三十三話 妖精王リュンヌ

 妖精族によって作られた国、新ルフェリアン王国。

 ――その内部の雰囲気は、想像よりもずっと国らしくないものだった。

 道行く人々の衣服は、大半が安っぽい綿や麻の、裾が擦り切れてつぎはぎだらけのものだった。家と呼べるものは二件しかなく、住民が暮らしているらしい家屋は、布を貼り合わせて作られた、粗末な幕舎に近かった。そういった布張りの家が十軒以上もある。それだけしか無い、村や集落とも言い難いその場所に似た雰囲気の場所を、かつてカイトは見たことがあった。

 その光景を見たのは、戦地。正確には、戦地となった都市部に近い場所だった。もうすぐ陥落するであろう町から着の身着のままで逃げた人々が、持ち合わせた布や廃材で作り上げた……難民たちの幕営。それにそっくりだった。


(これ……これで、国? 独立を宣言、って……)


 カイトですら絶句した。言葉を失う光景だった。家が粗末だとか、森の中に埋没するように国土が狭いだとか、そういう点でも問題はあった。しかし、カイトの目に国として映らなかったのは、何よりも人々だった。

 入り口の衛兵にしても、そうだったが。


(この人たちは……本当に、国を作るために、ここに集まってきてるのか……?)


 魔皇が来る、と聞いて出てきたのだろう。幕舎の前に鈴なりになった妖精族が、遠巻きにハガネたちを眺めていた。ハガネがそちらに目を向ければ、恐れを抱いたように震える。中には深く頭を下げる者すらいる始末だった。しかし、出てきた者は一部だろう。それをカイトは気配で感じていた。奥の方の幕舎からは、絡み付くような気配を感じる。何かがこちらを見ているのだ。

 人々の間にあるのは、嵐を巻き起こす暗雲を遠巻きに眺めるような不安感と恐怖、そしてそれが近付いてくることを分かっていてどうしようもないという諦め。絶望すらも感じられそうだった。

 ここには、国を打ち立てるためのものが何も無い、とカイトは感じた。富や軍事力があろうともきっとここに国はできない――何故ならば、この場所の空気には希望や情熱といったものがまるで無かった。あるいは魔皇への怒りや憎しみといったものすらも無い。何かが生まれるエネルギーが、何も無いのだ。


(ある程度、予測はできたことだったがな。元より我らは、謎の失踪を遂げた妖精族を追っていたのだ。そして彼らは、恐らく自分の意思でここに来たのでは無いだろうと、そう考えていた。ある意味では予想通りの光景とも言えるだろう)

(そう、かも、しれないけど……けど、こんなのおかしいだろ)

(その言葉はお前の代わりに、新たなる王になるつもりの者に言ってやる)


 カイトはどうして、ハガネが強固に会談に臨む姿勢を見せたのか理解した。こういう光景をハガネは予測していたのだろう。そもそもそこに国などない。あるとすれば、人さらいの村があるばかり。これを国と認めるものはどこにもいないだろう。この国のですら、ここは新ルフェリアン王国だ、と胸を張って言う者はいないかもしれない。


(……けど……こんな有様なのに、どうして独立の承認なんか……?)


 カイトの疑問にハガネは、その場で答えなかった。その疑問は、ここではなく、王を名乗る者に突きつけるものだった。



 村の狭い広場を横切って、奥にある一軒の家にハガネたちは通された。恐らく、元は木こりたちが身を休めるロッジのような場所だったのだろう。素朴な木造の家だった。

 良く言っても寂れた村の村長が住むような家でしかない外観に違わず、中の様相も質素なものだった。

 入ってすぐにテーブルや椅子などがある広い部屋があり、カイトたちはその椅子に座らされた。


「リュンヌ様、魔皇陛下をお連れしました」


 応接間だかリビングだか分からない部屋の、左手側にある閉め切られたドアに向けて声をかけた。ドアの向こうから、微かな返事のような声が聞こえた気がしたが、定かではない。ただ、使者の耳には届いていたのだろう。ドアに一礼をすると、彼は部屋を横切って、今度は向かって右手側の部屋へと消えていった。ハガネが軽く身を乗り出して見やると、そこには台所があった。そこに使者が立って、客人もてなす用意をしていた。


(……なんか、あれだな。近所の友達の家に来たぐらいの感覚)

(まあ、城やもてなしの規模などは国によって違うとは、思うがな)


 カイトはいままで、王様は何で贅沢なんかするんだろうとずっと思っていた。そして、貴族や王が贅沢をするのは、したいからするのだとも思っていた。が、こういう有様を見ると、ある程度地位が高い者が豪奢な家や馬車、高い料理や酒を振る舞うのは、それなりに意味があることなのだと思い知らされる。少なくともいま、カイトは『新しい国の王に会う』などという感覚は一切持てなかった。侮ろうという気は無いのだが、どうしても、相手は大した相手ではないのだろうという気持ちが残るのだった。


