暁伝 前哨戦7

 斥候の任から戻ると、当然その足でファルクスは臨時の太守エーラン将軍に知らせに行った。彼はエーラン将軍は嫌いだが、隊長としての責任は果たしてくると言って城へ行った。

 時刻は夜の八時。アカツキと三人の先輩は部下としてこのまま解散して良いのか軽く話した後、ファルクスの帰りを待つことに決めた。

 城門に彼らはいた。篝火が焚かれ、アーロンは門番達と話し込んでいる。ハンクは無言で立ち尽くし、サンダースは穂先を布で覆った槍を立てて、うつらうつらと船を漕いでいた。

 アカツキはこの三人の先輩がファルクスの帰りを待つと言ってくれたことが嬉しかった。なので今は内心浮き浮きしていた。この機会に先輩方と親睦を深めたい。そう思いつつもなかなか話が切り出せなかった。

 それでも彼は頑張ってハンクに話しかけた。

「ハンク先輩」

「ん? 何だアカツキ」

 先輩が自分の名を呼んでくれたことにアカツキは感動していた。

「あの時は助けて下さってありがとうございます」

「お前も俺らを助けてくれた。礼など無用だ」

 ハンクは厳格そうな顔を崩さずに言った。

「それはそうですけど」

「だがな、アカツキ。お前が俺達を助けてくれた時、俺達は感じたんだ。ああ、このままではいけないなと。可愛い後輩を蔑ろにしてはいけないと。それに隊長のことも、な。お前を助ける機会があったことで初めて俺達は褒められた。隊長は俺より少し年下だが、実力は遥か上だ。こそばゆかったし、この人についていこうと決意したほどだ。アーロンもサンダースも同じ気持ちだろうな」

 良い人だ。アカツキはそう感想を抱いた。

「今まではファルクス隊長が戦場で全部獲物を持っていくから好きになれなかったが、どうやら横取りしたいわけじゃなかったようだな」

「そうでしたか。戦場でのファルクス、いえ、ファルクス隊長は今日初めて見ましたが、確かに敵を一手に引き受けてましたね」

「ああ。その通りだ。あの足場と視界の悪い雪の中、三十もの敵の九割近くを相手取った。隊長は今までもあんな感じだったんだ。だから俺らは功を立てられず貧乏くじを引かされたと思っていた。だが、隊長がいなければどこの戦場でも俺達三人は生きられなかっただろう。痛感した」

 ハンクはしみじみとした口調で語った。

「俺もまだまだです」

 アカツキが言うと、ハンクがその頭に手を置いた。

「頑張ろうぜ」

「はい」

 ハンクが仏頂面に笑みを見せ、アカツキも笑い返した。

 その時、アーロンと門番が姿勢を正した。

「何だ?」

 アカツキが言うと、ハンクが肩をとんとんと叩き姿勢を正せと促した。

 城から一人の人物が出てくる。篝火が芳乃将軍ほどでは無いが、奇天烈な姿を映し出した。兜に耳が生えている。それは猫を模した鎧に身を包んでいることで有名な、猫将軍にして勇将ツッチーだった。

「御苦労。何だか賑やかだな」

 ツッチーがネコ型のバイザーの下からそう言い、一同を見回した。

「はっ、将軍、我らは先ほど斥候の任より帰還してまいりましたファルクス分隊の者であります」

 眠りこけていたサンダースが、そう思わせないほど声を上げてピッチリと述べた。

「そうか、ご苦労。敵の斥候と遭遇戦になったらしいな」

「はっ、私見ですが、思っていたよりも敵は前に進出していました」

「前に?」

 ツッチーが問う。

「あ、ええと、我らの領土側ということでざいます」

 サンダースが一瞬考えこんで答えた。

「そうだったか。これはエーラン将軍は黙っていないだろうな」

「どういうことです?」

 アカツキが思わず尋ねた。

「おお、何だ若い連中よりも若いのがいたな」

「申し訳ありません、この者アカツキと申します。我らと同じファルクス隊の者です」

 ハンクが低い声を上げて無礼を謝罪した。

「良い、気にするな。エーラン将軍はな、良くも悪くも抜け目の無い人物だ。おそらく明日、国境付近に牽制の軍を出すだろう」

 ツッチー将軍が言った。

「それを見た敵はどう動きますか?」

 アカツキは尋ねた。

「動かないだろうな。対立するアムル・ソンリッサも最強の手駒、暗黒卿を呼び戻している。それほど、向こうでも戦争が激化していると見ている」

 ツッチー将軍はそう言うと、アカツキの腰に顔を近づけた。

「な、なんです?」

 アカツキが問うと、ツッチーは言った。

「この剣には見覚えがある。そうだ、ダンカンの部下の剣だ。何故これを?」

「それは、ダンカン隊長の部下イージスの形見だからです」

 アカツキは応じた。

「そうだったか、お前があの兵の。お前の父上は立派だった。暗黒卿に立ち向かい仲間を逃がした。そしてこの剣を事切れる前に私に託したのだ」

「そうでしたか」

 アカツキは父のことを思い出し剣の柄を握りしめた。

 大きくて、おおらかな父だった。将来兵になると決めて学問を半ば蔑ろにし、武術の私塾に通うことを快く許可してくれた。

「お前の父もそうだが、ダンカンのことも思い出す。外壁の上で剣や鎧を磨いていた。そうか、アカツキか。血気に逸って死ぬなよ。生きて生きて生き残れ。そして上手くいけば天下が太平の時を見ることができるかもしれない。何にしろ、長生きしろ」

「はいっ!」

「うむ。他の者も死ぬなよ。ではな」

 アカツキ達の敬礼に囲まれてツッチー将軍は去って行った。

「お前が羨ましい」

 ハンクが言った。アーロンもサンダースも門番達も頷いた。

「どういうことです?」

「臆せずに将軍に話しかけることができる。幾ら若くても俺達ではもうできやしないことだ」

「恥知らずということですか?」

 アカツキが驚いて問うとハンクはかぶりを振った。

「若いということは素晴らしいということだよ。皮肉でも無いぞ」

 アカツキはその言葉を受けて自分が失態を犯したのかと考え込んでいた。

「おう、わりぃ、待たせたな」

 ファルクスが城から出て来た。マークツーの柄が肩越しに見えた。

「暇だったろう?」

「いえ、それがツッチー将軍が通りがかられまして」

 ハンクが言うとファルクスは笑い声を上げた。

「ツッチー将軍は俺も好きだぜ。だからか知らねぇけど、言うなよお前ら」

「何です?」

 アーロンが尋ね、アカツキ達はファルクスへ近付いた。

 ファルクスはヒソヒソ声で言った。

「実は部屋で猫を飼ってるんだ。三匹」

「え? 大丈夫なんですか? 世話とか」

 アーロンが声を潜めて問う。門番達は素知らぬ顔をして前を向いていた。

「ああ、俺がいないときは侍女の連中に頼んである」

 そうしてファルクスは顔を離した。

「と、いうわけで言うなよ」

「まぁ、はい」

 サンダースが窮したように代表して声を上げた。

「さて、明日はエーランから休みを掴み取った。この寒い中、明日出撃する二万の兵の中に俺達はいない」

 ファルクスがニヤリとするとハンクが言った。

「それはありがたいことです」

「だろ? ただの牽制だぜ。国境で突っ立ってるだけ」

「あの、隊長も寒い時があるんですか?」

 恐れ多いようにアーロンが尋ねた。

「ああ、寒い。だって冬だぜ」

「あの、何故、上に何も着ないのですか?」

 アーロンが再び尋ねるとファルクスは応じた。

「見せ付けたいだろう、鍛え上げた筋肉ちゃんをよ?」

「は、はぁ」

 アーロン達三人の先輩は呆れたように応じた。

「さて、兵舎に引き上げる前に、赤竜亭に寄るぞ。俺の奢りだ」

 三人の先輩は穏やかに微笑んだ。

「御馳走になります」

 ハンクが言った。

「おう、じゃんじゃん、食え、飲め。俺はお前達が好きだけど呼び捨てにしちまうが許せよ」

「なんです、そのぐらい、全然平気ですよ」

 アーロンが声を上げて言い、ファルクス隊は歩き出す。

 アカツキは仲の良さそうなファルクスと三人の先輩を見て微笑ましく思った。これで分隊内での不和は片付いたなと。

「置いていかれるぞ?」

「あ、はい」

 門番の一人が言い、アカツキは走った。そして静かな城下を賑やかに歩くファルクス隊の一員として、今日ほど嬉しいことは無いかもしれないと思ったのだった。

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