暁伝 前哨戦9

 雪の積もった演習場には二百の兵達が勢揃いしていた。

 それぞれの左腕に紅白のいずれかの帯が巻かれている。アカツキは紅組だった。

「皆、寒い中、御苦労」

 風で翻るのは光の神に属する教会の代表の証である白い外套。その下に銀色の鎧兜に身を包んだ将軍エルド・グラビスが姿を見せた。

 談笑しあっていた一同は慌てて敬礼する。

 バルバトスには無い威厳を感じさせる将軍だ。というのがアカツキの感想だった。

 すると、その隣に同じく白い外套を揺らし、長い髪の女性が現れた。

 アカツキはアッと驚いた。昨夜、酔っ払い退治に協力してくれた女性だった。冬の晴れ間の下、若く麗しい容貌が露わになっている。手にしている長柄の武器と併せ、戦女神のようにも思えた。

 ふと、アカツキは思った。彼女の前で良い格好をしたいと。彼女と親しくなりたいと。彼は両頬を両手でバチンと叩いて気合を入れた。ハンクが怪訝そうに見ていた。

 すると、一人の分隊長が進み出てエルドの前で背を向けて、こちらを見て話し始めた。

「ルールだが、武器同士がぶつかるのはかまわない。ただ身体を打たれた場合は脱落だ。目的は敵の殲滅。以上。それと皆が持っている物を見てくれれば分かるが、武器は潰れた刃とはいえ凶悪な鈍器に変わりは無い。羽目を外す者もいるだろう。なので厚い布で槍も剣も何もかも刃は覆ってある」

 その分隊長の目がアカツキの傍らファルクスに向けられたようにも思えた。

 アカツキは手にしている長槍を見る。穂先は布で覆ってある。腰に吊るしてある両手持ちの剣もしっかり鍔の前まで麻布で包まれていた。

 まずは槍の洗礼を突破しなければならない。

 というのは、まず横一列になり向かい合って槍を繰り出すところから始まるのだ。この時点で脱落者は多数出るだろう。その後は乱戦になる。

「では、整列!」

 アカツキ達、ファルクス分隊は紅組である。エルド・グラビス達に背を向ける格好になる。

 なのでアカツキはもしかしたら彼女が手でも振ってくれやしないだろうかと期待半分にうずうずと整列し、チラリと振り返ったが、その視線は今は白組の端に向けられていた。

「オメェら、脱落すんなよ。最初が終われば後は好き放題に暴れて良いからな」

「オッス!」

 アーロンと、サンダースが応じる。

「アカツキ、どうした?」

 ハンクが尋ねて来た。

 アカツキは心ここにあらずと言うていであったことに気付き、慌てて仲間を振り返った。右にファルクス、左にハンクと挟まれていた。

「何だ、アカツキちゃん、緊張してんのか?」

 ファルクスがニヤリとして尻をバシリと叩いてきた。

「別に緊張なんかはしてない」

「大いに結構!」

 ファルクスの笑い声が木霊する。

「それでは、位置に着いて。よーい」

 緊張? この熱くワクワクする感じ武者震いの間違いじゃ無いのか?

