暁伝 前哨戦8

 雪は降り分厚く積もり兵舎の屋根を軋ませたので、城に残った兵達は総出で雪下ろし作業をしていた。

 兵の数だけ宿舎はあり、三日に一度はそうした作業に時間を割かねばならなかった。ましてや、エーラン将軍自ら二万の兵を率いて国境へ赴いた後なので、兵の数も少なく、その分手間が増えた。先輩のアーロンなどは、こっちの方が貧乏くじゃないのか? と、漏らす程であった。だが、このような作業も全員で一丸となって取り組めたので、アカツキのような新米には、腕や足腰を鍛えながらも色々な仲間や上司の顔を覚える良い機会でもあった。

 現在のヴァンピーアは別の分隊長曰く、兵士は二百人と少し、あとは近衛兵が二千ほどいる状況だという。太守代理は東南の都バルケルの将軍エルド・グラビスだ。いくら牽制とは言え、エーラン将軍一人には荷が重いのではないのだろうか。そう思わせるほど、まだまだこちら側には歴戦の勇が不足している。だが、そんな心配を先輩のハンクが払拭してくれた。

「牽制に出たのはエーラン将軍だけではない。以前お会いしたツッチー将軍、あとは準将軍としてバルバトス・ノヴァー太守の息子グシオン殿がついていなさる。二人とも顔が広く兵に慕われている。おまけに個人的な武勇でも引けを取らない。暗黒卿などが倍の数で攻めて来ない限り、まず負けは無い。だから安心しろ」

「はい」

 アカツキは頷いた。

 屋根の雪下ろしが終わると、各々食堂へと向かう。ファルクスもハンク達とアカツキを連れてそれに従った。

「たまに兵舎の食事も悪くねぇな」

 ファルクスがステーキを食べながら言った。

「隊長とアカツキは赤竜亭で食べてたんですか?」

 サンダースが尋ねた。アーロンが興味を示し、ハンクは粛々と食べている。

「まぁな。意外かもしれねぇが、飯の時は静かな方が好きだ」

 ファルクスが言うとサンダースもアーロンも目を丸くした。

「驚いたろう?」

「ええ、驚きましたよ」

 サンダースとアーロンが応じた。

 アカツキはそんなやり取りを聴きながら、言い訳がましいかもしれないが時間が無くて剣や鎧兜の手入れを怠っていることに後ろ髪を引かれる思いをしていた。ツッチー将軍が言っていた。ダンカン隊長は町を守る外壁の上でそれらを磨いていたと。そこで同じことをしてみたい気になったが、まず明日はそれが出来そうも無かった。

「傾注、傾注!」

 顔だけ知っている分隊長の一人が声を上げて前へ進み出た。

 徐々に静まり返るタイミングを見計らって分隊長は述べた。

「明日は模擬戦を行うこととした。太守代理のエルド・グラビス様も見物に御出でなさる。良いか、百対百の紅白模擬戦だ。勝った方には酒が飲み放題に振舞われるが、負けた方は何も無い、という極端な結果が待っている。明日の酒を取るために皆、互いに励もうぞ!」

