暁伝 前哨戦3

 アカツキは療養施設へ赴いた。

 城下にある広い場所で建物も大きかった。

 だが、今、負傷兵達は外にまで溢れ、座ったり壁にもたれたりして、看護と治療を受けている。

 どこにいるのだろうか。

 アカツキは負傷兵達を一人一人見ながら外にはいないことを知り、施設の中へ入ろうとした。

 すると、不意に探していた人物が姿を現した。

 彼が捜していた人物。それは先輩のフリットだった。

「アカツキ」

 フリットは笑みを浮かべて右手を振った。左手は肘の先に包帯を巻き、そこから先は無かった。

「先輩」

 アカツキが言うとフリットは微笑んだまま言った。

「いやぁ、駄目だとさ。神官の聖なる治療術でも俺の腕は止血が手一杯だとさ。いつかこんな日が来るとは思っていた。それももっと弱虫だった若いころにな。でも最近は自信があったし忘れてたんだ。廃業だ」

 その言葉を聴き、アカツキは胸が痛んだ。だが、言われずともそうなることは分かっていた。

 ダンカン隊の名を継ぐ者は自分だけになってしまった。重い責任を感じた。

「さて、俺はこれからどうするかな。まぁ、心配するな、腐ったりはしないさ。タンドレスもこうなった俺のことを受け入れてくれるかは分からないが」

 どこか清々しく言っているように聴こえるが、アカツキにはその言葉の端々に無念と憤りも感じていた。

「アカツキ、悪いなお前を一人にしてしまう。ダンカン隊長の誇りを胸に戦場で頑張ってくれ」

「それは勿論です」

 アカツキは頷いた。

「じゃあな、今から除隊届を書かなけりゃならん」

 フリットがわきを通り抜けようとする。アカツキは意を決して声を上げた。

「先輩!」

「何だ?」

 怪訝そうにフリットが振り返った。

 アカツキは革袋を差し出した。

 フリットは右手で受け取った。

「おい、これ、金じゃないか。しかもこんなにたくさん」

「はい。せめてものお世話になったお礼のつもりです。俺にはこれぐらいしかできません。受け取って下さい」

 するとフリットはかぶりを振って革袋を返してきた。

「これは受け取るわけにはいかんな。だけどアカツキ、その気持ちだけは貰っておく。ありがとうな。絶対死ぬなよ。じゃあな」

 フリットは右手でアカツキの頭を労わる様に叩き、そして去って行った。

 ダンカン隊の名を継ぐ者は自分一人になってしまった。

 翌日、アカツキのもとへ配属指令が下った。やはりファルクスの部隊に所属することになった。

 アカツキは前分隊長カルロへ挨拶を済ませると、ファルクスの部屋を訪ねた。

 分隊長は一室与えられている。

 扉を叩くが返事がない。

 ならばとアカツキは屋外演習場へと向かった。

 兵舎のすぐそばにある屋外演習場は、兵士達でいっぱいだった。各分隊が必死に稽古を続けている。犠牲者の出た後だ。のんびりとはいかず空気はピリピリしていた。

「アカツキ!」

 声を掛けられ、アカツキはファルクスの姿を見止めた。

 歩いて行くと、地面の大の字になって倒れている兵士が三人いた。

「ファルクス、来たぞ」

 アカツキが言うとファルクスは笑った。

「よっしゃ、さっそく手合わせといこうか」

 刃の潰れた両手剣をファルクスは放り投げ、アカツキは受け取った。

 自分も同じ種類の剣を取り両者は向かい合った。

 最初に躍り掛かるのがアカツキ流だ。

 アカツキはそう決めると、咆哮のような声を上げてファルクスに斬りかかった。

 その剣は当然受け止められる。そのまま競り合い、そうする傍ら、ファルクスはニヤリとしていた。

「威勢のいいのは好きだぜ」

 競り合ってるつもりがアカツキはどんどん押されていた。このままでは不利だ。そう決めたアカツキは競り合いから身を引き距離を保ったが、ファルクスの猛然とした踏み込みが後を追いかけてきた。早かった。振るわれる剣を辛うじて受け止めたが、体勢を崩していた。ファルクスの一撃一撃は重かった。筋肉は伊達では無いというところだろうか。

