三十四話 国足らずの集落
外に出ると、まず真っ先にハガネは、遠巻きにリュンヌの家を見ていた住民たちへと向かっていった。しかし、直進してくるハガネを見るや住民たちは恐れを成したように逃げていく。といっても、全員が逃げ出したわけではなかった。数人は足を止めて、ハガネをじっと見ている。……とはいえ、その様子は歓迎しているというより、単に恐怖に身を竦めている内に逃げ遅れただけのようだったが。
「そう怯えなくとも良い。我は戦いを仕掛けに来たのではない」
先ほどリュンヌに向けて物騒極まりない言葉を吐き捨てた後とは思えない言い草だった。しかし、リュンヌに向けた言葉を抜きにしても魔皇というだけでハガネは恐れられている様子だった。逃げ遅れた数人は、身を寄せ合って震えていた。
「お前たちは帝国から来たのだろう。どこからここへ連れて来られたのだ?」
「あ……あの、わ、私、アラキデからです」
魔王を前にしては沈黙すらできないと判断してか、数人の中から一人、声が上がった。それを契機に次々と、出身地を告げる声が上がる。かなり広い範囲から集められたらしく、上げられた地名はバラバラだった。途中から、一度は逃げた住民たちも戻ってきて話に加わった。数が多くなりだしたので、途中からハガネはゴブリン族の護衛に記録するように言った。記されていく地名はあっという間に十を越した。
(……ふむ。我も全てを覚えきれてはいない故にまだはっきりとは言えぬが、どうにも妖精幻楽団が公演を行った場所が含まれているようだ)
(やっぱ、関係あるのか?)
(さてな。しかし重要な証言になるやもしれぬ。さて、他に言っておくべきことは、と……)
一通り証言を集めると、ハガネは集まった人々を見渡した。大半が年若く、十代から二十代ほどに見えた。まだ子供と言える年齢の者も珍しくない。確認すると一つハガネは頷き、住民が口を閉ざして静まったのを見計らって口を開いた。
「もう一つ尋ねるが、この中に、故郷に家族を残している者はいるか? いるのならばこの場で、家族に当てた言づてを受ける」
途端にその場がざわめいた。そのうち一人が名乗りを上げると、我も我もと人だかりが手を上げる。一人ずつ順番に話を聞いている間に、話を聞きつけた別の住民がやって来て、一言でもいいからと家族に無事や居場所、状況を伝える話を預けてくる。それを邪魔する者は誰もいなかった。リュンヌの家から人が出てきて止めると言うことも無く、ハガネは堂々と、長々と話を聞いてやった。
住民の言葉を集めている内に、様々なことが分かってきた。
証言が聞けたのはおよそ十五人ほど。まず、大半の者が己の意思で来た様子ではないということ。自分の意思で来たものの、帰りたくなったという者も多かった。そして、大半がこの村における生活を厭い、帰りたいと願っていた。
(どうやって来たかは覚えていない者も多いようだが……僅かながらに覚えている者の話を聞く限り、恐らく大半が、歌声に操られて連れ去られたようだな)
(やっぱりあの仮面の女が一枚噛んでるんだな……)
(帰宅希望者もいる。こうなれば同意を得ない誘拐だ……やはり国としては大いに問題があるな。しかし、こうして無理矢理に住民を水増ししたところで、国として成り立つわけが無いと分かっているだろうに。何故こんな馬鹿な真似を……)
話を聞いていくと、逃げ出さないのはまずどこへ逃げて良いか分からないという理由が大半を占めているようで、中には逃げ出した者もいるそうだ。しかし、この場から逃げ出した者が故郷へと帰ってきた様子は無い。それどころか、逃げ出した者がまた戻ってくることすらあったと言う。
「戻ってくる? 自分の意思でか」
「いえ……こう、どこからともなく不気味な歌が聞こえてくるらしいんです。おれたちには聞こえないんですけど……戻ってきたヤツがそう言ってます」
つまり、特定の人物にだけ聞こえる歌があるのだという。カイトには理解できない話だったが、ハガネはしたり顔で頷いていた。
(恐らく、あの仮面の女の歌と同じものだろう)
(これも魔法、しかも神剣で強化されてる可能性のある魔法ってことか……そういや魔法って言えば火や水を出したりとか、あと治癒の魔法ばっかり見て来たけど……心に作用する魔法ってどんな属性なんだ?)
(かなり特殊な属性になるな。そういった者は、現実における現象を起こすことはできないが、代わりに魂へと干渉する力を持つ。そして、その方向性も多様とはいかない。感情を鈍らせたり、逆に増幅させたり……あるいは何かしら限定的な感情を抱かせることもある。
……一度、人に愛の感情を授ける魔法使いが現れてな。好き合ってもない者同士に愛の感情を抱かせて、大事になったことがある。それ以降、感情操作の魔法は対象に取れる年間人数だとか、商売上の規定だとかが強固に法で決められたのだ)
そうなってもしょうがない、とカイトは思った。今回の件でその危険性は嫌と言うほどよく分かった。
(あの仮面の女が使う魔法は、恐らく『誘惑』だ。誘惑と言えば聞こえが良く思えるかもしれぬが、言い換えれば呪縛に近い。効果が弱ければ自分がいる場所への誘導する程度のことしかできぬが、効果が強まれば、簡単な命令を与えて動かしたり、深層意識に魔法をすり込んで行動を制限することもできるだろう)
(便利すぎねぇ?)
