暁伝 前哨戦13

 エーラン将軍は大敗の責任を取ると申し出たらしいが、帰還したバルバトスが止めた。

 そういう噂をアカツキは耳にし、アーロンがサンダースとアカツキに聴かせた。

「エーラン将軍は東方流に言えば腹を切るべきだが、前線を任せる指揮官が育っていないことと、彼が歴戦の将には違いないとして、エーラン将軍の申し出を無効にしたらしい」

「何です、腹を切るって?」

 アカツキが尋ねると、アーロンはしたり顔で話した。

「昔々、この地も群雄割拠、戦争時代だな、そうだった頃は東方では何かをしくじれば潔く己の腹を掻っ捌いたそうだ。怖いよな。少なくとも俺にはそんな度胸は無い」

「俺もだ」 

 サンダースが応じる。

「おう、オメェら、素振り五千やっぞ! ついてこれる奴はついて来い!」

 雪は既に降らず、それでも残雪はありまだまだ寒さは感じられる。だが、この男、ファルクスは逞しい筋肉の上半身を見せ付ける様に裸にし、ニヤリとしている。鳥肌一つ立っていない。彼の身体は本当に堅牢な筋肉の鎧なのかもしれない。

 素振りは百を超えたところでサンダースが遅れ始めた。そして脱落した。

「くそ、戦の時はもっと槍を振るえたのによ」

 悔し気にサンダースが言い痛む腕を押さえている。

 千でアーロンが脱落した。だが、再びサンダースが食らいついている。失礼な言い方になるが、彼にしては根性を見せている。

「ちと休憩。やれやれ」

 アーロンが苦笑していた。軽薄そうな素行の彼の目から闘志は失せていないのをアカツキは見た。きっと復帰してくれる。

 しかし一番お驚いたのは二千を超えたところでも自分が脱落しなかったこと、そしてハンクが未だに健在だったことだ。最初のハンク、アーロン、サンダースは早々と脱落していた。だが、ハンクは顔こそアカツキ同様歯を食いしばっているが、それでも金棒を振るうのを止めない。

 二千五百でアカツキは脱落した。もうずいぶん前から腕も肩も悲鳴を上げていたが、五千の折り返しという一区切りをつけてから脱落したかった。サンダースとアーロンは復帰したり脱落したりの繰り返しだった。身体がよろめき、息を喘がせ、顔は鬼気迫るほどの苦痛に満ち満ちていた。

 ここからはアカツキも同様だった。腕も肩ももう筋と言う筋が限界だと訴えている。

 限界だと思ったらそこで終わりだ!

 これは兵卒見習い時代のアジーム教官の言葉だった。

 くそっ、まだまだやれる。何度でも食らいついてやる。

 例によって夜の帳はとっくに降り、夜中に素振りは終わった。

「ハンク、オメェ、何だやるじゃねぇかよ」

 ファルクスが嬉しそうに言った。

「ハンクは真面目ですからね、さっさと引き上げた後、実は兵舎の前で鍛錬してたんですよ。俺やサンダースと違ってね」

 アーロンが言った。

 ハンクは仏頂面を崩さず言った。

「飯にしましょう」

「そうだな、行くか!」

 こうしてファルクス分隊は夜の城下に繰り出し、赤竜亭を目指す。

 ファルクスとアーロン、サンダースが何やら喋っている。

 ハンクは少し間を置いて付いて来ていた。

 アカツキは気になって尋ねた。

「ハンク先輩、どうして今までファルクスと一緒に最後までやらなかったのですか?」

 するとハンクは深みのある声で応じた。

「場の空気に気圧された。ファルクス隊長の邪魔をしてはいけないと思った。それに前にも話したろう? 戦場では隊長がいつも功を奪って行くように戦った。それが不満だったからだ」

 アカツキが口を開こうとするとハンクが話を続けた。

「それにお前が来た。隊長の喜びようは凄かった。だからお前達の邪魔をしてはいけないと気が引けてな」

「そうだったんですか」

「だが、これからは遠慮せん。アカツキ、お前も五千回振るえるようになれ。今すぐとは言わないが、お前ならできる。共に励もう」

「はい、先輩!」

 アカツキは嬉しくなって返事した。

 赤竜亭で食事を終える。アーロンとサンダースが酒を飲みほろ酔い状態だった。

 外は更に静かだった。

 店主と給仕の声を背に一同は兵舎へと戻ろうとした。

 大通りを北へ向かい東に反れれば兵舎と演習場があるが、通りに妙な人影が一つあった。

 通りの真ん中で立ち尽くし、まるでこちらを見詰めているかのようであった。

「アカツキちゃん、剣抜いて良いから、あいつを捕まえて見せてくれ」

 ファルクスが言った。

 アカツキは耳を疑う。ファルクスは酒を飲んでない。城下で剣を抜くことは御法度だ。すると、前方の人影がスラリと長い剣を鞘から抜いた。

「そらな」

 ファルクスが言った。

「何だ何だ、俺達と同じ酔っ払いか? 起きろよサンダース」

 アーロンの声が耳に届いた。サンダースはいびきを掻いていたが目を覚ました。

「何だ? 何かあったのか?」

「隊長、アカツキには荷が重い相手だと思います。俺が行きます」

 ハンクが言った。

「いえ、俺が。命令されたのは俺なので」

 アカツキは剣を抜いた。

「そこの者、城下で抜身の武器を手にすることは禁じられている! 今すぐ、武器を捨てろ!」

「ほぉ、まだ若いね。少し俺と遊んでくれないか?」

 相手が応じた。

「何だと?」

 アカツキはファルクスを振り返った。

「良いから本気で行ってみな、アカツキちゃん。大丈夫死にはしないぜ。お互いにな」

 ファルクスは何かを知っている。そのファルクスがこう言っている以上、相手はなかなかやるらしい。ならば!

