暁伝 前哨戦15

 蝶が飛んでいる。

 黄色い羽をヒラヒラさせ、槍の先に止まった。蝶では無いがとある逸話では槍先に止まったトンボが真っ二つに切れたというものもある。しかし品質は向上したものの支給品の槍ではそうはいかなかった。

 今演習場では、各分隊の槍衾を披露しているところだった。槍と聴いた途端にファルクスはがっかりし、アーロンとサンダースは喜んでいた。ハンクは表情が読めなかったが、前線の兵だ。槍ぐらいこなせるだろう。

「息を合わせて、一、二、突けえっ!」

 五人揃って見事に乱れの無い槍衾だった。

 他の部隊はこうして順調な仕上がりを見せている。

 蝶が飛び立つ。アカツキ達、ファルクス分隊の番になった。

 五人揃って槍を持つがファルクスだけは不機嫌そうだった。

 並ぶ。アカツキはファルクスとハンクの間だ。

「では、行くぞ、ファルクス分隊」

 代表の顔見知りの分隊長が声を掛ける。

「息を合わせて、一、二、突けえっ!」

 だが、槍衾は一人だけぎこちなかった。

 当の本人は半裸の肩に槍を担いで言った。

「槍は性に合わねぇ」

「ファルクス、お前分隊長なんだぞ?」

 他の分隊長達が言うとファルクスはどこ吹く風、「剣の出番になったら教えてくれ」と言って演習場から去ってしまった。

「ああよかった」

 サンダースが言った。

「何がです?」

 アカツキ問うと、相手はのんびりしたように応じた。

「人間何かしら苦手なものがあるもんだな。そう思うとファルクス隊長も人間なんだなぁって安心する。それに、同じ人間なんだ、武働きだって決して負けと決まったわけじゃないってね」

