三十二話 新ルフェリアン王国へ

 まず一つ。新ルフェリアン王国を独立国家として承認して欲しい。

 次に一つ。必要ならば直接対話の場を設け、を開きたい。


 ――要約すれば、巻紙に長々と書かれていた話の内容とはそういったものだった。


「いいだろう。会って話したいというのならば、そうしよう」


 二つ返事で放ったハガネの言葉に、同時に二つ、制止の声が上がった。一つはハガネの身の内から。もう一つは、ハガネの斜め後方からだ。カイトとダイス、同時に止められた形だったが、ハガネは聞き入れなかった。


「もう決めた。どのみち、この親書なる文書はいまいち要領を得ぬ。どこまでが領土か、どういった政治体制か、そして我がガナガルティガン帝国の権利をどの程度侵害しうるのかさえもだ」

「しかし、もしグレービニを取られたとすれば――!」

「産業に影響が出る? しかし大将軍よ。いかに産業的に重要な領土だとしても、現状では土地を余らせすぎて腐りかけている。人族に荒らされることはほとんど無かったが、それでも田畑は荒れ、盗賊も出る。その盗賊どもは森の中を根城にしている」

「独立を良しとされると? この辺りは、魔皇が代々治め、護ってきた土地であることをお忘れですか」


 ハガネは静かに首を横に振り、まだ跪拝したままの使者にすっと視線を向けた。


「まだいたのか。退出し、お前たちの国に戻るが良い。そして伝えよ。魔皇は会談に臨むとな」

「はっ……承りました。その御言葉、謹んでお受けし、我が君へと伝えましょう」


 使者は立ち上がり、ハガネに一度深々と頭を下げて幕舎から出た。その後ろ姿を眺めていたハガネは、ぽつりと呟く。


「妙なものよ。礼節を欠いた様子が無い」

「魔皇の御前なのだ、それは当たり前だろう」

「だからなんだ? 従う義理が無いから、国を建てたのだ。しかしそれにしてはあまりにも恭しげな様子だった」


 ハガネは使者の様子に違和感を覚えているようだった。同じように見ていたカイトとしては、それもおかしな話では無いと思っていたが。親書の文言こそどこか慇懃無礼さを感じるものではあったが、それでも、一方的に独立を宣言するものではなかった。どちらかと言えば、帝国に伺いを立てるような態度だ。国の方針がそうなのだから、無礼な振る舞いを働いて魔皇の心に波風を立てるようなことを、使者がするとは思えなかった。


(――それに、もしかしたらあの人は、魔皇に対する忠義とか畏れを捨てていないかもしれないしな)

(ほう……? 何故そう思う)


 カイトとしては独白のつもりだったが、ハガネがが思考の横やりを入れてきた。


(ただの勘だ。でも……新ルフェリアン王国、だっけか。そこにいる妖精族は、無理に連れて来られた人もいる。それに、自分の意思で来たとしても魔皇が恐ろしいことには変わりないって人もいるだろ?)

(ふむ。まあ、状況的には激昂した我に首をはねられ、『独立、許すまじ』の書状を添えられてその首が叩き返される可能性もあるわけだからな。恐れるのも当然か)

(さらっと恐いこと言うなよ)


 流石にそんなことはしないだろう、とはカイトも思った。だが、感情的に斬首はしなかっただろうが、それで事が沈静化できると踏めばやりかねないとも思った。なるほど、使者が畏怖する気持ちが遺体ほどによく分かる。


(おい、恐怖からくる礼節だと決まったわけではないだろう。恐れるな)

(恐れるなっつってもな。それよりマジで行くのか?)

(当然だ。貴様に言われても止まらぬぞ)

(いや俺はもう何も言わねーけど。肝心なのは……)

(言うな。我は極力無視をしたいのだ)


 よく無視をできるな、とカイトはハガネに対して尊敬すら覚えた。使者の手前、ハガネの後ろに立っていたダイスの視線は依然として、手に取れそうなほどに強い意思を持ったままハガネへと注がれている。無視したくなるのも分からないでもない。しかし、相手の方も無視されていることを当然理解していたし、無視されっぱなしになるような人物でもなかった。


