カラタチの木も涙
増田朋美
カラタチの木も涙
「先生。私は一体どうすればよいのでしょう。」
目の前でしゃべっているのは、三原千景さんという、中年の女性患者だった。中年と言っても、心を病んでいるためか、年齢より、はるかに幼く見えた。
「何があったんですか?」
と、影浦はそういうことを聞いた。
「あの今日は、買い物に行く予定だったはずなんですが、父が急に仕事が入ってしまって、いけなくなってしまったんです。」
と、千景さんはそういうことを言った。普段のひとから見れば、全然大したことはないのだが、こういう人にとっては、非常に重大なこともある。時には泣き出したり、大暴れすることもある。だから彼女の話を最後までしっかり聞いてあげるのが、大事なのである。
「そうですか、それはお辛かったですね。お買い物は、あなたにとって、大事な行事ですからね。あなたが日ごろからつらい思いをされていることは、僕も知っていますから、大丈夫ですよ。」
影浦はそれだけ言った。
「じゃあ、今日は望んでいたことができなかったのなら、何か別のことをしてみたらどうですか。そうだなあ、何か絵を描くとか、音楽を聞くとか、そういうことをしてみたらどうですか。僕は、そういう時は人から離れるようにしています。そして、もう一度、あなたが人と関われるなという気持ちになったら、また戻ってくればいいのです。」
けっして、その人にだめだとか、やってはいけないとか、お前が悪いとか、そういう言葉を言ってはいけない。そういう言葉は、精神障碍者には、一番の毒であることは影浦も知っている。
「じゃあ、どうしたら、今日、そんなに悲しまないで、楽しく過ごせると思いますか?」
けっして患者さんのいう事を否定せずに、新しい考えの方へもっていくというのは、かなりの重労働であった。
「じゃあ、どうしたらって、そうですねえ。今日は、久しぶりに出かけて、母も私も喜んでいました。父はいつも仕事で不在だから、母が久しぶりに外出できてうれしいと言っていたのに、父ときたら、そういう気持ちを忘れてしまったのか、仕事を勝手に入れてしまって、母が本当にがっかりしていて。がっかりしたのは私だけではないんです。母も一緒です。」
「そうですか。それほどあなたには重要な行事でしたか。」
「ええ、だって私にできることなんて、死ぬことしかないでしょう。誰にとっても私はいらない人間なんだし。私のせいで、父や母は楽しいこともできず、外出することもできないんです。すべては私がいるから悪いんです。」
という彼女に、影浦は、たまたまそういうことが起きただけだという路線は、やってはいけないなとおもった。まず、彼女が泣いているちゃんとした理由を聞くのが先決である。たとえそれが、普通の人にとっては、常軌を逸した行動であってもである。
「そうですか、でも、すべては、あなたがいるから悪いというわけではないと思うんですが。」
とにかく語らせる。それが治療への一番の近道なのだ。
「ええ、だって、父は私が働いていないことで、六十過ぎても働かなくちゃいけないし、だからせめて、買い物に行くことでストレス解消になるかなと思ってたんです。でも、そういう事より仕事のほうが大事なのが、今日わかりました。だから、私は余計に本当に申し訳ない気がして。」
やっぱり、核になる部分はそれである。精神障害のある人たちは、そうやって、自宅にいるのを、恨めしいというか、罪悪感というか、悲しい気持ちになって自分を常にに責めている。それを紛らわすことは大変困難である場合が多い。アルコール依存症のひとも、精神分裂病のひとも、鬱のひともみな同じ。人間は、役割というか、居場所がないと、おかしくなってしまうという定義は必ず存在する。
逆を言えば、彼らに何か社会に出て、役に立っているという意識見いだせれば、生きていける。そういう人は、大勢いる。ただ、精神障害があるからと言って、捨てられている。そうではなくて、精神障害を持ちながらも、社会参加できるような、そういう場所があったらと思わずにはいられない。
「そうですか。なら、こう考えたらどうでしょう。ご自身を責めることはなくというのも、難しいでしょうから、まずはお父様も好きなことをやっていて、それを続けていると思ってください。あなたが音楽が好きなら、それと同じだと思って。お父様も好きな仕事というものがあって、それをやっている。第一、お父様は、好きなことって、仕事以外にないっておっしゃっておられましたよね?」