「なぁ、お前、戦場のファルクス隊長のこと知ってて言ってんの?」

 アーロンが尋ねるとサンダースは頷いた。

「俺はどちらかと言えば間抜けだけど、それでも同じ人間。次の戦では武功を立てて好きな女に告白する」

 隊長の抜きのファルクス隊は演習場の端に寄りながら話に興じる。

「お前好きな娘いるの?」

 アーロンが驚いたように尋ねた。

「いるよ。まだ話したことは無いけど。子猫の微笑み亭で働いてる給仕の娘。予約済みだから皆、手出しするなよ」

 サンダースが言うと、アカツキは思わず言葉を漏らしていた。

「子猫の微笑み亭といえば、ダンテさんの傭兵団がいるところだな」

「何だって!?」

 サンダースは驚愕したように声を上げた。

「傭兵団だって、あの娘の治安が危ない!」

「ダンテさんがいますよ。城下で狼藉は働けないですし、実際、手合わせしてみたら、我々兵卒よりも弱いですね。ダンテさんがどう鍛え上げるのか」

 アカツキは自分で言っておきながら助け舟を出したつもりだった。しかし、サンダースはすっかり気が気じゃないようだった。

「ハンク、お前は誰か好きな女いないのか?」

 アーロンは今度はハンクに話を振った。

「故郷に嫁と娘がいる」

 ハンクは口数少なくそう言った。

「え? お前、既婚者だったの?」

 アーロンは驚いて尋ねた。アカツキはそろそろ他の兵士達の訓練風景を見ることに戻った方が良いと思い始めたが、アーロントークは終わりをみせなかった。

「どうやって知り合ったんだ? 年上、年下?」

「幼馴染だ。俺の方が年上だ」

「おお、ロリコンだ。ハンクの奴、生真面目ぶったロリコンだぞ!」

 アーロンがはやし立てた。

 するとハンクは呆れたように溜息を吐いた。

「同年代だ」

「先輩達、そろろそろ見学に戻りましょう?」

 アカツキは少し声を上げてまだ何か言いたそうなアーロンを遮った。

「そうだな」

 ハンクが応じた。アーロンも渋々という感じだったが、サンダースだけは未だに気が気じゃない様子で何やら呻いていた。

 種目は戟、弓、投てきと続けたが、アーロンとサンダースは上手くいなかった。ハンクも投てきの投げナイフは苦手のようだった。一方アカツキは順調に全てをこなしていた。

「我が隊の神童だな」

 アカツキを見てハンクが言った。

「子供じゃありません」

「すまん。しかし、全て器用にこなしたな」

 アカツキは少し照れつつ応じた。

「アジーム教官が目をかけて下さいまして。練習後の猛特訓を一人でやってました。あの頃は」

 ふと、アカツキの目から涙が零れ落ちた。

「アカツキ?」

「良いんです。思い出したんです。ダンカン隊に入るために猛稽古してました。皆、もういないですけどね」

「俺達がいる」

「そうです、先輩達がいるから寂しくなんかはありません」

 アカツキは記憶と涙を拭い応じた。

 すると何処からかあくびをする声が聴こえファルクスが姿を現した。

「そろそろ剣か?」

「ファルクス、隊長なのにどこに行ってたんだ」

 アカツキは思わず声を上げる。

「別に、ちょっとマークツーを磨いてただけだよ。早く戦にならねぇかな」

「隊長もそう思います? 俺もです」

 サンダースが迎合する。

「お、マジか。お前からそんな言葉が聴けるなんて、何だ何だ、惚れた女でもいるのか?」

「あ、分かります?」

 ファルクスとサンダースは共にニヤニヤしていた。

 アカツキは溜息を吐いた。

 剣の種目はアーロンとサンダースが足を引っ張ったが、それでも他の分隊よりは出来は良かった。日頃の素振り五千回が生きている。そう実感できた。ただファルクスがマークツーを見せびらかしたため、演習場は武器の話題で持ちきりになった。特に剣匠スリナガルの打った剣だけに誰もが物欲しそうな顔をしていた。

「そうか、マークツーってのか」

 聞き覚えのある声がし、静まり返った演習場に足を踏み入れる者達がいた。

 上半身は剥き出しで見事な筋肉を披露していた。

「おう、兄貴」

 ファルクスが手を上げる。

「何だ貴様らは?」

 一番年上の分隊長が言うと、ダンテは帽子のつばを上げて、声を上げた。

「それ、奇襲だ! やっちまえ!」

「おっしゃあ!」

 ダンテの後からごろつき風の者達が勇躍して襲い掛かって来た。

 手に手に白刃が光る。真剣だ。

「ダンテさん、なんで!?」

 アカツキが言うと、ダンテは剣を向けた。

「演習だよ、演習。現実を見せておかないと、こいつらてんで酒ばっかでやる気出さねぇみたいだからな」

 ダンテはニヤリとしてアカツキに歩み寄って来た。

「って、訳で、ファルクス! 斬るなよ!」

「あったりめぇだろう。何が奇襲だ、こいつら弱くて話になんね」

 一方的な展開が形成されていた。奇襲に出た傭兵達が、次々、刃の潰れた練習用の武器を持った兵卒達にやりこまれている。

「アカツキ、一勝負、頼めるかい?」

 ダンテが尋ねる。

「良いですよ」

 アカツキは鋭利に輝く刃を見ながら物怖じせず応じた。

 鋭い突きが襲ってきた。アカツキは危うく肩を反らして応じた。すると下から足払いが来る。

 アカツキは後方へ避けるが、ダンテが間合いから逃さない。上から来る、猛烈な一撃は練習用の剣を激しく軋ませた。

 何てパワーだ。それに本気で俺を殺しに来てる。

 アカツキはどうにか撥ね飛ばし、薙ぎ払った。

 ダンテはそれを飛んで間合いに入って来た。

 速い?!