 良いようにあしらわれたが、辛うじて受け止めた。受け止め続けた。

「守りばっかりか。つまんねぇぞ、アカツキ」

 ファルクスは笑みを浮かべると大振りに剣を薙ぎ払った。

 アカツキはその下を潜り抜け、ファルクスの首元に切っ先を向けていた。

「やるな、一本取られた」

 ファルクスが言った。

「あの大振り、わざと隙を見せたな?」

 アカツキは不満に思い言った。

「守ってばっかりでつまらなかったんだよ。俺はお前の動きと勘が見たかった。どっちも合格だな」

 ファルクスが応じた。

「だが、力ではアンタに勝てなかった」

 アカツキが素直にそう言うとファルクスは笑った。

「筋肉だ。もっともっと筋肉をつけろ」

 そういうファルクスは見事な筋肉をしているが、決して太ましい体格では無かった。胸から腰へしっかり括れている。顔も男前だ。

「それ、いつまでぶっ倒れてやがる! 立て!」

「はいっ!」

 分隊の兵達が三人が立ち上がった。皆、アカツキより年上だが若かった。

「素振り五千本! いくぞ!」

「は、はいっ!」

 兵士達は若干青ざめて横並びになった。アカツキも隣に並ぶ。素振り五千。常軌を逸した訓練法だ。アカツキは驚きつつも剣を前に構えた。

「一!」

 ファルクスの声と共に素振りが始まる。

 しっかり振るう。

 それが百まで達したときに、一人が脱落した。ファルクスはかまわず続けた。更に続いて二人とも脱落すると残りはアカツキとファルクスだけとなった。ファルクスがニヤリとした。嬉しげだ。

 アカツキは結局。千五百を超えた辺りでついに腕が上がらなくなった。

「さすがダンカン隊。やるじゃねぇか」

 ファルクスはそう言うと一人黙々と続けた。

 陽が暮れてきた。

 ファルクスはまだ数を数え剣を振るっている。

「さ、引き上げだ」

 同じ分隊の兵卒達が言った。

「待ってください、まだファルクスが」

「良いの良いの、いつもこんな感じだから」

 そう言って兵達は去って行く。

 静寂の中、聴こえるのは剣が風を斬る音と、ファルクスの声と息遣いだけだ。

 アカツキは腕がまだ悲鳴を上げていたが、その場で姿勢を正し、再び剣を振り上げて下ろした。

「一つ!」

 アカツキの声が木霊する。

 ファルクスの五千の素振りは真夜中で終わった。

 アカツキは既にへたばっていた。復帰したり脱落したりの繰り返しだった。腕が本当に痛かったし、疲労が激しかった。晩御飯には遅い時間なのにも関わらず空腹よりもそちらの方が勝っている。ファルクスは大きく息を吸う。そして吐き出すと、月明かりの中、アカツキを振り返った。

「何だ、アカツキちゃん、帰らなかったのか?」

 キョトンとした様子に思えた。

「ファルクス。正直、俺はお前には及ばない。だが、俺はダンカン隊だ。意地と誇りがある」

 アカツキは相手を見据えて言うと、背の高い彼はアカツキの頭を乱暴に撫でまわした。

「良いね、意地と誇り。そういうものが俺も欲しい」

 そうしてファルクスは笑い声を上げた。

「意地ならあるだろう。分隊長として五千もの素振りを完ぺきにこなした」

「ああ? いや、意地で良いのかこれ? 俺はただ強くなりたいから剣を振るってただけだ」

「それ、意地で合ってる。誇りなら戦士なら誰だって持ってるだろう。戦士という誇りを」

 アカツキは応じた。

「そういうもんか? まぁ、良いや。俺にも意地や誇りがあったんだな」

 そう言うと月明かりの下、不敵な笑みを浮かべた。

「兵舎の食堂は終わっちまってるからな、町へ行って食うか」

「分かった」

 そう言われ、アカツキもようやく空腹なのを思い出した。

 ファルクスと共に夜の城下へ躍り出る。

 まだ灯りが点っている家がたくさんあった。それに酒場につきものの声という声、愉快気な笑い、陽気な歌、静かな夜の城下のこの一枚壁を置いたように聴こえる喧騒がどことなくアカツキは好きだった。

