三十六話 狂いの調べ

 カイトが鋭く告げた言葉にハガネは跳び起きた。


(歌? 神剣の力を帯びた、あの歌か!)

(ああ、はっきりとは聞こえねーけど、まるで村全体に――)


 説明する言葉は途中で途切れる。ガタン、と一階の方で音がした。ハガネが急ぎ足で一階へと降りる。ガタガタという音はドアの方から聞こえていた。護衛と旗持ちの兵も起きて、それぞれ武器を構えていた。その様子をハガネが見る頃には、ドアを叩く音は強く、激しくなっていた。


「陛下、これは……」

「敵襲だろう。二階の窓から外に出る準備をしろ。ドアが破られ次第出るぞ」

「はっ!」


 まず旗持ちのインプが先行して二階に上がり、ハガネがそれに続き、殿しんがりをエルフ族の護衛が務めた。背後でけたたましい音を立ててドアが破られる。まず真っ先にハガネが、木の窓を外に跳ね上げ外に飛び出した。すでに下にも人だかりができていたが、手には武器らしいものも持たず、上手く人を避けて着地したハガネへと素手を突き出して掴みかかってこようとしてくる。


(何だ、この様子は……まるで正気では無い)

(魅了の魔法か!? いまも……歌が聞こえてる。俺だけに聞こえてるのか!?)

(そのような暗示を深層意識に与えていたか、それとも、もしや仮面の女がこの村のどこかに……?)


 もし探し当てられれば――ハガネはそう思ったものの、いまはそれどころでは無かった。押し寄せる妖精族たちをいなしながら、徐々に後退して倉から引き離す。まだ残っている護衛たちの退路を作るためだった。


(あの時と似ている――)

(あの時?)

(ウェインの時だ。人々が意思を奪われ、意のままに操られて襲いかかってくるなどと……こんな馬鹿げた戦いなどそう起こるまいと思っていたが!)


 自分に向けて押し寄せる人々の背後にエルフ族の護衛が着地し、それからすぐに魔皇旗を両手で持ち、傘のように広げてインプ族の旗持ちが降りてきた。


「すみません陛下! 魔皇の御旗に不躾な真似を……」

「無事ならば良い。それより覚悟を決めておけ、場合によっては離脱するためにそれを捨てることになるだろう」

「は、はい……!」

「陛下、こちらへ! 幕舎の裏を通って正門方面へ抜けます」


 ハガネは頷き、正門の方へと向けて全力で走り始めた。歩幅こそ小さいが、野を駆ける鹿のような軽やかで早い走りに遅れず、護衛と旗持ちも走る。まるで夢を見るような、ぼんやりとした目つきの住民たちは追いつけず、その視線を背に受けながら走り抜けて門から森の道へと出る。往路は木漏れ日があったためにまだ見えていたが、いまは宵闇に包まれ、道と木立の見分けがほとんど付かなかった。


「陛下、灯りを点けますか?」

「しばらくは石畳の感覚を探りながら歩くぞ。こちらまで、追っては来ないだろうが」


 ハガネは歩く途中、背後を振り返った。夜に沈む新ルフェリアン王国の門は色彩を失い、色のはっきりとしない布が垂れ下がるばかりの粗末な様相は、質素を通り越して不気味にさえ見えた。


「……夜の闇に沈み浮き彫りになる、偽りの理想郷か」


 門から見える集落は、月明かりに照らされてはいるが灯りというものはほとんど無い。村の中央と入り口付近にはかがり火が焚かれているのみで、その灯火に照らされた人々の影が、ハガネたちの方へと向けて長く伸びていた。



 ――五分ほどを早歩きに歩き、エルフ族の護衛がカンテラに火を入れた。腰にも吊り下げられる携帯用の物で、照らせる範囲はあまり広くないが、逆に遠くからは見つかりにくいという利点もあった。


(カイト、歌はどうだ? まだ聞こえるか)

(いや、もうほとんど聞こえない。微かに……村の方から何か、波動みたいなもんを感じるけど)


 その波動も弱々しく、気のせいだと言われればそうかもしれないと思ってしまいそうなほどだ。波動は、門を出た辺りから急激に弱まっていったようだった。


(村人の内に魔法が仕込まれたか、もしくは仮面の女が村にいるか……いずれにせよいまは脱出を優先するしかない)

(意外だな。仮面の女の確保優先して、とっかえすかと思った)

(そうしてもいいのだが、周到に立ち回ってきた者が相手だ。ウェインのように正面からぶつかって、捕らえられるかどうかは疑問だな)


 それに、ハガネはそもそもあの場に仮面の女がいなかったのではないかと思っていた。カイトは一度、仮面の女を目の当たりにしている。だから、もしあの村にいたとすれば、力の強弱や距離が分かるのではないか?