 アカツキの肩に剣の刃が置かれた。

「参りました」

「よろしい」

 ダンテはニコリとした。

「ウワアアアッ!」

 咆哮が上がり、傭兵達が二十人ほど吹き飛んだ。

「兄貴、こいつらじゃ、つまらねぇ、手合わせ願うぜ」

「来いよ、弟」

「ヒャアアッ!」

 ファルクスが奇声を上げて飛び込んだ。

 そういえば、今回はアカツキ流じゃ無かったな。最初に仕掛けられなかった。いや、仕掛けたら負ける相手だったのかもしれない。

 己の闘争本能、演習や戦場で磨いた勘がそう告げたに違いない。

 結局、ファルクスもダンテに敗れたが、傭兵団は壊滅していた。

「まだおやりになりますかな? ダンテ殿とやら?」

 年長の分隊長が尋ね、兵卒達がダンテを囲む。

「俺に刃引きした練習用の両手剣をくれ。ファルクスとアカツキは倒したから、他のアンタら全員を俺が倒したらある願いを聞き届けてもらおう」

「願いだと? どんな?」

 年長の分隊長が尋ねるがダンテは笑顔を向けて帽子のつばを上げると言った。

「何、大した願いじゃない。うちの傭兵団をここで一緒に訓練させてもらえないかなと」

「ほほう、それは楽しみな願いですな。ですが成就させては我ら兵士団の沽券にかかわる。お相手しましょう!」

 アカツキはファルクスに手を引かれ輪の外に出た。

「アカツキちゃんは見といたほうが良いな。一騎当千の戦いって奴を」

 ファルクスは屈んだ。

「乗りな」

「悪いな」

 ファルクスは鎧を着ているアカツキを軽々肩車した。そこから戦況が窺えることができた。

 ダンテは真剣を腰の鞘に収め、投げてよこされた練習用の両手剣を拾った。

「おや、襲って来ない?」

「我らをお前の手下どもと一緒にしてもらっては困る」

 年長の分隊長が言った。

「そうか。ありがとよ」

 ダンテは剣を振り回し、言った。

「来な。いや、行くぜの方がカッコイイか」

「何をとやかくと! それ! 皆、畳みかけろ!」

 年長の分隊長が声を上げるやダンテを囲んでいた兵士達が一挙に押し寄せた。

「とおっ!」

 ダンテは駆けるや、剣を地面に突き立て、宙を舞い、西側に降り立ち包囲を破った。

「ぐぬぬ、奇天烈な。やってしまえ!」

 年長の分隊長の声に兵士達がダンテに襲い掛かる。

 アカツキには信じられないものが見えていた。

 ダンテの一撃一撃が早くて見えない。その上、兵士達を確実に気絶させている。

 もうファルクスの肩に乗らずとも見える。

「ぐわっ!?」

 年長の分隊長が討たれるや、そこには一対一で睨み合う姿があった。

「お前さん、以前、アカツキの助けに入った」

「ハンクだ。ヴァンピーアの全ての兵卒の代表として、ダンテ殿、覚悟していただこう」

 アカツキは驚き、ファルクスは狂喜していた。

「ハンクの奴が残ったか」

 そしてハンクが地を蹴りダンテに躍り掛かった。

 ダンテはひらりと避けるが、一撃を入れる前にハンクの振り向きざまの一撃に防御される。

「ほぉ、やるねぇ。うちの弟は良い部下を持ってるわ」

 両者は打ち合い、避け、再び打った。

 大柄な二人であったが、動きは早い。だが、分があるのはダンテの方だとアカツキは思った。

 潰れた刃の応酬が続く。

 と、ダンテが踏み込むふりをして下がった。

 ハンクが影を斬った。

 途端にダンテの剣が喉を打った。

「うぐっ!?」

 ハンクが片膝を着く。

 午後も暮れ始めた演習場の静寂の中、一人の男の声が木霊した。

「俺の勝ち! だな。て、わけで、うちの馬鹿野郎どもがこれから世話になる。よろしくな」

「ぐぬぬぬ、こらお前らいつまで寝ている起きんか!」

 年長の分隊長が気絶している部下達を次々揺り動かしていた。

「実際、ダンテさんが来てくれるのはありがたいかもしれない」

「おや、どうしてそう思うのかな、アカツキちゃんは?」

 ファルクスが屈んでアカツキを下ろして尋ねたが、正解を知っている顔だった。

「単純だ。強者に挑める。兵士の皆が成長できる。ただ、誇りがそれを許すかどうかだな」

「えっと、何て言うんだ。ああ、そう杞憂だ。案外上手くと思うぜ。見て見ろよ、復活した連中を」

 ファルクスに促され目を向けると、兵卒達がダンテに畏敬の眼差しを向けていた。

「久々にぶちのめされて目が覚めたってところだろうな。死んじまった同僚達の思いを背負ってるものあるし、俺達は強くならねければいけねぇ」

 ファルクスの言う通りだとアカツキは思った。

 そうして友好的なダンテの握手に年長の分隊長が応じ、のびている傭兵達は別として、兵士達は拍手喝采したのだった。

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