「態度などから、相手がこちらとの話し合いにまともに応じ……暗殺や不意を打っての挙兵も除外するとしてだ。どこまで譲歩する? はっきり言って建国など論外だろう」

「そうか?」

「そうか? ではない……!」

「お前の言いたいことは分かる。どんなに譲歩するにしても自治領として認める、開拓した土地に応じて税を納めよと言いたいのだろう。別にそれでも構わん」


 ダイスは、大人しく自分の忠言に耳を傾ける姉に訝しげな顔をした。ハガネは首を巡らせ、背後にいたダイスを見る。唇は弓月のような笑みが浮かんでいた。


「あれを正当な、志を持った人民の集まりだと証明できるのなら、国でも自治領でも何でも作ればいい」

「……姉上は、独立を認めるつもりではないのか?」

「我は会って話すとしか言っておらぬだろう。そもそも会談など口実でしかない。新ルフェリアン王国の内情。それを誰かが見なければならないだろう。密偵を放つより我が直接乗り込んだ方が早い。どの程度の権利を認めるか、その結論など幾らでも引き延ばせる。そもそも我らがここに幕営を張っているのは『軍事演習のため』だ。国に持ち帰り、後にまた使者を送るとでも言えばいい」


 それをもし相手が受け入れなかったとしたら――ハガネはそれすらも織り込み済みだった。ダイスから視線を外し、正面を向く。風が出始めたのか、天幕の端が波打つように微かに揺れている。


「その場で結論を出せと迫られようが、さっさと無視して帰ればいい。帰還を阻まれれば、魔皇に対する敵意有りとして開戦。我が帰ってこなければそれだけで兵を動くようにすればいい。そんなことになれば、新ルフェリアン王国には一切の利が残らないがな」

「しかし……もし相手が、捨て身で姉上の首を取るとしたら? ただ積年の恨み故に魔皇の命を狙ったとすれば……」

「そうなれば我が死ぬだけだ。魔剣は祭儀場に安置してある。我が死ねば次の魔皇が立ち、魔皇を討った新ルフェリアン王国を正当な理由で攻め滅ぼせる。お前が魔皇になることとてあるだろう。姉の愚行に苛立つこともなく帝国を治めることすらできるのだ。お前にとっては、そちらの方が都合が良いだろう」

(おい、ハガネ……!)

 

 カイトは思わずハガネの声を遮ろうとした。しかし、名を呼ばれたところで、ハガネの弁舌が止まることは無かった。

 カイトから、自分が寝ている間に交わされたダイスとの会話をハガネは聞いていた。確かにダイスは情を示したのかもしれない。しかし、ハガネにとしては自分が憎まれているという意識は拭い去れないものだった。政に手を抜き、醜態をさらした魔皇の恥――そう思われているだろうという考えは未だ強く、できることならダイスは自分こそが魔皇として国を治めたいのだろうと思っていた。


「……確かに、そうだろうな」


 後ろからかかる声は、凍えるように冷たい。いまにも足元から冷気が這い上がってきそうな冷たさだった。そして、それ以外の言葉は無かった。しん、と冷え切った幕舎の空気を乱す者は無く、長い沈黙だけがその場を支配していた。

 やがてダイスは無言で幕舎を出て行った。魔皇に対する礼など無いその素振りが、臣下ではなく弟として、血の繋がった家族としての態度のようにカイトには思えてならなかった。



 会談は、使者が訪れて三日後に行われることとなった。性急すぎる日程に思えたが、ハガネは相手の条件を呑んだ。条件、とはすなわち、新ルフェリアン王国での会談に臨むことだ。これは向こうが提示してきたものだったが、現地の様子を見ようとしていたハガネにとっては渡りに船だった。

 二つ返事に了承し、たった三人の護衛を連れてハガネはグレービニ大森林へと踏み入った。

 その護衛の中にダイスはいない。全軍を統括するため、幕営に残った。付いてきたのはそれなりに腕が立つという二人の魔族。一人はすらりと背の高い、褐色肌のエルフ族。もう一人は小柄で細い四肢をしたゴブリン族だった。硬い皮膚を持ち、俊敏なゴブリン族は特に斥候や伝令としてよく使われる。実力もあるとは言うが、どちらかというと有事の際の伝令役だった。

 残る一人は青肌のインプ族で、魔皇の位置を知らせる魔皇旗を掲げ持っていた。ハガネの見た目が幼くなっているため、魔皇旗はハガネの身分を証明する重要なものだ。が、インプ族はまだ年若く、その表情は緊張しきっており、行きがかりに一度旗をうっかり落としてしまったほどだ。ハガネは罰しないと言ったのに「どうか家族だけはご容赦を!」と震える声で叫んでいたのが、カイトの印象に強く残っている。権力者に対する態度がそういうものなのか、それともハガネだからそう思われているのか、何とも言えないところだった。

 以下、魔皇一行四人に加え、新ルフェリアン王国から来た迎えの使者を含めた、計五人での道行きだった。

 使者が先導して歩むのは、張り出した下草や落ち葉に隠された林道だった。放置されたにしては石畳が良く掃除され、苔などは付着していない。意図的に道を隠していたのだろう。木の葉を払うように踏みしめて歩く使者の足取りは、確かなものだった。

