三十九話 明日は無くとも、未来は

「……どうして」


 思わずカイトが思えば、その言葉が口から声として転がり出た。ハガネの意識は既に落ちていた。自分がハガネの体を動かす、その主導権を握っていることを確認しながら、カイトは重ねて尋ねた。


「どうやって……あんたは仮面の女になれたんだ」


 一度は疑惑が向けられた相手だった。しかし、ホテルの警備は厳重であり、コンサートホールに仮面の女が現れた時、劇団員は誰も外に出られなかったはずだった。


「幻影の魔法でも使って、欺いたっていうのか?」


 三度の問いに、ようやく女は歌声を止めた。そして、その口を開き、歌声では無い言葉を紡いだ。


「幻は見せていませんわ。……どうして歌で人を操った者は皆、仮面を付けていたのだと思います? その仮面の下を、あなたは見たことがおありですか?」

「……! 全部、別人だっていうのか!?」

「私の魔力、私の歌、そして……私に宿った神の力を、彼女たちには与えたのです。その結果、彼女たちは私と同じ、しかし小さな力を歌に宿しました。本の一時、人の心に影響を及ぼし、成すべき事を与える魔法の力を」

「操った上、自分の企てに巻き込んだってのか! そんなことを何も知らない人にさせて……!」

「……彼女たちも、承知の上でしたよ」


 静かにそう言った女の周りで、城に向けて魔法を放っていた妖精族が動きを止めていく。四肢からは力が失われ、ゆっくりと地に崩れ落ちていく。空を飛んでいた者も、地に降り立つとその場に横たわった。彼らを眺め、女は言う。


「自ら歌い手となることは、彼女たちが選んだことです。戦火によって夫や産んだ子を奪われ、自ら戦おうにも妖精族は魔力以外に秀でた面も無い。魔力が尽きれば打ち捨てられ、逃れる間もなく殺され、あるいは囚われて……戦える者ですら業苦に苛まれたのです。力無き市民はあらゆるものを奪われました。目に見えるものも見えないものも傷付けられ、もはや人も魔も無く対立する世界そのものを憎みながら、それでも何もできなかった」

「そういう人たちを利用して……あんたは新しい国を作ろうとした」


 カイトの言葉に、女は微笑んで首を横に振った。


「国は強き者が作るのです。我々は弱い。妖精族は魔皇の庇護を求めています」

「だったら、どうしてこんなことをしてるんだ!」

「こんなことを起こさずとも、あなたは我々に目を向けましたか?」


 カイトは言葉に詰まった。いまのハガネならば、もしかしたら妖精族にも目をかけたかもしれない。行き過ぎた強者によるの支配の理論を、ハガネは改めようとしていた――しかしそれは自分だから分かることなのだ、とカイトは苦く思う。ハガネの頭の中を説明したところで、それを知っているのはカイトだけなのだ。


「私は……魔皇陛下、あなたを信じておりません。私だけでなく、多くの妖精族が魔皇に、帝国に疑念を持ち、拒絶する心を抱いてしまった。そうでなければ……私の歌声が届くこともなかった。心を動かす魔法は、動きたがる心にしか聞こえないのですから」

「……どうすればいい。信用してくれだなんてこの口からは言えない。それでもあんたと、あんたが巻き込んだ妖精族は責任を持って魔皇が助けなきゃいけないんだ」


 女はじっとハガネの姿を見つめ、少し困惑したような顔になった。その表情を見た途端、女に対してずっと違和感を覚えていたことにカイトは気付いた。戦場のただ中に立ちながらも耐えなかった微笑み。型に嵌められたような、演劇めいた――仮面のような微笑み。


「雰囲気が変わられましたね、魔皇陛下。いえ……聞き及んでいたご様子に近いというように思えます」

「近い? いまの俺……我がか?」

「ええ。アルテア様が話されたご様子のようです」

「アルテア? アルテアと知り合いなのか?」


 女は答えなかった。ただ無言で目を細めた。夜が明け、日が昇っていた。光の中、倒れ伏した妖精族たちに囲まれた女は背中の白い羽根を少し震わせ、軽く息を吐いてうなだれた。


「あの方は本当にお優しい方でした。戦争とは弱者ばかりが食い物にされていくのだと反戦を訴え続け、妖精族をどうにかして保護しようとしていた。負傷して戦線に立った弟も従者として引き取ってくださった……」

「弟を従者に……まさか、その名前はウィンド?」

「弟に会ったのですか?」

「ああ、リュンヌが作った村で。元気そうだったけど、アルテアに……この村は理想郷じゃないって、そう伝言をうちの軍の奴に頼んだ。……そうだ。あの村で火の手が上がったのは……」


 女がすっと顔を背けたのを見て、カイトは思わず駆け寄り、その肩を掴んでいた。


「あんた……初めからそうするつもりだったのか? 自分の弟さえ利用して……! 死ぬかもしれないって分かってて!」

「違います! 暗示をかけたのです……火の手が上がったときに歌うべき歌の暗示を。村に人々を縛りつける魔法を解き、逃がすよう促す歌を、歌うように……そのように暗示をかけた者を、あの地に潜り込ませて……」

