第14話・黄昏の天使

「リリ…ス様?」


 ナミスはリリスの予想外の行動に驚きを覚えた。華奢な少女と、その哀れな泣き声は、ナミスに強い保護心を芽生えさせずにはいられなかった。


 「うっうっ…」


 リリスは涙を止めることができず、ただずっとその天使にしがみついていたが、やがて自分のぬくもりとして感じ始めていた。


 「おい! お前! ここで何をしている?」


 突然、路地の入り口から男の声が聞こえてきた。


 「衛兵ども!今さら来たのか!」


 ナミスは衛兵が今になってやってきたのを見て、怒りをあらわにした!


 「私はカリシア殿下の親衛隊長ナミス・ガーナーだ!」


 親衛隊の隊章を見せながら、衛兵に向かって叫んだ。


 「あっ!?、本当にカシリア殿下の…」


 「ここで今誘拐事件があって、公しゃ…」


 言いかけたところで、公爵令嬢リリスにとって、評判は何よりも大事、ここは身分は明かさない方が賢明だ、と考えた。


 「平民を誘拐するという事件があった。犯人たち4名はすでに私が斬った。すぐに馬車をまわせ! この被害者を送り届ける!」


 ナミスは衛兵に命令を出した。


 「ははっ!」


 衛兵は慌てて去っていった。


 「うぅぅ…」


 衛兵がやってきたおかげで、リリスは落ち着きを取り戻し、ようやく泣き止むことができた。


 「ありがとう…ナミス、あなたがいなかったら、私はきっと…」


 リリスはナミスの気遣いに感謝し、改めてお礼を言った。


 「…」


 少女は血と汚れにまみれていたが、その可憐な様子はナミスの心を揺さぶり、いつもは感情を制御できるナミスも、しばらく平静になれなかった。


 「た、大したことじゃない。リリス様に問題がなければそれで良いのです。」


 ナミスは自分を落ち着かせようとしたが、自然と微笑んでしまった。


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 なんとか気を鎮めようしたが、血まみれになった体に恐怖心を抑えきれなかった。


 怖かった…もしナミスが間に合わなかったら…。


 急に血が滴り落ちてきたので、顔を上げるとナミスの頭にはっきりとした血痕があった。


 「ナミスさん、怪我をしているの?」


 最初は返り血だと思っていたが、よく見てみると、ナミスの額から血は流れていて 顔も青ざめ、黙って苦しんでいるようだった。


 「あ、あぁ…少し高すぎたようだ。上から飛び降りたとき、うっかりぶつけてしまった。大したことはない。」


 ナミスはそれでも優しく微笑んでくれた。


 「全然問題のない怪我じゃなさそうなのよ!?...」


 私はナミスの腕の中から少し離れ、ナミスの体を上から下まで確認してみた。


 ナミスの足を見たとき、私ははっとした。相当な量の血が流れていたのだ。 両足とも不安定に震えていた。


 「その足どうしたの! 飛び降りた時に怪我したの!?」


 明らかに立っているも辛そうで、抱きしめていたときも痛かったはずなのに、何も言わなかった…。


 衛兵がようやく路地の入り口まで馬車を運んできた。


 「ナミス様、馬車の準備ができました!」


 「よし、手伝ってくれ。」


 ナミスは上着を脱いで私の頭にかぶせた。


 「申し訳ありませんが、リリス様、しばらく身分がばれないよう顔を隠してください。」


 「ナミス… 」


 自分の怪我を顧みず、常にあらゆる面で私の事を考えてくれている。


 私はナミスの後を追って路地を出て、衛兵に支えられながらゆっくりと馬車に乗り込んだ。


 「馬車を王家学院の裏手に移動させろ。私はさらなる調査のためにこの民間人を連れて行く。」とナミスは命令した。


 もし馬車が公爵の屋敷へ向かえば、馭者がそのことを知るだけでなく、屋敷の人々も私のこの恥ずかしい様をみるだろう。


 ナミスさんは、とても優しくて温かい人なんですね。


 でも、だからこそ余計に罪悪感を感じてしまう。


 ナミスは必死に笑顔を作り出しているように見えるが、痛みに堪えているかのように、太ももを手で強く押さえている。 頭からの血もそのままだ。


 こんな大怪我は、親衛隊の活動に影響があるだろうし、さらに、普段の生活にさえ差し障るかもれない…。


 母上!?


 足の怪我のせいで自分のことができなかった母のことをふと思い出した。


 全部私のせい?


