第15話・握った手は離せない

 馬車は王家学院の裏庭に滑り込んだ。


 ナミスは手招きし、御者を呼ぶ。


 「じいさん、金貨1枚でこの馬車を買い取りたい、すまないが歩いて帰ってくれ。」


 「閣下、ありがとうございます!」


 御者は金貨を受け取り、嬉しそうに去っていった。御者が完全に視野から消えてゆくまで待つと、ナミスは手を伸ばし、何か合図をしながら二人の名を叫んだ。


 「ザット! ザロ!」


 「ナミス殿・・・!?な、なにが起きたか!?ど、どうしてこんなに血が!?」


 呼び声とほぼ同時に、茂みの中から親衛隊が二人が飛び出してきて、走ってきた。

 「私はまだ平気、とりあえず殿下に報告しなければならないことがある。ちょっと足がケガしたから、ザット、殿下のところまで手を貸してくれ。」


 「そしてザロ、お前は馬車を見張ってくれ。誰も近寄らせるな!」


 ナミスは部下たちに粛々と指示を出すと、振り向いて、優しく微笑んで口を開く。


 「リリス様、しばらく馬車で待っていてください。私は先に殿下に報告してきます。」


 「え、えぇ・・・き、気をつけて・・・」


 ナミスが出ていくと同時に、馬車のドアを閉める。


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 ザットの助けを借りて、ナミスはかろうじて王家ラウンジについた。


 コンコン!軽くドアを叩くと


 「誰だ?」


 「ナミスです。報告に参りました。」


 「入れ。今日はやけに遅かった・・・なっ!どうした!?」


 カシリアは血まみれのナミスを見て驚倒した。


 「今日リリス様は予定を変更され、一人買い物に出かけられました。」


 ナミスは立っていられなくなり、ついに座り込んだ。ザットはすぐに医者を探しに行った。


 「リリス!?リリスはどうした!?」


 カシリアは慌てて椅子から立ち上がり、ナミスのところまで迫ってくる。


 「街で誘拐されかけたのですが、幸いにも連れ去られる前に救出し、犯人達は全員始末しました。」


 「そうか、よくやった。それでリリスは今どこだ?」


 「かなりのショックを受けているようです。服も血まみれで、悪い噂が広まらぬよう、学校の裏庭に馬車にてお連れしてあります。 殿下、後をよろしくお願いします。」


 「ご苦労だった。流石だな、ナミス。まずはその傷の手当をしろ。私はリリスを連れてくる。」


 カシリアは安堵のため息をついたが、やはりリリスのことが心配になる。急いで部屋から出て、裏庭へ走り出す。


 そうだ、念のためには・・・


 「裏庭を封鎖して誰にも見られないようにしろ!」


 「承知!」


 親衛隊ははすぐ行動に移る。


 とはいえ、リリスが襲われるとは到底思わなかった・・・


 果たして大丈夫だろうか・・・


 ナミスがいたのは幸いだった。さもなければ・・・


 最悪なイメージを思い浮かべ、カシリアは心が乱れてしまい、必死に馬車に駆け寄り、ドアを開けた。


 「リリス、無事か?」


 カシリアの急いだ声に、目の前にいる少女は一瞬反応できなかったようだ。


 少女はただ、頭を下げて静かに泣いていて、上着を強く握りしめている彼女の手や髪や顔が涙に濡れている。 服は血と汚れに染まり、夕暮れの薄暗い光の中で、弱々しく哀れな姿を映し出していた。


 そこにいるのは、凛とした「公爵令嬢リリス」ではなく、


 あの日薔薇園でこっそりと声を殺して泣いていた少女だった。


 「リリ・・・ス・・・」


 彼女はどんな目に遭ったのか!? 犯人共は彼女に何をしたのか!? 怒りと痛みがないまぜになった、カシリアが初めて感じた複雑な感情だった。


 「殿・・・下?」


 少女の目は虚ろで、焦点があっていなかったが、ゆっくりとカシリアの方を向いた。


 「あっ!ご、 ごめんなさい・・・」


 やっとカシリアのことが気付いて、少女は慌てて手で顔を覆い、子猫のように体を丸めた。


 貴族は、常に整然とした態度を保つことが必要であり、上級貴族であればあるほど厳しくそれを求められた。


 特に王族に対面する際に、醜い姿でいることは、間違いなく相手や自分への大きな侮辱であった。少女も正気が戻ってきて、そのことに気がついたからこそ、慌てて身を隠してたのだろう。


 こんな状況でも、まだ貴族のマナーを考えているのか・・・本当に、こちらが心苦しくなるほどだ。


 「大丈夫だ、リリス。」


 カシリアは手を伸ばし、小さく震えるリリスの手を取り、そっと引き寄せ優しく言った。


 「殿・・・下」


 少女は自分の汚れた手を見て、言葉に窮しているようだった。


 「ついてきなさい。先にしっかりと体を洗うが良い。」


 カシリアはそっと少女の手を取り、王家ラウンジに向かって歩きはじめた。


 夜になり、明るい月が現れた。


 少女は前かがみになり、不安げに辺りを見回している。自分を見る勇気はなく、ただただ静かに、手を引かれるがままに、月光の下を歩いた。


 銀色の光が少女に降り注ぎ、それは神聖で清らかな様子だった。


 「ありがとうございます・・・殿下。」


 「あぁ・・・かまわない、無事で良かったよ。」


 少女は戸惑いながら感謝の言葉を囁いた。 カシリアも少女に戸惑い、しかし目はそらさない。


 一体どうなってるんだ・・・・・・?


 なぜ自分がリリスにここまで気を使うんだ・・・?


 ただ・・・


 握っていた小さな手を離せないほど、普段ずっと無感情だった心が騒いでいる。


 リリスが浴室に入ると、カシリアはナミスから話の始終を聞き、抑えきれない怒りが噴出した。


 「ゴミどもめ! リリスの善意を踏みにじるとは!」


 「ザット、街の警備隊長に私の命令を伝えろ!一週間以内に誘拐組織を根絶させよ!その背後にある闇取引シンジケートも含めてだ! 人手が必要なら皇室警備隊も出してやる。ただし1週間で解決できなければ永遠の休暇をくれてやるとな。」


 カシリアはそうまくし立て、ようやく少し落ち着いた。


 「ところで医者、ナミスの怪我の具合はどうか?」


 「ナミス様の足はひどく骨折していて、ベッドから出られるようになるには最低でも1ヶ月は安静する必要があると思います。」


 ナミスを見ていた医者は慎重に答えた。


 「わかった。この度は本当にご苦労だった。お前の功績は間違いなく報告しておくから、この1ヶ月間はゆっくりと休め。」


 「ありがとうございます、殿下・・・」


 カシリアはナミスが退出するのを見送ってから、テーブルの前で静かにリリスを待っていた。


 暖炉の火は勢い良く燃えていた。窓の外に目をやると、銀色の下弦には、なぜかリリスが映って見えた。


 「・・・・・・リリス、か」


 無言でお茶をひと口飲んでみたが、心は落ち着かなかった。

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