「始め!」

 地鳴りが鳴り響いた。槍が突き出され、アカツキは避けた。そして突き返す。槍は白組の相手の胸を打った。

 あちこちで脱落者のやるせない声が聴こえる。

「よっしゃ、派手に暴れて来いや!」

 ファルクスの声がまるで第二ラウンドの開始のようだった。生き残った兵士達が剣を、斧を手に持ち替え勇躍し挑み合った。

「ギャアアアッ!」

 アカツキも咆哮を上げて槍を捨て剣を抜くや白組の一人に打ちかかった。

 打ち込み、左、右、上、下、真ん中! 素早い乱打に相手はついて行けず腹部に攻撃を受けて敗軍の兵となった。

「ヒャアアアッ!」

 アカツキは新たな獲物に襲い掛かる。打ち込み続ける。相手が武器を落とすや右肩に剣を振り下ろし勝利をもぎ取る。

 太い筋となった白い吐息が荒々しく口から漏れている。アカツキは周囲を見回した。どこも一対一でやりあっていた。

 と、手持無沙汰な敵兵と目が合いアカツキは駆けた。

「ウオオオッ!」

 渾身の突きは避けられた。足を止め、素早く振り返り剣を薙ぐ。敵の一撃を受け止めると、敵はニヤリとした。

「坊主、この戦い貰うぜ」

 アカツキは背後に気配を感じた。

 彼は短剣も差していた。右手一本で敵の相手をし、左手で短剣を抜き、向かってくる敵の攻撃を受け止めた。そして距離を取る。

「助勢するぞ」

 低い声がし、布に巻かれた棍棒を手にしたハンクが隣に並んだ。

「よぉ、ハンク。そのガキはお前のところのか?」

「ああ。意地でもやらせんぞ」

 頼もしい言葉を先輩から聴きアカツキは心が燃え上がった。

「先輩、最初に仕掛けるのがアカツキ流です」

「そうか、ならば行くぞ!」

 アカツキとハンクは地を蹴って敵へ襲い掛かった。

 二人の鬼気迫る打ち込みに相手は及び腰になりつつあった。

 その時、アカツキの攻撃を避けた相手が腰から小さな笛を取り出して口に咥えた。

 甲高い笛の音色が木霊する。

 途端に手持無沙汰だった兵達が集結し二人を包囲した。

「二十五人。玉砕覚悟で挑むぞ」

 ハンクが囁いた。

「最初に仕掛けるのがアカツキ流だったな!」

 ハンクが動く、アカツキもその隣で遅れず勇躍して敵挑みかかった。

 ハンクもアカツキも薙ぎ払い、敵を遠ざけている。

 前、後ろ、右、左。

 と、敵兵の一人の頭に剣が落ちた。

 敵は白目を剥いて倒れた。そこにはファルクスが立っていた。

「混ぜてくれよ」

「ファルクス!」

 アカツキは思わず微笑んだ。

 ファルクスは駆け付けてきた。三人は背中合わせになり敵と向き合った。

「隊長、アーロンと、サンダースは?」

「脱落してやんの」

 ハンクの問いにファルクスは応じ、溜息を吐くと不敵に微笑んだ。

「だけど、良いね。窮地、最高だぜ! なぁ、アカツキちゃん?」

「そうだな。ハアアアアッ!」

 アカツキは咆哮を上げ敵勢へ斬り込んだ。

 剣は空を切り、敵勢を二分する。そこへファルクスとハンクが加わり、敵は散を乱した。

 アカツキは無我夢中で武器を跳ね返し、自分も振るい続けた。

 そこへ槍が叩き込まれた。アカツキは辛うじて受け止めたが、手に痺れが走った。

 それはルールを説明していたあの分隊長だった。

「さすがファルクス隊、一筋縄ではいかんか」

「御首頂戴致します!」

「良いぞ、来い!」

 アカツキは近付こうとしたが、槍の猛連撃の前に近づけずにいた。

 剣で受け止めたが、今度はその力に身体が押される。そして背中はがら空きのはずだった。が、声が掛けられた。

「アカツキ、あのダンカン隊だった意地を見せてやれ!」

「背後の敵は俺達が抑える」

 ファルクスとハンクだった。

「恩に着ます!」

 アカツキは敵の分隊長と向かい合った。

 気合だけでは勝てない。力も早さも向こうが上だ。どうする。

「終わりか、若いの?」

 相手が槍先を下げる。と、アカツキは駆けた。一瞬の油断だった。

 敵の分隊長が瞠目する。その顔が最後となった。

 アカツキの剣は相手の面を打っていた。分隊長は鼻を押さえて、親指を立てて称賛すると場外へ出て行った。

「抜け目ないのな。やだねアカツキちゃん、エーランみてぇだ」

 ファルクスが言った。彼の裸の上半身からは湯気が上っていた。

「こっちも片付いたぜ」

 そうして立っているのが自分とファルクスとハンクだけなのに気付いた。

「あれ? それじゃあ」

「おうよ、俺達の勝ちだあっ!」

 ファルクスが吼えた。

 ハンクが微笑む。

 敵味方関係なく敗れ去った者達から惜しみない拍手が贈られた。

 アカツキはふと、あの女性がこちらを見て小さく手を振ったのを見た。

 途端にドキリとした。心臓が高鳴っているのが分かる。緊張はしている。だが、これは武者震いでは無い。

「ファルクス隊、見事だったぞ」

 こちらへ歩みながら太守代理のエルド・グラビスが女性と共にやって来る。

 ファルクスが跪き、ハンクとアカツキも倣った。

「お前の名は?」

 女性が問い、しばらくしてハンクに肘でつつかれアカツキは面を上げた。微笑みを絶やさない慈しむ様な目がこちらを見ている。

「お、私はアカツキです」

「アカツキか。お前の活躍、特に目立っていたな。何も恐れぬ胆力、見事だった。その咆哮に耳と目を奪われた」

「は、はい」

 アカツキが言うと女性は身を屈ませて囁いた。

「昨日のことも見事だったぞ」

 アカツキは胸の高鳴りを聴いていた。ああ、何て良いにおいなんだろうか。

 そして女性は再び顔を上げる。

「では、紅組の勝利とする!」

 エルド・グラビスが宣言し、紅組の兵達は歓声を上げた。

「良い戦いを見せてもらったぞ。では、さらばだ」

 エルド・グラビスはそう言うと背を向けた。

 女性が続こうとした時アカツキは思わず呼び止めそうになった。

 が、ハンクの襟首を捕まれた。

「アカツキ、駄目だ。あの方はライラ将軍と言って、エルド将軍の奥方だ。お前の入る余地は無い」

 将軍。奥方。それを聴かされ、アカツキは全身から力が抜けるのを感じた。

 浮かれる宴会では、白組の者も酒を飲むことを許され、談話室は盛り上がっていた。

 そんな様子を尻目にアカツキは一人傷心していた。

「飲め」

 顔を上げるとハンクが酒を差し出してきた。

「俺は酒を飲めません。それに酔ったファルクスを止めなければなりません」

「ファルクス隊長は酒を飲まんぞ。下戸だ」

「そうでしたか」

 しばし沈黙が漂い、ハンクが先に口火を切った。

「残念だったな。ライラ将軍のこと」

「先輩があの時に止めてくれなかったら大変なことをしでかすところでした。本当に感謝してます」

 アカツキが言うとハンクは頷き、再び酒を差し出した。

 アカツキはそれをゆっくり受け取り、顔に近づけるや、一気に飲み干した。

「アカツキ、そういう飲み方は良くないが、仕方が無いか」

 酒は不味かった。だが、身体に染み渡るのを感じた。身体が熱くなる。

「次からはゆっくり飲みます。だから酒を」

「ああ、行こうか」

 アカツキはハンクに付き添われ歩んだ。そして、その晩飲む初めての酒で、同じく初めて負った心の傷を払拭するために杯を求めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る