暁伝 前哨戦5

 月日は風のように去って行く。秋から冬へと移り、その知らせを伝えるが如く、ハラリハラリと雪が舞い降り始めた。

 演習場も支給品の茶色の外套を着込んだ兵達で溢れていた。闇の者に負けじと、得物を取り振るう。無数の鋭い風の音が寒空の下に木霊する。

 アカツキもファルクスと模擬戦をしたが、やはり力でも技でも勝てなかった。俺が勝てないということは背負っているダンカン隊長の名にまで傷をつける。早くファルクスから真面目なやり方で一本取りたいところだ。

 寒くなり兵舎でも熱い酒が振舞われるようになった。だが、万が一ファルクスが飲んで暴れたとしたらと考えるとアカツキは酒には手は出せなかった。それにさほど美味そうなにおいでもない。二人は積もり始めた雪の中を五千本の素振りをしていた。

 アカツキの鬼門は千七百だった。そこまでは根性と意地と誇りで着いて行ける。だが、それ以上になると腕が悲鳴を上げていた。誇りこそあれど、腕が半ば断末魔の如く新たな声を上げるのだった。

 だが、アカツキは必死にファルクスに追いつこうと食らいつく。

「そういや、斥候の役が回って来た」

 例によって赤竜亭で遅い夕食を済まし、静まり返った兵舎に入るとファルクスが言った。

「斥候? 偵察しろってことか?」

「ああ。アカツキちゃんは始めてか?」

「そうだな。人数は?」

「五人。つまり俺の隊だ」

 その言葉にアカツキは一抹の不安を覚えた。他の三人との溝が埋まっていない。もしもの時はどうなるのだろうか。

「心配すんな、俺がついてる」

「ああ。だが、何故偵察を? この時期だ、雪が積もれば敵も行軍が取れないだろう」

「太守殿が、中央に呼ばれた」

「太守殿が?」

「ああ。その声望は闇の者にも聴こえてるだろう。だからこそ、バルバトス・ノヴァーがいなくなった俺達なら容易くやれると考えるんじゃねぇかと、エーランの奴が言っていた」

「エーラン将軍だろ、ファルクス」

「俺は嫌いな人間は呼び捨てだ」

 ファルクスは言った。

「出発は二日後。じゃあな、アカツキちゃん、良い夢見ろよ」

 ファルクスは去って行った。

 敵もまさかこの雪の中を進んで来るのか? 闇の者は肉食の馬に跨っている。だが、馬自体の大きさはこちらと変わりは無い。雪で足を取られるだろう。徒歩で行くのが定石だろうな。向こうも俺達も。

 アカツキは共同部屋に静かに入り、ベッドに横になると毛布を掛けて目を閉じた。

 翌日、ファルクスは隊の全員の前で明朝出発する旨を話し、解散とした。

 他の三人はすぐに引き上げて行った。

「アカツキちゃんも今日は引き上げたらどうだい? ぶっ壊れた筋肉もたまには休ませないとな。と、言っても暇だろ? だから野暮用を頼まれてくれ」

「野暮用? 何だ?」

 ファルクスは腰に提げた鞄から一通の羊皮紙の手紙を差し出した。

「これを城下のリヴィーナって奴に頼むわ」

 ファルクスは去ろうとする。

「待て、リヴィーナなんてどこにでもいるだろう? この広い城下をどうやって……。あ」

 するとファルクスは肯定するように頷いた。

「城下巡りを楽しんで来ると良いぜ。じゃあ、頼んだ」

 そして彼は去って行った。

「手掛かりは少ないが、仕方ないな。一応隊長命令だし」

 こうしてアカツキはそのまま城下へ赴いた。

 しんしん雪が降る中、あるいは、足首程まで埋まるその上を踏みしめながら人々は日常を一生懸命生きている。そう思うと、自然とやる気が出て来た。リヴィーナ。女の名だ。知り合いの傭兵か? だが、まずは。

 アカツキは記憶を頼りに雑踏をかわしながら歩いて屋台街にまで来た。そこで周囲を見回す。用意されたテーブルやイスは埋まり、老人らが団らんしている。憩いの場なのだろう。アカツキはフッと自然と笑みが零れた。

 さて、目的の人物はいるだろうか。俺は洞察力に自信があるわけでは無いが、相手も特徴らしい特徴が無かった。

「へへへ、ファルクスさんのお連れさんですね」

 と、背後から声がし、探していた青年が見つかった。黒髪。注意深く見たつもりだがそれ以外、やはり特徴は無かった。いや、自分自身が特徴を掴めないのだろう。

「あなたを探していた」

 アカツキはそう言い合流した。そして思い出し、銀貨を二枚差し出した。

「へへへ、親指で弾いてください」

 ヴァンピーアという都専門の情報屋はそう言った。

 アカツキは慣れぬ動作で銀貨を二枚弾いて渡した。

「へへへ、さて、どんな御用です?」

「ああ、ファルクスから用を頼まれてな。リヴィーナという名前の人物を探している。分かるか?」

 リヴィーナなんて名前は有り触れた名だ。この情報屋でも分からないかもしれない。

「へへへ。リヴィーナさんですね」

「知っているのか?」

「へへへ。ええ、ファルクスさんの用のあるリヴィーナさんなら一人しかいません。道は単純です。東の大通り沿いに進んで奥まった場所に子ヤギの悲鳴亭という場所があるんですよ」

「東の大通りの奥。子ヤギの悲鳴亭か。ありがとう」

「へへへ、いえいえ。毎度あり」

 青年は行きかう人々の中へ消えて行った。

 アカツキは通りを戻り、中央まで来ると、東へ進む大通りと合流する場所を目指した。やがて辿り着くと、後は情報屋が言った通り単純だ。奥まで行って、子ヤギの悲鳴亭という場所に行けばリヴィーナさんとやらはいる。

 アカツキは東へ歩き出した。

 しかし、子ヤギの悲鳴亭? 宿か、居酒屋か?

