三十五話 それぞれの志

 ウィンドの言づてを受け取ると、ハガネは状況の報告や対策の考察をしたためたダイスへの書簡を持たせ、ゴブリン族の男を陣へと帰らせた。

 それから、先ほどはろくに聞けなかった集落の広さや収容人数をウィンドに尋ねた。集落はやはり伐採場の跡地を整備したものらしかったが、長い間人の手が入っていない状態で放置されていたため、整備できたのはせいぜい五百メートル四方だという。しかも整備とはいえただ木を切り草を刈った程度なので、幕舎がある範囲はもっと狭い。

 そんな狭い土地に、五十人ばかりが集められ、しかも日ごとに増えている。援助があるからいいものを、そのうちいつか国としてどころか難民キャンプとしても破綻するのでは無いか、とウィンドは危惧している様子だった。


「そうか……本当に問題しか見当たらない『王国』だな。やはりここにいる者たちをどうにかして連れ出さなければならないだろうが……人数だけは多い。下手に軍を連れ込めばパニックになるな。現状では動きを見るしかないか……」


 独りごちて、ハガネはウィンドへと目を向ける。


「お前はリュンヌのところに一時戻れ。あまり長居をすると内通を疑われかねないだろう」

「……分かりました」

「それと……そう言っておいては何だが、リュンヌの様子には注意を向けておいてくれ。あやつの虚栄が民への攻撃に向くかもしれぬ。最悪の場合、民を連れて無理にでも森から出ることも考えるつもりだ」

「は、はい。何かありましたら、また……」


 ウィンドは頭を下げて去って行く。残ったのはハガネたちと護衛のみだったが、旗持ちは一階で待機し、エルフ族の護衛は外の様子を見回るようハガネに命じられ、ウィンドと共に外に出ていった。

 一人になると、ハガネは耳をそばだてた。集落にはあまり音というものがない。窓から入り込む音は、時折吹く風に吹かれてささめく木の葉の音ばかりだった。本当に人が住んでいるのか疑問に思うほどの静けさの中、ハガネは軽く息を吐く。


(考えることが一気に増えたが……取りあえず、ウィンドがアルテアの関係者だと分かったことが一番の収穫、だろうな)

(だな。まさか元侍従さんだったなんて……)

(元、というよりいまも仕える者のつもりだろう。元はといえばアルテアの思想に賛同し、ここに来たのだからな)


 その結果、この未来があるように思えない村への駐留だとすると、やりきれない話だとカイトは思った。ウィンドが託した言づての内容はかなり掻い摘まんだ物で、事情の全てをそこから察するのは難しい。ただ、文面そのままを読み解けば、ウィンドはどうやらアルテアに失望し、目を覚ますよう願っている様子だった。


『この場所は理想郷ではなく、行き場を失った者、奪われた者の掃きだめでした。ここで生きることは、道半ばで命を落とすことと同じことです。ここに留まれともしまだおっしゃるのなら、私はもはやアルテア様の従者ではいられません。あなたの理想郷は誰かに託すのではなく、あなたの手で作らなければならなかったのです』


 淡々と、それだけをウィンドは言ったのだった。


(……アルテアの理想郷とやらが何かは知らぬが、この地の実情を知れば、流石に援助を止めると、そう思いたいものだがな)

(ああ……そのためにも、仮面の女を追わなきゃいけないわけだ。でも、どうするんだ? いまのところ手がかりゼロに近いし……ってか、そういえば何で仮面の女ことは誰にも聞いてないんだ?)

(そのことか? 忘れていたわけではないぞ。ただ、直球で聞いたところで話すはずもないだろうし、そもそも警戒を招いて聞き出せる話も聞けなくなりかねないと判断して、だな)

(……聞いてる限りじゃ理性的な回答だけど、それ以前に普通に怒らせてたよな?)

