暁伝 前哨戦14
春となった。
季節に合わせて鳥は去ったり来たりしている。
野の花が咲く頃には茶色の外套も必要なくなり、そしてアカツキは十七歳となった。
「アカツキ君、お誕生日おめでとう!」
「おじちゃん、おめでとう!」
ファルクスにリヴィーナの店に行くように言われ、赴くとリヴィーナと娘のエリスに祝福の言葉を受けることとなった。
リヴィーナの手作りのチーズケーキが並ぶ。
「私、チーズケーキしか焼けなかったから、これで我慢してね」
臨時休業の看板が掛かった「子ヤギの悲鳴亭」の中で、三人はテーブルを囲んでいた。
「いえ、ありがとうございます。俺なんかのために」
「何言ってるの、ほら、紅茶も冷めちゃうからいただきましょう」
「あ、はい。では、いただきます」
「いただきまーす!」
アカツキは甘いものが得意では無かったがこのチーズケーキなら大丈夫だと思った。一方、エリスは不満気だ。
「甘くなーい」
「エリス、これはね大人のケーキなの。あなたもこのケーキの味が分かる大人になれると良いわね」
リヴィーナが娘の頭を撫でながら言った。
「今日はダンテさんは?」
「さぁね、その辺で酒でも飲んでるんじゃないかしら」
リヴィーナが特に不満気も無く自然なように言った。
「大丈夫よ、軽そうな男だけど、限度ってもんは分かってるから。それとも彼が浮気していると思う?」
「いいえ、そんな。ただ、もう一度、戦ってみたかったなって。ダンテさんは強かったです」
「ありがとう。真面目な顔で自分の亭主を褒められると嬉しくなっちゃうわ。アカツキ君は正直者だものね」
リヴィーナが微笑みながら言った。
それから二時間ぐらいファルクスの幼い頃の話などを聴かされ、アカツキは嬉しくも楽しいひとときを過ごしたのだった。
ファルクスは幼い頃から半裸だったらしい。服を着るというのがあまり好きでは無かったらしい。そのため、よく風邪を引いたとのことだった。だが、ダンテと出会い、剣を知り、まずは傭兵に憧れて鍛え始めたとのことだ。それからは不思議なことに病気知らずになったらしい。
あの堅牢な筋肉の鎧は幼い頃からの積み重ねだったのか。
陽が長くなった午後の道をアカツキは行く。買い物客などで通りは混雑していた。
ふと前方に両手に美女を抱いた半裸の男がいた。つばの広い帽子をかぶり、腰には両手持ちの剣を提げていた。
それにしても何という胸板だろうか。鉄板のようだ。身体にも腕にも首にも鍛えこまれた筋肉の影が見える。そのくせ、体形は思った以上にスマートだし、男前ときている。強いし文句のつけようが無い男だ。
「ん? お前さん、ファルクスのところの」
「そうです。リヴィーナさんに言いつけますよ、ダンテさん」
「そんなこと言うなよ。別に浮気ってわけじゃないんだぜ」
ダンテは二人の女性に金を渡した。女性達は喜んで去って行った。
「誕生会に出られなくてすまなかった。ちとうちの連中をまとめるのに苦労しててね」
「傭兵団のことですか?」
「ああ。八咫烏という名前の傭兵団だ。西通りの「子猫の微笑み亭」という宿を貸し切ってるんだ。だが、戦が起こる気配は無いな。幸いバルバトス太守に雇われることができたから資金の方はどうにかなってるが」
「何人集まったんですか?」
「ん、ああ、百五十二人」
ダンテは笑って言った。
「見てくれは厳つい連中ばかりだが、本当の戦いの空気を知ったら冷や汗ぐらいは掻くだろう。お前はどうだ? アカツキ?」
「俺は戦いを恐れません」
アカツキは相手を見上げて目をそらさず応じた。
「良いね。その年で色々体験してきたんだろうな。うちの連中も口先だけはいっちょ前だが、お前ほど信念のある目はしてないね」
「あなたはどうなんです?」
アカツキは思わず尋ねた。
「何のために戦うか。それはかけがえのない家族を養う金のためだし、俺が戦うのが好きだっていうのもある。それだけだよ」
ダンテは再び笑みを浮かべて答えた。
「なるべくなら、あなたが戦いとは無縁の側だったら良かった。リヴィーナさんとエリスちゃんだけを守るただの父親なら。戦争は俺達に任せて」
「心配してくれてるのか。ありがたいね。俺が死ねばリヴィーナにもエリスにも辛い思いをさせちまうだろう。だが、それでも俺の真骨頂は剣だ。そう運命づけられている。お前さんが戦う兵士になったようにな」
