暁伝 前哨戦11

 多数の軍馬が踏み固めた雪の大地をアカツキは疾駆した。右足は痛むが突き刺さった矢はまだ抜いていない。血が溢れ出る恐れがあるからだ。それに極寒ともいえる気候の中で血を流し過ぎるのは彼にとって良くないことのような気もした。

 バーシバル小隊長の馬は懸命に乗り手のアカツキに応えようと馳せている。

 だが、一時間が経ち二時間もすると、戦闘中の疲弊もあってか、馬は徐々に速度を落とし、喘ぎ始めた。

 陽が真上にある。正午に差し掛かった。

 騎兵隊はどこまで行ったんだ? その時、ついにバーシバル小隊長の馬が倒れてしまった。

 不意のことにアカツキは落馬した。馬と地面の間に挟まらなかったこと、頭を打たなかったことが幸運だったのかもしれない。

「よく頑張ったな。すまん、お前を置いて行かなければならない」

 アカツキは横に倒れて泡を吹いている懸命だったが哀れな姿になってしまった馬に心から礼と無念の気持ちを述べた。

 そして歩む。いや、駆けた。だが甲冑が重い。

 アカツキは短剣で装具を固定するベルトをそれぞれ切り、鎧を外して捨て、鎖帷子の上に外套と言う身軽な姿になって駆け出そうとした。

 脚が痛む。その時、背後でバーシバルの馬がアカツキを励ますように鳴いた。

「そうだ、お前の頑張りを俺は無駄にしないぞ」

 アカツキは歯を食いしばり、固い雪の上を走った。

 左の腰で父の形見である大剣が揺れ動く。

 白い息を喘がせ、ひたすら駆けた。数の上ではこちらは今回は大軍勢を出した。いや、いつもそうだ。本気でやらなければ勝てる相手ではないし、本気でやってもこうして城を落とせずにいる。