(それもあって聞けなくなったというのも、まああるな)

 

 つまりは結局、交渉のミスなんじゃないか? とカイトは思ったが、どちらにしろあんなに沸点が低くては、仮面の女などという単語を出しただけで大爆発して後には何も残らなかっただろう。そう考えれば、リュンヌに『魔皇は仮面の女に興味が無かった』と思わせた方がまだマシなようにも思えた。


(とはいえ、いまのところ手詰まりだということは確かだ。ダイスへの書簡に、各地の妖精幻楽団と妖精族の失踪はやはり関連がある可能性を書いてはある。それを基に、再び目撃情報を集めて網にかかるのを待つか……)

(気が遠くなるなぁ……でも、網を張ってりゃ相手がわざわざ引っかかりに来ることもないだろうし、誘拐の再発防止はできるかな)

(うむ。最低でも、リュンヌに妖精族の解放を迫ってここにいる者たちを帰宅させる……これが一番早く、そして最も実現が容易い策だろう。いまから何事も無ければ、だが……)

(なんか何事か起きそうな感じの言い方だな)


 ハガネにそう言ったカイトも、何も起きないはずはないだろうというのは感じていた。初めから泊めるつもりだったというリュンヌ。リュンヌ自身の意思はともかく、もし別の誰かが――特に仮面の女が背後にいて、何らかの目的でハガネを留め置こうと考えていたのなら……。


(クィンシーに現状を報告してある。有事に際しても、上手く動いてくれるだろう)

(有事つっても、何が起きるんだろうな)

(さあな。これから、分かるだろう)


 何も起きない、などとは思っていない二人だった。



 ハガネが思案に暮れながら時を過ごしていると、夕刻になった。一度、倉のドアが開けられ、食料が運び出されていった。しばらくすると窓から微かに、煮炊きする匂いが漂ってきた。反面、窓から差し込む光は薄くなっていく。一度ハガネが窓の外を見ると、空は薄暮の中へと沈みかかっていた。

 その辺りのタイミングで、倉のドアがまた開いた。入ってきたのはウィンドと、周囲の視察に放っていたエルフ族の護衛だった。二階へと上がってくるウィンドの手には、料理が盛られた皿を乗せた、木製のトレイがあった。


「お食事をお持ちしました」

「うむ、ご苦労」


 村やリュンヌに動きは無かったのだろう、ウィンドはそのまま下がっていった。下で待機していた旗持ちのインプ族を呼び、ハガネは食事を取った。魔王を前にして食事が取りにくいのか、護衛と旗持ちはどこか緊張した面持ちだったが、食事だけはハガネにならって完食した。夕食は野草のスープに、鹿か何かを焼いたらしい動物の肉だった。エルフ族の護衛が、監視を兼ねて食料の調達から調理までをウィンドと共にやったらしい。

 エルフ族の護衛の報告によると、いまのところ、リュンヌやウィンド、そして集落にも、怪しい動きは無いようだった。


 そのまま夜は更け、ハガネは粗末なベッドの上に身を横たえた。食器を取りに来たウィンドが一階にもスペースを作ってくれたため、護衛と旗持ちは一階で睡眠を取ることになった。

 ハガネは、一度は目を閉じたものの、寝付くことはできなかった。


(……カイト)


 灯りが消されたために真っ暗な天井を見上げながら、ハガネはカイトに呼びかけた。特に何を話そうというわけでも無かったが、眠りに就けず、気分を持て余していた。


(仮面の女もアルテアも、志を持って事を成そうとしている)

(急に何だよ……)

(お前は、何の志があって勇者になったのだ?)


 カイトはすぐには答えられず再度、急に何だ、とハガネに返した。それから、しばらく悩んでこう答えた。


(勇者になったのに、志なんてねーよ。ある日いきなり俺は選ばれたんだ。神剣が汝を選んだ――お城に呼び出されて、王様にそう言われてさ)

(城か。確か、出身は……東の大陸の、レガロ王国だったか)

(レガロは神剣があった国だよ。俺はその隣の、ミーテ公国っていうちっさな国の生まれだ。神剣がレガロにあったからそっちに行った)


 本当に、志なんてものはほとんど無かった。神剣という神話上の存在に選ばれたことの昂揚感、自分が特別な存在――勇者であるという優越感。これから先がどうなるかなんて考えてもいなかった。自分はともかく凄い存在なのだと、そう思って村から一緒に着いてきてくれたロビンの心配も余所に、ただ興奮するばかりで。


(そうして神剣を受け取って、初めは特に神剣の力なんて感じてなくて、ただ格好いいなー! って、そんなことしか考えて無かった。王様から、魔族と戦えって言われて前線に出されることになっても、勝ったら有名じゃん! ぐらいの感覚でさ)

(恐れは無かったのか?)