「けど、それでも危険なのには変わりないだろ!? 確かに俺たち魔族は弱い奴を顧みなかったかもしれない! けど、理想を持ったあんたが、自分よりさらに弱い奴を使い捨てたら駄目だろ!」


 この口から言ったところで説得力は無いかもしれない。そこまで一人の妖精族を追い詰めてしまったハガネが、そして魔族たちが悪いのだろう。そう思いながらも、カイトは言うのを止められなかった。


「失望して、逃げ場も無くて、どうしようもなくて……強い力に頼って誰かを傷付けて巻き込まなきゃ、現実は変わらないかもしれない。それでも、強い力を使う奴は、その力に責任を持たなきゃならないんだ。みんなあんたに振り回された。ここにいる人たちも、新ルフェリアンという幻想に付き合わされた人たちも。そんなことを望んでなかった奴もいたんだ。それを、あんたは歌の力でねじ伏せてしまった!」

「分かっています!」


 女の様相は、ついに怒りの表情へと変化した。いや、それは怒りというには悲痛すぎた。涙をこぼす醜態を、歯を食いしばって堪えるその顔は、悲憤という言葉が悲しいほどに似合っていた。


「それでも……私はやらなければなりませんでした。妖精族のために、アルテア様のために、弟のために……」

「やっちゃいけないとか言いたいんじゃない! あんたは……これからどうするつもりだったんだ?」

「それは……っ」

「これまでほとんど完璧にやってきたことを隠してきたのに、いきなり派手にやらかして、しかも自分はこうして姿を現した。無事じゃすまないって、もしかしたら死ぬかもしれない――むしろ死んで責任を取るつもりだったんじゃないのか!?」


 女は口を開きかけ、しかし何も言えずにただ唇を震わせた。自分の言ったことは当たっていた――言い当てられても何も嬉しくないことだとカイトは思った。


「死んで終わることほど、無責任なことなんて無い。死ぬってことは、何もできなくなることだ。何もしなくていい、何も考え無くてもいい……解放されるってことなんだ。だからこそ、責任取らなくちゃいけない奴は……本当は一番死んじゃいけないんだよ!」


 それはカイトの後悔だった。魔皇を倒す以外に戦争を終わらせる方法が無いと思い込み、何もかもを力尽くで解決しようとした、その結果を悔いたカイトが吐き出した思いだった。あの時はそうするしか無いと思っていた。しかし、死ぬことそのものよりも、そのために果たせなかったたくさんのことがあると転生して分かってしまった。戦争が終わっても人々の苦しみは続いていた。もっと他に、やることがあったのかもしれないと、そう気付いてしまったのだ。


「終わりにしよう。城の門を開けさせる。あんたは……たぶん拘束されるけど、ここにいるみんなは巻き込まれたって、分かってる。ちゃんと解放するし、妖精族のことについても、あんたの代わりに責任を持つ。だから――」

「――ありがとうございます、魔皇陛下」


 女は肩に手を置き、顔を上げた。それまで引き結んでいた唇は、柔らかくほころんでいた。


「陛下……お伝えしたことが、二つございます」

「何だ?」

「一つは……弟のことです。幻想に酔いしれ、現実を見失った姉の愚行を顧みて……いまはどうか、魔皇陛下を信じてほしいと、そう伝えてほしいのです」

「そういうことは自分の口で――」

「もう一つは、」


 カイトの言葉を遮り、女は言った。


「私が宿した力は、初めは眠っているのです。それが目覚めたと感じた途端、私の頭を己の理想が支配し……私自身を心身共に食い尽くそうと暴れ出しました。感情のままに力を何度も解放しそうになり……そして解放され、目覚めたいま、予感の通り私を食い尽くしてしまいました」

「食い尽くして、って……」

「自分でも分かります。もう、体が保たないこと……」


 ぱき、とカイトは間近に何かが割れる音を聞いた。ふと肩口に置かれた手を見る。するとそこには、白く変色し、ひび割れた、石膏のような指があった。はっと息を飲む。それは以前、神剣の力を使ったウェインにも見られた体の変化だった。


「このまま体が朽ち果てた後、私が取り込んでしまった力がどうなるのか……恐ろしくてなりません。私の全てを食い尽くしたこの力を……どうか、眠らせてください」

「……分かった。それが俺の役目だ。その役目を果たす代わりに、一つ聞いていいか? あんたの名前、教えてくれ」


 女は少し目を見開き、そして笑って頷いた。


「マリア、と申します」

「……マリア、ウィンドと、アルテアには我の口から全てを伝える。その上で、その二人の意見も聞きながら、妖精族を……弱き者を庇護する。約束する」


 マリアが再び頷くのを確認して、カイトは、その胸元に手をかざした。胸元の、心臓の位置から光があふれ出していた。まるでカイトがそこに目をやるのを待っていたかのように、剣の欠片が現れていた。カイトはそれに触れ、掴み、そして一気に引き抜いた。


 からからと音が響いた。自分の腕をすり抜け、地に落ちていく白い骨をカイトは見た。歌声も火が爆ぜる音も止んだ中、昇る朝日に照らされた骨は、目を刺すように白く光っていた。

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