第13話・斜陽のまなざし

 リリスが一人校門に向かって歩き、馭者と少し言葉を交わした。その後馭者は去っていき、リリスは一人で街区へと向かった。


 殿下の命令通り、ナミスは遠くからリリスの動きを見守っていた。


 けど、どういうことだ? リリス様は帰り道を変更して一人街区へ? 最近、街区では窃盗や誘拐事件が頻繁に起きていて、一人で行動しない方がいいという注意書きが道路や学校に貼られていたはず。 まさか、リリス様がこの通知を知らないわけはないだろう?


 もしそうなら困ったことになった。リリス様の高貴な装いを見れば、十分に誘拐犯の餌食になる可能性がある。ナミスは観察を続けるため、気づかれない距離を保ちながら、急いであとをつけた。


 日が西に傾き、夜の帳が下りてきた。


 遠くから見ていると、宝石店の前に立っていたリリス様が、突然老婆に倒される姿が見えた。 彼女は立ち上がって老婆に手を差し伸べた。


 リリス様は本当に優しくて寛大な貴族で、ナミスはため息をつかずにはいられなかった。 貴族が平民に倒されたら普通は怒りで罵倒するだろうし、気の荒い貴族なら手打ちにするかもしれない。それなのにリリス様は、平民に手をかし、助け起こそうとしている。そのやさしさ、まさに完璧な貴族と呼ばれるに相応しい。


 ナミスは黙々とメモを書いていたが、ふと気がつくとリリスは宝石店の前から姿を消していた。


 リリスは宝石店に入ったのか? 今店に入るわけにはいかないので、窓際の棚影から観察するほかない。 ナミスは棚影から中の様子を伺っていたが、おかしいことに、しばらく観察していてもリリスの姿を見つけられなかった。


 !?!? なんだ! 瞬く間に消えた!?


 他の店に? それとも...?ナミスは慌てて近くを捜索したが、どこにもリリスの姿は見当たらなかった。


 どういうことだ?通りにも店にも見当たらない...貴族の歩く速度から考えてみれば...!?


 路地に入ったのか?


 周りの路地を調べ、ようやく異常を発見した。 一見何の異常もないように見えたが、路地を塞ぐように数人の男が立っていた。その足元にスカートが僅かに見えた。


 間違いない。あれはリリス様の服だ。


 もしかして······リリス様は誘拐されたのか!?


 ナミスが忍び寄ると、大男の邪悪な笑い声と、時折光る金属らしきものが見えた。


 あれは…ナイフの反射か?


 ナミスは急いで身を隠し、敵の状況を分析した。


 リリス様が敵にナイフを向けているのか? ありえない。貴族はナイフなど持ち歩かない。


 つまり、誰かがリリス様にナイフを向けている?


 だとすれば、正面からの突撃は危険だ。奴らがリリス様に危害を加える可能性がある。


 上からよく観察しなくては。しかし焦って行動すればリリス様を危険にさらすことになりかねない。


 ナミスはまず両側の建物の、登れそうなところを探した。


 行ける!窓枠を使って、跳躍しながら登っていった。


 「ねぇ、あの人何してるの?」


 「泥棒かな? でも目立ち過ぎでしょ?」


 「衛兵を呼ぼう。」


 窓枠をよじ登るとき、近くにいた貴族たちはそんなことをささやいているようだった。


 好都合だ。後片付けは衛兵に任せよう。とナミスは建物の上まで登りながら思った。


 上から観察し、ようやく状況をはっきりと把握することができた。


 案の定、リリスは前からも後ろからも囲まれて逃げられない様子だった。


 最大の脅威は、リリスの背後にナイフを持って立っている老婆で、彼女が異変に気づく前に一撃で斬り倒さなければならない。


 更にリリスを取り囲む3人の男がいる。老婆を斬った後、すぐに奴らも斬らなければ、リリス様が人質に取られてしまう。


 ······なかなか厳しいな。


 約10メートルの高さで屋根から飛び降り、十分な光がない中、一撃必殺で事を済まさねばならない。わずかでもズレがあると、リリス様に当たってしまう。 しかも下に何があるかわからない。もし仕損じればリリス様も自分も窮地に陥る。 たとえ飛び降りて老婆を片付けたとしても、足がこの高さに耐えられなければ、他の3人にやられる。


 畜生! 手下を忍ばせておくべきだった!