「はい、そうですね。うちはお金がないから、そういう趣味的なことはできないんです。」
影浦は千景さんに言うと、千景さんはそう答えるのであった。
「そうでしょうか。」
「ええ、うちにお金がないから、父が趣味を持てないんです。すべては私が悪いんです。」
「そんなことありませんよ。お金があろうとなかろうと、趣味を持てないで、仕事ばかりしている人は本当にたくさんいます。逆にお金がなくても多趣味な人もいますしね。例えば、ささやかなお金で、部屋に観葉植物を置いて世話をするとか。それが高じて、スキルを売るとかいうアプリで、観葉植物を育てることを教えるようになったという人もいます。」
「そうなの?お金がないから、好きなことをやってはいけないんでじゃないですか。お金がないのは悪いことだから、それが続いていくと悪い人間になるから、好きなことを禁止することで、私は犯罪者にならないで、ここまで来たという自負心があったんです。」
そうなのか、そんなこと、どこで刷り込まれたのかわからないけれど、彼女の心も体もそうなってしまっているらしい。そんな人に、生きていることは素晴らしいなんて、そんな理屈、通じないなと影浦は思った。
「すべてはあなたが悪いというわけではありません。あなたがいるから、世の中は悪いというわけでもありません。なんでも自分のせいにしてしまうのでなく、どうでもいいことはどうでもいいのだと、考え直すことが大切です。」
影浦はそういいながら、彼女の処方箋を書いた。とりあえず、気分の落ち込みが激しいことは確かだから、それを抑える漢方薬だけ出しておく。それを飲んでいれば、根本的なことは解決できなくても、彼女の持っている症状を抑えることは可能である。だから、そうなってくれた上で、これからのことを考えてほしいなと思っている。
影浦たちは、扱うのがほかの診療科と違っている。例えば、脳に悪性腫瘍ができて、それを取ってしまえばもういいというような、単純な医療ではない。くも膜下出血は、命に係わる重大な疾患であるが、うつ病だって、それと同じくらい死亡するリスクは高いと思う。脳腫瘍もそうであるが、すぐに手術をすればよくなるということはない。精神科では、医者の一言一言が、メスのようなものである。
とりあえず、三原千景さんの診察は終わって、千景さんは、必要な書類を受け取って、病院の外に出る。病院には小さいけれど庭というものもあった。庭には、桜の木が植えられていたが、小さなカラタチの木も植えられている。その木の周りを、一人の男性が、何かを観察するように歩いていた。立花公平さんであった。
「あの、どうしたんですか。」
千景さんは、立花公平さんに声をかける。
「あの、このカラタチの木が、前々からちょっと元気がなかったものですから、時折来させてもらっているんですよ。先週、幹のところに、ちょっと病巣が見えましたので、薬剤を散布させてもらいました。後は、枯れた枝を切除すれば、また元気になってくれるかなと思います。」
と、立花公平さんは、にこやかに笑って言った。
「そうですか、なんだかうらやましいくらいですね。カラタチの木が、そんな風に人間に世話をしてもらえるんですから。」
千景さんは、なんだか恨めしそうに言った。
「カラタチの木がただ立っているだけでそうして治療してもらえるなんて、不公平だわ。人間は、早く死んでくれとかいわれてしまうのに。」
「そうですかね、三原千景さん。木にもちゃんと役割があると思いますよ。木は、ここへ来る人を和ませたり、安らぎを与えたりしているでしょう。このカラタチの木を見れば、みんなこの病院に来る人は和むじゃないですか。そういうことをちゃんとやってくれているから、治療するんですよ。」
立花さんは、千景さんの顔を見ながら、そういうことを言った。
「いいですね。木は、人間と違って、利益を生み出せなければ、生きてはいけないと言われることはないのですから。そんな風に木だけ得をするのなら、木なんてなければいいのになあ。」
「いやいや、そんなことを言ったら、カラタチの木が、悲しみます。カラタチの木はちゃんと生きているんですから。それは樹木でも、人間でも同じなんじゃないですか?」
そういう立花さんに、千景さんはなんだかいやだなというか、恨めしいというか、そんな気持ちになってしまうのであった。それなら、なんだか生きているのが嫌だという気持ちにもなる。影浦先生やほかの人たちには、私に生きていた方がいいというけれど、そんなことして何になるのだろう。不要な人間は終わりにした方がいいと思うのに?