「最後の警告だ! 武器を捨てろ!」

「遠慮するよ」

「よし、ならば、ここで貴様をころ、いや、成敗する!」

 アカツキは歩み始めた。

 隊の中で一番大きなのはハンクだが彼と同じぐらい長身だった。

 間合いに入るが相手の顔が見えない。つばの長い帽子をかぶっているのだけは確かだ。

「どれ、成敗していただこう」

「なめるな!」

 アカツキは斬りかかった。

 一撃を受け止め、二撃、三撃受け止められた。下を狙うがこれを阻まれ、ここで相手が調子を上げてきた。上、下、右、左、立場が逆になった。だが、感じられるのは相手が俺を玩具にしているということだ。そして力。ファルクス並みの強靭な腕の力だ。

 押されるアカツキに隣から影が割って入って来た。

 大きな背、ハンクだ。

 ハンクの鉄の棍棒と相手の剣がぶつかり合い、強烈な音を立てる。

「坊やじゃ物足りなかったところだ、少し本気でやらせてもらうよ」

 ハンクと相手は壮絶な打ち合いを続けた。

 と、ハンクの薙ぎを相手は素早く避けるや、闇と一対となって背後に回り込み刃を彼の首に突きつけていた。

「強い……」

 アカツキは思わずそう漏らしていた。

 相手がこちらを見て軽く笑った。そして剣を収めた。

「ワッハッハー! ダンテ、兄貴、久しぶりだな」

 ファルクスが歩み寄る。

「よう、弟、相変わらず良い身体だな」

 ファルクスとダンテと呼ばれた男は軽く抱き合った。

「隊長のお知り合い?」

 サンダースが呆けたように尋ねた。

 アカツキは思い出した。リヴィーナの亭主だ。確か傭兵団を組織しに出て行っているはずだった。

「そ、俺の義理の兄貴。ダンテです」

「よぉ、よろしくな、御一同。少年、気迫はあったが、まだまだ力が足りないな。肉食って、牛乳飲んで鍛えろ、鍛えろ」

「少年じゃない、俺は成人済みだ!」

 アカツキは思わず反発していた。

「それに法度にも触れている。お前を逮捕する!」

 アカツキが言うとダンテは笑った。

「助けてくれよ、ファルクス」

「アカツキちゃん、悪いが見逃してやってくれ。良い遊び相手だったろ?」

 遊び相手にされていたのは俺の方だ。

 アカツキは悔しくて歯ぎしりした。

「隊長には分かってたんですね? その相手がダンテさんだってことが?」

 アーロンが尋ねる。

「そうだな。この城下で半裸でいられるのといえば、俺とダンテぐらいなもんさ」

「え? 半裸?」

 サンダースが驚いたように言うと、ダンテはバッと外套を広げて見せた。見越したのか運が良かったのか月明かりが鍛えこまれた上半身を照らし出した。

「ハハハハッ!」

 ダンテが誇らしげに笑った。

「じゃあな、早く帰って妻と久々に楽しみたいのでね。あばよ、弟、御一同。あと、少年と間違えてすまなかったな」

 そう言うとダンテは外套を戻し去って行った。

「どうだったアカツキちゃん? あれがダンテだ」

「正直言うと強かった」

 アカツキはダンテに未だになめられているように思い、膨れると、ハンクが応じた。

「補充された兵とも思えません。隊長、あの方は傭兵ですか?」

「そう。傭兵。イージア、バルケル、エイカーといろいろ回って傭兵を募ってたんだ。傭兵団の名前はそのうち出るだろう。今の状況ではありがたい戦力になると思うぜ」

「ええ、腕は確かでした。それにあの人柄、どちらかと言えば好かれるでしょう。共に旗を並べる日が楽しみです」

 ハンクが応じた。

 そうしてその日は兵舎へ戻ったのであった。

 既に寝入っている共同部屋の同僚達を起こさぬように毛布を三枚かぶると、自分の手のひらを見た。

 まだ感触が残っている。あのまるで雷を受けたかのようなビリビリする感覚が。

 肉を食って、牛乳飲んで……か。

 悔しいがその助言に従うほか無さそうだった。ファルクスは俺に世の中が広いことを教えてくれたのかもしれない。

 いつか、旅に出たいな。武者修業という名の。いろんな者と剣を交えて。

 アカツキは目を閉じ、そして夜も更けた頃、ようやく神経の高ぶりが治まり、眠ったのだった。

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