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 「そろそろ時間じゃ。場所を変えるんじゃ。」 後ろの老婆が男たちにに指示を出した。


 「しらけさせてくれるねぇ!バァさんよぉ!」と大男文句を言いながら、近く積んであったものの中から、人一人入れるほどの黒い大きな麻袋を取り出した。


 〈これは!?〉


 後ろの老婆は、何かで湿らせた布を取り出し、私の鼻と口を塞いだ。


 「うっ…」布に鼻と口を塞がれ、薬品の匂いが混じった空気を吸うことしかできなかったが、鋭い刃と大男の前では、抵抗する勇気すらなかった。


 この匂いは…


 本当に偶然だった。


 この薬の匂い、それはあの日エリナと一緒に飲んだ赤ワインのようだった。


 エリナを毒殺するためにヤミで購入した薬と同じ匂いだった。違いがあるとすれば量や濃度の違いだろう。


 前世でエリナを殺せなかった毒は、現世では「リリス」を殺す毒となる。


 まだ薬の効果が出ていないのに、もがくのを諦め、目を閉じて、静かに終わりを待っていた。


 ······


 ······


 ······


 静かな路地に突然の乱気流が渦巻き、その鋭い音が背後で割れた。


 「ギャアアーーーッ!」


 ドサッ!


 後ろから突然の悲鳴と大きな音がして、肩にかかっていた鋭利な刃と口元の布が力を失って落ち、その後、生温かい液体が私に当たるのを感じた。


 何が起こったの…?


 驚いて後ろを見ると、老婆の頭は二つに砕け散っていて、その後ろに人影があった。その人影は見慣れた親衛隊の制服を身にまとい、狩りをする獣のような鋭い目、手には血に染まった短刀を持ち、まさに襲いかからんとする肉食動物のような体勢だった。


 「ナ…!?」


 大男たちは驚きながらも反応し、素早く武器を抜こうとしたが、その影には全てあまりにも遅すぎた。


 「こららへ! リリス様!」


 そう言ってナミスは私を後ろに押しやり、目の前の三人の大男に向かって、そのままの姿勢で斬り込んでいった。


 ナミスの圧倒的な速さに、大男たちは斬られたたことさえ気づけなかったかもしれない。


 「ぐぎゃぁぁ!」


 反応する間もなく、ナミスの短刀が大男たちの頸動脈を完璧に捉え、噴き出した血は路地に飛び散り、小雨のように私を襲った。


 その獣はゆっくりと立ち上がり、鋭い目から殺意が消え、私に向かって柔らかく微笑んだ。


 「ご無事ですか、リリス様」 ナミスは手を差し出した。


 光を遮っていた大男たちは消え、夕暮れ時の太陽がナミスの背後にふりそそいでいた。それはまるで天使のようだった。


 そう、天使のようにナミスが天から降りてきて、私の運命(絶望)から救ってくれたのだ。


 彼は私を助けに来た。


 ナミスが助けに来てくれた。


 誰にも必要とされない世界で。


 ナミスが助けに来てくれた。


 私は必死に駆け寄り、目の前に降りてきた天使にしがみついた。


 「怖かった…このまま消えてしまうのではないかと、とても怖った…」


 恥も外聞もなかった。


 「誰も助けに来てくれないと思った…」


 たとえすべて幻想であったとしても。


 「ありがとう…ありがとう…」


 彼を強く抱きしめて、彼の温もりを感じたいと思った。

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