暁伝 前哨戦12

 敗軍の兵はとぼとぼと昼夜を問わず歩き続けた。

 先の戦で全ての気力体力を使い切った者達ばかりで、陣列こそ整っていたが、表情に覇気は失せていた。

 エルド・グラビスが中心となり、生き残った騎兵、歩兵が続いている。

 雲に隠れた月が彼らをか弱く儚げな人影として照らし出している。

 今回の損害は如何ほどだろうか。

 ハンクの背で矢傷と戦いながらアカツキは想像する。

 近衛隊にも犠牲者が出たのは見た。エーラン将軍は無事に退却できたとしても、今回の彼の罪は重い。逃げ帰って来た大将を見て民達はどう思うか。また傷つき、疲弊した我々を目の辺りして不安にさせたりしないだろうか。

 ああ、バルバトス太守殿さえいれば。

 民もこう嘆くだろう。兵もだ。

 お天道様は騙せない。夜の静寂の中を歩き続け、夜が明け、アカツキも兵達も、自分達がどれほど酷い有様なのか互いに思い知った。

 ああ、負けたのだ。

 その現実を確信させた。

 そのまま最後のオークの廃村へ差し掛かった時、まばらに人影が集結しているのを一同は見た。

「何だ、敵か?」

 兵達が最後の力を振り絞りいきり立つ。

「違う、ライラ将軍の神官隊だ。ここを野戦病院にする」

 ボク・ジュンが声を上げて兵達をどうにかなだめた。

 野戦病院は長蛇の列だった。神官の数が明らかに不足していた。

 アカツキはハンクにもうここまで来れば大丈夫だと言い、自分の足で列にならんだ。

「ありがとう」

「ありがとう」

 兵士達が癒し手達にそう言い列を離れて行く。

 アカツキの順番が来るまで朝から夕方まで掛かった。と、いうのも神官達も休息をとって力を取り戻さなければならなかったからだ。

 前の兵士が去り、夕暮れの光りが照らしつける。

「アカツキか!」

 不意に嬉し気な声が聴こえ、アカツキは目の前の人物をマジマジと見た。

 ライラ将軍だった。

「ラ、いえ、閣下」

 アカツキは列を間違えたのだと思ったが目の前の人物は麗しい顔に笑みを浮かべた。

「ケガを見せて見ろアカツキ」

「大したことありません、閣下の手をわずらわせるほどのものでは」

「脚の矢傷だな。血を流し過ぎているかもしれない」

 ライラは彼女の温かい手を傷口に当てた。

 そして何事か呟くと、アカツキの傷は治った。

「ありがとうございます」

「よく頑張ったなアカツキ」

「はっ!」

「よし、次の者!」

 アカツキは列から離れた。

 治療の終わった者達は背後を壁のように固めていた。

 アカツキもそこに加わった。

 ライラ将軍へは今は恋心などは無かった。あるとすればただの篤い感謝だけだ。

 夜になり、雑煮が振舞われる。その後も神官達は頑張り、朝になってようやく全員の治療が終わった。

「行軍陣形を組め!」

「応っ!」

 エルド・グラビスが声を上げ、意気の戻った兵達は声を唱和させて応じ、きびきびと動いた。

 騎兵が先になり、神官達を挟んで歩兵隊が組織される。ここには馬を無くしてしまった騎兵や、失ってしまった攻城兵器、輜重を輸送していた者達も加わった。

 追撃の心配はなかったが、それでもアカツキは早く城に戻りたい気分だった。誰もがそうだろう。元気になった兵達は半ば浮足立ち、激戦を生き抜いたそれぞれの武勇譚を話していた。