 そんな考えを明かしたハガネに、カイトはしかし、肯定とも否定とも言えない微妙な反応を示した。


(いや、確かに……あのコンサートホールで仮面の女を見た時も神剣の力を感じたけれど……)

(けれど、何だ? はっきりと申せ)

(感覚的な話だし確証を持って言えないけど、さっきの集落で感じたのと……あんまり変わらない、かも)

(……なんだと)


 カイトはコンサートホールの時の感覚を思い起こそうとした。あまり変わらないというのは少し語弊がある。ホールから離れた城に届くほどの神剣の力を感じたことは確かだ。そして、近付くにつれてその力の波動は緩やかに増していった。――そう、緩やかにである。

 カイトはあることに気付いた。ウェインの時と今回の状況は似ている。しかし違う点もある。それは、


(ハガネ、お前あの歌に近付いた時も体調崩さなかったよな)

(……そういえば……なるほど、ウェインの時は発現した神剣の力に押されていたが、歌の時は……)

(ホールの時もさっきも、お前はピンピンしていた。神剣の力も、俺よりだいぶ弱い形で感じてたんだろ? たぶん、お前が感じてたのは魔法とセットになった神剣の力なんだと思う。あんま強くないし、魔法と混ざってるからほとんど体に苦痛が無いんじゃないか)


 魔法のことに疎いカイトにとっては憶測でしか無かったが、その言葉にハガネも同意を示した。


(コンサートホールにいた『仮面の女』……あれが魔法を行使したのではない可能性が出てきたな。街にまで届く力ならば、対面したときにもっと強力になるはず……あの時もお前が神剣の力を感じていたから深くは考えていなかったが、もしかしたらあの時にお前が感じた力は先ほどと同じ、単調な指令を与えて対象を動かすだけのものだったのかもしれぬ)

(ってことは、俺たちもしかして主犯じゃないやつを追っかけてたのか? だとしたら……捜査は振り出し?)

(そうなるな。しかし、何かを見落としている気がしてならない。何を見落としているのだ、我々は……?)


 悩んでいても答えが見つかるわけでは無い。それどころか、考えに没頭している余裕も実のところはあまり無い。追っ手が来る様子は無かったが、草葉で偽装された道に入っていた。昼間来たときに多少払いはしたが、それでも夜間、乏しい灯りの中で一見すると、そこに道があるかどうかは大変分かりにくかった。先導しているのは旗持ちのインプで、インプ族は比較的夜目が効くものの、まだ年若い彼が何かあったとき、とっさの状況判断ができるとも思えなかった。指揮官であるハガネが、周りの状況に目を配らないわけにはいかないのだった。


 一行は黙々と進んだ。隠されて見えにくい道を歩くのは思っていたい上に困難であり、時間はかかった。


 森には行ったときの倍以上の時間をかけ、ハガネは森を出た。ハガネたちが出たのは、入った時に通った森沿いにある村の一つだった。かつては新ルフェリアン王国があった場所から木材を切り出し、林業で賑わっていた村だったのだろうか、いまは全盛期に比べて少し寂れた様子を見せる村だった。

 村には照明と獣避けを兼ねたかがり火が焚かれていた。その明るさにほっと息を吐きながら、町を横切りつつ、ハガネは旗持ちに魔皇旗を掲げさせた。すると、一分と経たないうちに家屋の一つから人が飛び出してきた。出てきたのはハガネがルフェリアンに起った後に村に待機していた隊の兵だった。ハガネは手短に状況を説明すると、浮き足立ちかけた兵に待機を命じ、その上で自分は陣に戻ることを伝えた。


「よいか、くれぐれも現場の判断であの自称独立国家と事を構えることはするでないぞ。しかし、命があればすぐにでも動けるように待機しておけ」


 馬に飛び乗り、鞍上で釘を刺すようにそう言うと、ハガネはほとんど休むことも無く陣営へと馬を走らせた。

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