「応っ!」

 食堂中の兵士達が声を揃えて応じた。

 それからどこの席でも模擬戦のことで話が弾んでいた。

「模擬戦か。腕が鳴るな。真剣じゃ無いのが残念だけどよ」

 ファルクスが言った。

「マークツーは反則だろう」

 アカツキが言うとファルクスは笑った。

「ファルクス隊長がいればこちらの勝ちは決まったも同然だな」

 アーロンが調子よく言い、サンダースが二度頷いた。ハンクは腕組みし、目を瞑っていた。

「ハンク先輩はどう思います?」

 アカツキが話題を振るとハンクは目を開けて応じた。

「アーロン、サンダース、隊長に頼ってばかりだと今までと何も変わらん。俺達も存分に武を振るうんだ」

 ハンクは生真面目な性格らしい。アーロンとサンダースは慌てて勿論だと答えた。

「そりゃ、頼もしいな。当てにしてるぜ、お前ら」

 ファルクスはそう言った。

 アカツキは今から緊張してきた。いや、これは武者震いかもしれない。明日が待ち遠しかった。

 食堂の肉付きの良い女性シェフが店じまいを告げた。時刻は夜の八時半だ。まだ眠るには惜しい。

 談話室というものが設けられているが、アカツキはそこへ行く気にはなれなかった。明日への思いが自分の足を自然と外へ赴かせる。

 そうだ、興奮しているのだ。これを落ち着けないことには眠れはしないだろう。

 演習場で剣を振るうのも良かったが、アカツキは外出することに決めた。ファルクス無しで、たまには一人で夜の城下を巡るのも良いだろう。

 明確な消灯時間が決まっていないことが良かった。リゴ村に居た頃はアジーム教官のもと、訓練と生活を徹底させられた。

 念のために部屋から愛剣ビョルンを持ち出し、重ね着した衣服の上に支給品の茶色の外套を羽織った。

 少しだけ悪いことをしているような罪悪感がある。だが、それが冒険心に拍車を掛けた。

 町へ出ると、まだ九時にもなっていないので、こんな天候でもまばらな人影はあった。

 アカツキはどう散策しようか決め兼ねていた。だが、ひとまず大通りを門まで歩くことに決めた。

 白雪が舞う中、くぐもって聴こえる酒場の喧騒や、民家の灯りが儚げに思えた。

 たまには一人も良いものだ。

 アカツキは歩みながらそう思い、音や景色の一つ一つに感動を覚えた。

 門は閉ざされていた。四人の門番が胡散臭げにこちらを見ている。

 よし、帰ろう。

 寒さと適度な歩みが身体から興奮を奪い去った。

 今なら眠れるだろう。アカツキは来た道を戻り始めた。

 道を半ばまで進んだとき、アカツキの耳に怒鳴り声が聴こえた。続いて女性の悲鳴も。

 巡回の兵はいない。門までも遠すぎる。アカツキは耳を頼りに雪の中を駆けた。路地裏に入ると、そこで二人の人間が睨みあっていた。

「どうした?」

 アカツキは駆け付け尋ねつつ状況を見た。

「女を賭けての決闘だとさ。おう、やれやれ! やっちまえ!」

 二人の男は酔っ払いのようだった。互いに真剣を向けあっている。

「俺を傭兵ガブル様だと知ってるのか?」

「ガブルだが、傭兵だかそんなものは関係ねぇ! 今夜彼女を抱くのは俺の方だ!」

 二人が怒鳴り合っている。

 不味いな。酔っ払いだと何をしでかすか分からない上に面倒だ。

「それ、やれやれ! やっちまえ!」

「黙らないか! お前達も危険だから下がれ!」

 はやし立てる声を静止させ、見物人を遠ざける。だが、アカツキ一人ではそうはいかなかった。

「何だ、坊主、威勢が良いな」

「本当可愛い」

 などと全く相手にされない。

 アカツキは吼えた。

「俺は兵士だ! 町で商売人以外刃を見せることは禁じられている! この件に関わる者はことごとく逮捕するぞ!」

 一瞬だが静寂が包んだ。

 しかし、見物人達は笑い声を上げた。

「なんだぁ、テメェ、ガキの癖に俺らの決闘を邪魔する気か?」

 傭兵と名乗った男が刃を向けた。

「仕方が無い」

 アカツキは剣を抜いた。

「おお、坊主も剣を出したぞ! 傭兵なのか!?」

「キャー、坊やカッコイイ、怪我したらお姉さんが慰めてあげるからね」

「ベッドの上ででか?」

 盛り上がる野次馬達を尻目にアカツキは思案していた。そして自分でも恐ろしいほど冷たい声で傭兵を睨んで言った。

「最後の警告だ。得物をしまえ。さもなければ斬る」

「うるせぇ、このガキ!」

 傭兵が斬りかかって来た。

 アカツキは避ける。と、もう一人の決闘相手だった男が刃を見せて言った。

「景気づけにこのガキを殺してから決闘としゃれこもうや」

 ヴァンピーアは治安は良いが、見直した方が良いかもしれない。

 振るわれる二つの刃を避けると、野次馬達が言った。

「頑張れ、坊主!」

「そうよ、坊や、勝ったらアタシが童貞を卒業させてあげるわ!」

「殺せ、やっちまえ!」

 勝手なことを!

 アカツキは体勢を引くし一気に薙ぎ払った。

 鍛えこまれた筋肉から放たれた鋼の刃は二人の男の剣を半ばから圧し折っていた。

「おお!」

 どよめきが起こる。

「言ったからな、お前達二人を逮捕する。神妙にしろ」

 だが、男達は掴みかかって来た。

 こうなると剣で対抗するわけにもいかない。酔っ払いとはいえ民だ。傷つけたくはない。

「後悔させてやるぜ、こぞおおおう!」

 アカツキが対処に迷っているところで一人が掴みかかって来た。

「うるさいぞ!」

 低い女性の声がし、石突が二発それぞれの男の腹を打った。

 酔っ払い二人は地面に屈し、吐き始めた。

「久しぶりに自由に飲んでいたらこれか」

 酒場の灯りがその人物を照らし出す。背の高い女性だった。槍と斧、鎚の付いた長柄の武器を持っていた。長い髪が印象的だった。

「お前、兵士なのか?」

「ああ、その通りだ」

 するとその目線が温かげなものに変わった。

「こいつらをどうする?」

「法を犯した。だから連行する」

 アカツキが言うと、女は歩み出しアカツキの肩に手を置いた。

「一人で二人の相手は見れまい。手伝おう」

「それは助かる」

 アカツキは女性の麗しい大人の横顔を見て慌てて酔っ払いに向かって行った。

「そら、立て。もう吐くものは無いだろう?」

「待て、待ってくれ、酔いが醒めた!」

「わ、悪かった、反省してるから見逃してくれ!」

 男二人が懇願した。

「どうするんだ?」

 女性が尋ねてくる。

「以後気を付けるように。今回は見逃す」

 アカツキが言うと野次馬達がまたはやし立てた。

「良い裁きだ。ずいぶん若いのにしっかり心得ているな。見ていたが太刀筋も良かった」

 女性はアカツキの頭を労わる様に撫でると夜の道を歩んで行き見えなくなった。アカツキは追いついて女性に礼を言おうと思ったが見物人達に囲まれてしまった。

 アカツキが本当の兵士だと知り驚嘆する者や、興奮する者、あるいは誘惑する者、さまざまな声を押し退けてアカツキもこの場を去った。

 アカツキは頭に残る手の感触を覚えていた。

 あの女性、何という名前だろうか。扱いにくい武器を手にしていたことからかなりの武芸者と思える。

「あれをカッコイイと言うのかもしれない……。俺もかくありたいものだ」

 アカツキはそう声を漏らし、兵舎へ引き上げたのだった。

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