(熟達すれば応用が利くという話だ。火を使う者が雨を降らせることもできれば、風を呼ぶ者が高波を起こすこともできる……というのは、流石に極端すぎて前例がほぼ無い話ではあるが)
理論上可能、という話なだけだった。しかし、仮面の女は机上の空論でも何でもなく、実際にそういった魔法を使っているのだ。やはり対処は必要だった。ただし、居所が分からないのでは対処のしようが無い。住民たちの話でも、歌の歌い手についての証言はほとんど集まらなかった。
「ふむ、そうか……お前たちの話はよく分かった。言づては必ずや伝えよう。各々の帰宅については、苦労をかけるがもうしばらく待ってほしい。お前たちを連れ出した者を捕まえ、リュンヌを黙らせなければ再び悲劇が起きるだろう。
さて……もう少し我はこの地を視察する。それで聞きたいことがあるのだが、あの家は何に使っている建物だ?」
「――あの、それについては……私が案内しましょう」
民に尋ねようとしたところで、横から声がかかった。そこにいたのは、ハガネたちをこの地に導いた、あの白い蝶の羽根を持つ使者の男だった。
「お前がか。リュンヌに監視を申しつけられたか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「ふむ……まあよい。不用意に民を付き合わせて、リュンヌの不興を我では無く民らが買っても不都合だ。お前ならば監視がてらにやったと言って言いくるめられるだろう。案内を任せる」
使者の男は深々と頭を下げた。あっさり信用したな、とカイトが思うと、
(信用したわけではないが、先ほどから、この男が住民たちを集めていたようだ。お前にも見えていただろう)
(まあ、視界の端に、ちらっと? ホントに信用して大丈夫か?)
(味方かどうかは、いまから判断すれば良い)
ハガネは使者の後について歩いた。村を横切る間も、方々からの視線はハガネへと注がれ続けていた。しかしその視線の色は、ハガネがこの場に訪れた当初と僅かに違っていた。畏怖や怯えは相変わらずだが、そこには微かな期待が入り交じっていた。前を行く使者の男だけは、表情が見えず何を考えているのか分からない。
「……こちらの建物ですが」
もう一つの家の方を向いたまま、使者の男は言った。その建物は、窓がほとんど無く、床が高くなっており、家というより倉のように見えた。
「元は木材を伐採するための道具や非常食など、様々な物を保管しておく場所でした。現在も倉として使われていますが、二階には休憩室もあります。……本来ならば、魔皇陛下をもてなした後にこちらにお泊まりいただく予定でした」
「ここにか」
「はい……」
「そう恐縮せずとも良い、戦場で石を枕に寝たこともある。屋根があるだけ上等だろう。ふむ……それにしても泊まりか。こちらが希望すれば泊まっていっても良いのか?」
使者の男が振り向き、驚いたように目を少しだけ見開く。
「も、もちろんご用意できますが……よろしいのですか?」
「うむ。初めからそうするつもりであったのだろう。ただし、伝令の一人は後ほど陣へと返すが。それでも良いならぜひ、泊めさせて欲しい」
魔皇に頼まれたとあっては断れないのだろう。使者の男は頭を下げて懐から鍵を取り出し、ドアにかかっていた錠前を外して、ハガネたちを中へと招き入れた。
倉の中は光源が無く、また窓も高い位置に一つあるだけで薄暗かった。使者の男が階段脇と二階にある燭台に火を点け、ようやく内部が見えるようになる。倉の一階には所狭しと木箱や棚、麻袋が置かれていた。ハガネが近寄って見ると、二階から戻ってきた使者が、箱を一つ二つ開けてくれた。
「ご覧の通り、大半が食品です」
「……そちらの麻袋は麦か。これは干し肉や豆……相当な量だな」
元より、荷物を抱えた馬車や行商人が出入りしていたという目撃情報はあった。だからそれがここにあること自体はおかしなことでは無いが、一体その金はどこにあったのか。
(アルテアが全部一人で……って、そんなに金持ちなのか、あの家?)
(ゴールドマン家は軍人であると同時に、水運で名を上げた貿易王の家系だ。確かに金はある……だろうが、全てを一人でとも思えん。金銭的な余裕の問題では無く、財源を一本化することの危うさを、仮面の女が考えられるかどうか……)
他に出資者がいるかもしれない。ただ、こればかりは軍や警察が捜査を進めない限りは分からないだろう。
(それよりも、いま気になることは、ここに我を泊める予定があったということだ。単に歓待したい……そんな風に思ってるのはリュンヌぐらいだろう)
(何か、理由がある?)
(そこの男に聞いてはみるが、知っているかどうか……知っていたとして言うかどうか)
倉の物を眺め追えると、案内に従ってハガネは二階へと上がった。二階も物資や道具でごみごみとしたが、奥の方に開けた場所があった。そこに簡素なベッドが一台置かれている。
「護衛の方のシーツをすぐに用意して参ります」
「うむ。ああ、その前に一つ、聞いても良いか」
「なんでしょう?」
「泊めたいというのはリュンヌの意向か? 話し合いを済ませてすぐに我が帰ることは考えていなかったのか?」
ああ、と小さく声を上げて、使者の男は言った。
「そのことですか。リュンヌ様は単に、夜になったら森を抜けては帰らないだろうとおっしゃっていました」
「なるほど、単純な話だな……他に理由は無いということか」
「はあ……強いて言えば、一拍もすれば、この場所を国として認めるようになるだろう、というようなことをおっしゃっていたかと」
何を根拠にそんなことを思えるのか、ということはハガネのみならず、使者の男も思うところなんだろう。表情は少し苦笑交じりだった。
「お前、名は何と申す」
「えっ……あ、はい、ウィンドと申します。帝都の出身です」
「そうか。言づてを頼みたい相手はいるか?」
使者の男、ウィンドは少し躊躇った後、頷いた。
「帝都の……ゴールドマン家の当主、アルテア様に」
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