「赤竜亭」

 アカツキはファルクスが立ち止まった店の看板を読んだ。

「ああ、ここのトマトジュースは塩が無くてな、美味いんだ」

「酒は飲まないのか?」

「酔った俺を止められるか、ん?」

「自信は無いな」

 二人は中へ入った。

「おや、ファルクスさん、いつも御贔屓にしていただいてありがとうございます」

 カウンターの向こうで店の主が言った。

「おう。トマトジュースと肉とパンとチーズを頼む」

「お連れの方はいかがいたします?」

「あ、ああ、同じので良い」

 アカツキは静かな店の空気に癒されていた。喧騒も悪くはいないが、食事をするなら静かなところが良いな。そう思った。

 客はまばらだった。

 壁掛け時計が十二時を回っていた。

 席に着くとファルクスが言った。

「明日は腕が大変だろうな、意地っ張りのアカツキちゃん」

 給仕の女性が品物を置いて行く。

「姉ちゃん、あと玉ねぎのスープも頼むわ、二人分」

「オッケー、ファルクスさん」

 女性は快活そうに言うと去って行った。

 しばし、何故か気まずい沈黙が流れた。

「何だ、育ち盛りなんだろ、食えよ。俺に遠慮するな」

 ファルクスが言った。

「それじゃあ、いただきます」

 アカツキは肉を切り分け始めた。

「何だ、全部切ってから食うのか?」

「ああ。悪いか?」

「いいや」

 そう言ってファルクスの笑い声が店を包んだ。

 肉は美味かった。腹が減っていたから特別かもしれない。だが。

「何だ、これは」

 トマトジュースは口には合わなかった。

「赤竜亭名物の塩抜きトマトジュースは口に合わなかったか。おう、お茶一つ頼む」

 ファルクスが見かねたように注文する。

 食事をし、ファルクスが笑う以外、何も無かった。支払いはファルクスが持った。押し問答になりそうだったのでアカツキは言葉に甘えた。

「なぁ、アカツキちゃん」

 深夜一時を回り月と星の煌めき以外何も照らさない夜道を二人は歩んでいた。

「何だ?」

 ファルクスはため口で良いと言った。分隊長にもあるにも関わらずアカツキもこっちの方が彼と接する上では楽だと思った。逆に敬語はお互いの壁になるだろう。いわゆる友達ができた気分だった。

「今日は付き合ってくれてありがとよ。だがよ、明日からは限界になったら引き上げて良いからな」

 しんみりとした声にアカツキは言葉通り礼の感情が混じっているように感じた。

「俺が好きで残ったんだ。感謝は止してくれ」

「そうかい。ま、明日、いや、今日だな。今日寝て起きたら後悔するぞ」

「腕の痛みは凄まじいだろうな。今日みたいに途中で脱落するとは思うが、何度でも食らいつくぞ、俺は」

「アカツキちゃん、お茶で酔っぱらったか?」

「からかうな。茶では酔わない」

「十六歳だろう? ダンカン隊ってのはすごいな、こんな青年に成り立ての男にも魂を植え付ける」

「ダンカン隊長だけじゃない、色々な人が俺に力を貸してくれた。ファルクス、お前だってそうだろう? 孤独に修練してそこまでになったわけじゃないだろう?」

「さぁ、どうだかな……。ただ、嬉しかったぜ、今日は」

 ファルクスが言った。二人は兵舎に戻った。

「じゃあな、アカツキちゃん、良い夢見ろよ」

「ああ、おやすみファルクス」

 アカツキは既に腕に痛みを感じていた。

 寝て多少は治まってくれるだろうか。そうはならないだろう。起きたら痛みと疲労の残りで苦しめられる。だが、今日のことに後悔はなかった。

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