 この白い蝶の羽根の使者が帰り、そして日程を告げるため再び現れたのが、昨日の早朝のことである。会談を執り行うという伝令こそ城へと出していたが、日程が明らかになった後、城の官吏と話を詰める時間などは一切無かった。当然連携など取れるはずもない。帝国の全ての決定権がハガネにあるのだから、問題が無いと言えば無い。しかし実際のところ、独断専行で事を決めれば、糾弾は免れないだろう。

 ――しかし、カイトの不安はそんなところには無かった。


(ハガネ……これが終わったら、マジでちゃんと弟と話し合った方がいいぞ)


 カイトはどうしても、ダイスのことが気がかりでしょうがなかった。何せ事故とはいえその本心の一端を――つまり、ハガネを想う気持ちを――見せつけられる形になったのだ。そして、自分はその気持ちをハガネ本人として受け取ってしまった。ダイスが喜んだかどうかまでは分からないが、それでも一瞬だけ、ほんの少しだけ緩んだ表情を見る限り、姉に少しは己の心情を理解してもらえたと感じたはずだ。

 しかし、使者が訪れた直後のハガネの態度は、それとは真逆だった。傷付いたかもしれない。それはそれとしても、違いすぎるハガネの態度に違和感を覚えてもおかしくはない。

 何とかして取り繕え――というカイトの言葉にハガネは、


(お前の言いたいことも分かる。しかし、あの場においてはそう言うしかなかっただろう)

(そう言うしか、って……)

(我が死ねば次の王はクィンシーしかおらぬ。魔皇とはあくまでも魔剣を持つ者の称号。伝統としてガナガルティガン帝国の王を務めるのは魔皇であったが、国外の魔族が魔皇として選ばれることも……歴史の中ではあったことだ。事実、五代ほど前の魔皇は帝国人では無かった。後に、魔皇として城に迎えられたがな)


 ハガネの言い分は確かに正しいのかもしかし、それでもダイスに向けた言葉の最後は余計だった、としかカイトには思えなかった。そんなカイトの不満を感じ取っているのか、ハガネは無言で落ち葉を踏みしめながら歩いていた。人の手が入らなくなって久しいのだろう。木々は鬱蒼と生い茂り、枝葉が張り出して空を覆っている。

 代わり映えしない光景をどれほど歩いたか。木漏れ日はあまりに小さく、影の面積が大きすぎて時を図ることは難しい。体感としては一時間以上も経ったような気分にカイトはなっていたが、実際はその半分ほどしか経過していなかった。


(……お前は、いやにクィンシーの肩を持つな)


 長い沈黙を挟んで、ハガネがぽつりと思う。


(肩持ってるってわけじゃねーよ。でも、お前が正しいとは思えない。結局、お前は単にあいつのこと信じてないだけだろ。初めっから宰相との内通を疑ってかかったりとかさ)

(あれの信頼を損ねた。故に我も、もはや信は置けぬ。それだけのことだ)

(当たり前のこと言ってますみたいな感じだけど全然分かんねーからな。お互い分かりあえない、いつか寝首掻かれるっていう状況ならそれでもしょうがないだろうけどさ。けど、俺が見たダイスは違ったんだ)

(そうだな。お前の前にいたクィンシーはな)


 何か含みのあるような言い方に、カイトはハガネを追及しようとした。しかし、その先は聞けなかった。

 頭上の葉陰の空は相変わらずだったが、真正面の視界は段々と開けてきた。低い位置に張り出した枝が打たれ、草葉に隠れていた道が露わになっていた。歩く途中、道の脇に看板があった。それは新ルフェリアン王国への来訪者に向けたもの――ではなく、古い伐採場や木材置き場、炭焼き小屋への位置を示したものだった。ほとんどが腐り、割れて地に落ちていた。


「もうすぐ到着致します。申し訳ございませんが、武器は村の入り口で預けて戴きます」


 淡々と使者が言う。前もって取り決められていたことだったので、ハガネは特に反論もしなかった。

 壊れた看板の先へと数分歩くと、道の両側にある背の高い針葉樹を綱で結び、そこから色とりどりの布きれをぶらさげた、簡素な門のようなものが見えてきた。その下には二人、槍を持った妖精族が立っていた。身なりは良いとは言えない。薄茶色い粗末な布で体を覆っている。二人の衛兵は、妖精族にしてはしっかりとした体つきをしていたが、それでも軍人に適うような体格ではなかった。


「魔皇陛下、ご到着!」


 使者が一言、高らかに宣言した。すると衛兵たちは驚きに震え、顔を見合わせてから正面を向き、槍を掲げ「魔皇陛下、ご到着!」と唱和した。彼らの顔にはどこか、怯えたような色が現れていた。

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