 さて、その『大した者ではない』と思われた新ルフェリアン王国の王、ピエール・ド・リュンヌだが――。


 彼は中々現れなかった。使者が紅茶と茶菓子をテーブルに並べ、ハガネがその紅茶に口を付けたところで――紅茶は思いのほか良い物だった――ようやく、その姿を見せた。

 現れた彼は、黒に縁取られた紫色の蝶の羽根を持つ背を反らし、胸を突き出すように張って、大股で、しかしゆっくりとしたペースで歩いて椅子に座った。椅子に座ってからも胸を張った体勢は変わらず、腕組みまでしている。それが王として威厳ある姿だと思っているのだろう。カイトはなんだか可哀想になってきた。


(こいつ、自分の立場分かってんのか?)


 年の頃からして、五十代ほどだろうか。妖精族と人間族の年齢は大して変わらない。いい年こいたおっさんに見えるが、素振りには年を経た知性や威厳はまるで見られない。最近仕事の調子が良い近所のおっさんぐらいにしか、カイトには見えなかった。


「これはこれは、魔皇陛下! ご機嫌麗しゅう。我こそは新ルフェリアン王国の国王、ピエール・ド・リュンヌである! こうして会えたこと、まことに嬉しく思うぞよ」

「そうか。それより、話し合いを始める前に一つ言っておきたいことがある」

「む……何だ?」


 尊大な挨拶を軽く流されたリュンヌは、不満げな顔をしてハガネに聞き返した。ハガネは特に表情も浮かべず、丸みを帯びたリュンヌの顔を冷たく見据えて言った。


「我はこの国を、独立国としては認めぬ」

「な……」


 反論の言葉が来るかと思いきや、リュンヌは愕然とした表情でハガネを見るばかりだった。口はぱくぱくと動いているが、餌をねだる魚のようにただ動くだけで、言葉も声も出てこない。


「逆にどうやってこの国が国であると証明するのだ? 所領はいかほどか、民の総数はどの程度か、民をどう食わせていくのか? まるで分からぬではないか」

「ぬ、ぬうう、そ、それはだな、そ、そうだ! いま資料を取ってこさせ――」

「どうでも良いわ。何が出ようとこの国が国として機能するには、民がその意思を宿す必要がある。しかし、外にいた彼らは何だ? 開墾に出ることもなく身を寄せ合うばかり、食料は援助されるばかりで自力で作る能力や意思があるとはとても思えん」


 ばっさりと切って捨てれば、リュンヌはまた言葉を失った。その額には脂汗だか冷や汗だかが浮いてる。絶句したままのリュンヌに、畳みかけるようにハガネは質問をぶつける。


「そんなことよりも、我々は人を探しておるのだ。その返答如何いかんによっては、この地の自治権について考慮に入れてもいい」

「じ、自治権だと!? わ、わ、私は国王だし、ここは新しい国だぞ!」

「この国には多くの妖精族がいる。この中に、行方を告げず失踪した者はどの程度いる。分からない、把握していないというのならこちら側の捜査官を出し、捜索願と照合させるが、どうだ」

「~~~~! し、知らん、そんなものは!」


 あまりにお粗末な答えが返ってきたため、今度はハガネの方が絶句する番だった。軽く溜め息を吐き、カイトに向けて(どうしてくれよう、この馬鹿者)とぼやく。カイトも正直同じ気持ちだった。殴っていいながらハガネに一言『殴れ』と言っていただろう。


(なあ……ハガネ。こいつ本当に、各地から妖精族をさらった主犯なのか?)

(共犯ではあるだろう。少なくとも『知らん』ことは無いはずだ。ただ、それを指揮するだけの能力があるとも思えん。上手く神輿に担がれた、それだけにも見えるな)

(誰がこのおっさんを妖精族の王に――って、いまのところ思い当たるのは一人しかいねーんだけどな)


 仮面の女だ。歪んでいるとはいえ志を持ち、各地で自らの手で妖精族を誘拐し、またパトロンも用意した。そして、その尻尾を全くと言っていいほど掴ませていない。リュンヌが彼女を使っていると言われるよりも、彼女がリュンヌを表の顔に置いたと言われた方が余程のこと納得が行く。――でも、そうなると分からないことが一つ。


(……仮面の女、メチャクチャ頭良いと思うんだよ)

(だろうな。……それがどうした)

(いや、頭良いのになんでこのおっさんを王にしたのかなって)

(ああ……なるほど。確かに、これを王にするぐらいなら、背後に控えている男を指名した方がまだマシだろうな)


