暁伝 前哨戦10

 その年は特に例年に無い降雪量だった。エーラン将軍は十二月中は国境付近に詰めていたかったようだが、この雪ならば敵も進軍はできまいと最終的に判断したらしく、年明け早々には戻って来た。

 賑やかに戻った兵舎は、雪降ろし作業が捗った。だが、町はさほど活気づいていなかった。年賀の挨拶ともに語られるのはバルバトス・ノヴァー不在のことばかりのようだった。町へ出ると何処も彼処もそんな話題が耳に入って来た。バルバトス・ノヴァーの名声と存在がこれだけ多くの人々の心の拠り所であり支えとなっている。それを聴いた太守代理のエーラン将軍は面白いはずが無いだろうとアカツキは思った。

 二月、雪が未だに振り続ける中、アカツキの予感が的中したのか、エーラン将軍が兵を挙げると布告を出した。

 兵も民も驚くばかりだった。

 だが、いつの頃からか、ある噂が流れてきていた。

 相争うアムル・ソンリッサ、最強の手駒の暗黒卿が討たれたというのだ。

 アカツキは複雑な心境だが喜べなかった。

 父やダンカン隊長の仇は自分が取りたかった。それが一度も剣を交えずして終わってしまうとは。

 暗黒卿さえ、いなければ勝てるかもしれんが、この雪の中を進軍し駐留するのだ。喜び勇んでいるのはエーラン将軍ぐらいだった。

 エーラン将軍は太守代理をライラ将軍に託した。ライラ将軍と言えば、彼女への思いは断ち切ったつもりだが、アカツキは未だに心が燻っていたのだった。

 戦闘狂とも思われるファルクスでさえ、あくびをし、エーラン将軍の出陣に悪態を吐いた。

 特に去年の十二月中、外で詰めていた兵士達からの不興は大きかった。

 だが、小隊長バーシバルの声の下、一同は動いたのであった。

 チラチラと雪が舞い、具足が膝下まで埋まる。騎兵に弓歩兵、攻城兵器と、輜重隊が続々と後に続く。こうして二月某日、リゴ村、アビオン、コロイオスの援軍を含め、そうそうたる装備と、兵力、将軍らの顔触れで一同は出立した。

「アカツキ、新しい隊はどうだ?」

 行軍中に馬上のバーシバル小隊長が尋ねて来た。彼はダンカンの同僚で、どうしても声を聴くとダンカン隊長のことが脳裏を過ぎる。

「ええ、良い部隊です」

「あったりめぇだろう。なんせ、俺の隊だぜ」

 ファルクスが大笑いして言った。

「まぁ、そういうことです」

 アカツキが言うとバーシバルは微笑んだ。

「模擬戦での活躍は聴いた。ライラ将軍がアカツキのことを嬉しそうに話していた。羨ましいな、死に急ぐなよ」

 バーシバルはそう言うと、疲れ始めた行軍中の兵士達を励ましに走って行った。

「アカツキ、釘をさしておくが」

「ハンク先輩、分かってます。ライラ将軍のことは諦めています。ただ、あの方の喜ぶ顔が見れればそれはそれで本望だと思うまでです」

「なら良い。先日画商が訪れていたのだがな、バルバトス太守始め、将軍らの御姿が一人一人綺麗に描かれたものがあった」

「絵ですか?」

「ああ。ライラ将軍の絵だ。お前ならどうする?」

 そう問われアカツキはドキリとした。欲望が熱を持って主張し始める。まるで寒いのなど忘れてしまっていた。

「たぶん、こっそり買いました。けど、戦が終わるころにはもう売れ残っていないでしょうね」

 アカツキは囁き声で言うとハンクは頷いた。

「そうだな」

 それからは小休止を挟み、かつて駆逐したオーク達の廃村を通過し、進んで行く。ここも見通しが良くなった。木々を伐採し、膨れ上がった軍勢でも通過できるようになった。双方便利になったが、その代わり、いずれも伏兵として埋伏できる場所を失った。とはいってもここに伏せたり誘ったりする戦術は幾度となく繰り返され、今ではもう互いに通用しなかっただろう。それを察したのか、道を切り開いている間は、闇の者達は襲っては来なかった。しかし、道が完成するとさっそく攻めてきた。

