暁伝 前哨戦6

 夜間勤務中の兵士達がその役目をあと少しだけ続けることになる時間帯にファルクス分隊は城外へ出た。

 彼らのために下げられた吊り橋が再び上げられる。

 雪は膝下まで埋まるほどだったが、曇った空はまだまだ頑張る気概を見せている。この分だと国境付近に着くのは何時になるかはわからない。

 ファルクスは例によって半裸。アカツキと他三人は支給品の茶色の外套を鎧の上に身に着けている。

 新たな相棒マークツーはファルクスの背中にあった。ファルクスと言えばこの寒さでも筋肉には鳥肌の一つも見えない。彼の筋肉は外套並みに厚いのかとアカツキは思った。

 アカツキは長槍を手にし、父の形見である両手持ちの剣ビョルンは腰の鞘に収まっている。残る三人も同じ装備だった。

 ファルクスを先頭にたった五人だが長蛇の列を作り雪道を歩いている。アカツキはファルクスの次だった。なのでマークツーのルーン文字を見ることができた。だが、解読できないので意味は無いかもしれない。ルーン文字は金色だった。このマークツーには一体どんな力が宿っているのだろうか。それとも何も無いのか。それを見る機会はできれば無い方が良い。こちらはたった五人だ。アカツキもエーラン将軍の浅はかさというか適当さに今更ながら憤慨していた。斥候隊にもう少し人員を割いてくれても良いだろうに。五人全員が死んでしまったら成果を持ち帰る者はいない。勿論そんな遭遇戦があればの話だが、やはり無いことをアカツキは願っていた。

「アカツキちゃん、足つぼどうだった?」

 ファルクスが前を向き歩きながら尋ねて来た。

「足つぼで良かったよ」

 アカツキは応じた。吐く息は互いに白かった。歩む度に雪が踏み固められる音が続く。

「お前、勘違いしたな? ま、弟の俺が言うのも何だが姉ちゃん美人だからな」

「リヴィーナさんの旦那さんはどんな人なんだ?」

「おう、なかなか強いぜ。今は各地を巡って傭兵団を立ち上げようとしている。ダンテっつって、俺と五分だが、良い奴だ」

「年はどのぐらいなんだ?」

「姉ちゃんのか? 何だ、アカツキちゃん、略奪婚したいのか?」

「違う。リヴィーナさんじゃなくて……。もういい」

 アカツキが言うとファルクスは笑った。

 アカツキは背後を振り返った。無言で三人が追従している。

「目的地まで頑張りましょう」

 アカツキは励ましたつもりだが、三人とも眉をひそめるだけだった。

 やはり彼らとは仲良くなれやしないのかもしれない。アカツキは少し寂しく思った。ダンカン隊ではあらゆる先輩に可愛がられたそのせいかもしれない。だったら俺は甘えているのだろうか。

「エリスはどうだった、可愛かったろう? あと十二年したら成人だ。長いのか短いのかわからねぇな」

 アカツキは曖昧に笑って応じ、再び背後を振り返る。ヴァンピーアの外壁は降り注ぐ雪で隠れてしまっていた。このまま無事に戻ることができるのかアカツキには分からなかった。ごわごわの温かい支給品の手袋と兜の内側にかぶっている帽子が上手い具合に熱をため込み、あるいは遮断している。支給品も馬鹿にはできない。だが、それだけ兵を気遣う中央の配慮が見られるようだった。未だ拝謁したことの無い国王陛下の御意向であることを信じるのみだ。天辺がやはりしっかりしていなければならない。ダンカン隊長のように。

 そのまま黙々と歩き続けた。エーラン将軍も何もこんな天候で俺達を放り出すことは無いだろうと思った。遭難しろと言っているようなものだ。

「ファルクス、帰りはヴァンピーアまで戻れる自信はあるのか?」

「心配すんなよ。真っ直ぐ進めば良いだけだ」

 その言葉に後ろから三つの溜息が聴こえた。

 小休止となった。

「ションベンする奴はあんまり離れたところでするなよ」

 ファルクスはそう言い水袋を煽った。

「ちっ、もう冷たくなってやがる」

「お茶か?」

「ああ。どこかに保温性に優れた水袋でもあれば良いけどな。芳乃のおっさんは竹とかいう木でできたのを持ってたな。水筒とか言ってたか。あれはどうなんだろうな」

「ファルクス隊長、ションベン行ってきます」

 先輩の一人がそう言って駆けて行った。

「あんまり離れるなよ! 誰も見やしねぇから安心しろ!」

 ファルクスはそう声を掛けると剥き出しの手で同じく剥き出しの肩に積もった雪を払ったつもりのようだが、雪は彼の発する体熱で溶けてしまっていた。

「今更だが寒く無いのか?」

 話題も尽きアカツキが話しかける。

「それが全然。やっぱり筋肉は偉大だぜ。アカツキちゃんも俺ぐらいになれよ」

「俺は裸にはならないけどな」

 アカツキは呟くように応じた。

「戻りました」

 小用に出ていた先輩の兵士が戻って来る。

「うっし、じゃあ、出発だ」

 ファルクスが歩き出す。見えるのは一面の雪の野原と白い天使、いや悪魔がしんしんと視界を遮る灰色の空。アカツキは方向感覚が掴めずにいた。

「ファルクス隊長、この方角で大丈夫なんですか?」

 さすがに心配したのか、先輩の一人が尋ねて来た。

「合ってる。俺の勘も告げてるが、こっちも一応用意してある。ほらよ」

 と、ファルクスは自慢げにコンパスを見せた。針は西を指していた。国境の方角だ。

 アカツキは安堵した。後ろの三人も同じだったらしい。

 そのまま歩き続ける。アカツキはかつての分隊のことを考えていた。オーガーのバルド、ゴブリンのゲゴンガ、片腕を失ってしまった先輩フリット、ダンカンの子供と共に生活を送るカタリナ。今はどうしているだろうか。カタリナの子は男の子だ。だから生前に夫であるダンカン隊長が言ったようにラルフと名付けられている。将来はどうなっているのだろうか。カタリナは今はコロイオスへと引っ越した。ノコギリ型の両手剣、セーガ。ラルフが受け継いでくれたらこれほど嬉しいことは無い。

 不意にアカツキは気付いた。ファルクスの背にある鞘に収まった剣の柄、つまりルーン文字が明滅しているのだ。

「ファルクス、剣が」

「マークツーがどうしたって?」

「ルーン文字が光ってる」

「んだと? どれ」

 ファルクスが剣を引き抜こうとした時だった。

 降り続く雪の隙間を矢が通過した。幸い誰にも当たらなかったが、敵襲なのは明らかだ。

「癪だがエーランの読みが当たってたか。全員戦闘隊形!」

「応っ!」

「お、応っ!」

 アカツキに続き三人の先輩達の動揺する声が聴こえた。

「敵には見えてる。喋ってる間に矢の餌食になる。互いに距離を取れ」

 ファルクスが指示を出す。

 アカツキは動いた。それにつられたように先輩達も続いて横手に広がる。

「あまり広がり過ぎないで、互いに見える位置で!」

 アカツキは先輩達に向かって言った。

 返事は無かった。

 矢が唸りを上げて側を通り過ぎる。

 アカツキは舌打ちした。敵からは本当に丸見えらしい。敵はどこだ? 白一色で見えない。横風が運よく味方になってくれている。矢の軌道がそれた。そうでなければ今の一撃はアカツキの命を奪っていたかもしれない。

「いた! 雪の下に隠れてやがる! 殲滅するぞ!」

 ファルクスが声を上げ雪を掻き分けながら駆ける。すると彼の言う通り前方の雪が舞い上がり、敵兵が飛び出した。その数、三十はいるだろうか。不利だ。だが、退こうとは言えない。この足場の悪さで背を見せればそれこそ矢の餌食だ。