(無かった、初めだけは。でもすぐに現実を思い知った。俺が最初に行ったのは、レガロの国境沿いにあった国――マールモルだった)


 マールモル、とハガネはその国の前を繰り返す。もちろん聞き及んでいた国だった。元々人族と魔族が共存していた国だったが、先代魔皇の大号令に呼応して、魔族が人族の民を襲撃、掌握した国だった。……しかし、


(……その戦場にお前が? 勇者が来た、という話は偽報だとばかり思っていたが)

(いたんだよ、それが。でも、すぐに負けて、逃げるっていうか……ギリギリで死ななかったんだ。ほんと、鳴り物入りで入ったんだけどさ、情けないことに戦場で孤立して、逃げ回ってるうちに傷だらけで……ロビンがいなかったら、死んでた)


 あの時。初めてカイトは自分の思い上がりと、現実と、そしてロビンが自分のために沢山のことを考えてくれていることを知った。人族ならば才能があったとしても相当な修練を積まなければ体得できない治癒の術を使えたのも、戦場から逃げるための進路を進めたのも、全てはロビンがカイトの分まで考えていたからだった。


(俺、諦めようと思ったんだ。戦争を、こんな戦いをあと何回もやらなきゃいけないなら、そんなことを勇者として選ばれたってだけで絶対しなきゃいけないなら……死んでもいいやって。でも、ロビンが俺を止めた。俺が死んだら、一緒に死ぬって)

(随分と思われていたのだな)

(正直俺、その時まで、ロビンが何で俺に付いて来たのか、よく分かってなかった。でも、あの時分かったんだ。あれがロビンの志だったんだって)


 自分が好きだから、命をなげうってくれた。――そこまで自惚れられるわけじゃない。他にも沢山、故郷とか家族とか、そういうもののためにロビンが戦おうとしたことを、カイトは知っている。


(俺のためだけじゃない。沢山の命のために、俺を生かそうと頑張った。俺が勇者だからってだけじゃない。俺に何の力も無くても、きっとロビンは同じことをした)


 一人でも多くの命を、救うために。――しかし、そのロビンはもうこの世には亡い。


(あの時から……ロビンのおかげで生き残れた時から俺、初めて勇者として何かしようって思った。戦争が起きれば容赦なく人が死ぬ。魔族に人族が統治されれば、虐げられる人が出るってな。……お前には、分からないかもしれねーけどな)

(勝手に人を不理解な者にするな。……我とて同じだったわ)


 カイトは否定しなかった。戦争によって一度生まれた人族と魔族の亀裂は、戦争が長引けば長引くほど深い溝になっていった。勇者と魔皇が、それ以上の犠牲を望まなかったとしても、矛を収めることなどできなかっただろう。どちらか一方を叩きのめして、力で押さえ付けなければ、安心して眠ることもできない。そんな状況に様々な欲望が絡み合った。戦場で功を立てたいと思う者、支配することで利益を得ようとする者、仇を討ちたい者や敵をただ憎んで滅ぼしたい者。戦争の終わり際は、もはや止めがたい感情が人を動かし、国や種族をも引っ張っていた。


(……仮面の女はたぶん、戦争がまだ終わってないんだと思う。誰かを悲しませてでも目的を果たそうなんて、普通じゃ考えられない。普通じゃなくなっちまってるんだ)

(空想で同情を寄せるのは止めておけ、裏切られても知らんぞ)


 カイトに忠告を与えつつも、カイトが言う終わらない戦争についてはハガネも同意するところだった。以前、初めて会ったバナーも言っていたことだ。戦争が終わっても町が荒廃したまま、人々は困窮し、苦しみは続く……その責任が自分にあることをハガネはよく理解していた。実力主義を打ち出し民を捨て置かなくとも、国を治める方法はあったのだろう。その現実に、目を向けられなくなっていただけで。


(なあハガネ。お前の……本当のお前の志は、きっと魔族のためになるものだったんだと思う。なのに、どうして何もしなかったんだ?)


 詰問するのではなく、ただ静かに問いかけるカイトの声に、ハガネは当時のことを思い出そうとした。言い訳をするつもりは無かった。それでも、包み隠さず元は敵だった相手に全てを打ち明けるのには迷いがあった。自分でも感じ取れるほどの躊躇ちゅうちょにカイトは、ハガネを促そうと声をかけた。


(ハガネ、何か言いにくいことでもあるのか?)

(……いや、話しておくべきだろう。文字通りお前と我は一心同体ならぬ二心同体となっておるのだからな)


 腹を決めて、ハガネはそれを話そうとした。


 ――その時、


(……? ちょっと待て、ハガネ)

(どうした)


 話の腰を折られた形だったが、ハガネは憤らなかった。カイトの感情には緊張が走っていた。


(……歌だ! 歌が聞こえる!)

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