 アカツキは騎兵隊の後ろに長槍を立てて仲間達と共に歩んでいた。

「隊長、この戦、勝てますかね?」

 アーロンが尋ねた。

「暗黒卿が死んだっては聴いてますが」

 サンダースが続く。

「エーランの戦術が通用したのは一度だけ、しかも半日とは持たなかったな。だが、暗黒卿がいないなら悔しいが勝てるかもな」

 覚えている。オーク城を奪取したのは良いが、暗黒卿が現れ、皆が這う這うの体で逃げ出した。勇敢に留まったダンカン隊長はそこで討たれた。

 ファルクスの言う悔しいという言葉は、エーラン将軍の功績が増える事を指すのだろう。

 雪のため、行軍には手間取ったが、先頭からオーク城が見えてきたと知らせが入って来た。オーク城。かつてはオーク族の城だった。今はオークはいない。だが、堂々とした彼らの戦い方に心を打たれた人々がそう口にし、今では誰もがその城をオーク城と呼ぶ様になっていた。

 軍勢が展開する。騎兵が右翼へ、アカツキ達歩兵隊は真ん中におり、弓兵が左翼に着いた。後方には近衛隊とエーラン将軍がいる。

 城壁には旌旗が翻り、弓兵達が隙間なく詰め、待ち構えていた。

「敵は籠城の構えか」

 エルド・グラビス将軍が言った。

「暗黒卿は本当に死んだのでしょうか?」

 これはエルド・グラビスの準将軍ボク・ジュンの声だった。槍の使い手で昇進こそ遅れてはいたが、あの猫将軍ツッチーとは互角の技を競う間柄だった。また、昇進が遅れたせいか、兵達との付き合いも長く、アカツキも手合わせしたことがあるが、槍術の前に勝てなかったのだった。