「おしゃべりは城下の門まででおじゃるよ!」

 芳乃将軍の声がそう言った。

 行軍は賑やかに続き、そして芳乃将軍が言ったよりも前、ヴァンピーアの城の影が見えてきた頃から兵達は押し黙った。

「堂々と帰還するぞ! お前達は決死隊として本当に良くやった!」

 エルド・グラビスが励まし褒め讃えた。

 吊り橋は上げられていた。

「開門!」

 エルドが言うと、吊り橋が下げられ、大きく分厚い門扉が開かれた。

 大通りを民衆が左右に列を作っていた。

 軍馬に跨ったエルド・グラビスを先頭に一同は民の前を歩いた。

 勝つと民衆は祝福に花を投げてくれるのだが、今回それは無かった。だが、兵達は大将の言う通り堂々と胸を張り歩いて行く。

「よく帰って来てくれた!」

「ご苦労様!」

「エルド様、万歳!」

 次々民衆から好意的な声が投げ掛けられた。

 兵達も厳しい顔つきが緩んでいた。アカツキもだった。

 負けはしたが、報われたのだ。あの命懸けの戦いが。腰に差してある折れた弓も喜んでいるんだろう。

 将軍達は城へ入り、兵士達は兵舎へ引き上げた。

 共同浴場へ行く者、眠りにつく者、様々だ。

 決して眠くないわけでは無かったが、アカツキは井戸の前で桶に水を汲み、剣を磨いていた。鎧は捨て、兜はいつに間にか無くなっていた。

 兵達の声が遠くに聴こえる。

 アカツキは無心で剣を磨き上げると、立ち上がった。

 傷こそ治ったが疲れは残っていた。

 アカツキは外出した。

 既に民衆はいつもの様子となり、寒いがアカツキは平服一枚に外套を羽織って大通りを歩いた。

 そのまま東に行き、奥へ来ると、そこは「子ヤギの悲鳴亭」であった。

 ノックする。

「た、たのもー! たのもー!」

 すると扉が開き、リヴィーナが現れた。

「アカツキ君! 無事で良かったわ! うちの弟は?」

「ファルクスも無事です。敵兵を二百以上斬る大手柄ですよ」

「そう、それなら良かったわ。さぁ、入ってお客様」

 アカツキはそのまま招き入れられると、部屋へ案内された。

 ベッドに横になると急激に眠気が襲ってきた。

 リヴィーナが来る前に彼は眠りについたのだった。

 そして起きたのは夜だった。

 アカツキはハッとして起き上がる。身体は軽かった。

「リヴィーナさん?」

 アカツキは階下へ下りて声を掛けた。

「アカツキ君、お目覚め?」

「す、すみません、つい眠ってしまって。でも身体が軽いです。ありがとうございました」

 アカツキは代金を支払った。

「たまにはうちの弟にも顔出すように言ってね?」

「はい」

「おじちゃん、バイバイ」

 娘のエリスが手を振る。

「ああ、バイバイ」

 アカツキは微笑んで返すと外に出た。

 雪は止んでいた。

 そういえば、いつから止んでいたのか、気にしなかった。むしろそれどころでは無かったのだから。

 アカツキは夜の風景となった町を歩き始めた。

 人々に活気が戻っているような気がした。

 と、アカツキは画商の店の前で足を止めていた。

 蝋燭の灯りが見事の筆の乗った人物画を映し出している。

 バルバトス・ノヴァー、エルド・グラビスらの絵があった。ふと、そこに分隊長ファルクスの絵が置いてあった。

 あいつ、いつの間に。握っている剣はマークツーでは無いようだったので、アカツキと出会う前かもしれない。

 そして、あった。

 ライラ・グラビスの美しい絵が。槍を薙ぎ、風で長い髪が揺れている。予想とは違い勇ましい絵だった。

「ライラ将軍の絵はもうその一枚しかないよ」

 太った中年の店主が声をかけてきた。

「ライラ将軍は男女とも人気が高いからね。この絵も明日辺りには売れてしまうだろう。どうだい、憧れるものがあるだろう?」

「そうだな。では、邪魔をした」

「お兄さん、お兄さん、待って。ライラ将軍では無いがね、あなた好みのエッチなヌード画集が今ならたったの」

「じゃあな」

 アカツキは歩み始めた。

 ライラ将軍への思いは捨て去ったというよりも封じた。

 今の俺は色恋よりも武功だ。

 戦場で敵を討ち、いつか暗黒卿の首を取り、父とダンカン隊長の墓前に報告する。今はそれだけを考えよう。明日からまた武術に磨きをかける。それだけだ。

 アカツキはそう決意しつつ兵舎へと引き上げていったのだった。

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