 ファルクスは無事だろうか。先輩達も今頃命懸けのはずだ。俺だってそうだ。俺の足次第で状況は早く変わる。

 と、三十分ほど経った頃、前方から一騎の騎兵が駆けて来るのを見付けてアカツキは笑みを浮かべた。

「確か、ファルクス隊の。どうした、城の方で何かあったのか?」

 アカツキは騎兵の問いに答えたかったが、ゼエゼエと肩を揺らして息をし、苦しみながら告げた。

「暗黒卿だ」

「暗黒卿? 死んだのでは?」

「ガセだ。本陣が危機だ」

「分かった、だが、こちらも敵勢と交戦中で」

「行ってくれ! 行って伝えてくれ!」

 アカツキが声を上げると騎兵は頷き再び戻って行った。

 アカツキは尻もちをついた。

 疲労が上がって来る。走っていたためか汗を掻いていた。それが風に煽られ氷ついたようにアカツキの身体から熱を奪って行く。

 俺の役目は果たした。ここで死んでも良いのかもしれないな。

 アカツキは出血の止まらない右脚を見てそう思った。

 ふと、前方から地鳴りが響いてきた。

 間違い無く騎兵隊だ。

 アカツキは這いながら道を譲った。

 騎兵隊が次々抜けて行く。その様子を見詰めてアカツキは悦に浸っていた。敵勢の追撃もあるだろうか。俺はやはりここまでのようだ。

 脳裏をライラ将軍の横顔が過ぎった。

 その時だった。

「アカツキか、それ、後ろに乗れ!」

 一騎が立ち止まり馬上から手を差し伸べた。

「あなたは」

 猫を模した兜と下ろされたバイザーを見てアカツキは誰なのか気付いた。手を出すと物凄い力で引き上げられ、後ろに乗せられた。

「ツッチー将軍! あ、閣下」

「細かいところなど気にするな。しかし、よくその様な身に成り果てながらも知らせを届けてくれた。よくやったぞ」

 ツッチー将軍はそう言うと、アカツキが腰に手を回したのを見て、馬を走らせた。

 地鳴りが鳴り響く。数多の馬蹄が雪を再び踏み固める。

 途中、捨てた甲冑と、横になったバーシバル小隊長の馬を見た。馬は動いてはいなかったように思えた。アカツキは詫び、そして感謝した。

「追撃はあるんですか?」

「殿軍は芳乃殿だ。そう簡単には崩せまい」

 芳乃。あの東方の、刀を持った将軍か。彼なら確かに追撃を防いでくれるかもしれない。

 アカツキは安堵した。

「アカツキ、状況は?」

「はい、城を包囲し弓で射かけている最中に正面の門が開き、暗黒卿を先頭に軍勢が」

「エルド・グラビス殿だけが頼りか」

「ボク・ジュン殿も居ります」

「あやつでは暗黒卿には勝てん! 俺でも勝てんだろう。だが、やらねばな! そうだろ、アカツキ?」

「ええ」

 アカツキは頷いた。

 馳せることどれぐらいだろうか。城の影が見えてきた。

 城の正面に敵の軍勢が展開していた。

 近衛隊の姿が見えない。

「エーラン将軍、敗走! 味方は殿軍のエルド・グラビス将軍を残し順じ撤退中です!」

 伝令の声が響き渡った。

「暗黒卿を止めるのにも限りがある。アカツキここで降りるか?」

「いえ! 御迷惑でなければ御一緒させてください! 暗黒卿は私にとって仇です」

「そうだったな」

 味方は波に呑まれつつあった。

 騎兵隊が歩兵隊に合流し、前へ前へと交代して行く。

 正面に漆黒の鎧兜を纏った暗黒卿の姿があった。それを受け止めているのは銀色の鎧に身を包んだ将軍エルド・グラビスだった。

 目に見えてエルドの消耗が激しかった。

「暗黒卿を止めんことには何も始まらんな」

 ツッチー将軍は槍をしごいてエルドの隣に躍り出た。

「エルド殿、よくぞ持ち堪えてくれた、代わろう」

「すまぬ、ツッチー!」

 エルドが離脱するやツッチーは槍を旋回させ暗黒卿の剣をぶつけ合った。

「暗黒卿、そんなに鎧兜で身を固めて、本当は貴様は臆病者なのではないか?」

 ツッチーが武器越しに挑発すると、相手は返した。忘れもしない、ダンカン隊長を討った時のあの低い声で。

「噂の猫将軍か。楽しませてもらうぞ」

 アカツキは激闘を見ながら自分はツッチー将軍の足手纏いに少なからずなっていると考えた。

「将軍、これは神聖な一騎討ちですか?」

「ただの乱戦に過ぎん! その後片づけをしているだけだ!」

 ツッチー将軍は槍を振るいそう言った。

「ならば!」

 アカツキはツッチー将軍の馬から跳び下りた。

 そして右脚に突き刺さった矢を力任せに抜くと、アジームがくれた強弓に番え、弦を最大に引き絞り、暗黒卿の腕を狙った。

 鮮血を散らし矢が飛ぶや、それは暗黒卿の左肘を鎧ごと射抜いた。

「芸達者がいるな」

「暗黒卿、今日で貴様も終わりだ!」

 ツッチー将軍が槍を繰り出す。

 暗黒卿は右手一本の剣で弾き返した。

「掃討せよ!」

 暗黒卿が声を上げる。

 魔族の軍勢が鬨の声を響かせる。

 そして突貫してくる。

「それ、敵を食い止めるでおじゃるよ!」

 芳乃将軍の声が側で聴こえた。

「おっしゃ! どんどんぶった切ってやるぜ!」

 聞き覚えのある声がし、見回すと、一人、次々血煙を量産している兵士がいた。ファルクスだ。マークツーの切れ味が次々に増しているらしい。ハンクと、アーロン、サンダースの姿も見えた。他の兵もいる。

「よし、今より我らは決死隊となる! 覚悟の無い者は逃げ延びよ!」

 エルド・グラビスの声が轟く。

 もはや逃げるものか。仲間がいる。

「ハアアアアッ!」

 アカツキは咆哮を上げて足を引きずりながら剣を抜いて戦列に加わった。

「アカツキ!」

 アーロンが真っ先に気付いた。

「先輩、余所見をしてはいけません!」

「言われんでも!」

 アカツキは魔族の兵に剣を打ち込み続けた。だが、必殺の一撃がなかなか放てないでいる。一人の兵士相手に多くの時間を費やしてしまう。俺にも鉄を断ち切れるような力があれば。

 不意にアカツキは背中の弓のことを思い出した。あの強弓は暗黒卿の鎧を貫いた。

 アカツキは剣を鞘に戻すと、隣のアーロンの背中の矢筒に残っている矢を抜き取った。

「喰らえ!」

 立て続けに三本の矢を放つ。矢はそれぞれの敵兵のバイザーを貫通し絶命させた。

「おおっ!」

「隊長に続いてすごいのが来た」

 アーロンが言い、サンダースが続く。

「アカツキ! 矢だ!」

 彼らの更に隣にいるハンクが矢筒を投げた。それに続いて矢の残っている者は次々アカツキ目掛けて投げてよこした。

 アカツキは矢筒を六つ満載にして背中にかけ前線へ躍り出た。

 敵兵と顔が合うや、矢が飛び貫通し、二人まとめて掃討した。

 これなら。アジーム教官、感謝します!

 アカツキは次々矢を番えては放ち、番えては放った。

「良いぞ、アカツキ!」

 アーロンが剣を振るい称賛した。

 エルド・グラビス、芳乃、ツッチー、ボク・ジュン、その他の居残った部将、将軍達は並外れた武芸を披露していた。

「二百五十! さっすが、マークツー! 惚れちまうぜ!」

 ファルクスの声が耳に届いたが、アカツキはひたすら前列で矢を放ち続けた。

 兵達も奮迅していた。覚悟を決めた兵達である、そう簡単な傷で引き下がるほど彼らの魂は燻ってはいない。

 と、角笛が鳴り響き、敵が攻撃を止めて引き下がり始めた。

「追うな!」

 エルド・グラビスの声が狂戦士達を正気に戻し止める。

 その様子を見ながらアカツキはようやく安堵の息を吐いた。

 が、それを察し、役目を終えたかのように、手の中で強弓はポキリと真っ二つに圧し折れてしまっていた。

「敵の背後で何かあったらしいな」

 ハンクが進み出てきてアカツキに並んだ。

「そうですか」

 アカツキは強張る肩を下ろし、肘をほぐして頷いた。ハンクも頷き返し、するとアカツキを担ぎ上げた。

「その脚では帰れまい。俺が背負って行く」

 その言葉にアカツキは素直に従うしか無かった。

「お願いします」

「よぉ、アカツキちゃん。大活躍だったな」

 そう言うファルクスの様は凄かった。敵の返り血を全身に浴び、緑色に染まっていた。マークツーもまた血糊に濡れ、切っ先から新鮮な血が流れ落ちている。

「百人もやれなかったけどな」

 ハンクの大きな背でアカツキは微笑んだ。

 日差しが夕暮れに傾き始めた。 

 程なくして改めて撤収の命令が飛び、形式上は総大将の敗走で負けはしたものの、命を拾った者達はそんなことなど微塵も感じさせず、意気揚々と敗残の陣を整えて退却したのであった。

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