 私がいなければナミスはこんな怪我をしなかったはず。


 またしても周りの人に不幸をもたらしてしまった。


 全部、私のせいで…


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 痛いな・・・


 これは親衛隊になって以来、最悪の負傷か。


 飛び降りるときに正確に斬り込むことしか考えてなかったせいで、受け身をおろそかにしてしまった。路地が狭すぎたせいで周りの瓦礫に激しく頭をぶつけた。 周りにゴミ山がなければ、その衝撃で意識を失っていただろう。


 それに飛び降りた時の衝撃は限界をはるかに超えていて、足の骨が砕けて筋肉に突き刺さったようだ。馬車が揺れるたびに、足から言葉にならないほどの痛みが全身を駆け巡る。


 ナミスは足の痛みを和らげようと太ももをぎゅっと握ったが、何も効果がないようだった。


 すぐに町医者を探して治療してもらうことも考えたが、リリスを一人にするわけにはいかなかった。貴族にとっては評判が非常に重要で、何があってもリリスの身分を誰かに知られてはならない。 今は我慢して王家学院に向かうほかない。王家学院専属の医者が助けてくれるだろう。


 むぅ…深刻な後遺症が残らないといいのだが。 体力は親衛隊にとって最も重要な能力の一つであり、身体に欠陥があると親衛隊を続けることができなくなる可能性が高い。他の平凡な仕事に移動させられるだろう。今回の件を考慮はしてくれるだろうが、他の仕事は親衛隊の比較にならない。もしそんなことになれば、長年の努力が全て泡と消えてしまう。


 ナミスは痛みと今後に苦悩していた。


 その瞬間、向かいに座っていたリリスが両手を伸ばし、自分の手の上にそっと置いた。


 「ごめんなさい...ナミス...全部私のせいです...私がいなければ...あなたは傷つかなかった....」


 リリスは、まるで何か悪いことをした子供のように下を見ながら泣き続け、謝罪の言葉を繰り返していた。


 リリスの手は、繊細で優しく、しかし常に冷たく震えていた。


 「私のことでしたら、大丈夫です。この程度の傷は何でもありません。 」とナミスは笑顔で答えた。


 「嘘、嘘…ずっと血が出ているのに、痛くないわけない…」


 リリスは真剣にナミスの顔を見上げ、涙を流しながら悲しそうに言った。


 ナミスの心臓の鼓動が高鳴った。


 これはなんの感情だ? わからない。


 長年親衛隊をやっていれば、傷を負うことは少なくないが、誰かが私の負傷に心を痛めるのは、おそらく初めてだ。訓練や実戦で怪我をしても、周りの者は、友達でも家族でも、父母でさえ、「元気出して!」「頑張れ!」「諦めるな!」などの声をかけるだけだった。


 ナミスはすすんで軍に入ったのではなく、戦うことに興味がなく、むしろ嫌悪感を抱いていた。しかし、軍に入隊した貴族は、親衛隊になれるなど、平民より良い待遇を受けることができた。 とくに子爵のような身分なら...


 (※)特にガーナー家はほとんど平民とかわらない。


 親衛隊の栄誉があるからこそ、家にも昇格のチャンスが生まれる。栄誉が他の貴族を上回れば、昇格に疑問の余地はない。


 だから軍に入隊した。一家の期待を背負い、優秀な親衛隊にならなければならなかった。 彼がどれだけの苦痛を受けるかは、誰も気にとめなかった。


 当たり前のようにナミスは優秀でなければならなかった。


 そう、子爵の後継者としても、親衛隊員としても、この痛みは何でもなかった...


 「ごめんなさい…ナミス…とても痛いでしょう…」


 リリスは自分が傷ついたように泣いた。


 なぜリリスは…なぜ高貴な公爵の継承人が…一介の親衛隊の怪我のことでこんなにも悲しむのだろう。


 「ごめんなさい…私のせいで・・・」


 重なっているリリスの手はとても暖かくて柔らかかった。


 リリスはこんな人だったのか? 自分はただやるべきことをやっているだけだ…そうじゃなかったのか…?


 「すべて私のせいよ…」


 リリスの涙が彼女の腕に落ち、そしてそこを伝って自分の手中へと滴り落ちた。


 リリスは自分のために悲しんでいた。それは、友人からも、家族からも、誰からも受け取ったことのない慰めであり、共感だった。


 他の誰もが自分のためだけに努力し続ける世界で、リリスだけが他人の傷を嘆き悲しんでいる。


 彼女だけが、ナミスの痛みを感じていた。


 抑えることができなかった痛みが、この優しい小さな手に癒やされるように、軽くなっていくように感じた。


 もし天使がいるなら、目の前にいるこの少女こそそうだといえる。


 王家学院ではいつも他と一線を引き、周りと距離を置いていたリリスに、まさか他人を気遣う面があるとは。


 とても優しく、思いやりがあり、ひと目見ただけで、引き込まれてしまう。


 怪我をした甲斐があったような気がしてきた。


 おかしなことになってきたな…ナミスは思わず笑ってしまった。


 馬車よ、


 いま少しゆっくり走ってくれ。

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