「こんな木が、生きているだけで素晴らしいというのだったら、なんで私はいつまでも幸せになれないのかしら。」
千景さんはそういうことを言った。
「そうですねえ。」
と立花さんは考えてこういう。
「幸せなんてお金では得られないものですよね。お金があれば幸せかというものではないし、かといってない人が不幸を作るのかというと、そういうことはないと思います。それよりもうーんなんと言ったらいいんですかね。どんな動物でも植物でも、生きていてよかったと思えることが本当の幸せなんじゃないかなあ。」
「そうですね。」
と、千景さんは、申し訳なさそうに言った。
「あたしなんて生きていてよかったどころか、生きていても仕方ない人間だわ。人生つまらないものばっかりだし、人には迷惑かけてばかりだし、好きなものも好きなこともなにもないし、もう死んだほうがいいって感じでしょう。木を見ても何が得られるわけでもなし、金が得られるわけでもないし、死んだほうがいいわ。」
「そうですか。では木も泣いているかもしれませんな。木はとても繊細なものですからね。木はとてもやさしいですよ。あなたがしていることに、間違いだと語り掛けてくれることもある。。そういう木のおかげで私たちも、生きているということを実感できるんです。」
立花さんは、哲学者見たいなことを言った。
「でも、あたしみたいに何もなくて、生きている人が、生きている価値はあるのかしら。」
千景さんはもう一度言ってみる。
「ありますよ。木も人間も同じことですよ。木は、生きていてよかったなと感じさせてくれます。それをしっかり感じられた人が、本当の幸せというものを、手に入れることができるんです。」
立花さんはそういうことを言った。
「それに、僕たちは生きているんじゃありません。生かされているってことを覚えなきゃ。それが一番大事だと思いますよ。」
と、言われても、千景さんはよくわからなかった。ただ、自分なんて生きているだけの事、ただ、何も価値がないこと。其ればかりを考えていた。立花さんは、このカラタチの木が、生きていてよかったなんて教えてくれると言っていたけれど、そんなことは、あり得ない話である。
「三原千景さん。」
と、そこへ薬局の人が庭に出てきたので、千景さんは、あ、すみませんといって薬局に向かって歩いた。そのあと、薬をもらって薬局から出てくると、立花さんの姿はなく、カラタチの木だけが立っていた。カラタチの木は何も言わなかった。何も口にしなかった。生きている価値があるなんて、口にしてくれるはずがないのだ。なんだかこのカラタチの木が、そんなことを語り掛けているなんて、まったく意味の分からないことを、と千景さんは、ため息をついて自宅へ帰っていった。
次の日は、ひどい大雨だった。みんな部屋のなかにいた。千景も部屋の中にいた。テレビに映っている、避難指示情報を眺めながら、ほかの地域は甚大な被害があるのになんで自分だけ生きているんだろうなと思いながら、一日過ごした。
その数日後、あのカラタチの木が植えられている影浦医院には、何ごともなかったかのように、患者さんがやってきた。みんな、生きているのがつらいという言葉を言って、帰っていく。千景さんもその一人だった。彼女の次の患者さんは、中年のおばさんである、立川茉奈さんであった。
「今日はどうされましたか?」
と影浦は、茉奈さんに言う。
「はい、いつまでも腰が痛くてそれが取れないので、来させてもらいました。」
という茉奈さん。
「そうですか。確認のために聞きますが、整形外科とかそのような所にはいきましたか?」
影浦は念のため、そういうことを聞いた。
「ええ、整形外科にはいきました。でも、いくら検査してもらっても、骨には異常はないし、筋肉にも異常はないし、どこにも異常はないと冷たく言われてしまったものですから、来させてもらいました。」
と、いうことはつまり、有名人もかかったりしたこともある、今はやりの精神疾患だなということになった。これのせいで死亡するという例はあまりないが、家族や周りのひとが、この病気に無理解であるせいで、自殺してしまうという例は多い。
「ああ、なるほどね、わかりました。そうなると、西洋医学では、完治が非常に難しいので、漢方を投与した方がいいですね。こういうところで漢方を使うというのは、珍しいことではないんですよ。使えるものは、どんどん使っていきましょう。」
