァンパイアには火が弱点で間違い無いですよね?」

 アーロンが尋ねる。

「その通りだ。アルテシオルとやらがこの炎に耐えうるなら、少々厄介な敵になるだろうな」

 アカツキも同じ気持ちだった。

 ファルクスは時折、角笛を吹き鳴らしたが、他の隊はいっこうに現れない。森で迷っているのか、それとも散らばったヴァンパイア達を掃討しているのか。

「待ってらんねぇな」

 ファルクスが言い、彼は建物へ歩み寄るとその燃える扉を蹴飛ばした。

「グフオオオツ」

 妙な風の音と共にファルクスに何かが組み付いた。

 茶色の長い髪をしている。若い女だった。

 ファルクスと女はもつれ合い、転がった。

 ファルクスは巴投げで相手を放った。

 女は空中で身を旋回させると、木の枝に飛びついた。

 エルフの矢が狙うが、女は身をかわして他の木々に飛び移る。

 昼の暗い中、二つの赤い双眸が光っていた。

「貴様がアルテシオルか!?」

 ライラ将軍が声を上げて尋ねる。

「アルテシオル。それが私の名前だ。ヴァンパイアロードの永遠の伴侶にして闇の樹海の守護者。アルテシオル」

 掠れ声が言った。茶色の長い髪は乱れ、細い身体に纏っている外套は擦り切れ、穴だらけで黒だったものが灰色に色あせていた。

「光の者どもよ。よくも、我が夫を、我がしもべ達を殺してくれたな。そして神聖なる象徴である我が館に火をかけた!」

 怒れる顔はもとは整っていたに違いない。ただ痩せこけ、憤怒と相まって凄まじい形相となっている。

「館ってな程かね?」

 ファルクスが挑発するとその眼前に敵の姿はあった。

「早いっ!?」

 サンダースが声を上げた。

 振るわれ、しなる刃の爪を避けファルクスはどうにか無傷で脱出した。

 全員がアルテシオルを囲んだ。

 だが、アルテシオルは跳んで包囲を突破し、その姿は再び木の上にあった。

 眼光が輝くや、アカツキは胸に苦しみを覚えた。他の者達も悶え苦しんでいる。

 そんな中、甘美な声が頭の中に聴こえた。

 お前は私のしもべだ。名前は何という?

 その女神のような麗しい声に応じようとした。

「アカツキ! その声に惑わされるな!」

 ライラ将軍の声が耳に入り、アカツキは我に返ると聖水に浸していた飛刀を敵目掛けて投げつけた。

「ぐうっ!?」

 アルテシオルが木から落ちた。

「アカツキ!」

 ライラ将軍が駆け付けた。

 そうして気付いた。ファルクスが、ハンクが、アーロンが、サンダースが、虚ろな顔をして得物を振り上げてこちらに歩んで来るのを。

「ファルクス! 先輩達!」

「呪詛に操られている。私はこの四人の相手をする。被害は最小限に食い止めるつもりだ。アカツキ、お前には。お前にはアルテシオル討伐の任を与える。行け!」

「は、はいっ!」

 アカツキは駆けた。

 ふとエルフの姿が無いことにアカツキは気付いた。

 アルテシオルは起き上がろうとしていた。

 アカツキは剣で串刺しにしようとその背中に向かって振り下ろした。

 しかし、アルテシオルの姿は右にあった。

「よくも、よくも、我が右腕を駄目にしてれたな」

 アルテシオルの恨み言の示す通り、その右腕は既に失われていた。飛刀が命中したのだろう。

 真っ赤な眼光を直視しないように相手を見詰め、いざ、アカツキは咆哮を上げて躍り掛かった。

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