「ギャアアアッ!」

 アカツキも咆哮を上げて駆けた。重い雪を蹴飛ばしひたすら走る。

 敵兵が弓を捨て剣に持ち変える。

 長槍を繰り出す。それを敵は弾く。アカツキはアジームの特訓でどの武器も同等に扱うことを得意としていたが、それでもやはり剣の柄が一番手に馴染んでいた。

 槍を捨てビョルンを引き抜き、たちまち打ちかかった。

 魔族の兵はそれを事も無げに受け止めているようだったが、わずかに顔が苦悶していた。

 力では俺の方が勝ってる。アカツキはそう確信し、幾度も打ち込んだ。その内に自らのペースに持って行き、剣を叩き落した。

 忌々しげな顔、それが敵の最期だった。アカツキの放った一撃は首元に深々と突き立った。緑色の血が滴り溢れ雪原を溶かす。

「一人!」

 アカツキは周囲を見回した。三人の先輩達は長槍を持ち、こちらに合流してきた。

 ファルクスが敵の中に斬り込んでいた。

 驚いたことがあった。

 ファルクスは敵を事も無げに切り裂き屠っている。

「隊長に合流しましょう!」

 アカツキが言うと三人の先輩は顔を見合わせ渋々といったていで頷いた。

「ハハハハッ!」

 ファルクスの明朗快活な笑い声が木霊する。

 雪原に次々魔族の兵が斃れる。

「ファルクス!」

「おう、アカツキ。この剣の秘められた力が分かったぜ」

 ファルクスは興奮気味に言った。

「それは?」

「見て見ろ」

 そう言って散らばる亡骸を見ると、首を刎ねられたものが幾つかあり、驚いたことに着込んでいた鎧ごと真っ二つにされていた死体があった。

「こいつ鉄を泥みてぇに斬りやがる。血を吸う度にな」

 生き残りの魔族は六人だった。アカツキ達が苦戦している間にファルクスが粗方片付けたのだ。秘められた剣の力と共に。

 三十対五は瞬く間に六対五になった。

 敵も背を見せることを死だと悟ったのか、斬りかかって来た。

 先輩達が修羅さながらの覚悟を見せた敵の剣に苦戦し、長槍の下をくぐられた。

「まずい!」

 アカツキが声を上げた時だった。

「どおおりゃああっ!」

 雪の上を駆け、ファルクスが間に入り瞬く間にマークツーで敵を甲冑ごと葬った。

 アカツキはファルクスにも剣にも驚いていた。

「アカツキ!」

 先輩の一人が叫んだ。

 アカツキは迂闊だったと慌てて振り返る。二人の敵兵が間合いを詰めていた。

 長槍が二本アカツキの左右を通り抜け、敵を妨害する。先輩達だった。

「恩に着ます!」

 アカツキはそう言うと敵兵に斬りかかった。

 打ち込み、打ち込み、根競べだ。どちらが先に剣を放すか。

「ぐおおおっ!」

 敵兵も咆哮を上げてついてくる。

 アカツキはなかなか決着の糸口が見付けられずにいた。

 そこへファルクスが現れる。

 彼に気を取られた瞬間をアカツキは逃さない。それはファルクスもだった。ファルクスの剣が胴を斬り、アカツキの剣が首に突き立つ。

「敵が逃げるぞ!」

 先輩が叫ぶ。

 恐慌をきたした様に敵兵は無謀にも背を向けのっそりのっそり逃げ出した。

「馬鹿野郎、逃がすんじゃねぇ!」

 ファルクスはそう言うと駆け出し、たちまち背後から剣で敵の胴を貫き仕留めた。

「気に食わねぇが、どうやらエーランの読み通り、太守殿が不在の情報が漏れていたらしいな」

 ファルクスが言った。

「分隊長、それで我々はどうするのです?」

「帰って報告だ」

 ファルクスはそう言うと鏡面のような刀身に流れる緑色の血に濡れた剣を見詰めていた。

「先輩、色々とありがとうございました。おかげで命を拾いました」

 アカツキが礼を言うと、三人の先輩は険しい顔で頷くだけだった。

「ファルクス、マークツーの使い心地はどうだった?」

 帰り道に尋ねると、ファルクスは笑って言った。

「こいつは最高さ。筋肉でもできねぇことを体感できる。いや、俺の筋肉と合致しての威力だとは思うがな。とりあえず、最高の相棒だ」

「血は拭うのか?」

「まぁな。錆びると困るしな。また戦場で血を吸わせてやりゃ良いだけの話だ。だが、その前に」

 ファルクスはそう言い立ち止まる。そして振り返り、鋭い視線をアカツキの先輩達、つまり三人の部下に向けた。

「ハンク、アーロン、サンダース! オメェらもやればできるじゃねぇか。アカツキを救ったこと、礼を言うぜ」

 すぐに笑顔になるファルクスを見て、三人の部下達は当惑したかのように互いを見合った。

「は、はっ!」

 三人は揃ってたじろいだ様に答えた。

「ハッハッハ、さぁ、帰るぞ!」

 こうしてアカツキ達は任務を終えて帰投したのであった。

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