と、影浦はそういって、彼女の処方箋を書いた。
「先生、私はこれからどうなってしまうのでしょう。もう、職場を休むことはできないのに、痛みのせいで、職場に行けないから、やめなくちゃいけません。それを、家族にどう話すかも、まだ決めていないのです。」
という茉奈さんに、影浦は、
「ええ、不安に思うのは、確かにあると思いますが、ある曲の歌詞の通り、時の流れれに身を任せということも必要なのではないかと思います。」
と答えた。
「そうやって、痛みは取れてくれるものでしょうか?」
茉奈さんが聞くと、
「ええ、それは、あなたが生きる姿勢というか、それを変えろというしるしだと思います。」
と影浦はそう答えた。そして、じゃあ、ゆっくり直していきましょう、お大事になさってください、と言って、茉奈さんを診察室から退出させた。彼女は腰に手を当てて、痛い痛いと言いながら外へ出ていくのであった。それが彼女が示している症状なのである。痛いせいで、生きていることで精いっぱいになってしまう。痛いせいで、これから仕事をやめて、家の中でも立場を失う。茉奈さんの病気というものは大体の人がそうなってしまうのだ。
本当に影浦は精神障害なんて、なければいいのになと思う。何のためにあるのか、考えてしまったこともある。それまで幸せに仕事をしていた人が、すべてを病気のために失うのだから。これまで幸せだった人が、不幸になるという事例は、できるだけ避けたいと思うのだが、どの患者もみんなそういっているから、どうしても避けては通れないものらしい。
影浦の書いた処方箋をもって、立川茉奈さんは、病院の外に出た。
病院の外は、一本のカラタチの木が植えられている。とげを大量につけていて、いかにも痛々しい感じもするカラタチの木であったが、大幅に剪定してしまったのだろうか、枝ぶりもよくなかった。
茉奈さんが、カラタチの木の前を通り過ぎようとしたところ、
「あーあ、一体この木が、何を教えてくれるというのかしら。」
と、千景さんの声が聞こえてきた。茉奈さんは、彼女も何か思い悩んでいるのかなという顔を読み取って、
「どうしたんですか?」
と三原千景さんに声をかけた。
「何かわけがあって、こちらに来ているのでしょう?」
「ええ、なんだかよくわからなくなっちゃって。うちの家族は、しょっちゅう喧嘩ばかりしていて、それを私のせいだと言われて、自殺を図ってからおかしくなっちゃって。あたし、何も幸せを感じなくなりました。なんだか時間だけがボケっと流れていくような。先日、ある人が、このカラタチの木を眺めていれば何かわかるなんて言っていたものですから、そのとおりにしても、何もわからなくて。」
という千景さんに、茉奈さんは、
「私も、何もわからないでこっちに来ちゃった。いくら薬飲んでも湿布を貼っても腰の痛みが取れないで困っているのよ。これから、先生に治してもらおうと思うけど、どうなるのかしらね。整形外科に行った時見たいに、もう来ないでくださいって言われることにならなければいいんだけど。」
と、苦笑いを浮かべてそういうことを言った。
「あたしたちは、なんだか似た者同士ですね。先が見えなくて、何もできないただの置物みたいになっちゃったわ。」
と、茉奈さんは、そういうと、千景さんも、
「ええ、私も、どうしたらよいものなのか。よくわからないで暮らしているんです。」
という。その時に、ピーっと風が吹いて、彼女たちの髪が風になびいたと同時に、意思を持っているかのように、カラタチの木が揺れた。
「そうね。あたしたちは、同じ患者同士なんだし、仲良くやっていきましょう。先が見えなくても、同じ境遇の人がいれば、少しは楽になれるんじゃないかしら?」
と、茉奈さんが言う。千景さんは、そうか、そういうことなのか、と、考え直した。このカラタチの木が与えてくれたのは、こういう、同じように苦しんでいる人と出会えるきっかけであると。カラタチの木はそのためにある。
「あたしも、そういうことを言い合える人ができてうれしいわ。」
と、千景さんは、茉奈さんに向かってにこやかに微笑んだ。
きっと、このカラタチの木も、二人の女性が仲良しになってくれると望んでいるだろうと思いながら。
カラタチの木も涙 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます