三十七話 決起

 ハガネが唐突に幕営に戻ったことで、兵たちはにわかに色めき立った。ルフェリアンからゴブリン族の護衛が戻ったことで将官級は内部の事情を多少理解していたものの、尋常ではないハガネの様子に何があったのかと憶測を巡らせた。ハガネは疲れた様子の旗持ちと護衛を下がらせ、将官たちを自分の幕舎に集めると、事の説明を始めた。


「新ルフェリアン王国を名乗る地にて襲撃を受けた」


 説明は無駄を省きに省いた一言から始まった。ハガネから告げられた事態に、参席した将の中からはどよめきが上がった。


「なんと不敬な……! それが事実であるならば、魔皇陛下に刃を向けたかどで即刻あの国を攻めるべきだ!」

はやるでない。刃を向けたというが武器も持たぬ民衆だ。しかも、彼らは何者かに操られておった。妖精族をさらった者がまたその力を用いたのだろう。それに、こうなることはある程度予期していたことだ」


 ハガネとて明確な絵図として思い描けていたわけでは無い。ただ、想定の中には自分に対して危害を加えるものもあった。ルフェリアンに行ったのち、敵対的な行動に出られる可能性は重々承知しているところだった。――そうして考えていると、見えてくるものもある。


「……我々が相手をする者は、我を襲うことがどれほど、あの場の民たちに危険を強いるか分からぬような愚者では無い。その後起きうる動きまで、幾つかの想定を持っていたはずだ。そして、その中には挙兵も入っているだろう」

「相手の術中に嵌まると? しかし、だからといって魔皇陛下に楯突くなど!」

「陛下も陛下ですぞ! 戦場となった地からおめおめと逃げ帰るなど!」

「皆殺しにしろと言いたいのか?」


 ハガネの淡々とした言葉に、その場がしんと静まりかえった。そうすればいいと思う者も、それでは駄目だと思う者もいただろうが、そのどちらもがハガネの言葉に気圧されていた。――ここでもしその言葉に肯定など示せば、武器を持たない民の虐殺を魔皇に進言したことになる。挙兵しないつもりの魔皇に対しそれを迫ったとすれば、裏にどのような意図を持っているかと痛くもない腹を探られる羽目になるだろう。


「……もし挙兵までが想定済みだったとすれば、相手は何を考えているのか。相手の志がもし『虐げられていた妖精族の地位の確立』や『差別への批判、意識改革』ならば……」


 軍をもって反逆的な妖精族を討ったとなれば、それだけで帝国政府への批判は高まる。その批判を煽れば、火種は燃え上がり、瞬く間に帝都を炎上させるだろう。


「ここで軍を出せば間違いなく、帝国と妖精族との間の溝は深まるだろう。これまでの我の失策が原因とはいえ、決定打となる軍の派遣は避けるべきだ」

「し……しかし、本当にそのような意図があるかだって分からないでしょう。そもそも! 我々は……敵の正体だってほとんど分かっていないじゃないですか!」

「知らぬからこそ最悪の事態を想定するしかないのだ。この状況において最善手は打てぬ。対応は後手後手に回り、振り回される。先手を打ち状況を打破しようとするところまで読まれていると仮定したならば、相手が動くことを予期した上で後の先を取るしかないだろう」


 問題は、最悪の事態がどう出るか。そしてどう動くべきか。ハガネは思案しつつ、カイトの方にも水を向けた。カイトも同様に考えていたが、ハガネ以上の妙案は浮かんでこない。ただ一つ、思い付いたことはあったが。


(なあハガネ。相手の頭が良いなら、俺たちが『動かない』って選択を取ることも充分考えるはずだよな?)

(ああ、それはあるだろう。我が姿をくらまし雌伏したり、あるいはいまのように陣に戻った後に、リュンヌに事を問いただしたり……ただ、事の真相を問おうにもそれも難しいやもしれぬ。ルフェリアンに謀反の疑いありなどと言えば、対立姿勢を取ったと見られる可能性もある。面倒な話だ)

(じゃ、意地でもずっと動かないでいるのが相手にとって一番困るってわけか?)

(何らかの事情で陣に戻ったことにして、後は集落の者からの言づてを元に返還要請をリュンヌに突きつける……これが一番相手としては困ること、だろうか)


 カイトに答えながら、ハガネはふと、根本的な疑問に立ち返った。何故自分たちは襲われたのか。あの場で民を使って襲撃する利益など無いはずだ。血気に逸って挙兵されれば民の命が失われ、冷静に対処されれば自分たちが築こうとした国から民が欠ける。そもそも真剣に作ったとは思えない国なので、どうなろうがどうでもいいのだろうか? ――そう考えた瞬間、ハガネは一つの『最悪の事態』を思い付いた。