 リュンヌの背後で控えているのは、ハガネたちをここまで連れてきた使者の男だった。やや緊張に強張った顔はしているが、リュンヌほど動揺しているようにも見えない。少なくとも、助け船を待つかのように彼をチラチラと見ているリュンヌよりかはよっぽどまともそうに見えた。


「……リュンヌと言ったか。お前、そもそも何故に王を名乗った」

「な、何故も何も無い。虐げられた妖精族を率いる者は必要だろう。それを私が担おうというのだ」

「それは真の心から来る者か?」


 リュンヌは頷く。が、ハガネとしてはその言葉だけでは信用できなかった。


「ならば、ある条件と引き換えに、妖精族の独立国家樹立の支援を行ってもよいぞ」

「ほ、ほう……! それは、何だ?」

「お前の首だ」

「はっ……!?」

「聞こえなかったか? 首を差し出せと言うのだ。お前の首を取れば、妖精族は王を失ってもなお独立の意思を失わぬと喧伝できるだろう。一滴の流血も無く建国が成るとは思ってはおるまい。それが最小限で済むのだ。誓約書でも血判状でも呪術でもなんでも使って、嘘偽りなく首と独立を引き換えにしようではないか」


 言われた直後、ざっと血の気が引いて蒼白くなったリュンヌの顔に、みるみる内に血が上った。ここまで色が変わるのかと他人事のようにカイトは思わず面白いとすら思いかけた。一応は人の命がかかっていることなので、気持ちは引き締めたままだったが。


「なっ、なな、何を馬鹿なことを! そ、それはつまり、我が国に戦争をしっ、仕掛けることと同じだ!」

「そうだ。そして仕掛けた戦争は、一人の命を差し出すだけで終結するというのだ」

「認められるかっ! 我が命を狙おうなど不届き千万な輩めが! ええい誰か! 誰かこやつの首をはねよ!」


 流石にこれには全員が――と言ってもハガネと、その意思が分かるカイト以外の者だが――ぎょっとした。護衛の兵たちが構えを取る。ハガネは軽く手を振ってそれを制し、


「――確認するが、いまのは宣戦布告か?」

「そ、そうだ。き、貴様が悪いのだぞ、貴様が……新たなる国の王である私を、敬わんからだ!」

「そうか。ならば我が首をくれてやってもいい。その代わり、ここは焦土と化すぞ」

「な、なに……?」

「いくら愚か者といえど理解できぬはずがあるまい? この森のすぐ近くに我が軍は幕営を張っておるのだ。我が首が落ちたとなれば総攻撃が始まる。森の木々は一本も残らず燃え尽き、この国の民は一人残らず死ぬ。お前もだ。そもそも、首を取られると知って無抵抗に殺されると思うか? その時はお前も道連れだ」


 ハガネが喋る間に、槍を携えた兵がばたばたと家の中に入ってきた。その数はたったの二人で、ハガネなら素手でなぎ払えそうなほど装備は貧弱、しかも及び腰だった。そんな背後の兵には目もくれず、ハガネは椅子から立ち上がり、リュンヌを睨む。


「殺される覚悟はあるか、ピエール・ド・リュンヌ」

「……っ! な、なにをしておる、早くこの小娘を引っ捕らえて殺せ! そ、そもそもそんな姿で何が魔皇か、どうせ偽物に決まっておるわ! お前一人が死んだところで、帝国軍が動くものか!」

「魔皇旗まで持ってきてやったのに、それすら分からぬか。あるいは目を閉ざして己の都合の良い世界に逃げ込みたいのか……もう良いわ。出るぞ、お前たち」


 ハガネはリュンヌに背を向けた。リュンヌは依然として、真っ赤な顔で何かをわめき散らしたが、罵詈雑言の成れの果てばかりでほとんどがまともな言葉になっていなかった。それを無視してハガネは玄関へと向かう。途中、玄関口に立っていた兵が槍を交差させてハガネの行く手を阻もうとしたが、


「上で交差させてどうする。それでは我を阻めぬだろう。槍は下に向けよ」


 槍の下を潜ったハガネがそう言い放つと、ハガネが通った後だというのに慌てて二人の兵は、今度は下向きに槍を交差させた。ハガネは振り返ってそれを見ると、まだ室内にいた自身の護衛を手招きする。旗持ちのインプが真っ先に動いて下で交差した槍を跳び越し、その様子に二人の兵が呆気に取られている間に、エルフ族とゴブリン族の護衛も槍の上を通り越した。


「リュンヌよ、我が行く手をこれ以上阻まないというのなら、我は誰とも戦わぬぞ。いまからお前の国を視察してやろう。状況によっては、独立を認めてやる故な!」


 そう言い放つと、ハガネは外に出た。後には、顔を赤くしたままのリュンヌと、呆然とした兵二人が残された。そして、緊張を通り越して困惑した様子の使者の男だけが、己の責務を自らに課して、茶器を片付けた後に家の外へとそっと出て行った。

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