暁伝 前哨戦16

 演習場の外周を十周するのだが、始め、傭兵隊はこれについてこられなかった。

 自分達は怖い顔を武器に粋がっているだけの酒食らいだと彼ら自身も感じただろう。

「そら、どうしたどうした、兵士の連中はもう終わってるぞ!」

 ダンテが励ますような、焚きつけるようなことを言うが、傭兵達はもはや疲労困憊のようだった。

 続いて兵達は横一列に並び、槍衾を始める。

「それ、突け!」

「応っ!」

「突け!」

「応っ!」

 その様子をぐったりした傭兵達が大の字に倒れて息を喘がせ見ていた。

 木っ端役人と蔑んでいた者達に完敗している。そのことに気付き闘志を見せる者はまだいなかった。

 ダンテは彼らに厳しい声を掛けずに調練を続けている。

 腕を振るのもままならない者達が次々脱落してゆく。

「俺の兵卒見習いのときを思い出すぜ」

 分隊に分かれて稽古するときにサンダースが言った。

「だよな、あいつらを馬鹿にはできねぇな」

 アーロンが続く。

 アカツキも二人と同じ思いを抱いていた。

 それから夏になったが、魔族は兵を挙げてはこなかった。こちらも先の大戦での犠牲が大きかったため撃って出ることもできなかった。

 傭兵隊は少しはマシになった。と、言っても武器の扱いは未だにコツを掴めない者が大勢いた。

 兵卒達は彼らを鼓舞し、自らは時折、傭兵の首領ダンテに戦いを挑んで己の腕を確かめている。

 今のところ、ダンテを倒せる兵士はいない。アカツキはもとよりファルクスでもダメだった。

「ダンテ殿の存在は我らにとっても良い起爆剤になるな」

 年長の分隊長達がそう話しているのを聴いた。

 アカツキもダンテが好きだった。こんな強く大きな兄がいてくれたらとも思った。

 ファルクス隊が素振り五千本を始める頃、稽古は終わりとなる。兵達は兵舎へ、傭兵達は身を置いている宿へ引き上げて行く。

「五千本か。お前ら無茶するな」

 ダンテが両手持ちの剣を担ぎ上げ言った。

 夕暮れが覆う演習場にはファルクス隊とダンテしかいない。

「ダンテさんもどうです? この後、赤竜亭に行くんですよ」

 剣を振るいながらサンダースが声を掛ける。

「赤竜亭ね。リゴ村から移って来たか。前線の飯屋でこれほど美味い飯を食わせてくれるところはなかったな。ま、気持ちだけいただいておくよ。女房と娘が待ってるからな。じゃあな」

 ダンテは引き上げて行った。

 ファルクスとハンク以外は脱落しては食らいつきの繰り返しだった。だが、少しずつ成長を感じるし、根性と高揚感を覚えるようになった。それはアーロンとサンダースも同じようで、楽しい様な顔つきで復帰する。

 夏場は兵士達もさすがに鎧姿ではやってられんとファルクスや、畏敬の念を抱くダンテのように上半身を裸にし稽古に勤しんだ。

 一部の噂では兵の集まりが悪いらしい。

 魔族に勝てる見込みがあるとすれば、圧倒的な兵力を持つほかないだろう。こちらの情報を察したように、諜報の報告にもオーク城にはこちらに備える分だけの兵力が割かれているということだった。それも噂だ。末端の兵には正確な情報は伝わらずじまいだ。

 傭兵隊もだんだん形になって来ていた。

 時折、兵卒達と手合わせするが、武器の扱いが上手くなっていたし、体力も筋力も根性もついていた。

 一方、兵卒達は未だにダンテから一本も取れずにいる。ダンテは決して声を荒げない。部下を鼓舞するときも、打ち負けた兵卒に対しても何処かに愛情を感じさせる声だった。ダンテの人気は傭兵、兵卒共に高く、すっかり心を掌握している。

 ある暑い日、ファルクス隊に命令が下った。

 バーシバル中隊長は、演習場の片隅に五人を集めて言った。

「これをリゴ村のサグデン伯爵に届けて欲しい」

 そう言って渡されたのは封筒だった。

「これには大事な書類が入っている。よろしく届けてくれ」

「そんなこと、こんなところで話しても大丈夫なんですか?」

 アカツキは思わず、先の暗黒卿との戦いで大敗を喫したことを思い出していた。あの時は太守が組し易いエーラン将軍に代わっていたことを敵は知っていただろう。

「大丈夫だろう」

 バーシバルは気楽そうに言うと、密やかな声で言った。

「首尾を期待している」

 どういうことだろうか。

「隊長、我々は命令に従うまでです。リゴへ行きましょう」

 バーシバルの最後の小さな小さな声に首を傾げる中、ハンクが強い瞳で言った。

「ちっ、使い走りかよ」

 ファルクスが不機嫌そうに言った。アカツキもファルクスと同様の気持ちだった。だが、中隊長からの命令だ。やり遂げなければならない。というほど、強い気持ちは抱いていなかった。アーロンもサンダースも不平を漏らしていた。

「そう不満を漏らすことも無いです。久々に馬を操れます。アーロン、サンダース、馬の乗り方を忘れたなんて言うなよ」

 ハンクが言った。

「そうか、馬か。気晴らしにはなるかもしれねぇな」

 ファルクスが幾分、やる気を出した様に言い、一同は一旦準備のために部屋へ戻った。

 そうして五頭の馬が門の外の跳ね橋の向こうに勢揃いしたのは昼前であった。

「隊長、書類の方、落としてませんよね?」

 アーロンが尋ねる。

 汗で光る半裸の主は頷いた。

「しっかりカバンに入ってる」

 ファルクスの他はいつもの鎧尽くめだった。

「隊長、サグデン伯爵もこの便りを心待ちにしているでしょう。戦場ではありませんが、強行軍で行きましょう」

 ハンクが言った。彼の腰には金棒が括りつけられている。

「そうだな、サグデンのおっさんのためにも飛ばすか。それっ!」

 ファルクスが馬腹を蹴る。少し遅れてアカツキ達も続いた。

 アカツキも久しぶりに馬に跨り、尻の辺りが落ち着かなかった。腰には父の形見、両手剣ビョルンが提げられている。

 五騎の馬影は土煙を上げて街道を疾駆した。

 一時間ぐらい経った辺りだろうか。

 アカツキの耳に馬蹄が多く聴こえてきた。

 見回すと、左右の森の切れ目から馬に乗った何者かが、並走していた。

「ファルクス!」

「何だ?」

 ファルクスは振り返り、状況を知ったようだ。

「何だアイツらは? 俺らじゃ頼りないってか?」

 ファルクスが言う。

「バーシバル中隊長もお優しいけど、心配性だな。うちにはファルクス隊長がいるんだぜ」

「隊長! あれは敵です!」

 ハンクが声を上げた。

 アカツキは合点がいった。

「そうか、俺達は餌だったんだ!」

 途端に風を斬る矢が左翼のサンダースを掠めた。

「撃って来た!」

「面白いじゃねぇか! 久々にマークツーでぶった切れる!」

「だけど!」

 アカツキは声を上げた。

 敵は十騎だ。二倍と言うことになる。

 ファルクスがアカツキに馬を寄せてきた。

「アカツキちゃん、こいつをお前に託すぜ。取られるなよ」

 カバンを放り出され、危うくアカツキは掴み取り、肩から下げた。

「そらぁ、俺達が相手してやらぁ!」

 アカツキはファルクスとサンダース、アーロンとハンクがそれぞれ組を作って左右に駆けて行くのを見た。

「急がなきゃ」

 書類の入ったカバンをアカツキは意識し、馬腹を更に蹴った。

 急いでリゴへ入って救援を要請しなくては。戻った方が早いがどうする。

 リゴへ向かいつつもアカツキは苦悩していた。

 皆が、俺をリゴへ向かわせるために頑張ってくれている。だったらその気持ちを無駄にしてはいけない。応じなければ。

「俺はリゴへ行く」

 アカツキは不意に左手側から一騎の敵が現れるのを見た。覆面を被っている。馬は肉食馬だった。

 矢が飛んでくる。それがアカツキの乗る馬の首に突き立った。

 馬は嘶き、暴れ狂い、アカツキはどうにか振り落とされぬようにしたが、次々飛んでくる矢が馬を射抜き、横倒しになった。

「くそっ!」

 アカツキは跳躍し、どうにか着地する。

 敵の騎兵は槍を持って、疾駆してくる。

 アカツキは剣を抜き、敵を睨んだ。

 槍先がアカツキに向けて繰り出される。

 アカツキはそれを小脇で掴み取り乗り手を引きずり落した。

 乗り手は槍から手を離し身軽に回転して身構える。手には懐剣が握られていた。

「敵の手の者だな!」

 相手は無言で間合いをゆっくりゆっくり詰めてくる。

 アカツキは剣を振るった。

 相手は驚くほどの跳躍でアカツキの背後に回っていた。

 陽光で懐剣が煌めく。アカツキは辛うじて避けた。だが、敵は執拗に襲って来る。ここまで来るということはどうやらアカツキが書類を手にしているのを見たようだ。

 こう素早いのは苦手だが、自分の危機ぐらい自分で何とかしないと。

 先ほどのように迂闊に剣は振るえない。それは死を意味するからだ。

 敵が踏み込んで来た。アカツキは目を見開いた。

 刃が薙がれる。それを剣で受け止め、足場らいを食らわしたが、失敗し、跳躍した敵の刃が首元近くの鎧にぶつかった。ヒヤリとした。動けば死ぬ。だが動かなければ何の糸口にもならない。技量の差を感じ取った。熟練した蝶者だ。暗殺術にも長けているだろう。

 手元に書類さえなければ。無ければ? 死んでも良いと言うのか?