アカツキは反論できなかった。幼少期から父の影響を受け剣を握り私塾にも通い、父の仇である暗黒卿を討つためにこのヴァンピーアへ足を運んだのだ。今ではそこにダンカン隊長の仇も含まれている。それに自分の背にはこうも多くの戦うことを得意としない人々がいる。そうか、俺は戦うために生まれてきたのかもしれない。
「そうかもしれません」
「ん?」
「俺は戦いに身を投じる運命を持って生まれてきたのかもしれません」
するとダンテは大笑いした。周囲の人々が何事かとこちらに奇異の目を向けた。
「そんだけ意思が固まってりゃ、アカツキ、お前さんは間違いの無い戦士だ。だが、死に急ぐなよ」
ダンテはアカツキの肩を叩いて手を振って去って行った。
アカツキは雑踏の中にその背が見えなくなると我に返ったように歩き出した。
俺の運命は戦うことか。じゃあ、父や隊長は戦って死ぬことが運命だったのだろうか。
それが運命なら、そんな運命を位置付けた者を俺は許さない。
不意に自分達が誰かに操られて戦っているのではないかという疑念が湧いたが、すぐに消えた。
自分で運命だとか言ってしまったが、勝負は時の運とも言う……。
アカツキは父とダンカン隊長のことを思い出し少し暗い気持ちになった。
と、前方でいさかいが起きているのを見つけ、慌てて駆け付けた。
「俺の方が強い!」
「いや、俺の方が強い!」
昼から酔っぱらえるとは良いご身分だ。
アカツキは声を上げた。
「そこの二人、争いはそこまでだ! 剣を抜くのは御法度、つまりその時は貴様らを逮捕する!」
アカツキが言うと厳めしい面構えの二人の男はこちらを見て笑った。
「何だぁ、ずいぶん可愛い兵士ちゃんだな」
「これは男の名誉を掛けた戦いだ。子供はすっこんでろ!」
アカツキは二人を睨むと応じた。
「酔っ払いに名誉なんて言葉があったのか?」
と、言って、すぐに後悔した。自分が煽ってどうする。自分の役目は治安を守ることだ。
「誰が酔っ払いだ、このガキ!」
一人が剣に手を掛ける。
「待て、剣を抜くな! 落ち着け!」
「ガキに馬鹿にされて落ち着いてられるか!」
二人の男は揃って剣を抜いた。
しまった。これは明らかに俺の失態だ。
「剣を収めよ! そうすればこの場は見過ごすことにする」
「今更臆病風に吹かれたか、死ねやクソガキ!」
一人が斬りかかって来た。
くっ、迂闊だった。
アカツキは攻撃を避け様、足払いをかけて相手を転ばせた。
「この野郎!」
もう一人が斬りかかって来る。
雑な攻撃だった。それらを避け、掌底をあごにぶつけて気絶させた。
周囲に野次馬が集まり、アカツキのことを讃え始めた。
「下がれ! 見せ物では無い!」
アカツキはそう呼び掛けたが、人々はアカツキに声援を送り、正体不明の酔っ払い達に、けしかけるような言葉を吐いた。
「ええいっ! 黙れ! 黙れえええっ!」
アカツキは大音声を上げたが、声が途中で掠れ、勢いは失せていた。
「ぶっ殺してやる!」
立ち上がったもう一人が剣を振るってきた。
アカツキは避け、相手の腹部に拳を入れて黙らせた。
野次馬達が拍手喝采する。
「何事だ!?」
衛兵達が駆けつけてくる。
「おい、何があった?」
衛兵はアカツキに尋ねたが、正気に戻った酔っ払いが言った。
「俺達は悪くねぇ。このガキが俺達を挑発したんでさ」
「そうなのか?」
衛兵の格が高そうな中年の男が問う。
「は、はい」
アカツキが言うと、衛兵は溜息を吐いた。
「正直でよろしいと言いたいところだが、殺傷沙汰になるところだったんだぞ。今度からは気を付けろ!」
「申し訳ございません」
一兵卒でしかないアカツキは素直に非を認め謝った。
結局、酔っ払い達も不問となり、その場は治まった。
「よう、あんちゃん。やるじゃねぇか」
正気に戻った酔っ払いが好意的に言った。
「どうだ、俺達の傭兵団に入らないか? 八咫烏ってんだ」
ダンテさんの部下達だったか。まさかこの程度の腕前だとは。本当の戦場を思い知ったら彼らの自信は血と死をもって打ち砕かれるんだろうな。
「俺は兵士だ。威張るつもりはいないが遠慮させてもらう。それと酒は程々にな」
アカツキは今度ダンテに会ったら鍛えが足りないことを言うつもりでその場を去った。本当は自分が彼らを鍛えたい衝動に駆られていたが、それはダンテの役目だ。彼らを死なないように鍛え上げて欲しい。
アカツキはそう思うと帰路に着いたのだった。
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