 掲げ盛っている槍の穂先が陽光を浴びて煌めいた。

 だが、その時、突風が吹いた。と、城壁に掲げられていた敵の旗が飛ばされていった。

「おお、我らにとっては吉兆かもしれん! やはり暗黒卿は死んだのかもしれんな」

 誰かが言い、兵士達の士気が上がった。

「よし、まずは城壁の弓兵を減らす。歩兵隊は弓に持ち替え、弓兵隊と共に前進せよ!」

 ボク・ジュン将軍の若い声が木霊する。

 アカツキは他の兵同様命令に従い、長槍を捨て、背中にあった弓に持ち替えた。矢筒は二つあり、計四十本の矢が入っている。

「展開せよ! 敵の平城を包囲するのだ!」

 ボク・ジュンの声の後に、各兵達は分隊ごとに分かれて、横並びとなり、まずは射程外に陣取り城を包囲した。

 ファルクス隊は正面であった。

「弓はどうもな」

 ファルクスが言った。

「隊長、俺、弓が得意なんですよ。競いましょうか?」

 サンダースが言った。

「生意気抜かしたな。面白れぇ、その代わり死ぬなよ、サンダース。ハンク、アーロン、アカツキちゃんもな」

「はいっ!」

 アカツキも返事をする。

 前進の角笛が鳴った。

 弓を構え、矢を番え、城壁上の居並ぶ黒い影に向けて狙いを定める。

 と、さっそくイナゴの如く矢が襲ってきた。

 飛来する矢は次々こちらの兵を射た。

 アカツキは重々しい弓を手にしていた。自分が射られてもおかしくない状況だ。

「斉射!」

 ボク・ジュン将軍の声ともに矢が放たれる。

 矢は弧を描いて城壁上に降り注いだ。幾つか斃れる影あったが、それでもお互い撃ち合うことを当然止めはしない。

 死地だ。

 アカツキは次々強弓を放った。この弓はアジーム教官より卒業時に餞別として持たされた弓だった。

「今まで教えてきた中でも特にお前はあらゆる素質の塊だ。剣があるならこいつを持っていけ。引ければの話だがな」

 そう言い教官は渡してくれた。その弓から放たれた矢が敵を射抜いているのかは分からない。ただの影だ。

「ファルクス隊長、見えます?」

 この忙しい中サンダースが声を掛けてきた。

「見えねぇな。勝負は続けるぞ」

「分かりました」

 悲鳴や罵声が聴こえる。撃ち尽くし補充に走る兵もいる。

 アカツキも背に手をやっていつの間にか全ての矢を使い果たしたことを知った。

「ファルクス、矢を取りに行ってくる」

「行って来い」

 アカツキは隊列から抜けた。

 射程外ギリギリのところに箱に入った山積みの矢はあった。

 ふと、騎兵が駆けて行くのが見えた。サグデン伯爵が指揮を取っているはずだ。

「やっぱり暗黒卿は生きてて、今こっちに来てるのかな?」

 中年の兵が気弱そうに言った。

「それでも、我らは役目を果たしましょう」

 アカツキが言うと相手は頷き戦場へ戻って行った。

 持ち場へ戻る途中、何人もの兵が射抜かれ倒れる様を見ることとなった。未だに敵の城壁からは盛んに矢が飛来している。ゾッとするが自分で言った通り、役目をはたすだけだ。

 アカツキは駆け、途中でアーロンとすれ違った。

「頑張ろうぜ」

「はい、先輩!」

 アカツキは持ち場へ着くと、再びひたすら矢を放つだけの人形となった。

 悲鳴も矢も後を絶たない。早く壁に梯子を掛けて一番乗りの名乗りを上げたいものだ。

 と、早くも門を打つ衝車の鎚の音が遠雷の如く聴こえてきた。

 アカツキはこうして今も生きているし、さほどの傷も受けて来なかった。まるで自分が特別であるかのような錯覚をしていたのかもしれない。右脚に矢が突き立ち、鎧ごと貫いていた。

「ぐっ、ちいっ!」

 痛みを憎悪に変え、憎悪を力にしアカツキは躍起になって弓を放った。

「アカツキ、手当てを受けて来い」

 ハンクが隣で言った。

「このぐらい平気です!」

「隊長、しばし離れます」

「ああ、分かった」

 ハンクが言いファルクスが頷く。

 アカツキはハンクに腕を掴まれた。

「来い、矢傷を侮るな」

「分かりました。でも、一人で行けますよ」

「分かった、だったら」

 その時だった。

 鬨の声が上がった。

 何事が起きたのかアカツキにもハンクにも分からなかった。

 声がした方向は衝車のある城門だ。

 敵が一斉に雪崩出て来たらしい。

 その先頭を駆ける大きな肉食馬に跨ったのは漆黒の影だった。

「暗黒卿、情報は嘘だったか」

 ハンクが言った。

「暗黒卿ですって!?」

 アカツキは驚いて声を上げた。

「間違いない、俺達はまんまと誘い出されたらしい。この最悪な天候の中をな」

 ハンクの声が軽く強張っていた。

「絶望している場合では無いです!」

 ふと、角笛が鳴り響いた。

「弓兵隊は抜刀し、速やかに正面の暗黒卿を迎え撃て!」

 バーシバル小隊長が馬を駆けさせながら包囲する自軍に触れて回って行く。

 暗黒卿は生きていた。しかもすぐ目と鼻の先に居たのだ。

 包囲していた歩兵隊が駆けてくる。

「あれだ、ひとまずあの歩兵隊の横腹に突っ込むぞ! 暗黒卿はツッチーが何とかしてくれる!」

 ボク・ジュン将軍が言った。

「将軍、ツッチー将軍はサグデン伯と共に増援の退路を防ぎに出てます」

「何だって!? く、俺が命を散らさねばならぬか。ナムサン、いざっ!」

 ボク・ジュン将軍は外套を翻し、長槍を持って一人、先頭を行く暗黒卿へ向かって行った。馬の速度は積もった雪のせいで遅かった。

「俺達も行きましょう!」

 アカツキはそう言い、右足に激痛が走るのを感じた。

 だが、歯を食いしばり、駆けようとするとハンクに止められた。

「その怪我では魔族には勝てん。まずは状況を見てからだ」

 そう言っている間にも歩兵達は次々二人を追い抜いて、暗黒卿率いる部隊の影に猛進して行った。

 ボク・ジュン将軍が追いつく前に暗黒卿は総大将エーラン将軍率いる近衛隊に襲い掛かった。その軍勢の展開の仕方はおそらく波のようだったろう。

 アカツキは絶望するのを感じた。この戦、負けた。

 本陣から角笛が木霊したが途中で切れた。

「お前ら、動けるか?」

 ファルクスがアーロンとサンダースを率いて合流してきた。

「アカツキが脚をやられてます」

 ハンクが言った。

「ファルクス、大丈夫だ! 指示をくれ!」

 するとバーシバルが現れた。

「ファルクス隊、誰か速やかに馬に乗ってサグデン伯に追いついてくれ。そして本陣が危機だと伝えて欲しい!」

「俺が行きます」

 アカツキはすぐに志願した。

「手負いの俺に出来ることと言ったらそのぐらいです。ファルクス、許可を!」

「分かった、行って来い、アカツキちゃん。お前らが戻るまで意地でも本陣は死守する。このマークツーでな」

 名工スリナガル製の剣を抜いて見せファルクスは不敵に笑った。

 バーシバルが馬を下りアカツキは騎乗した。

「アカツキ、頼んだぞ!」

 バーシバルが言った。

「はいっ! はあっ!」

 アカツキは馬腹を蹴った。そして西に延びる闇の者達の領土へ繋がっている街道をたった一騎馳せて行ったのだった。

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