「へ、陛下?」


 将の一人が、動揺した様子で声を上げた。しかしハガネの耳にはほとんど入っていなかった。思わず立ち上がったハガネは幕舎の外に飛び出すと、己がつい先刻逃げ出した、新ルフェリアン王国の地へと視線を向ける。幕営は小高い丘の上にあり、昼間ならば森を見下ろすことができただろう。しかし、いまは月明かりの下で黒々とした影ばかりが見えていた。


 不意に、ぽっと闇に光が灯った。


 それを見た途端、ハガネは久しく見失っていた激しい怒りを覚えた。ウェインの時以上の、火のように燃える怒りだ。


「兵を揃えよ!」


 怒声に近い大声を上げた。背後で、幕舎からそっと顔を出してハガネの様子を伺っていた将たちが鞭を打たれたように背筋を伸ばして飛び出してきた。事情を察した二、三人が慌てて己の麾下が寝泊まりする幕舎にかける。一分と立たないうちに鐘が打ち鳴らされた。兵たちを召集する鐘だった。


「陛下、いったいあれは!?」


 将の一人が声を上げた。ハガネは答えでは無く命令を下した。


「半数を森へ、新ルフェリアン国へと向けよ! 民の命がかかっておる、ともかく片っ端から民を保護してあの場から逃がせ! 怪我人、特に重傷者が出た場合は近隣の村の集会場とうを使え、幕営に残す医官は最低限にして九割を現地に向かわせるのだ!」

「は……はっ! 御命承りました!」


 敬礼をして質問をした将校も去って行く。それと入れ違いに、一人の兵がハガネの前へと進み出て跪拝した。


「陛下! 大将軍ダイス様からの電報が届いております!」

「なに、大将軍の? 申してみよ」


 ハガネはそう命じたが、伝令の兵がそれを言い出すのにたっぷりと五秒はかかった。唇から吐き出された震えており、その内容を口にするのもはばかれるというほどに恐れているのが如実だった。


「も、申し上げます――『テイト、ヨウセイゾクケッキ、スグモドレ』とのことです……!」


 ハガネは愕然として言葉を失った。ヨウセイゾクケッキ……妖精族の決起が、帝都で起きたのだ。


「――大将軍に伝えよ。耐えよ、殺すな、すぐ戻る。それだけでよい」

「はっ……! ご武運を!」


 これから起こることを想像してのことなのだろう。戦うと宣言したわけでもないのに武運を祈られ、思わずハガネは笑い出したくなった。しかし、笑いに歪めようとした唇は、真一文字のまま動かなかった。



 将に己の麾下以外の兵を託し、ハガネは五百騎の兵を率いて帝都への道をひた駆けに駆けていた。

 

(決起……! 決起って、なんで……!)


 頭の中にはカイトの混乱した様子の声が渦巻いている。うろたえるな、と言いたかったが、ハガネとて一切の動揺が無いわけではない。だから黙して考えを垂れ流すことしかできなかった。

 ――起きたことを突き詰めて考えれば、確かに現実的だ。

 反乱を起こすことで、妖精族の問題を否応なく浮き彫りにできる。ただの隣人の不幸でしかなかった話を社会的な問題にまで引っ張り上げることができるのだ。しかも、魔皇が独立を宣言しようとした妖精族の国を焼き払おうとしたという偽報まで流せる状況だ。分かる者には嘘と分かるだろうし、時間をかければ民とて情報が偽りだと気付けるはずだが、しかし、短期的には爆発的な効果がある。

 その爆発は、民衆に、妖精族と帝国双方への疑念を植え付けるのに、充分すぎる威力がある。だが――


(そんなのって無いだろ! いくら自分たちが酷い目に合ってきたって、無力だからやり返すことも変えることもできないって思っても……犠牲が出るようなやり方でそれを世間に見せつけるなんて!)

(我とてそうではなかったと思いたい。ただ単に、全ては不満に思った妖精族が激情によって始めたことならばどんなに良いことかと思う。しかし、あまりにもタイミングが良すぎるだろう?)


 しかも、ルフェリアンでの行いは明らかに仕組まれたものだったとしか思えないのだ。状況的な証拠だけは揃っていた。問題は、事の解決に繋がる確定的な物が無いことだった。


(決起の終息事態は可能だろう。しかし、遺恨が残らない着地点を考えるとなると……頭が痛い問題だ)

(戦うしか、ないのか?)

(武力蜂起となればそうせざるを得ぬ。耐えるようダイスには言ったが、もし民に被害が及ぶようなら軍による鎮圧が始まるぞ)

(……くそっ、なんとかならないのか!?)

(状況次第だ。かしらがいるならそれを討つのが戦の定石だが、もし感情的な民衆的の決起だとすれば、上を潰しても止まらないかもしれない)


 状況次第だからこそ、状況が悪化する前に現地に駆けつけるしかない。常ならば目も追いつかぬほどに速く流れる馬上の景色が、ハガネには酷くゆったりと過ぎているように見えていた。

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