 死んだら負けだ。そしてこの冷戦に焦れても負けだ。

 アカツキはひたすら、沈黙を貫き、夜の静寂の如く黒一色の軽装の覆面の敵を睨み付けていた。

 と、敵が後方へ跳んだ。

「アカツキ!」

 ハンクが馬を飛ばしてくる。

 敵の蝶者は逃げようと後ろに茂みに後ずさりし始めたが、この一瞬をアカツキは逃さなかった。

 駆け、跳躍し、敵を左肩から一刀両断にした。緑色の血飛沫が飛散する。覆面を剥ぐ必要も無い、敵はアムル・ソンリッサただ一人だからだ。

「先輩、助かりました! アムル・ソンリッサの蝶者のようです!」

 追いついてきたハンクにアカツキは言った。

「それしかないだろうな。それより、お前はもう行け、馬なら俺のをくれてやる」

「先輩は?」

「俺は、あれに乗ってみようと思う」

 と、ハンクが指したのは紫色の顔の潰れたような肉食馬だった。

「大丈夫なんですか?」

「さぁな。そら、行け! 隊長達も久々の馬上戦で苦戦している。だが、ここから先は俺が通さん」

「分かりました、必ずリゴへ届けて見せます! はあっ!」

 アカツキは馬を駆けさせた。

 そうして孤独に走り、陽が傾いたころ、かつての前線基地の名残である高い石壁に囲まれた、村と言うよりは城塞のようなリゴへ辿り着いたのだった。

 門番に事情を話し、サグデン伯爵のいる総督府へと赴く。

 書状を受け取った老いて尚猛将のサグデン伯は開封し、書面をその場で見て笑った。

 驚くアカツキと護衛兵の前にサグデン伯は書面を軽く突き出して見せた。

 ヴァンピーアも戦の気配がなく、兵の士気も穏やかなものです。その間に本格的な機密な情報がやり取りされる前に、敵の蝶者どもをいぶりだそうというバルバトス・ノヴァー太守の御提案です。

「じゃあこれは」

 アカツキは思わず声を漏らした。

「茶番だ」

 サグデン伯が言った。

「その茶番で仲間が不利を敷かれています! どうか、至急援軍を!」

 アカツキが言うとサグデン伯は頷いた。

 アカツキは三十騎の熟練したリゴ村の騎兵達と共に街道をヴァンピーア方面に駆けた。

 だが、心配は杞憂だった。

 途中で生きている四人に出会えた。

「何だ、何だ、御大層なお出迎えじゃねぇか」

 緑色の血の滴る両手剣マークツーを手にファルクスが言った。ハンクはサンダースの後ろに跨っていた。

「ハンク先輩、肉食馬は?」

「俺の考えが甘かった。あれは我々ではとうてい操れん。殺すしか無かった」

 ハンクは言った。

「で、アカツキ、書類の方は渡せたのか?」

 アーロンが尋ねてくる。

「ええ」

 そうしてリゴの騎兵隊と別れ、夜の道を行きながら、アカツキは話の結末を聞かせた。

「俺達はダシだったのか」

 サンダースが驚いたように言い、そして続けた。

「でも、身近に闇の奴らがいたんだな。気付かなかったぜ」

 一同はその言葉に頷くしか無かった。

「まぁ、ファルクス隊長がいたからこそ、俺達の分隊が陽動役に抜擢されたんじゃないでしょうかね」

「おだてるな。ち、門番共の目は節穴か」

「そう門番達を責めることもありません。蝶者というものはこういうことに長けているからこそ蝶者なのです。我々の蝶者も変装し、命に変えて敵方へ忍び込んでいるのですから」

 ハンクが言った。

 こうして未明にヴァンピーアへ到着すると、帰還を信じて起きて待ってくれていたバーシバル中隊長に成果を話した。人払いしてあるバーシバルの部屋の中でだ。外にはハンクとサンダースが立ち目を光らせている。

「ご苦労。やはり敵の蝶者がいたか。わざわざ不利を敷くような真似をさせてすまなかったな。人数が少なければ敵も思い切って行動に出ると太守殿のお考えだった。お前達を抜擢したのも太守殿だ」

 バーシバルはそう言った。

「さぁ、休め。明日はお前達には暇を出す」

 こうして敵のいぶりだしは成功に終わった。アカツキは辛くも一人斬ったことだけが悔やまれて仕方が無かった。

 しかし、自分は兵士だ。諜報員にはなろうとも思わないし、なれるほど冷静では無い。俺の命は戦場で捧げることとしよう。

 そうして彼は遅い眠りについたのであった。

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