 東にも店がたくさんあった。武器屋は五軒あった。覗きたかった、今は用の方が先だ。

 アカツキは黙々と人々の間を歩く。

 やがて人気が失せ、町を守る外壁が見えてきた。そこに一軒の二階建ての建物があった。木の看板が窓の下の壁に貼られ表札が出ている。「子ヤギの悲鳴亭」と。

 ノッカーは無かった。

 アカツキが扉をノックしようとすると、脇から小さな女の子が出てきて、こちらを見上げて微笑んだ。

 アカツキはぎこちない笑みを浮かべて応じた。

「こうするんだよ。たのもー! たのもー!」

 女の子が扉を叩いて声を上げる。

「はいはい」

 向こう側から声がし、一人の女性が姿を見せた。

「お客さんかい、エリス?」

「おじちゃん、お客さんなの?」

 おじちゃん。この年の子供からすればそういう認識の方が柔らかいかもしれない。アカツキは頷いた。

「リヴィーナさんと言う方に、城のファルクス分隊長から手紙らしき物を預かってきました」

「リヴィーナは私よ、お兄さん。どれ、ファルクスがね」

 リヴィーナをどこにでもいる名前だと言うのは認識不足だった。相手は自分よりも年上で若く綺麗だった。この子供さえいなければアカツキ自身恋に落ちただろうと思っていた。

 リヴィーナは手紙を一読すると、アカツキを見た。

「では、俺はこれで」

「何言ってるの、寄っといで」

「は?」

「良いから良いから、入って。お金はあの子が払うから大丈夫だよ」

「どういうことです?」

 アカツキは腕を掴まれるまま家の中へ入った。

「さ、二階の一番奥の部屋に行っといで」

「は、はい」

 アカツキは言われるがまま、冬空のせいでほのかに薄暗い階段を上り、三つの部屋を通り越し、四つ目へ来た。

 中に入るとベッドが一つあるだけだった。

 ん?

 その時、もしやと思った。

 が、リヴィーナが現れた。

「あの、ここはそういう場所なのですか?」

 アカツキが尋ねるとリヴィーナは頷いた。

「よく分かったわね、こんなに若い子久しぶりだわ。私も張り切っちゃうわね。さ、ベッドに寝て」

「い、いえ、俺は結構です」

 慌ててアカツキが言うとリヴィーナが押し倒してきた。

「ま、鎧姿だったの? 鎧外して頂戴」

「それはちょっと」

「ちょっとじゃないの! ほらほら!」

 リヴィーナは慣れた手つきで鎧を解いてゆく。こうして何人もの兵士を相手にしてるんだろうな。アカツキはそう思った。

 そうしてシャツ一枚になったアカツキはベッドに倒されたまま覚悟を決めた。だが、内心、ドキドキしていた。急激に高まる欲望。抑えることはできそうも無かった。

 その時だった。

 凄まじい痛みが上がって来た。

「ギャーッ!?」

 アカツキの悲痛な咆哮が木霊する。

「若いだけあって良い声で鳴くわね。でも、相当肩凝り気味ね」

「何やったんです?」

「足ツボよ」

「足つぼ?」

「ええ、ファルクスの手紙に書いてあったのよ。あなたの疲労を解すようにってね。どんどん行くわよ」

「え?」

 アカツキはしばし激痛と格闘し、泣き喚いた。本当に痛みで涙が溢れ、しかも声を出さずにはいられなかった。

 ここが子ヤギの悲鳴亭という名前だったことを思い出し、こういうことかと今更合点し、再びツボからくる刺激に泣き喚いた。

「さ、起きて御覧なさい」

 そうしてアカツキが半身を起こした時だった。

 リヴィーナは暗殺者の如く背後に回り込み頭を抱える様に掴んだ。

「何するんです?」

「身体が歪んでるから調整するわね。力入れたら駄目よ」

 こうしてここが整体という生業の店だということを知ったのだった。

 一時間ぐらいし、アカツキは驚いた。

 身体が軽かった。

「こ、これは」

「どう、あなただいぶ凝ってたわよ」

「凄いです。ありがとうございます、リヴィーナさん」

「いいえ。アカツキ君、弟のファルクスのこと頼むわね」

 その表情がとても不安に満ちていたのでアカツキは頷いた。

「俺に出来ることがある限り、ファルクス隊長の助けになるつもりです。ご安心を」

「頼もしいわね。ありがとう」

 こうしてアカツキは一つ、行きつけの店を見つけたのだった。

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